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初めて公開された情報・・・高橋団吉著「新幹線をつくった男 島秀雄物語」(小学館、2000年発行)

昭和41年(1965年。新幹線開業は1964年)4月25日午後7時半ごろ、東海道新幹線新大阪発東京行「ひかり42号」が豊橋市大岩町へさしかかったとき、車体の揺れがおかしいのに車掌が気付き、停車した。
徐行運転で豊橋駅へ引き返し、乗客を全員後続の「ひかり」に乗り換えさせ、浜松工場へ移送した。
台車の検証のために車軸を外した途端、バーン!という大音響と共に崩れ落ちたという。車軸の折損である。
「脱線しなかったのは天佑という他なく、もし脱線墜落して1000人以上の死傷者を出したとしたら、新幹線は終わっていただろう」 と島は遺言に書いている。
ttp://d.hatena.ne.jp/gladson/20080722
問題の折損車軸は、住金製で、高周波焼入れが戻っていて、強度が落ちていたことが判明した。
以後、住金側では、新幹線用車軸の生産を他の在来線用車軸の生産ラインと峻別して、より徹底的な品質管理を実行した。
国鉄側でも、超音波探傷、蛍光探傷などの新技術を駆使して徹底的な品質管理を行なったという。その結果、新幹線神話がまだ潰れないで残っている。
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