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【考古】縄文人は農耕をしたか 大学×地域、歴史の謎挑む 植物大型化、解明目指し
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0001泥ン ★垢版2017/12/04(月) 18:20:57.44ID:CAP_USER9
毎日新聞 2017年12月4日 地方版
https://mainichi.jp/articles/20171204/ddl/k17/040/115000c

 縄文人は農耕をしたのか−−。首都大学東京の山田昌久教授(考古学)らが今年、全国5カ所の研究施設と協力し、縄文人が食べた可能性がある植物の本格調査を始めた。北陸からは能登町の町真脇遺跡縄文館が参加。野生種の豆を植え、肥料の有無による収穫量の違いなどを調べて、遺跡から出土した植物の種などと比較する。研究の最先端を走る大学と、遺跡を熟知する地域がタッグを組み、歴史の謎に挑む。【久木田照子】

 ■遺跡周辺で栽培実験

 昨年の事前調査を経て、2019年までの3年間、調査を行う。研究代表者は岡山理科大の那須浩郎准教授(考古植物学)。岩手県一戸町▽山形県天童市▽静岡市▽能登町▽福岡市−−の縄文〜古墳時代の集落遺跡(国史跡)周辺で、植物の栽培実験をする。いずれも、遺跡に隣接する博物館などが協力。施設の敷地は開けているため、縄文集落のような日照環境を再現しやすいという利点もある。

 調査では、縄文時代に植物が大型化したメカニズムの解明を目指す。研究チームによると、近年、各地の縄文遺跡の発掘調査で、クリやツルマメ(大豆の祖先)などが野生の状態より大きく育っていたことが分かった。遺伝子の突然変異のほか日当たり、栄養などの環境が影響するとみて、調査を計画した。食べられる植物を縄文人が大量に得ていた状況が明らかになれば、農耕が行われていた可能性も浮かぶ。

 ■骨粉や貝粉、肥料に

 縄文館敷地の調査畑は12平方メートル。ツルマメとヤブツルアズキ(小豆の祖先)を、肥料を与えるものと与えないものに分けて育てた。肥料は縄文時代に存在した物を想定し、動物骨粉や貝粉などを選んだ。今年6月に植え、11月に収穫。目視では肥料を与えた方が豊作だった。今後は種の大きさや収量を計測する。また、館周辺のクリや、事前調査での収穫後に自然に芽吹いたイヌビエなどの観察も続ける。復元した石器で畑を耕す実験も検討するという。

 ■協力、双方に利点

 山田教授は、地域の担当者と協力する利点について「研究テーマに意義を感じ、関心を持つ人が畑をこまめに観察しなければ研究は成立しない」と話す。縄文館では高田秀樹館長が、肥料の与えすぎやイノシシの足跡などに気付くと、すぐに対応した。山田教授と高田館長らは、石器で木を伐採し先史時代の丸木舟を再現する研究にも一緒に取り組んでおり、協力しやすい下地が培われていたという。

