天皇は渡来系弥生人のインベーダー

「日本人」はどこから来たのか

歴史 は権力者に都合よく創られる

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縄文時代の終わり頃から続々と侵入してきた稲作民たちの中には、
自分たちを天照大神以来の皇統を受け継いでいる天孫、すなわち
天津神(あまつかみ)の子孫であると主張した人たちがいました。
しかし実際は先住民を次々と征服し、自分たちの王朝を打ち立てた
侵入者(インベーダー)でした。

ヤマト王朝を建国後、万世一系と称する天皇制の皇統譜(こうとうふ)を
作成し、それを『日本書紀』、すなわちヤマト王朝の自分たちに都合のいい
歴史をつくり上げて、「正史」としたのです。歴史とは必ずしも「本当に
あったこと」の記述ではなく、その時々の権力が自分たちに都合よく創り上
げるものなのです。
 ヤマト王朝すなわち天皇制国家が生まれたことにより、先住民族に対する
抑圧と差別が始まりました。天孫族は、自分たちとは異なるルーツをもつ
人々を「化外(けがい)の民」とし、国家の支配体制から差別し排除しまし
た。

そうした先住民は「土蜘蛛(つちぐも)」と呼ばれ、各地の山中で自給自
足の生活を送りました。さらに、最後まで抵抗したアイヌの人々を住んでい
た土地から追い出し、賤民としてあちこちに分散させました。
そして、律令制によって天皇制国家を法制化し、公地公民制と
身分制度を確立したのです。東北地方の「蝦夷」と南九州の「熊襲」
(ヤマトに降伏後、「隼人」と呼ばれる)は反乱を起こしましたが、
圧倒的な力の差によって押さえつけられました。このようにして、
律令制にもとづく天皇制とは民族差別の制度化のなかで構築された
ものなのです。

私が大きな問題だと思うのは、研究がどんどん進んでいるにもかかわらず、
未だに天皇家を「神」とつながる特別な血筋であると考える人たちが少な
くないことです。また、日本という国や日本民族が多様なルーツをもつ人々
によって成り立っていることも驚くほど知られていません。