【ポーランド】アウシュビッツ所長の車を奪って脱出し生き延びたホロコースト生存者の男性死去、98歳
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http://www.afpbb.com/articles/-/3155643?cx_module=latest_top
【12月16日 AFP】ホロコースト(Holocaust、ユダヤ人大量虐殺)を生き延びたポーランド人男性、カジミエシュ・ピエホフスキ(Kazimierz Piechowski)さんが15日、北部の港湾都市グダニスク(Gdansk)で死去した。98歳だった。国家記銘院(INR)が明らかにした。
ピエホフスキさんは第2次世界大戦(World War II)中の1940年、ナチス・ドイツ(Nazi)のアウシュビッツ・ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)強制収容所に送られた。だがその2年後、ナチス親衛隊(SS)隊員の制服や銃を盗み、さらに同収容所の所長だったルドルフ・ヘス(Rudolf Hoess)の愛車「シュタイアー220(Steyr 220)」を奪って、他3人の被収容者とともに脱出した。
ピエホフスキさんたちは脱出の際にアウシュビッツの運営状況を記録した文書を持ち出し、亡命中だったポーランドのレジスタンスに、ナチスによる残虐行為の詳細な証拠をもたらした。アウシュビッツ脱出後はポーランドのレジスタンスに加わり、戦後は、共産政権により10年の禁錮刑を言い渡された。
ピエホフスキさんは2012年、INRに対し「逃げた後に私たちがヘスに『車を使わせてくれてありがとう』と書いた葉書を送ったと話をしている人もいるが、実際にはそんなことはしなかった」と語っていた。(c)AFP
2017年12月16日 16:20 発信地:ワルシャワ/ポーランド イギリスに渡りとっつかまった副総統のルドルフ・ヘスとは綴りが違うんだよね このへんの神話が崩れつつありますね。
全部ウソだとも思いませんけど。 アウシュビッツが本当に伝えられるような所なら
「収用二年後に銃を奪い、さらに車も奪い、脱出」
なんてできるはずないだろうw >>4
絞首刑になった方のルドルフ・ヘスはHößだから違うな
とおもったらöをoe、ßをssにすれば合ってた
wikipediaにはルドルフ・フェルディナント・ヘスで項目立ってる 大脱走のテーマが頭によぎったw
が途中でクワイ河マーチになってしまった そういや桑井川マーチのテーマの映画にジョージ・タケイが出てたな 機密文書持ち出して所長の車を盗んで脱走とか収容所とナチスにとって大恥すぎて総力挙げて追いそうだけどな
流石に信じられないな コリアンファンタジーならぬユダヤンファンタジー?
逆差別って便利だなぁ 科学的にアウシュビッツ自体が毒物の痕跡がないと言った科学者は全員変死或いは殺されました
戦争は支配層のでっち上げ=田布施システム >>8
通訳の若い女と元レジスタンスかなんかの男が制服パクって脱走して
街中で見つかり尋問の後連れ戻されて絞首刑になったことはあったで
その裏には何百人の協力があったらしいが
SS側に信用される仕事してるってことが物資を手に入れるのに重要だったらしいで >>22
なにがひどいか考え方によって違うのかもだけど
地獄の強制労働としてはダッハウ・ビルケナウ・ソビボルとかはよくきくね
コルチャック先生が孤児院の子供たちと一緒に行ったトレブリンカは
生還者の話をほとんど聞かない 絶滅収容所が伝わる情報通りの場所なら、2年も生存できるとは思えないわけだが… >>27
1942年だかのまだアウシュビッツTしかない時期の初期メン姉妹が
解放まで生き延びたよ。腕の刺青の識別番号がまだ数千番台だった頃の 中東にユダヤ人国家を作るため、欧州ユダヤ人に移住を呼び掛けたが、
欧州の文化的生活を捨てるのが嫌で、誰も移住しなかったので、
ナチスのユダヤ人の欧州追い出しは、利害が一致したので、
両者は協力関係にあった。