 地域にとっても、大学の研究者と組む意味は大きい。研究成果によって、ここで生きた縄文人の生活や思考がひもとかれていく。高田館長は「研究は多くの人の歴史への関心を深め、地元で遺跡を守り活用する応援団を増やすはず」と期待する。
0186名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 07:34:38.43ID:jdeoyFJC0
現物が地層から出てきちゃうから
議論の余地さえない
見たまんまw
0187名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 07:50:58.14ID:XJtGBLEj0
>>185
低湿地も田んぼとして利用されてるよ、「ふけ田」「深田」「ふき田」なんて地名の所はだいたいそんな場所。
0188名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 07:55:53.44ID:oRauEbio0
縄文人と現在の日本人は無関係、ということが明らかになると色々と困るからね。
明治、大正、昭和の初期は特にそれが顕著で、あらゆる時代の歴史が、特定の方向に向けて
捏造、創作された。
その一つの柱が皇紀であり、そこに不随する所謂「日本の神話」だ。
神話を裏付ける為に歴史が捏造されるということは殆どの国で行われて珍しいことではない。
むしろ、「神話」が何故に必要とされ、各国、民族で生み出されてきたのかを考えるべきであろう。
権力構造を肯定するために先住を主張することは統治の基本であり、支配者が自らの支配と搾取を
正当化する為に、神話が生み出され歴史が捏造されてきた。
日本人が縄文人と民族的には無関係ということになれば、じゃ日本人は何処から来たのかという
ことになり、周辺民族に対する日本人の優越性や自尊心を支えるもう一つの柱を失うことになる。
いずれにせよ、統治の都合で「歴史」が編纂されてきたわけで、その背景を失って単なる事実としては
存立し得ない。
多くの日本人が古代史に関心を寄せるのも、編纂された歴史の完成度が低く、真実を知りたいという
探求心が芽生えるからであろう。
日本人が古代中国と古代韓半島からの移民の混血であったとしても、失うものなど何もないのだが、
そんなことはないと強く否定するする人々が多いのも事実で、そこに「歴史」の有用性が証明されている。
0189名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 08:46:31.28ID:WuQz7Z120
縄文文化など縄文土器くらいしか残ってないから弥生人から見たら完全な知恵遅れの
劣等民族にしか思えんかっただろう。だから縄文人の少ない西日本で人口を増やした
弥生人は東日本にも勢力を伸ばして最終的には列島を支配した訳だ、縄文人の男は
みなごろしにされて女はレイプが本能になっている朝鮮系弥生人から犯されまくったんだろう。
0190名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 13:44:24.80ID:0pqP/mYw0
>>189
暴力で云々ではなく平和的に混じったって感じっぽいけどな
東北はそうではないがw
0191名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 15:15:54.80ID:wQ8txhOx0
>>190
東北だけが特別な訳ないじゃん。渡来人は西から東へ、原住民を征服しながら侵攻したのだろう。原住民達は、あるものは北へ東へ移動し、あるものは取り残され部落を形成した。
0192名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 15:17:49.60ID:6ewUoEZy0
バカはすぐに渡来人とか言い出して笑える
0193名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 15:21:20.28ID:BIm5ZSur0
南関東と畿内の日本国内人口シェア

縄文早期8100年前 南関東35.8% 畿内 0.5%
縄文前期5200年前 南関東28.6% 畿内 0.4%
縄文中期4300年前 南関東27.4% 畿内 0.2%
縄文後期3300年前 南関東21.7% 畿内 0.7%
縄文晩期2900年前 南関東 5.0% 畿内 1.1%
弥生時代  200年 南関東10.0% 畿内 5.1%
奈良時代  725年 南関東 9.4% 畿内10.1%
平安遷都  800年 南関東 9.4% 畿内10.4%
平安前期  900年 南関東11.3% 畿内 8.1%
平安末期 1150年 南関東13.0% 畿内 7.3%
関ヶ原合戦1600年 南関東10.6% 畿内18.6%
享保改革 1721年 南関東12.6% 畿内 8.6%
寛政改革 1792年 南関東11.6% 畿内 8.1%
明治維新 1873年 南関東10.7% 畿内 6.1%
明治23年1890年 南関東11.7% 畿内 6.7%
大正 9年1920年 南関東13.7% 畿内 7.9%
昭和25年1950年 南関東15.6% 畿内 7.7%
昭和50年1975年 南関東24.2% 畿内10.5%
平成 7年1995年 南関東25.9% 畿内10.2%
平成17年2015年 南関東31.9% 畿内 9.9%
0194名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 15:22:19.28ID:u9Dt0sgp0
>>147
沖縄県人は本土人とほぼ同じということが分かっている
アイヌはいくつか系統があるが、
一部は純粋な縄文人の子孫であると見られている

沖縄人が日本人ではないという主張は大陸系
昔からシナが欲しがっているから
遺伝的には、ほぼ日本人と言っていい
むしろ朝鮮に進出して大陸に近づく前の純日本人だよ
0195名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 15:23:36.34ID:u9Dt0sgp0
>>188
いや、遺伝的には同じでしょ
すでに出ている
それどころか、弥生人と縄文人が同じである可能性すら出てきている
0196名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 15:28:33.47ID:u9Dt0sgp0
>>189>>190
おそらく違うと思う
最近の研究で、縄文時代の遺跡から弥生人の遺伝子を持った人骨が発見された
骨は縄文時代なので縄文人

っていうことは・・・w

おそらく縄文時代〜弥生時代は小規模な戦闘が繰り返されていた
その間に渡来人との交配も進んだと思われる
遺伝子がほぼ同じになって、大和朝廷が最初の統一を完成させた
そこから「日本」が始まる

