【福岡】「奴隷」献上の記述あり、銅鏡と時期重なる 後漢の銅鏡、完全形で出土 博多仲島遺跡、2世紀前半
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福岡市の仲島遺跡から、割れていない状態で発掘された銅鏡(同市提供)
http://www.sankei.com/images/news/171209/wst1712090051-p1.jpg
福岡市博多区の仲島遺跡で、2世紀前半(弥生時代後期)に中国・後漢で製作されたとみられる銅鏡が完全な形で見つかった。市によると、弥生後期の銅鏡が割れていない状態で発掘されるのは珍しく、福岡平野では初めてという。
銅鏡は直径11・3センチで「内行花文鏡(ないこうかもんきょう)」と呼ばれるタイプ。コウモリのような文様に、子孫繁栄を意味する「長宜子孫」の4文字が施されている。さびもなく、鏡面に物がかすかに映るほど状態が良かった。
中国の歴史書「後漢書」には、107年に倭国(日本)が奴隷を献上したとの記述があり、市は銅鏡と時期が重なることから「大陸との交流を考える上で貴重な資料だ」としている。
今年4月、弥生時代後期の土器と一緒に捨てられたような状態で出土した。
出土した銅鏡は12日から来年4月1日まで福岡市博物館(同市)で展示される。
産経WEST 2017.12.9 14:54
http://www.sankei.com/west/news/171209/wst1712090051-n1.html
西日本新聞 2017年12月09日 07時46分
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/culture/article/379077 古代韓国から献上された宝物だ
大切に扱ってきたんだな 【悲報】 福岡 2世紀からすでに奴隷を売り飛ばす修羅の国だった >107年に倭国(日本)
倭国と日本が同じ王朝だという証拠あんの? >>4
土器と一緒に捨てられたような状態で出土した チョンを献上して鏡貰ったのか、ほんとジャップは狡猾やな・・・ いわゆる「倭の五王」が今の天皇家って言ってるけど嘘くさいよね
九州王朝じゃないの ウリ達は
倭国に奴隷としてシナに強制連行されたニダ 大陸の近さからすれば、九州方面に有力勢力があっただろうな。 >>1
真ん中のポッチの部分が鏡なんだと自分を納得させようとしてた学生時代 >>14
まあそうだろ
逆に畿内だとしたら、博多近辺の記述がまるで無いのがおかしい 邪馬台は魏の時代。北九州の遺跡は後漢の遺物ばかりで邪馬台とは時代が異なるんだよね。
100年早い。
つまり邪馬台国は奈良ってこと。 半島と交易するには博多が合理的だと言うだけだからなぁ >>1
>中国の歴史書「後漢書」には、107年に倭国(日本)が大韓国へ奴隷を献上したとの記述があり、 この当時に半島に居たのはエベンキじゃないだろ
エベンキが半島に来るのはもっとずっと後世 >>6
倭国と日本は別の王朝って説もあるよね
唐の書物に倭と日本が別記されてるとか
そのへんは腹筋崩壊ニュースさんに詳しい >>27
後漢の首都はどこだよw
皇帝が辺境中の辺境な半島に行くわけ無いだろ 土器と一緒に捨てられるっていうのは
宝物というよりは日常品の感じで使っていたんだろか 朝貢品って大量生産してどうせ僻地にはこんなもんないだろって
大量にストックされてて相手の近さ国力貢ぎ物の質なんかで差をつけられて
もらって見たら七十年も前のものだったってことがあるから
年代特定は大体のことしかできないんだよね 世の中には信じらない程バカバカしい事が、さも本当の事のように繰り返される報道が多いが、
三角縁神獣鏡が卑弥呼がシナから貰った鏡だという枕詞ほど、国民をバカにした報道はないね。 >>25
日本人の祖と言われる南の人達は、貝塚作らなかったのか?
