これは別に桓武天皇の時代に限らず、
既に、5世紀の倭王武・雄略天皇の時代にもはっきり見えるよ。
東北の周辺民族を蛮族として、自らを小中華として位置づけて東アジアでの地位を高めて、
外交に使おうとするのははっきり見えてる。