いきなり日本を「平和」にしてしまうと、
魏志倭人伝の倭や大和時代までの豪族の勢力争いなどと連続しなくなるのではないだろうか?
0197名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 15:30:55.93ID:u9Dt0sgp0
日本が昔から大陸よりさらに端の方にある田舎だということだけは認める
実際、現代もそうだしw
0198名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 16:24:18.33ID:y04xrDY70
韓半島からの渡来人に文化を学んだ縄文人は種まきを覚えたかも知れないし、
混血すればするほど優秀な頭脳になるから
農耕と呼べるレベルまで発達したかもしれない。
いずれにしてもその鍵は、渡来系弥生人との距離如何だよ。
けっして縄文人の自発的な発明ではない。
0199名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 16:32:27.80ID:u9Dt0sgp0
>>198
wwww
縄文人は馬鹿だということにしたいニカ?
0200名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 16:36:29.06ID:y04xrDY70
縄文人は石とか木の道具を使うだけでしたが、
渡来人はなんと石が含有する金属を鋳溶かして
金属製の農具を考案するという農業革命を起こしたのです。
0201名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 16:43:42.69ID:u9Dt0sgp0
>>200
それ中東からの輸入品www
本当に知能が低いんだね日本以外のアジア人ってw

農業、輸送、貨幣を独自に発明した縄文人
非常に生産、経済などに優れていたが、
なにせ人口が小さいのと端の田舎だったため、
ガラパゴスな状態で発展しなかった

一方、シルクロードを通じて、世界最先端の文明を中東、インドから輸入していた中国
中国固有の文化と融合し、日本へ到来
一部、朝鮮半島を経由したと思われるものもあるが、
なぜか日本より有利な位置の朝鮮半島では文明は根付かなかった

一方、独自文化と渡来人による最先端の文明を融合させ発展し続けた日本民族
そして室町時代、南蛮人(西洋人)の到来と共に発展の速度をどんどん加速させた
その後伴天連追放後の鎖国時代になっても発展の速度は緩まず、
世界最大の農業大国へと変貌した

一方で幕藩体制が限界に達した日本は、東側から来た西洋人、
黒船ペリーによって開国を促されることになった
これより日本は新しい近代という時代へと大きく動いていくことになる
現代日本はノーベル賞、フィールズ賞などアカデミックな分野で世界的な賞を量産、
文字通り文明の頂点の一角を担っている


これが交配した縄文人の姿
一方、ピュアアジア系()の方々は・・・w
0202名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 17:44:23.66ID:qF/UY0cl0
ゴマだのヒョウタンだのの栽培植物が出土してるんだから議論するまでもなく
農耕してたのは明白なんよ
ただ日本人はずっと水田稲作を特別視してて農耕=稲作だったから
縄文は農耕なしということになってたの
0204名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 17:54:31.06ID:+DR+XdD60
とうほぐの縄文時代が終わったのって1900年代に入ってかららしいな
おしんの幼少期の時代
0205名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 17:56:31.86ID:qF/UY0cl0
三内丸山の六本柱は現在も各地神社で行われてる柱祭祀が縄文起源と推定できる証拠なのよ
あーゆーでかいシンボル造りたがるのはヤマト民族
0206名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 18:03:32.06ID:+DR+XdD60
三内丸山遺跡も江戸時代の村の後かも知れないしな
とうほぐは発展が遅れているから江戸時代でも土器や石器が生活必需品だった可能性が高い
0207名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 18:11:45.53ID:+iwPjMKV0
米や麦のように環境を大きく壊す農業はしなかっただけ

栗や豆類 
労せず育つ作物は当然縄文人は育ててた

弥生人やその後の渡来人達が水田を持ってきて
日本の食性を米中心に強制した
0208名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 18:21:13.64ID:pi8qbaK/0
>>44
で、紀元前3300年から2900年までの間に関東に何が起きたのか
イカレポンチの関東人は納得の行く説明ができるわけ?
0209名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 18:25:32.34ID:My8RadSg0
>>208
箱根山のマグマ噴火だろ。
0210名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 18:26:32.95ID:wizM1FJ10
東南アジアとの交流はあっただろうな
南米のアルゼンチンあたりで日本の土壌で作られたらしい
縄文式土器が見つかったとか聞いたことがある
0211名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 18:27:07.96ID:zN7+wMyI0
弥生人というのは古代中国の春秋戦国時代に戦乱を避けて大陸から日本へ渡来してきた人たちらしい。
彼らは現在の九州へ上陸して稲作をしながら当時の原住民の縄文人を駆逐しながら次第に居住地域を広げていった。
これが神武東征のモデルとなった。
0212名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 18:34:27.35ID:My8RadSg0
>>211
戦争難民が日本列島で征服者になれるわけがない。
ヨーロッパで起きていることと同じで大陸から受け入れた難民(弥生人)の人口が自然増したのが実態。
弥生人が大陸から疫病を持ち込んだことで、縄文人が減少した可能性はある。
0213名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 18:34:50.39ID:EZtq+Hde0
>>211
>春秋戦国時代に戦乱を避けて大陸から日本へ渡来してきた

