通州事件
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通州事件(つうしゅうじけん)とは、日中戦争(支那事変・北支事変)の初期の1937年(昭和12年)
7月29日に中国陥落区の通州(現:北京市通州区)において冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が、
日本軍の通州守備隊・通州特務機関及び日本人居留民を襲撃・殺害した事件。通州虐殺事件とも呼ばれる。

通州事件当時、通州を守備していた日本軍第二聯隊の主力は北京南部の南苑に出動中で、通州には戦闘
能力を持たない人員しかいなかった。

冀東政府保安隊ら中国人の軍隊は、日本人居留民の家を一軒残らず襲撃し、略奪・暴行・強姦などを行な
った。居留民は約380人で、その大部は惨殺された。

飲食店の旭軒では40から17 - 8歳までの女7、8名が強姦後、裸体で陰部を露出したまま射殺され、うち4、
5名は陰部を銃剣で刺されていた。日本人男子の死体はほとんどすべてが首に縄をつけて引き回した跡が
あり、「血潮は壁に散布し、言語に絶したもの」であった。

旅館の近水楼では、入り口で女将らしき女性の遺体があり、着物がはがされ、銃剣で突き刺さされ、また
陰部は刃物でえぐられていた。帳場配膳室での男性の遺体は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のように突
き刺されていた。女性遺体は裸体で、局部などに刺突の跡があった。カフェの裏で殺害された親子の子は、
手の指を揃えて切断されていた。南城門の商店の男性遺体は、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた。

守備隊の東門には、数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横たわっていた。鼻に針金を通された子供や、片
腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体が、ゴミばこや壕から続々発見され、ある飲食店
では一家全員が首と両手を切断され惨殺されていた。14、5歳以上の女性はほとんど強姦され殺害され、
旭軒では陰部に箒を押し込んであったり、口に土砂をつめてあったり、腹を縦に断ち割った遺体があった。
東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせて鉄線を貫き、6人数珠つなぎにして引き回された形跡の
ある死体もあり、池は血で赤くなっていた。

事件の翌日(7月30日)、日本軍が通州に向かっている知らせを聞いた主犯の中国人学生たちと保安隊員は
即座に逃亡を開始した。日本軍到着時にはすでに保安隊員と学生の姿はなかった。