★「中国の伝統」(?) よくある質問★

Q)チンクっぽいのが「日本文化は支那(中国)文化を模倣したものアル!」ってわめいているけど
A)かなり違います。そもそも根本的な話として「中国」(中華民国)という言葉ができたのは
  1910年代とかなり最近です。大陸の現地住民を懐柔するために帝国陸軍が使い
  広まっていきました。それまでユーラシア大陸東南部は日本では「唐(から)」と
  呼ばれていました。1500年以上前に日本が遣唐使送って参考にしたのは
  モンゴル文化の濃い「唐」であり鮮卑族のその国は907年に滅んでいます。
  いまの漢民族主体の中華人民共和国とは何の関係もありません。

Q)民族も国も違うのに一緒くたにされているんだ
A)ユーラシア東南部の支配民族は変わりまくっています。漢民族が支配した期間は短く
  極最近です。こうした連中に何も教わっていません。それどころか「議会」とか
  多くの言葉を日本が漢民族に教えています。

Q)「支那が起源アル!」なんてよく威張っているけど、ごまかしなんだ
A)印刷技術などもも周辺国が作ったのを自分が作ったように宣伝しているだけ。
  餃子はアフガン→満州経由、拉麺は中央アジア→北部支那、炒飯も西洋のピラフが元です。
  連中にそんな力はありません。いまと全く変わっていません。

Q)そういえば「中国」って民族名のような地名のようなとても曖昧だ
A)連中は意図的にこの辺りを混同して政治的に有利なように宣伝をしています。
  「XXは支那(中国)が起源」と現支那人はよく言いますが、よく調べると違うことが多いです。
  気を付けましょう。
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★「支那」(ユーラシア大陸東南部)の歴史

 19-21世紀 国民党/支那共産党(漢族)
 17-19世紀 清王朝(満州族)
 14-17世紀 明王朝(漢族)
 13-14世紀 元王朝(モンゴル族)
 10-13世紀 分裂時代
 07-10世紀 唐王朝(鮮卑族)
 03-07世紀 分裂時代
 *2-03世紀 漢王朝(漢族)
 BC2世紀前 分裂時代

【参考】 民族の言語 「ありがとう」 ※全く異なる点に注目※
 モンゴル語 バヤルララー Баярлалаа  ※鮮卑もモンゴル系
 満州語 バニハー(baniha)
 北京語 謝謝(xiexie)