誰が好き好んで、砂漠の農業地帯に行く者はいない。
この、強制移住のテクニックは、今も活用され、
南米で麻薬組織が暴力をふるているので、南米人が、
北米に移住してきて、米国景気を上昇させている。
その代わり、社会は解体していくが。
欧米が移民により経済は上昇してるが、一方市民社会は
崩壊しつつある。 >>22
ベルゲン・ベルゼンかな
アンネ・フランクはアウシュビッツじゃなくてここで死んでる >>24
田布施システムって、ウソがばれて失敗した反日デマだよ
田布施システムとは、佐賀藩の学生の写真を使って長州藩の田布施ガーと説明する間抜けな説。
http://blog.goo.ne.jp/sagastudents
明治元年10月27日から同年11月19日の間に長崎で撮影。坂本龍馬は1年前に死亡、明治天皇は即位済みで東京にいるから、この2人は写真の中にいない。
https://www.youtube.com/watch?v=W2sFCF-OVW0 嘘の証言だらけでアウシュビッツは謎だらけ
この人も強制収用された腹いせに「ガス室を見た!」とかほら吹いてたんだろうなあ >>39
選別があって強制労働に向かない囚人は殺されるんだって
http://www.ushmm.org/wlc/ja/article.php?ModuleId=10005189
>虚弱または病気で労働を続けるのが不可能と親衛隊が判断した囚人たちは、
>アウシュビッツ・ビルケナウに移送されて殺害されました。 >>39
なるほどー
殺すならそこまで人物を識別する写真は不要だものね >>8
初期にいれられた囚人(ただの犯罪者)が看取のかわりに収容者の管理をしてたから隙もあったみたいだね >>43
殺されてる人のほうが圧倒的に多いな
>1944年の4月下旬から7月上旬にかけて、移送されてきた約44万人のハンガリー系ユダヤ人のうち、
>約42万6,000人がアウシュビッツに送られました。
>親衛隊は、そのうち約32万人をアウシュビッツ・ビルケナウのガス室に直接送り込み、
>約11万人をアウシュビッツ強制収容所の強制労働に配備しました。 >>46
チフス、栄養失調で死んだ数だよそれ
少しはプロパガンダを学んだほうが良いよ君は >ピエホフスキさんは2012年、INRに対し「逃げた後に私たちがヘスに『車を使わせてくれてありがとう』
>と書いた葉書を送ったと話をしている人もいるが、実際にはそんなことはしなかった」と語っていた。
周りが勝手に話創ってるんだろうね
民主化後、ポーランドの最高勲章の授与が打診されたけど、辞退してる 韓国朝鮮人を知ってからユダヤ人のことも信じられない 亡命先のポーランドではなく
亡命中のポーランドってことは
ポーランドに亡命した後に強制収容所に送られたの?
なんかこの辺時系列がわかりにくい書き方で気持ち悪い オマイラまたここでくだらない事書いてっと
またサーモンウィダーインゼリーから嫌がらせ受けて
5ちゃん重くなっぞ! >亡命中だったポーランドのレジスタンスに、ナチスによる残虐行為の詳細な証拠をもたらした。
脱出後、西側の亡命政権系統の国内軍に加わってる
それが戦後、共産政権に問題視されて投獄 >>50 わかりづらいけど、この人はポーランド人だから
「亡命中のポーランドのレジスタンスに情報をもたらした」
つまり、ポーランド以外(イギリスとかスイスとか、ドイツが占領していない国?)まで偽造パスポートなどで行って
ナチス抵抗勢力に合流、収容所の情報を伝えたのかな。その国名を書いてない
戦後はポーランド政府への抵抗活動をして投獄された みたいな感じか。 ヒトラーもロスチャイルドの非嫡出子ということで、
ユダヤ人だかんね。 この人自身は、ポーランドから出ていない
脱出後、ウクライナに逃げようとしたが、現地の反ポーランド感情で断念してる
で、西側系統のレジスタンスに加わった >>27
カポっていう囚人ない看守みたいな役目について役に立つと思われれば
