ビルマ戦線の日本軍兵士の記録を読んでいると兵団の強弱や地域性についてよく書かれています。
強い兵は56師団(龍兵団)18師団(菊兵団)で九州の兵団です。弱いのが53師団、15師団で関西の兵団です。
アーロン収容所を書いた会田雄次氏は安兵団(京都)です。
連合軍は日本軍の強弱を知っており、「菊」の名を冠する第18師団との交戦を名誉と思っていましたから、弱兵の安兵団のことは知っていたでしょう。
戦後の抑留者の待遇もこの兵の強弱も影響しているかもしれません。
インパール作戦を戦った31師団(烈兵団)の兵士の記録とアーロン収容所の安兵団の記録では抑留時に随分と英軍からの待遇が異なる印象です。
 
菊兵団(久留米)は日本軍最強と言われ、他の師団から一目置かれていました。
菊兵団から他の師団へ支援へいくと、大変喜ばれ実に丁寧な待遇を受けたようです。
盗みを働いても大目に見られ、「泥棒部隊」とも呼ばれたようです。