どんな船で何人ぐらい来たんだろうね?
0214名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 18:36:00.88ID:My8RadSg0
奴隷民が国をのっとってしまう例はジャマイカがあげられる。
アフリカ黒人は征服者としてジャマイカ島にやってきたわけではない。
0215名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 18:39:38.40ID:My8RadSg0
地主が縄文人、小作人が弥生人。
0216名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 18:41:54.78ID:6A2iLcr60
>>211
戦乱で移住した人もいたろうが、日本語と中国語は言語体系が違うから中国人が制覇して大和になったのではない
0217名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 18:45:07.81ID:My8RadSg0
弥生人が征服者として日本に来たならば、敵となる南九州や山陰・土佐を制圧した形跡がないのは不自然である。
弥生人は有力な縄文人地主に稲作の労働力として導入された小作人とすればすべて説明できる。
数多くの小作人(弥生人)を使役できた縄文人の中から各地で王が台頭してきて、ヤマトが形成された。
0219名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 18:54:38.92ID:6ewUoEZy0
この古代史となるとすぐに渡来人渡来人とかいう奴のアホさときたら
0221名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 18:59:15.95ID:pfc1sXm40
実際渡来人のもたらした物は大きいよ
先住民が独自に進歩するよりはるかに大きく早い
0222名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 18:59:17.96ID:JWKYcs5/0
これいつまで縄文人と弥生人を分けているのだろういい加減定義廃止した方がいいよ
現にDNA解析で同じ人と分かってきてるからな
0224名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:02:53.98ID:Pf3OGW5c0
単純だけど縄文系の方が人間として世界基準だわ
弥生系は寒冷地対応が変な方に進んだ欧米人から
見たら典型的なダウン症顔なんでしょ
俺は一重直毛の典型的な弥生顔だけど友人の縄文ぽい
顔は素直に羨ましい
0225名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:05:00.69ID:My8RadSg0
弥生人が征服者だったとすれば、縄文人の反乱を抑えるために多くの軍事力が必要になる。
まるで北九州からつまみ食いするように分布する弥生人の痕跡は、弥生人が征服者ではなく小作人だったことを示している。

後世の人間がドイツやフランスにムスリムが多いことを考古学的に説明した場合、
ムスリムがフランスやドイツを征服した結果である、などという馬鹿げた結論は出さないだろう。
0226名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:10:19.23ID:FuTbS1190
縄文土器とかの呼称はなんか失礼な感じがする、諏訪湖近辺や新潟近辺で見つかる土器は、縄文というより素晴らしい「装飾文」土器。
0227名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:15:37.95ID:6ewUoEZy0
つかなんか知らんけど「縄文人」「弥生人」とか言う別人種の入れ替わりが起こったかのような珍妙な事言ってる奴が多いよな

挙句なんの根拠か知らんけど「耳垢が湿ってる」だの訳の分からんことを上げて違うとか言い張ってるし

誰がこの馬鹿話を広めてるんだかね
0228名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:16:22.03ID:ptYc1H4Q0
>>226
青森や宮城の遮光土器もかなりの物じゃない?
俺はあれ見て縄文のイメージ変わった
0229名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:17:17.40ID:GORpyr3a0
糞をしたところの植物がよく育つことを発見したご先祖1号が関与している。
0230名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:18:40.87ID:bzOWTsWj0
未開の縄文人が住んでいる土地に、ある日突然「進んだ文化を持った弥生人」がやって来た、
という、これまで教え込まれていたのが違うんだろうな。
こういうことを言うのは、考古学者にはあんまりいない。
なんでかというと、そんなくっきりした区別がつく遺跡なんてないから。
どこも、「縄文の流れを引いたものにプラスして少し新しいものが交じる」
縄文と弥生の区別なんてどこにあるのかわからない。