墓とか住居跡の年代も北の方が古い >>1
別に驚くことじゃない。
日本の歴史学会が反日左翼だらけだから、日本の古代は野蛮な後進国だと嘘の歴史に書き換えられているだけの話だ。
実際は、漢帝国と交流するほどの勢力がすでに形成されていたんだ。 やはり当時の日本は格下だったか
さぁーーーーぁ!ネトウヨのいいわけを聞こうかァ!?!?!?w >中国の歴史書「後漢書」
って表記はややこしいな
民族が入れ替わっているんだから「中国大陸の漢の書物」くらいの感じにならないものか
元(モンゴル)すら中国と捉える人が続出しちゃって >>25
アイヌ文化が登場するのって鎌倉時代なんだが? >>27
これが劣等民族の劣って穢い遺伝子に刻まれた対日コンプレックスかw 天皇家が日本列島に来たの1500年くらい前だから
この鏡はそれより前の国の話やね 支配者だと威張ったり被害者だと強請ったり
忙しい民族だな >>46
この時代おんなは奴隷にすらなれなかったぞ
そもそも奴隷といえば当時のエリート職だ いつも思うんだけど
銅鏡って表が見たいんだよね。
裏にはあんまし興味がない。 >>6
昔倭と呼ばれた地域は多数の国に分かれていた。
その中の一国が倭を統一し大倭すなわち大和と称するようになった。
ということで繋がっているよ。 >>34
まあ、考えられるとすれば、漢帝国より銅鏡をもらった勢力を併呑した勢力が、否定の意味を込めて捨てたってのが一番可能性高いよね。 > 今年4月、弥生時代後期の土器と一緒に捨てられたような状態で出土した。
何でこんな扱いされてんだろ?動機に興味ある >>52
俺も子供の頃そう思ってたよwwwwww
まあ、実際に見てみりゃ確かに見る価値の無いものだったよwww
錆ついてしまって光すらほとんど反射しねえただの青銅の平面だったよwwwww >>40
そりゃ唐の時代までは中国は名の通り世界の中心と言える存在だったんだから
元で半壊して明で秀吉が攻めても良いんじゃねって考えるぐらい弱体化して清で外国に香港、上海、山東省とか実質取られて二次大戦終わったら自分たちがイナゴになってすべてを食い尽くす存在になった ちょうどいま、志賀島の安曇族がマイブーム。
世界遺産の胸形族よかカッコいいw >>4
献上されたって事はやはり朝鮮半島は日本の支配下に
あった訳だなw 銅鏡貰ったのはスサノオだな
それより前に金印を貰ったのはスサノオの父、イザナギ >>62
朝鮮半島南部は確実に日本の支配下だったんだろうね。
因幡の白兎伝説なんて完全に鳥取地方の豪族と朝鮮半島南部の豪族の戦争の記録だからね。 100年後の卑弥呼もやはり九州の人じゃないか
ところで大和王権が急速に台頭したのにはどんなアドバンテージがあったためなんだろう
武力では発掘物からなさそうだ
鬼道すなわちオカルト力か
進んでた九州が奈良の田舎になびいたのは何か天変地異のせいかもしれない 200回掘って、だんだん邪馬台国から離れていく畿内説。
掘れば掘るほど邪馬台国が補強されていく北部九州。 >>66
ちゃんと神話に書いてんじゃん。
そのとおり素直に読めばいいんだよ。
神武帝の東征で大和の勢力と九州の勢力が一体になったんだよ。 >>57
大和王権がのして来た時代にケチ付けられたくないから捨てたんだろ >>57, >>69
金印もそうだけど、那国の最後は相当ドタバタしてたんだろうな…。 大体邪馬台国がそのままに大和王国に繋がったと考える人が多すぎる
記録がない期間が二百年以上あるんだぞ
普の時代の人間が来る価値もないぐらいあれてたんじゃないか
邪馬台国にあった勢力は落ちぶれて後の熊襲になり東の豪族が力を持ってヤマト王権になったんじゃないのか 邪馬台国九州説みたいな反日左翼説をゴリ押しする奴らが歴史学会にいるから混乱が生じるんだよ。
神話のとおり、素直に邪馬台国=大和国にしておけば、何も混乱は生じない。
神話と史実が一致するんだよ。 言っておくが奴隷はお前らの御先祖だからな。上流は安倍になったが。 恐らく、九州王朝が本家で大和に移住した方が分家だった
しかし何らかの理由で九州王朝は壊滅して残った大和が本家になった
こう考えると全て合点がいく 邪馬台はヤマトの当て字で邪馬登の間違い
ヤマト国で何の不思議も無い この頃の日本は、数十のクニが各地に乱立し、合併を繰り返し
大きなクニにまとまろうとしていた時期だな
自分たちのクニがより有利になるため、当時最先端の中国に使者を送り
競って文化や技術を取り入れようとしていた
107年に奴隷を送ったのは、そんなクニの中の一つで、九州北部にあったのではないか
