【東京】宇喜多秀家終焉の八丈島で鎮魂祭 妻・豪姫の実家、加賀藩前田家当主と冥福祈る
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宇喜多秀家の墓前で冥福を祈る前田さん(右端)、宇喜多さん(右から2人目)と参列者ら=東京・八丈島
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岡山城を築いた戦国大名・宇喜多秀家(1572〜1655年)の命日の20日、終焉(しゅうえん)の地の東京・八丈島で鎮魂祭が営まれた。宇喜多家と、秀家の妻・豪姫の実家である加賀藩前田家から現当主がともに初めて参列し、秀家の冥福を祈るとともに両家の絆を再確認した。
地元住民でつくる秀家の顕彰会「久福会」が両家に呼び掛け、実現した。宇喜多家15代当主の宇喜多秀臣さん(77)=千葉県船橋市=と、前田家18代当主の前田利祐さん(82)=東京都目黒区=が秀家の墓前に線香を上げ、手を合わせた。岡山の歴史ファンや加賀藩が治めた石川の東京県人会員、地元住民らも秀家をしのんだ。
宇喜多さんは「前田家や八丈島の人々には感謝しかない。これを機に、両家の交流を再び深めたい」と感慨深げ。前田さんは「豪姫は夫と一緒に行くことを望んだと伝わる。両家がそろい、秀家も喜んでくれたと思う」と話した。
地元の伝統芸能の保存会による供養の舞や、秀家が植えたとされる「久福松」にちなんで岡山から贈られた5本の松の周辺をろうそくやたいまつで彩るライトアップも行われた。
秀家は関ケ原の戦いで敗れて流刑となり、亡くなるまで半世紀近くを島で過ごした。前田家は明治期まで島に生活物資を送り続けた。
(2017年11月20日 23時24分 更新)
山陽新聞デジタル
http://www.sanyonews.jp/article/630384 当時の技術がどんなもんか知らないけど、よく八丈島まで遭難せずにたどり着けるよな >前田家18代当主の前田利祐さん(82)=東京都目黒区
もし旧加賀藩の家臣団の子孫で食事会とかがあったら、
やっぱりこのご老公が殿と呼ばれるんだろうか 京都で塾の講師のバイトかなんかしてたんだよな
もちろん教科書には載っていない 直家なら関ヶ原でも上手いことやって大名として存続したかな? 子孫が残ってると+補正が働くのかな。信長の野望だと超イケメンで爽やかなんだよなw >>11
それはあるだろうね
陶晴賢や小早川秀秋だって家名を残していれば、ここまで悪し様には言われなかったろう >>9
直家が豊臣政権で存命だったら100万石越えてたかもしれないし色々妄想にロマンが広がるわ >>9
直家なら普通に西軍に見切りつけたんじゃないのかね。
直家ならそもそも秀吉に重用されないな。よくて転封か。 「殿、今年は如何がか!」
「いや、時期尚早じゃ!」 >>16
ないわ
黒勘だって遠ざけられていたから、
豊臣政権では同じ運命
同じように、徳川政権の時に鞍替えしてそうだけどな >>2
戦国時代ぐらいになると思ったより色々と文化や技術が進んでたりするな >>11
秀家は生前当時から鉄板の眉目秀麗イケメン貴公子枠 実質、西軍の総大将だからな
前田家の政治力にあっぱれだ >>23
大名でさえなかった黒田と独力にで50万石築いた宇喜田じゃ比べる対象にゃならないよ
直家存命なら伊達の抑えに氏郷じゃなく宇喜田が送られたかもしれないしね >>2
帆船使えばそんなに難しくも無いんじゃね?
海が大しけになったとかなら別だが
戦国末期には南蛮人がいっぱい日本に押し寄せてたんだぜ >>15
ずっとその地域に住んでたら家柄は周りが保証するよ
都会住みで突然名乗ったら怪しいw >>30
というより戦国期には日本の船は東南アジアに進出して各地に日本人町作ってますやん >>14
陶は元就のかませポジになった時点で生き残ってもどうにもならんような 前田の当主は代ゼミで物理の講師してたんじゃなかったけ? >>15
そういう家は代々土地の名士だったりするし
証明する品があるんだよ
地方の田舎の名主だったうちにもあるくらいだからな 島津にも感謝すべき
幕府が身柄を確保するのが遅れなければ処刑されていた 長生き出来て良かったよね。正直に自首しちゃダメだわなw 時をおいたら違う >>29
下克上体現してきた直家をそんな危なっかしいとこに派遣できるかw
長生きできても備前を毛利の緩衝地帯にしたいから都合のいい秀家に家督譲らせて
当人は大坂で御伽衆がいいとこじゃないかな >>11
尼子なんて跡形も無い
今川や吉良は高家として残れただけまし 島流しされて50年近く生きてりゃ幸せだろ
アシタバ飯とイワシ塩焼きの粗食で長寿だったとかまことしやかに言われてるが >>11
宇喜多じゃないが能力が不満で抗議した子孫もいたらしい >>30
黒潮を超えるのはけっこう難しかったらしい。だから残党による救出のリスクも少なく流刑地にもってこいだった >>28
逃げられたのも前田のおかげだしな
秀家なんて単なる小心者のボンボンだから さすがに八丈島では大阪の陣での参戦は無理だったのだろうか >>42
尼子と聞くと
八つ墓村の「たーたりじゃーーー」
が浮かんでは消え、消えては浮かび >>50
一番派手に戦ったのは秀家だけど
主戦派だし >>55
主戦派ねえ。。
逃げまくりの人生にしか見えんけどな
嫁の実家とに食わせてもろうて長生き
敗走して捕まるくらいならあそこで自害すべきだった
部下は死んでんだし >>56
戦国では逃げて再起を計ることこそ武将のやることだぞ?
