>>598
中華思想と言うのは、存在するすべての国、民が中国を中心とした価値観で統一されていると言う思想であって、
逆に言えば、存在するが中華思想の影響の及ばない場所には、中華思想を行く渡らせる必要があった。
その中心が皇帝であったと言う思想であれば、大和朝廷が中華思想家と言えばそうでは無いと思う。
と言うのも、中国の存在をどうしても意識してしまうはずで、中国を日本の影響下に置くなんて考えはごく一部しかない。

つまり、日本は明治までは現実的な地方分権を充実させ、征服のエネルギーを昇華させ、他の国とは違う精神構造
を作り上げたと考えるべきだと思う。