といわれている 新石器時代に毛がはえたぐらいの文明
そんな野蛮で小さな国に中華帝国が金印をくれるとは思えない
倭って結構な大国だったんじゃねぇの?卑弥呼の時代から僅か150年で高句麗まで攻め込めるとも思えんしなぁ >奴隷」献上の記述あり
なーんだ日本はこの頃から奴隷制度だったのか〜 >>66
正史に用いた古事記に神武は九州出身と書いてある
九州にあった倭國連合からの民族移動が近畿にあったのは確実 >子孫繁栄を意味する「長宜子孫」の4文字が施されている
どことなく気楽に使え、みたいな感じが
お守りみたいなものなんだろか 帥升が卑弥呼みたいに話題にならんのは
ほぼ九州北部の王だろうとされてるのに
記述は少なく論争にならないからだろうかな 後漢書に生口160人を朝貢した
帥升等の記事があるからな。
ちょっと知ってる人なら当時
奴隷がいないとは思っていないだろう。 >>68
倭国大乱が各クニの首長の合議で邪馬台国の卑弥呼を連合の会長にすることで収まった。卑弥呼が死んだらまた乱れた。台与を会長にすることで今度もなんとか収めた。
纒向に誕生した大和王権が統一に向うのは4世紀後半とか結構遅いのかもしれない。全国の土器は後の世に古いものを集めたのかもしれない、纒向で金細工ものが出ないのがなんとも >>84
子々孫々まで末長く宜しく、こんな感じじゃね 日本は支那に奴隷を何度も贈ってる
今の安倍ちょんが金をバラ巻くのと同じ どこにでもいるレベルのいわゆる「奴隷」をわざわざコストをかけて輸送する意味があるのか とりあえず福岡全体を掘れば邪馬台国や卑弥呼の資料が確実に出てくるだろ
どうせ陥没するなら掘って宝見つけた方が良い >>66
単純に人口だろ
畿内自体は大した生産力じゃないけど、周囲からあれこれ流入させるには地理的に都合がいい
おそらく九州の支配者の分家だった神武天皇の子孫が本家を凌ぐほどの力を付けて後に九州の本家である
筑紫の君を滅ぼして西日本を掌握した
> 545 :名無しさん@1周年 :2017/12/04(月) 02:14:38.27 ID:4cl54xw70
> 前スレのこの説が気になる
>
> > 782 :名無しさん@1周年 :2017/12/03(日) 17:53:52.11 ID:fA8bB4/z0
> > >>758
> > 磐井の一族のほうが本家筋で、神武天皇は分家だったと考えればすんなり説明がつく
> > 早くから開発されていた九州は分家の神武が治める土地がないので新天地を求めて近畿へ移住し成功する
> > やがて九州に残った本家を凌ぐほどの力をつけた神武の子孫、つまり皇室が本家筋の磐井を滅ぼし九州を掌握した
> > こういうストーリーは充分成り立ち得る
>
> 新唐書によれば、皇室は神武天皇の代までは筑紫城に住んでいたことになってる
> それが事実かどうかは分からないが、少なくとも当時の倭人が中国にそう説明していたのは間違いないだろう
> そして神武天皇は4人兄弟の末っ子なんだよな
> 案外正解なんじゃねこれ
>
>
> 新唐書日本伝
> 其俗多女少男、有文字、尚浮屠法。其官十有二等。其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、
> 皆以「尊」為號、居筑紫城。
>
> (訳)そこの俗は女が多く男が少なく、文字があり、仏教の教えを尊ぶ。その官には十二等級がある。王姓は阿毎氏、自ら言うには、
> 初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。 >>91
奴隷といえども献上品だからな
しょぼくれたオッサンとか子供とかじゃない、
牛馬のようにしっかり働くイケメンの偉丈夫だろうな 当時はクニごとに王がいたんだから
それらをまとめる役職があってもいいように思う
「国王帥」で役職名だっていうのは捨てがたいなあ
倭国大乱といわれる名前が付いたのは直前の時期までは
まとまっていたことが前提だろうし >>91
ボスに奴隷を献上するのが当時の日本の礼儀だったんだろう >>5
弥生時代で半島に近い福岡だぞ
純日本人の縄文時代は奴隷などなかったからな >>59
江戸時代のネトウヨ学者「古代から日本は中国より上だった」 >>87
奴隷なんだか捕虜なんだかとか、奴婢とは違うのかとか、
いろいろ粘着している人はいる。
ぶっちゃけ奴隷なんだろうけどな。 >>93
なるほど、神武天皇の東征とは征伐でも遷都でもなく、分家が移り住んできたって話か
やがて分家の方が強くなるというのも割とよくある話だな この手の鏡って当時は実際に鏡として使ってたのかな?