縄文遺跡から、たくさんの栽培植物の種が出てくる。

文化はすべて高い方から低い方へ一方的に流れるのであり、世界の文明の中心・発祥は地中海!
という欧米の価値観に洗脳された学者には真実は見えない。
そこに栽培植物があっても、見なかったことにしている。

大豆は、東アジア原産だが、もしかすると日本で改良された植物かもしれんらしい。
洗脳された学者は、そんなことは考えもしない。全く科学的ではない。
土器も世界最古で、もしかすると大豆も栽培してたかも知れんが、日本が最古とか
日本で始めた農耕があってはならないのだろう。
うるしもどっかから「伝わった」w
日本には、「すべてどこかから伝わった」ww

世界には「黒土地帯」ってのがあって、そこは古くから農耕をやってた土地だ。
日本だけは、やっていないことにされてるけどな。
0231名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:21:30.54ID:bzOWTsWj0
>>189
縄文遺跡の展示を見たことがないのかな。
0232名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:22:46.32ID:My8RadSg0
縄文人が稲作技術を導入した時期と小作人(弥生人)を導入した時期が比較的近いせいで、
まるで弥生人が稲作技術を持ち込んだかのような錯覚が生じているに過ぎない。
0233名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:26:05.95ID:6ewUoEZy0
まず、最初の弥生遺跡と言われる菜畑遺跡では

「弥生土器や新しい農工具とともに【従来の縄文土器が使われている】」

外国人が来たというなら【全部外国の物になる】のが当たり前
なぜなら土器は買う物ではなくて自分で作って使う物だから
なんで敢えて外国の使い慣れないものに一部変更する必要があるのか
そしてこれは弥生の遺跡全般に言えることで他遺跡でも縄文の従来道具と新式の道具を併用してる

極稀に外国の道具オンリーの場所などがあるが、これが逆に「外国人がそのまま住み着いたらこうなる」というケースとなり他との違いがはっきり分かる

つまり、今までなかった道具を縄文人が受け入れて使ってるだけの事なのが分かる

弥生と縄文の違いは「縄文人が新式の道具を受け入れた」という技術的な変化ということなのが明確
0234名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:31:54.28ID:bzOWTsWj0
>>191
その渡来人って何?騎馬民族?
じゃあさ、その人らがやって来たところと言葉や遺伝子が同じじゃないとおかしいよね。
どこなの?
英語とドイツ語でさえすぐに関係が分かるんだよ?
おんなじくらい近い言葉がないとおなしいよね。
0235名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:32:38.60ID:My8RadSg0
弥生人っぽい顔だちの方々の自尊心を傷つけるようで申し訳ないが、弥生人とはただの小作人である。
0236名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:32:59.37ID:6ewUoEZy0
そして弥生式の土器
いゆわる、遠賀川式土器という奴は九州から離れて東へ伝播していくわけだが、この過程において【ドンドン在地の土器の特徴を受け入れて変化している】

これがどういうことかというと「征服者のヤヨイジン」とやらが東へ進んでいくなら土器もそのままの形で移動していくはず
征服者の生活スタイルがそのまま広まっていくわけだからな
ところが原型をとどめないくらい在地の影響に染まって変化していく
そしてそれ以外の古い道具は従来の縄文土器のまま

これはつまり
征服者がどうのじゃなくて新しい技術だけがどんどん模倣されて東伝してることを意味してるわけだ

弥生と縄文の違いは「江戸と明治」の変化のように文明の受容でしかないのが分かる
0237名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:34:59.17ID:bzOWTsWj0
>>68
水田はそうだけど、畑は違うよ。
うちの地域の畑で、灌漑設備がしてあるのはないよ。
水が引けないから畑のままなんだよ。
0238名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:37:24.17ID:bzOWTsWj0
>>185
だから、山裾の谷田から始まったのだろうな。
0239名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:37:44.26ID:6ewUoEZy0
あと人相についてよく言う人が言うがこれも違う

硬いものを食って歯がすり減り、歯がなくなると飢えて死ぬという過酷な縄文の生活から、多少なりとも計画的に食料が得られる弥生時代になった
これは劇的な生活様式の変化だと言える
このような状況下において人相が変わるのなんて当たり前

