弥生人が征服者として日本に来たならば、敵となる南九州や山陰・土佐を制圧した形跡がないのは不自然である。
弥生人は有力な縄文人地主に稲作の労働力として導入された小作人とすればすべて説明できる。
数多くの小作人(弥生人)を使役できた縄文人の中から各地で王が台頭してきて、ヤマトが形成された。