毎日新聞 2017年12月4日 地方版
https://mainichi.jp/articles/20171204/ddl/k17/040/115000c

 縄文人は農耕をしたのか−−。首都大学東京の山田昌久教授(考古学)らが今年、全国5カ所の研究施設と協力し、縄文人が食べた可能性がある植物の本格調査を始めた。北陸からは能登町の町真脇遺跡縄文館が参加。野生種の豆を植え、肥料の有無による収穫量の違いなどを調べて、遺跡から出土した植物の種などと比較する。研究の最先端を走る大学と、遺跡を熟知する地域がタッグを組み、歴史の謎に挑む。【久木田照子】

 ■遺跡周辺で栽培実験

 昨年の事前調査を経て、2019年までの3年間、調査を行う。研究代表者は岡山理科大の那須浩郎准教授(考古植物学)。岩手県一戸町▽山形県天童市▽静岡市▽能登町▽福岡市−−の縄文〜古墳時代の集落遺跡(国史跡)周辺で、植物の栽培実験をする。いずれも、遺跡に隣接する博物館などが協力。施設の敷地は開けているため、縄文集落のような日照環境を再現しやすいという利点もある。

 調査では、縄文時代に植物が大型化したメカニズムの解明を目指す。研究チームによると、近年、各地の縄文遺跡の発掘調査で、クリやツルマメ(大豆の祖先)などが野生の状態より大きく育っていたことが分かった。遺伝子の突然変異のほか日当たり、栄養などの環境が影響するとみて、調査を計画した。食べられる植物を縄文人が大量に得ていた状況が明らかになれば、農耕が行われていた可能性も浮かぶ。

 ■骨粉や貝粉、肥料に

 縄文館敷地の調査畑は12平方メートル。ツルマメとヤブツルアズキ(小豆の祖先)を、肥料を与えるものと与えないものに分けて育てた。肥料は縄文時代に存在した物を想定し、動物骨粉や貝粉などを選んだ。今年6月に植え、11月に収穫。目視では肥料を与えた方が豊作だった。今後は種の大きさや収量を計測する。また、館周辺のクリや、事前調査での収穫後に自然に芽吹いたイヌビエなどの観察も続ける。復元した石器で畑を耕す実験も検討するという。

 ■協力、双方に利点

 山田教授は、地域の担当者と協力する利点について「研究テーマに意義を感じ、関心を持つ人が畑をこまめに観察しなければ研究は成立しない」と話す。縄文館では高田秀樹館長が、肥料の与えすぎやイノシシの足跡などに気付くと、すぐに対応した。山田教授と高田館長らは、石器で木を伐採し先史時代の丸木舟を再現する研究にも一緒に取り組んでおり、協力しやすい下地が培われていたという。

 地域にとっても、大学の研究者と組む意味は大きい。研究成果によって、ここで生きた縄文人の生活や思考がひもとかれていく。高田館長は「研究は多くの人の歴史への関心を深め、地元で遺跡を守り活用する応援団を増やすはず」と期待する。