例えば江戸時代の将軍の骨と、町人の骨は同じ人類と思えないくらい違っている
将軍は柔らかい物ばかり食べて顔が見てわかるくらい長く、顎が未発達だ
逆に町人は固いものを食うので顔が四角く張っている
「同じ時代の同じ町の人間」でさえも生活の違いで別生物の勢いで顔が変わる
現代と親世代、さらにはその前の明治時代の100年でさえも大きく違うだろう

弥生と縄文で顔や風体が違うことに根本的な違いを求めるなどナンセンスと言わざるを得ない
0240名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:40:39.89ID:Pf3OGW5c0
>>236
それが正しいかもね、中東地域からヨーロッパへの
農業の伝播と調べるとアナトリアや旧ユーゴ辺り
まではある程度遺伝的な移動とリンクするけど
中欧から西欧にかけてはほぼ技術の伝播だけに
なるから
0241名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:40:58.73ID:MTmzcHZ70
いつまで人種の違いを強調したいのかね。
栽培法知れば縄文人だって稲作やってんだろ
0242名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:41:22.93ID:FuTbS1190
>>228
あれは稚拙とは程遠いですね。遮光土偶のいいものは造形といいバランスや緻密さなど高い精神性を感じましす。土偶の硬度などは専門家でもとても真似できないと聞いたことがあります。弥生に移行した途端、技術が小学生レベルに落ちたのか謎です。
0243名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:43:32.59ID:My8RadSg0
大陸は先進地域だが、朝鮮半島は先進地域ではない。
中国人や和人が交易で朝鮮半島を中継基地にしたことはあったが、朝鮮半島に豊かな独自文化が育まれることはなかった。
0244名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:44:09.44ID:00PDj6W+0
>>234
てゆーかそもそもチョッパリ語って存在しないじゃんwww
縄文語というのがあったのなら是非ともご教示願いたいね
そこらへん偉大なる大韓はもとより大中華にいたっては
北京原人すら言葉をしゃべってたからね。うぱぁ

ソースは北京原人who are you

wwwww
0246名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:47:32.77ID:6ewUoEZy0
あと、遺伝子

「父親から息子」と伝わる男系の遺伝子「Y染色体」を日本人は大昔の日本に人類が来たばかりの形質を色濃く維持している

Y遺伝子というのは征服されたら戦争で死んだり、子供を残せなかったりして消えていく傾向がある
大陸などは古いタイプの遺伝子は完全に消滅してしまっている
日本はその動きが見えない
地域によっての濃淡はあるがこれは日本が征服など受けることなく、原始の時代から大きな人種の変容を迎えることなく今に至ってることを意味している

このことからも征服者ヤヨイジンとやらが日本を征服して塗り替えたなどという話は成り立たないのが分かる
0247名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:48:13.64ID:FuTbS1190
>>244
言葉って親が子供に伝え、その子供がまた伝えてゆくものだから、基本は何千年たっても変わらないでしょ。征服されて別の民族に置き換わったら別ですけどね、でもその仮説はことごとく否定されてるでしょ。
0248名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:49:06.10ID:eZkH7DkH0
>>246
日中韓の三国はそのY遺伝子でもよく似通ってるじゃん
0249名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:50:17.70ID:MTmzcHZ70
縄文も大陸から渡ってきてるし
弥生も同じだろ
こんなどうでもいいことに金使わねえで
九州の遺跡を調査しろよ
0250名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:50:33.82ID:K1893KCb0
>>12
縄文時代に陸稲があったと
考古学会は沸き立って
そのあと一生懸命頑張って調べたけど
精度が上がった最新の研究でも確かな痕跡が出てこないので
今は懐疑的な状態
0251名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:51:06.48ID:obFNwpKK0
>クリ

縄文時代には、今の本州の標高500〜1000mはクリの木だらけだったんだよな
縄文人が山奥でクリを収穫して持ち帰っていたのが時々転げ落ちたりして
そして持ち帰る踏み跡は明るいのでクリが育ち易く、そこでどんどん広がって行った
ある意味人間と共生していたとも言える

だが縄文後期になるとクリは種子より木材としての需要が増えてしまい、それで巨大な遺跡なども出来たが
クリが枯渇してしまい、その後の日本人は様々な樹木を利用していくが
結局は成長が比較的早いスギに行き付いてしまい、特に戦後に大量に植えたのが災いして
スギ花粉症を大量に発生させてしまった