魂胆に殺されないしドイツ人に近づく機会も多かった グダニスクってdanzig ダンツィヒのことだよな 虐殺が行われていたハズのアウシュビッツに二年も入れられてたのに、無事だったのか イスラエルの所業を見ればナチスドイツによるユダヤ人迫害も致し方ないことだったのだと納得させられる
もっとも、ユダヤ人迫害はナチスが始めたというわけでもないのだが >>8
めちゃくちゃ広いから脱出率90%だぞ。脱出した後に街中で見つかる。
当時のポーランドは知識人かなり殺されて底辺ばかり残ってたし、金持ちばかりのユダヤ人憎んでたから密告多い。
それでも助ける人もいるんだよな >>26
トレブリンカ生還者たくさんいるわ。ショアー、人間の暗闇、トレブリンカ反乱、たくさん載ってる。
最後の生還者ヴエルニクは12年に死んだ。
生還者グラツァールは戦後ドイツ女性と結婚して非難されたが嫁病死したら飛び降り自殺した。理解不能
凶悪看守クルトフランツは戦後5年もコックやってた。 伝説の英雄なんだろうね
ポーランドは連帯登場までずっと全体主義の抑圧下あったのは皮肉だ 冷静に考えれば、ガス殺そのものの写真や映像やその他の直接記録がまったくないのだから
疑わしくて当然だ。
それ以外の部分には写真も映像も記録もびっしり残っているのにな。 >>53
当時ポーランドは滅亡中だったから、国無かったよ
イギリスに臨時政府があったから、そこに情報伝えて
占領下のポーランドで戦ったんでしょ >>10
当時まだ無かったボールペンで書かれてたとか w カジミエジュ・ピエホフスキ
> ピエホフスキは第二次大戦におけるドイツによるポーランド占領のあと、ハンガリーへの越境の
> 際に身柄を拘束された。彼はボーイスカウト(ドイツ占領下の抵抗活動の源泉となった)に所属
> していたために、その後バリグロドでゲシュタポの囚人となった。1940年6月20日、ピエホフスキ
> は他の312人のポーランド人男性とともに、強制労働のために、ポーランド総督府からの2番目
> の収容者輸送で、新たに建設されたドイツのアウシュヴィッツT強制収容所に送られた。(略)
>
> ピエホフスキは1940年からアウシュヴィッツTの基幹収容所にいた。収容所の周りにはポー
> ランド人住民のかわりに民族ドイツ人の農民が入植されられていたので、逃亡は非常に難しく
> なっていた。歩哨をつぎつぎに乗り越えたとしても、収容所の近くでよそ者がポーランド人の隣人
> のもとに避難することはほぼ不可能であった。しかし自動車を使って逃亡すれば、収容所の周り
> のそうした地帯を通り抜けることは容易となりえた。
>
> カジミエジュ・ピエホフスキは、スタニスワフ・グスタフ・ヤステル、ヨゼフ・レンパルト、エウガニウシュ・
> ベンデラとともに、1942年6月20日、盗んだSSの制服姿で収容所からの逃亡に成功した。
> 逃亡のために彼らは4着のSS制服と武器を倉庫から手に入れ、盗んだSSの業務用車両で
> 収容所から外に出た。
ウイキペディア Kazimierz Piechowski 抄訳
https://de.wikipedia.org/wiki/Kazimierz_Piechowski
訳してて思ったが、この映画どっかで見たことある。 アウシュヴィッツTのブロック11ではじめてチクロンBをつかった処刑がおこなわれたのは
1941年秋ごろと言われているが、ユダヤ人の大量殺戮がはじまるのは1942年3月に
スロバキア・ユダヤ人の輸送が開始されてから。 脱獄モノの映画が見たくなった。
クリスマス暇だからオススメ3つくらい教えて これって窃盗じゃね?
武勇伝とか自慢とか言うレベルじゃねえぞ! >>56 そういや、隣の女子のダッハウ収容所にもポーランド人カポがいたな
ドイツ語を解したり、使いやすかったのかな? フランスやオランダ人とかより。 すげえな
いったいどういうルートで逃げおおせたんだろうか >>51
>サーモンウィダーインゼリー
まずそうwwwww >>78
ナチスに対してやったことなら、何をやっても正義なのさ。欧州では。
病的だな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています