「もう政権交代になっちゃうから安倍晋三首相は土壇場で衆院解散をやめるんじゃないの?」―。
民進党議員が狂喜していたのは、わずか3週間前だ。

 希望の党の小池百合子代表(東京都知事)が民進党との合流構想を進めるにあたり、こだわったのは安全保障政策をめぐる意思統一だったという。
小池氏の脳裏には、平成6年4月に発足した「非自民」連立政権の羽田孜内閣が安保政策の違いから社会党が離反し、わずか64日間で崩壊した記憶が浮かんでいた。

 一方、民進党の前原誠司代表も同じ考えを抱いていた。自民党も民進党も党内に一定の左派勢力がいるが、とりわけ民進党は党内左派が共産党との選挙協力に前のめりだった。
前原氏の側近は「共産党と候補を一本化すれば、20〜30の選挙区で与野党の勝敗が逆転するかもしれないが、自民党政権は倒せない。
 政権を託してもらえるほどの支持を得るには、党内分裂を招いても共産党との関係を清算する必要があった」と打ち明ける。

 希望の党への合流を検討していることが明らかになったのは、衆院解散前日の9月27日だ。
当時の民進党では、最終的に立憲民主党に身を委ねた前職ですら「野党勢力を糾合し『小池首相』を担げば政権交代だ」などと小躍りしていた。
小池氏が「これまでをリセットする」と宣言して突如、希望の党代表に就いた時期でもあり、民進党内は総じて「小池劇場に乗れば大丈夫」と楽観していた。

 ただ、ここから前原氏の誤算が2つ重なった。1つは希望の党が独自候補の擁立へのこだわりが予想以上に強く、民進党との候補者調整で軋轢を生んだことだ。
もう1つは、小池氏が衆院選に出馬しなかったことだ。小池氏は「百パーセント出馬しない」と繰り返し語っていたが、額面通りに受け止める向きは少なかった。

 結局、小池氏は不出馬の態度を変えず、希望の党は誰が首相候補か分からないまま選挙戦に突入した。
立憲民主党には希望の党に公認を断られた候補も入ったはずだが、結果的に「筋を通した」というイメージが定着した。

 希望の党は、現実的な安全保障政策を掲げたことで、将来の政権交代を望める素養は手に入れた。
しかし、極めて不透明な党内の意思決定過程などを改めない限り、党勢拡大は難しいのでないか。

 (※詳細・全文は引用元へ→ 産経新聞 17.10.18 01:00)
http://www.sankei.com/premium/news/171018/prm1710180007-n1.html