創立者 
福沢諭吉 
・先祖は鎌倉時代に遡る三河武士 
・三河武士マンセー 


福沢諭吉君の先祖がいた  
日近城祉(三河県岡崎市)  
http://www.sun-inet....zikazyousi.htm 


瘠我慢の説  
「瘠我慢の説」は、福澤諭吉の著書のひとつ。1891年(明治24年)11月27日に脱稿され、1901年(明治34年)1月1日の時事新報紙上に掲載された。  


親仏派がフランスの資金援助を受けたのは軍備強化のためであって、明治政府が外国から資金を借りているのと何ら変わらないのだ、と主張し、そのリーダーである小栗上野介を三河武士の鑑であると賞賛し、  
外国の力を借りて国を売るという評価は決して甘受できないと、小栗を弁護している。  
また外国の内政干渉についても、外国が関心を持っていたのは貿易上の利益だけで、兵乱により武器が売れることを喜んでいたに過ぎず、内乱に介入する意思などなかった、と主張している。  
さらにこの反論においても、海舟は隠棲すべきであったし、三河武士の末裔として晩節を汚すものであると、明治政府への出仕を咎めている。