家臣が身代わりになっても糞漏らしても必死に逃げた天下人居たし 秀家って秀吉から秀頼を頼むと言われた時に、
「兄より優れた弟は居ねえ!」って言って忠義を全うしたんだっけ? 島津ってお尋ね者を匿い過ぎじゃない?
鹿児島に豊臣秀頼の墓、真田信繁の墓もあるし >>62
よくネタ扱いされるけど、やっぱイケメンだよな
しかも身長も当時としては高身長の170cm
誰からも好かれる典型的なおぼっちゃまタイプ >>15
直系を名乗るのは難しい
それ以外は名乗ったもん勝ち 現地では結構窮乏してて、苫を編んで糊口をしのいで、「米の飯を食って死にたい」が
口癖で、それを伝え聞いた花房正成が米を送ったという話があったはず。
島の娘とヤりまくってそこらじゅう宇喜多(浮田)さんだらけだという話もきいたがw >>57
みなもと太郎の「ワイド版 風雲児たち」のワンシーンだな。
岡山城を小早川に譲るシーンが、涙を誘う。
何巻のシーンかは、本ひっくり返すのめんどいから
かんべんなw
これだけで20巻あるからwムリw 関ケ原で実直に戦ったのは
宇喜多と小西っていうイメージ
所謂好感度的なものは高い 宇喜多直家〜秀家までの大河ドラマ観たいわ。
直家は香川照之、秀家は山田孝之あたりで。 >>69
同意。
やる気はあった、長宗我部も俺は評価している。
こいつこそ、一番貧乏くじ引いてるよな。 >>70
そういや香川は葵三代で秀家やってたな
熱血漢キャラだった気がする >>70
直家は沢村一樹とか一見善人に見えそうな人のが味が出そう 戦国武将はいい子ちゃんじゃ生き残れないことは
信長、政宗、信玄あたりが証明してる
親兄弟に憎まれるくらいが丁度いい
輝元ほどじゃないがこいつも甘ちゃんだろう >>75
やりまくりの好き放題さ貧乏だけど
宇喜田家は十数家になり繁栄したけどな ぽまえら八丈島逝ったこともないくせにw
植物からして本土とは違うからね、異国だよ。
パチンコ屋しか遊ぶとこないw 種子島一族で大河ドラマ希望
鉄砲とジェットエンジンという当時の
先端技術を絡めると面白い >>76
元就が悪い事全部やってくれたから
子供は甘く育ってしまったのだろう >>80
>パチンコ屋しか遊ぶとこないw
まあアウトドア系のレジャーに興味の無いツマンナイ人間はそうかもな
釣り好きには毎日極楽の地だが >>72
おお、サンキューw
ちょっとひっくり返してみる。 >>63
関ケ原から帰るまでに周りの協力なしには無理だったし多少はね >>82
輝元は二人の叔父の虐待教育受けて育ったのだが >>21
それ、九州に潜伏してた秀頼の子孫の逸話だろw >>20
>20のシーンは4巻P143〜145ですな 超めんどくさかったが、ワイド版の頁探した。
第3巻144項〜145項
「わしの悪事は、おめえらみていに小そうないんじゃ」
「なにしろわしは、東照大権現様と命のやりとりをしたんじゃけんのう」
まぁ、棺桶に片足突っ込んだ爺がこんな話すれば、ほらばなしと良い娯楽になったんだろうな。
ちょっと、こみ上げるモノがあるな(涙) >>46
不破光治じゃない?
直家は陣内孝則が似合ってたなぁ 前田の現当主はバカなのか?
前田家に生まれたすべての姫を鎮魂してるわけじゃないだろ >>94
こういう風に異常に鎮めているときは
誰かの裏切りにあい、死んだ者がいるときなんだよね
歴史には書かれないなにか裏切りがあったんじゃないかな >>46
ご先祖の能力値に不満で、ゲームに登場させない様に裁判起こしたとかいうのを見た記憶がある 大谷吉継のほうがよっぽど鎮魂しないと祟りそうだが、
秀秋を呪い殺して満足してしまったのか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています