ひよこの形をした甘いまんじゅう「ひよ子」は、「東京みやげ」として知られていますが、一方で「福岡みやげ」としての認知度も高いものです。どうしてそうなったのでしょうか。

関西では認識混在?

 ひよこの形をした甘いまんじゅうの「ひよ子」は、東京駅でも、博多駅でもみやげ物として売られています。

東京駅で見られる「ひよ子」の看板
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 博多駅で販売されている「ひよ子」を見ると、製造者は「株式会社ひよ子」とありますが、東京駅で売られているものは、「株式会社東京ひよ子」となっています。東京と福岡、どちらのおみやげなのでしょうか。福岡で「ひよ子」を製造販売する株式会社ひよ子(ひよ子本舗吉野堂、福岡市南区)に話を聞きました。

――ひよ子はどこのみやげといったらいいのでしょうか?

 私どもとしては、「福岡みやげ」でもあり「東京みやげ」でもある、と考えています。

――福岡で「ひよ子」を見た人はどのような反応をするのでしょうか?

 たしかに、関東や関西などから福岡へ来たお客様で「東京みやげでは?」と思われる方もいらっしゃいます。関東ではそのように知られていますし、関西でも百貨店などで「ひよ子」を売っているのですが、一部、東京から卸しているところもありますので、福岡のものか東京のものかという認識が混在している部分もあります。

――東京と福岡の「ひよ子」はどう違うのでしょうか?

 材料や製造工程などは一緒です。ただ、形については福岡のほうがスマート、東京のほうがややふっくらしています。製造する型は同じなのですが、気候や湿度の違いが影響しているのでしょう。

――東京の「ひよ子」をどう思っていますでしょうか?

 福岡での製造販売は株式会社ひよ子、東京では株式会社東京ひよ子として別会社にはなっていますが、代表者は同じです。当社としては、よきライバルどうしと考えています。

 そもそも「ひよ子」は1912(大正元)年に、現在の福岡県飯塚市の吉野堂という菓子店で誕生。同地は長崎から砂糖が運ばれた長崎街道の沿道に位置し、土地柄、甘いものが好まれたそうです。吉野堂はその後、1956(昭和31)年に福岡市の天神へ、そして1964(昭和39)年の東京オリンピックを機に東京へと進出しました。

 東京では東京駅八重洲口地下街や新宿のデパートなどで販売されたほか、台東区上野に「東京ひよ子」の営業拠点が構えられました。その理由について東京ひよ子は、「当時、北の玄関口だった上野駅売店での販売を通じて、北海道、東北、信越方面などの方に認知を拡げる狙いがありました」といいます。

「東京に進出したのも、全国の方に『ひよ子』を味わっていただきたいという思いからです。『東京みやげ』か『福岡みやげ』かという認識は人それぞれだと思います。『ひよ子といえば東京』『でも発祥は福岡なんだよね』などと、『ひよ子』を通じて会話がはずんでくれればうれしいです」(東京ひよ子)

福岡の「ひよ子」パッケージ。東京のものとは若干異なる
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 さらに、「海外の方には『日本みやげ』として知ってもらいたい」と東京ひよ子は話します。「世界での認知はまだまだですが、九州から近い韓国では比較的知られています。成田空港の販売店などでも、韓国便のお客様がいらっしゃると、ポップや説明を見ず手に取っていただいているほどです」と話します。

「ひよ子」は福岡と東京で基本的には同じであるものの、季節限定商品などはそれぞれで展開しており、たとえば福岡では秋から冬にかけ「栗」や「いちご」を、東京では「黒糖」や「紅茶」を発売します。そのほかにも福岡と東京とで独自の商品を多く販売しているといいます。

配信2017.12.30
乗り物ニュース
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