だがクリなんぞが一斉に開花してた縄文時代ってすごい臭いだったんじゃw
0252名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:52:51.00ID:My8RadSg0
>>245
縄文人の知能が、小作人(弥生人)に劣るという根拠がまず希薄。
大陸と交易する航海技術があったことからもわかる通り、縄文人の知能は高かっただろう。
感染症に対する耐性の有無で考えたほうが合理的だろう。
0253名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:53:05.98ID:6ewUoEZy0
>>248
日本のY染色体の4割を占めるDタイプは中国にも朝鮮半島にもほとんど存在しない

女性のミトコンドリアDNAなどは近い
だから日本人男性が周辺地域の女性らと婚姻を行っていたことを示すことになるが、男性の系譜には大きな変化は起こってない
0254名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:53:35.33ID:UHtwByBP0
>>11
大陸から来たのは侵略者じゃ無くて移民。
そして多くが奴隷として来たから都市部に集まってるんだよ
0255名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:53:57.57ID:yNibUQmg0
>>217
その時代に地主や小作という
土地所有の概念ってあったの?
0257名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:54:25.07ID:L/pBOHy80
姶良カルデラの大噴火で九州の縄文人は1度絶滅したって言われてるよな
そのときの大噴火で、縄文人が四散して南洋諸島から果ては南米まで辿り着いたとか説もあるとかないとかw
0258名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:55:08.35ID:feQyIHvh0
昔から朝鮮には奴隷制度があって人身売買が主な産業だった。
0259名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:55:40.00ID:feQyIHvh0
>>254
ぶっちゃけ、今の在日と全く一緒。
0260名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:55:44.93ID:0SrFzfq90
クリの木の根元に行ってうんこしてたんじゃないの
0261名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:56:54.65ID:K1893KCb0
>>122
「発掘された日本列島2014」(文化庁編)
P21

縄文時代に稲作はあったのか

 縄文時代にも陸稲などの稲作が行われていたと考えられていました。
縄文時代の堆積層や土器の中に、イネのプラントオパールが確認されたこと、
土器についた籾(もみ)の圧痕の発見から、縄文時代後期まで稲作はさかのぼると
みなされていたのです。しかし、籾圧痕にシリコンを注入して顕微鏡で観察した結果、
籾にあるはずの針状の突起、「禾(のぎ)」を確認できませんでした。
また米を食べるとされるコクゾウムシ圧痕の有無も調べられましたが、じつはコクゾウムシは
コメ以外の雑穀類も食べることが判明し、現在のところ、確実な稲作は弥生時代早期からと
いうのが最近の研究者の大方の見解です
0262名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:57:04.93ID:My8RadSg0
聖徳太子と親族が相次いで亡くなったのは、縄文人と弥生人の関係を思わせる。
時代が違うので聖徳太子は縄文人ではないが例え話として、
渡来人(弥生人)と接した聖徳太子(縄文人)が大陸から持ち込まれた病気でバタバタ死ぬことを想像してもらいたい。
0263名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:57:15.56ID:a+oMpC4g0
日本人を農耕民族と呼ぶほどに日本人が農耕をしている期間は長くない。
欧州人は狩猟を長い期間やって肉食をしていた狩猟民族でもなく、日本より遥かに長い期間畜産や農耕をしている畜産農耕民族だ。
0264名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:57:25.19ID:6ewUoEZy0
また「縄文人を皆殺しにするような大虐殺や侵略があった」などとする痕跡は今のところ【全く】見つかってない

上でも書いたように「継続的に変化を続けている縄文土器」が弥生時代に至るまで使われていて文化的な断絶が見えない
さらにY染色体は現代でさえも原始の形態を維持している
縄文の人種や文化が途絶することなくその後にも同じ流れの上で続いている

つまり、縄文人は虐殺もされてないし、絶滅もしてないというのが明確にわかる
0265名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:58:20.51ID:MTmzcHZ70
古代中原も縄文だったかも知れんし半島も縄文かも知れん。
ただ大陸は変化した
日本は閉ざされたガラパゴスだ
それが答えだろ
0266名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:58:54.44ID:FUyZlxPy0
だから縄文人と弥生人の戦争なんてなかったんだって

