http://www.sankei.com/column/news/171216/clm1712160004-n1.html

 美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長が今月6日、米ニューヨークでの競売で『昭和天皇独白録』の原本とされる文書を落札したとの記事を目にし、久しぶりに同書を読み返した。「現代史、なかでも昭和史にもっとも精通した歴史的証人」(現代史家の秦郁彦さん)である昭和天皇の目に、世界はどう映ったか。

 ▼昭和天皇は、大東亜戦争の遠因として、第一次大戦後の1919年のパリ講和会議で、日本が提出した人種差別撤廃案が否決されたことを挙げている。それに加えての24年の米排日移民法成立は、「日本国民を憤慨させるに充分(じゅうふん)なもの」だったと。

 ▼41年に米国が日本への石油輸出を禁止したことについても、日本を窮地に追い込んで「万一の僥倖(ぎょうこう)に期しても、戦つた方が良いといふ考が決定的になつたのは自然の勢」と述べている。平和を希求しながらも視線は冷徹で、合理的である。

 ▼その昭和天皇も現天皇陛下も、国民と国家の安寧と繁栄を祈る宮中祭祀(さいし)を大切にされてきた。政府が当初温めていた平成31年元日の譲位・改元案を取り下げたのも、「元日は早朝から重要行事が続く」との宮内庁の指摘をきちんと受け止めたからだろう。

 ▼ところが、今月1日の皇室会議で30年12月末の譲位を主張した赤松広隆衆院副議長の考えは違ったようである。産経新聞の取材では、常陸宮ご夫妻も出席された皇室会議で「皇室の神事は国民生活に何の関係もない」「年末年始の宮中行事は陛下である必要はない」などと説いていた。

 ▼この際、皇室典範を改正して衆参両院の議長、副議長が自動的に皇室会議の議員になるという在り方は改めてはどうか。過去の議長、副議長を振り返っても不適格者は相当にいそうである。