それとも祭事専用だったのかな? >>40
逆に格上だったら、遣隋使も遣唐使もなかったわけで・・・
起源説をしょっちゅう唱える連中とネトウヨを比較しちゃうとかw 中国からの下賜品ならそれを捨てるような扱いをするのが納得できないのだが >>101
おそらく100%祭事用だよな。
当時の首長の大半は男だし、女性の場合でも貴人は
自分で化粧とかしないから、そもそも鏡を見る必要がない。
当時の鏡はやっぱり「ミニ太陽」なんだと思う。
キラキラと反射光で民衆の目を射て、首長が太陽神に
連なるものだと思わせるのだ。 >>93
このストーリーだと記紀で皇室が九州の出自としてるのもカバーできるな
なかなか良く出来ている >>93
筑紫『君』という表現はやんごとなき身分の相手にしか使わないよなぁ
中央から派遣された単なる官吏ではあり得ない
反逆者なのに墓はやたら豪華だし >>111
単なる朝廷の臣が反逆したのなら大規模な古墳なんて作られるわけないよな
皇室と同祖の一族だったのなら納得がいく 現地の豪族で生きている時から古墳を作らせていただけだろ?
中身は空との説もある。 >>114
だとしたら反逆者なんだから破壊されるだろ
それに君という表現は特別な身分の者にしか使われないよ 確か破壊された石人石馬が見つかっていなかったか?
筑紫の君は磐井の死後も日本書紀に登場するので根絶やしにしたわけでもないし、
あの墓は空という説もある。
破壊されなかったとしてもたまたまだろうな。 >>66
阿蘇山の大噴火がってなんか昔漫画で読んだな 磐井の岩戸山古墳には
平坦な場所がつけ加えられて
石人石馬が並べられている。
一説にはこれは負けたあとで
磐井の裁判を表したものだと
いう説があるらしい。 奈良には魏の皇帝から賜った錦(絹織物)がほぼ皆無。
ヤマト説では卑弥呼は麻織物を着てたってことになるが。
一方、博多ー朝倉には豊富に出土している。 この頃は殺伐とした時代だったからな
戦で負ければ男は皆殺し女は奴隷
ライオンの世界と同じ >>122
邪馬台国からの朝貢品の中にも絹があるのに、女王卑弥呼が麻の服とか有り得んわな
畿内説は無理がありすぎる >>61
あの島には陽が落ちてからは絶対に行くなよ >>19
魏志倭人伝で現在でも残っているハカタが出てくるしね 57 倭の奴国王が後漢に朝貢、印綬を授かる(金印)
107 倭国王帥升、後漢に朝貢
147〜188 倭国大乱、卑弥呼が女王に共立され争乱が鎮まる ここまで、文物の吻合が取れてくると、やっぱり邪馬台国は九州やろな なんで猫も杓子も邪馬台国やねん。
こっちは那国のスレだっつの。邪馬台国はこっち↓
【奈良】邪馬台国の有力候補地「纒向遺跡」見える化 桜井市、建物跡に目印設置へ 900万円目標、ネットで募金
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1512807217/ >>129
そんなもん、型の粘土に丸く描けばいいだけじゃん。
俺でも作れる。 酒部・織部・兵部など○部という苗字が存在する
ニートを労働力奴隷として送り込むのを担当するのがニート部
新たに外国へ渡るので新渡部(にとべ)と呼ばれた
外国より持ち帰った外国語と稲作に詳しい
現在5千円札になっている新渡戸稲造は・・・・ >>132
田布施システムって、ウソがばれて失敗した反日デマだよ >>131
邪馬台国は九州にあったんだから当然だろ
むしろそっちで邪馬台国の話をするほうが本来はスレチ 二千年の歴史を持つ博多すげーな
博多の文化レベルの高さと民度の高さは歴史の深さに由来するものなんだな >>1
とても2000年前の物とは思えない美しさと均整のとれたデザインだな
当時の中国は憧れの先進国だったのだろうな >>130
だろうね。利権癒着の御用学者からしたらおもしろくないわなw
どんな手を使ってもでも奈良って事にしたいだろうねw >>134
日本書紀の雄略記には、「少子部」という限りなくアウトっぽい苗字が出てくるw
>>137
いやいや、「あっちだ」「こっちだ」と言い争うのを楽しんでるクセにw >>25
アイヌとかじゃなくてもみんな貝食って捨ててた
今でも東京の江戸川で中国人が牡蠣で貝塚作ってるじゃないかw >>1