地学的に
縄文初期に鬼界カルデラが噴火、これにより縄文初期九州の文明はまるこげ一旦ゼロに
同じく西日本も火山灰の影響で生活厳しく
集落が小型化=当時は西日本は田舎
逆に東日本や沖縄はでは気候が良かった事もあり
集落が大型化し文明が花開いた=当時の都市であり文明の中心は北日本にあり
大陸との独自交流のあともある
これが縄文時代

縄文後期になり九州や富士山箱根の噴火が収まり
生活がし易くなった西日本
集落がやっと大型化し西日本でも大陸との交流・流入が始まり
弥生文化に昇華していく
片や勢いのあった東方は今度は十和田湖・蔵王の噴火により集落が消えたり小型化する
そうして立場が逆転していった
これが弥生の始まり
0267名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 19:59:20.39ID:qohj/rjJ0
>>243
朝鮮半島は起伏が激しく痩せた土地。
海岸線沿いには日本人系が住んでて、海運が主な交通手段だった。

だから遺伝子的に日本人の血も混じってる。
0270名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 20:02:06.36ID:zUgwfuF+0
そもそも神事や祝い事に使う赤飯は温暖な南方の大陸から伝わった古代米から来てるんだろ
0271名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 20:02:45.27ID:inpQAQPs0
>>254
これだと弥生人が機内に集まってるのも納得。

侵略なら九州中国地方がもっと弥生人の比率が多くなる筈だからね。
0273名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 20:04:16.14ID:g+3hnhrX0
>>227
典型的な縄文人と弥生人では骨格が全く異なる別人種。
ただ、雑種が沢山生まれたようだ。
レイプもあっただろうし、ラブラブもいただろう。
0276名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 20:06:25.63ID:HDAOyFiU0
弥生時代っていつのまに紀元前10世紀とかになったんだ
渡来人が大規模におしよせるまでが縄文時代だったとしたら稲作があったに決まってるが
0277名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 20:08:40.78ID:fgB1wGvy0
>>272
だから在日がたくさんいるじゃんw
0278名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 20:08:55.21ID:kSJbobAj0
>>1
縄文米のDNAは朝鮮半島には存在しない
0279名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 20:09:21.69ID:FUyZlxPy0
日本の考古学はちゃんと地学も取り入れるべきなのに
昭和日本の考古学はろくに地学を取り入れずに日本書紀が大切で
西日本中心に日本の考古学を成り立てるのに必死だった
だから頓珍漢な事が定説になってしまっている

一時期はこの地層より下に遺跡なーし!とし
関東や東北の石器時代ー縄文初期の遺跡を一切学会では認めなかった
素人が発掘・発見してやっと認めた
その位西日本中心に考えていた
弥生が縄文を駆逐したというのはその名残の嘘
こうすれば高度な西日本の弥生が他を治めた事になり都合が良かった
実際にはそれぞれの土地の事情があり主には噴火や気候に振り回されただけ
0280名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 20:09:35.06ID:My8RadSg0
頭の賢さと繁殖力は関係がない。
0281名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 20:10:06.96ID:K1893KCb0
>>276
稲作の始まりが弥生時代だとすると
北九州とかは弥生時代ということになるが
その他はまだ縄文時代

昔は一気に稲作が日本中に広まったと考えられていたが
今はもっとずっとゆっくりだったということに

青森などではいったん稲作をやったのものの
放棄されていたりする
0282名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 20:10:23.79ID:6ewUoEZy0
菜畑遺跡では縄文時代の最後の頃の土器が稲作の痕跡とともに見つかっている

他の遺跡でもその発見以後、同様に縄文土器との共伴の例が多く見つかり弥生時代の開始が古くなるのが確実となっている
そうなると弥生時代のスタートは従来よりも大幅に遡って紀元前700年ごろになる
今のところはこの辺りの年代観が定説になりつつある
更に歴博の研究で稲のプラントオパールが紀元前1000年ごろのものを示すという研究成果を発表し更にさかのぼる可能性も示唆されている

その結果、「稲作伝来」もどこかを経由したのではなく大陸からほとんど間を置かずに日本に来たのではという説が最近出始めている
0284名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 20:11:31.77ID:FUyZlxPy0
>>272
最近の縄文ブームヨーロッパから
ヨーロッパで青森遺跡土器や土偶が高評価うけ
やっと日本の学会が東北や関東の縄文遺跡を認めた
0285名無しさん@1周年垢版2017/12/07(木) 20:11:42.45ID:+MUJG5S30
太古の海の道

海洋民族まさに。
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