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豊臣秀吉をそそのかして明を侵攻させたのは藤原氏、即ち、唐人

白村江の戦い後、唐人達は藤原氏として大和朝廷を操り、日本を支配した

しかしその後、則天武后は失脚し、度重なる内乱の末、唐は滅亡する
唐の支配層は旧知の藤原氏を頼り、宝物を携えて、日本に避難してきた
それが正倉院の宝物である

その後も藤原氏は「近衛」「鷹司」「九条」「二条」「一条」の苗字を名乗り、
唐人であることを表向きにはせず、大和朝廷、日本を影で支配し続ける

そして、戦国大名が覇権を争う時代となり、
藤原氏はどの戦国大名が自分達の意のままになるか?品定めをした
織田信長は朝廷の脅威となるので誅殺された
藤原氏に選ばれたのは秀吉であった

藤原氏=唐人達の悲願は、中国大陸での復権である
中国大陸は自分達(唐人)のものであり、
異民族によって作られた国家(当時は明)を滅ぼし
唐王朝を復興することが藤原氏の目的なのだ

秀吉は藤原氏の意向を受けて明に攻め入ろうとするものの、道半ばにして没した

秀吉の次に天下人となった家康は藤原氏の正体も陰謀も知っており、
朝廷の言う通りにはならず、かといって敵対もせず、
家康ならではの策略で朝廷を丸め込み、逆に弱体化させていった

そうして150年が過ぎ、幕末
中国大陸は清となっており、欧米の侵略を受け弱体化していた
藤原氏一族は滅ぶことなく貴族として連綿として家系を維持しており
中国大陸に唐王朝を復興する野望も捨ててはいなかった

清が弱体している今こそ、唐王朝を復興する最大のチャンスである!
藤原氏一族は総力挙げて明治維新を画策し、成功させ、
遅ればせながら中国大陸に日本軍を進出させる

そしてついに、満州国を作ってしまう

欧米列強の目的は植民地経営、三角貿易という経済利益のみであり「国を作る」という発想は無い
国を作るという発想は、中国大陸に王朝を復興する野望を持つ藤原氏一族だからこそなのだ