スレタイおかしい、奴隷献上というような内容の記述が中華の古書に記してあるが、
その古書に記してあった銅鏡の話とつながる部分が記事内容であり、
まるで銅鏡自身に奴隷と書いてあるかのように受け取れるスレタイはおかしいと思う >>104
しかも割れたりして使えなくなったわけでもないからね
何か意味があったんだろうと考えられる >>144
副葬品にするときに割るって説もあるけど、どうも信用できないよね。
基本、古墳の主は、あの世でh現世と同じように暮らすように
葬られているイメージ。 これ後漢へ奴隷とあるから何だ思ったら東夷伝の事だろ
生口と呼ばれ奴隷と技術者集団の事だよ >>142
だよな、単に生ゴミ棄て場の遺跡で後代まで遺りやすいのが貝殻ってとこなんだろうな 鬼畜、東京都北区赤羽住民、創価学会集団ストーカーに加担する
ド ト ー ル コ ー ヒ ー は 創価学会だ
赤羽警察署は偽証申告した住民の犯罪を
もみ消しにかかってる
っghjっっっっっっっっき 銅鏡の裏の丸い部分を見るたびに思うのよ
何かにハメて可動させてたんじゃないかと
単純に上下という枠でないところから 太陽炉の集光鏡の一枚だったりとかね >>139
日本が芝で屋根作って粘土こねこねしてる時代に
既に瓦屋根が当たり前のようにあったし
貨幣もあって借用など金融もあったそうだ
当時の倭人にはとんでもない世界に映ったと思う >>148
ゴミなら一か所にまとめる必要もない気がするんだよなあ。
たとえば、それぞれの竪穴式住居の横にでも積んでおけば済む気がする。
どっかに、獲物の「ハカ」という意識があったんじゃなかろうか。
>>151
よく再現図とかで、巫女さんみたいなのが首からぶら下げてる絵があるけど、
あれは嘘だよなあ。紐を通す部分が中心にあるから、するっと吊れない。 東征と書くから支配を受けた関西人が反発するが、要するに当時から関西人は抵抗する
根性を持たない民族が住んでいたから簡単に近畿を支配出来た訳だよ。近畿で混乱が
起きた記録は無い、出雲に逃げ帰った者も多少はあるけどね、そいつらが国譲りと
言って造らせたのが出雲大社だよ。銅剣文化の近畿は鉄剣文化の北部九州に負けて
出雲の地に大量の銅剣を埋めた訳だよ。 ここに言う「奴隷」というのは単純労働に就かせるための無能ではなく、何らかの特殊技能を持った有能な人材を言うのですよ。 >>153
なるほどお墓か、一理あるなあ
今よりもっと、食べたモノの遺骸に呪術的意味をみてそうだもんね
とは言え、腐敗する汚物、当時は焼却炉も無いわけで
感染症や害虫を避けるため風下側、集落から少し外れたとこで共同穴作ったような気もするんだ
…てかこれらって当時では同じ文脈で捉えていた事象かもね >>152
まるで異世界のようにみえたかもね
かぐや姫とか浦島太郎みたいな異世界絡みの話の源流なんだろうか? >>156
アイヌのイヨマンテとかそういう感じだと思ったけど、
> とは言え、腐敗する汚物、当時は焼却炉も無いわけで
という側面はたしかにあるよな。
北海道なら大丈夫でも、九州だとやばいという気もするw
>>147, >>155
そういう話はよく聞くけど、未開国の技術者が文明国に派遣されても、
あんまり役に立たない気もする。あるいは技術レベルは対等だとしても、
彼我でノウハウが違う部分も多いだろうから、即戦力としては
機能しないんじゃなかろうか。 奴隷になったのは縄文人だ。史書に毛人と記載されているし
先住民が奴隷にされるのは歴史上良くあることだ 当時の倭国に中国が欲しがるような生産物無さそうだしな
でも単なる下人としてもあんま使えなさそうだし
まあ異民族の珍しい下人を持ってるっていうステイタスのためだったんじゃないかな >>159
半島に倭人が攻めて来ることが度々あったのはあちらの石碑などで明らか。
戦時に捕虜は付き物で、捕虜の行く末は、捕虜の親族が身代金(品)を払って取り戻すか、奴隷。
朝鮮半島奴隷かと思うが、国内でも敗戦側の捕虜・女・子供などが奴隷売買されることは戦国時代まで行われていたがな。 新羅の入寇では北部九州沿岸などから浚って奴隷売買していた
やられやり返されの同次元でしょう 奴隷って言っても所謂小作農だろ
