昭和43年の十勝沖地震は、北海道では死者一名で、東北地方の方が死者数も被害も大きかったが
全国からの支援物資は、地震名に即して北海道へ北海道へと向かい、東北地方関係者を嘆かせた。
その後の地震命名は紛糾を極め、○○はるか沖地震 とか、もう各地の利害関係を丸出しにする
ような事態となってしまったのであった。