陸穂から水穂に移行すれば水利権や地権の問題も発生し強力豪族が誕生やがて王が生まれ小作農が生まれる
縄文から弥生にかけてネアンとホモが共存していたとの最新研究もあったし この頃の東アジアって一時的な寒冷化により人口は増加どころか減っていたんじゃないかな
奴隷(労働力)は立派なお宝だろうな 現代の感覚だと中国は人余りの国ってイメージだけど、三国時代は戦乱が続いて
人口が減り続けた時代だったはず
労働力は案外歓迎されたかもな 今の時代の感覚で奴隷っていってもな
安倍がプーチンに犬プレゼントするようなものだろ 委奴国の金印や倭国の金印を拝領した理由は半島の国よりも貢ぎ物が優れていたからだ
美女や勾玉、真珠、絹などシナ人が喜ぶ者を献上して気に入られたからだな。
古代の日本人は金印欲しさに人身売買を平気で行う野蛮人だったわけだよ。 >>4
渡来人の支配
・弥生人が長江流域からやってきた百越系民族であること。
・新羅の建国時の宰相が倭人であり、また王家の一つ昔氏が倭人系統であること、さらに始祖の朴赫居世についても倭人説があること。
・百済、新羅が大和王権に対して従属的立場を採り続けたこと(王族、王子を人質として献上)。
・大和王権による伽耶地域の支配(半島南部に多数の前方後円墳が存在)。
・半島における文化的独自性の欠落(あらゆる分野での始源性の不在。半島にあるものはすべてシナにもある)。
・常にどこかしらの国の属国として歩んできた歴史。
・姓が漢族のものであること。
・朝鮮征伐が日本と明との戦争であったこと(李朝の軍は明の将の指揮下に入り、和平交渉も日本と明の間で行われている)。
・朝鮮通信使が実質的に朝貢使節であったこと(琉球の江戸上りと同じ)。 弥生人というのは古代中国の春秋戦国時代に戦乱を避けて大陸から日本へ渡来してきた人たちらしい。
彼らは現在の九州へ上陸して稲作をしながら当時の原住民の縄文人を駆逐しながら次第に居住地域を広げていった。
これが神武東征のモデルとなった。 DNA研究によると第二縄文人というような人たちがいたらしい エジプト人にピラミッドの古さを語られると皇統の古さなんか凄い霞む >>53
現在も、「和食」とか「和風」という言葉は普通に使うからな。
「ワ = 日本」で間違いないだろう。 もう弥生時代も終わりか〜って言いながら土器と一緒に捨てたのかな 大和王権確立以前の日本の遺物についてはもっと研究がなされるべきだと思う >>177
それは菊のタブーがあるから、日本じゃ無理だろ。 >>129
中国の青銅器は紀元前2000年前から始まってる。
その時代から2000年以上経ってるんだから、このくらいは当たり前だろう。 されてるだろ?制限されてるものなんか、何かあるっていうの? >>172
駆逐と言うより混血。渡来した人数はそう多くなかったらしい。日本語の文法が弥生より
古いのがその証拠。 >>169
>>古代の日本人は金印欲しさに人身売買を平気で行う野蛮人だったわけだよ。
人身売買を嫌った文明的な古代人がどんだけおるんや? >>175
わ…私 私達 私達の
あ…貴方 貴方達 貴方達の
か…彼 彼等 彼等の
みたいな感じかな >>184
「わ」は確かに一人称だよね。
んでもって、「吾妻(あづま)」みたいな例もあるから、「あ」も一人称。
二人称は「汝(なんじ)」の「な」じゃなかろうか。
>>183
でも、よく考えたら言葉の違う奴隷を送っても、
もらった方が困る気もするw >>185
その頃は殆ど言葉は変わらんはず
東北の山奥から連れてきたとかなら話は別だけど >>187
いや、それは違う気がする。
たとえば、日本書紀の「神功皇后紀」では晋の武帝の記録を引いて、
「倭の女王は通訳を重ねて貢献した」
とか書いてるし。 >>188
直接なんて会話出来る身分な訳無いでしょ
言葉の違いは現代で言うとポルトガル語とスペイン語の違いくらい >>190
日本語と朝鮮語はそんなもんだが、中国語は語順からして違うぞ。 今年今上天皇と皇后は九州豪雨の被災地をお見舞いされた
そのついでに世界遺産の宗像大社を訪問なされたのだが
もしかしたら天皇家には九州王朝と天皇家の係わりに関する秘密が伝えられているのかも
なんて妄想するのもまた楽しい >>190
>>191
少なくともここでは漢字文化定着前の話なんだろ?
ポルトガル語スペイン語そこそこ通じる言うの聞くけど、
漢字由来なしの、大和言葉だけだったら本当にそんなニュアンスでええのか? >>184
「あなた」は遠い位置にいる・あるものを示す「彼方(あなた)」が語源。
「そち」も「其方」で同じような語源。 >>191
数百年から千年くらいの距離のスペイン語・ポルトガル語と、最低でも5千年以上(おそらくオーストロアジア語族集団のつながり)
の日本語・朝鮮語を同列にするなよ。 >>195
細けーことはいいんだよ。
日本語と朝鮮語は語順が同じだから、ちょっと勉強したら
それなりに喋れるようになる。 >>197
ぐぐる翻訳ではほぼ正確な翻訳になる点が良い。 >>195
古典ラテン語からカウントすると2000年で、ほぼ確定的に証明があるが。 「麦当?」 読めます?
「邪馬台国」 正しく読めます? >>1
これよりもっとデカイのが伊都にある
同じ福岡だけど >>174
諏訪の御柱祭りは10000年前から続いていることがわかってきたから >>204
現生人類がアフリカ大陸を出て東アジアに到達してから間が無いな。 >>192
それは、逆。
宗像での行事のためにいく予定があって被災地もある程度落ち着いたと思われるから
福岡入りの日程を早めて訪問された、と思われる。
後半については、何かあるかもな。 >>196
九州のコンビニはポプラ
それだけは認める。 >>208
考古学研究の邪魔を皇室がしているのか? >>210
>>192の妄想の部分について、九州には意外な神社にも天皇陛下が来られたようだから
そう言った足跡を調べたら新たな妄想の種が見つかるかもな。 今回の博多仲島遺跡は福岡市の南部で板付遺跡や奴国があったとされる福岡県春日市に近い
ロマンを感じるな 春日市の遺跡は銅器生産工房があったらしく
銅器そのもののほかに、銅器の鋳型が
いくつか見つかっている。 >91
生口とは奴隷ではない。食い物の肉の代わりにもならない、只の穀潰しでもな
い。働き者のロボットみたいな人権の無い野獣のなりそこないではない人間の
なりそこない。つまり、名ばかり人権主義国家の労働者みたいな北朝鮮の人民
=労働者身分なのニだ。 >>31
昔は、東海から九州の西日本が大和という国で
関東から千島列島の東・北日本が日本という国だった
だから日本中央の碑が青森にある 九州王朝とか素人さんが適当なこと言ってて笑う
纒向遺跡=邪馬台国
箸墓古墳=卑弥呼の墓、
三角縁神獣鏡=卑弥呼の鏡
もはや、このことに異議を唱える考古学者は誰一人いない
畿内「説」という言葉はある意味もう死語になってますよ 卑弥呼ってえらい古い時代に思えるけど
大陸側のカウンターパートナーは曹操の孫の世代
日本の歴史は浅いなあ >>221
こういう捏造に頼らなきゃいけないくらい畿内説は追い詰められているんだな これは中国に謝罪と賠償をして貰わないといけないな(笑) >>107
高千穂は渡来朝鮮人の故郷を偲ぶ聖地だし、日本の王族が朝鮮人なのは間違いないだろうね >>211
記紀を読んだことがないの?
神武が日向を出てまず向かったのは宗像だよ。
それと、宗像大社の行幸3ヶ月前に世界遺産になったからね。
意外でもなんでもない。 >>218
いや、嘘ついたらいかん。
西日本が日本ですわ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています