【科学】「出雲と東北類似」「下戸遺伝子の持ち主は中国南部と日本に集中」「中国南部は稲作発祥の地」 日本人のルーツ探る★2
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DNAの分析からわかった縄文人のルーツ
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20180112/20180112-OYTAI50001-L.jpg
斎藤教授が考える日本列島への人の流れ
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20180112/20180112-OYTAI50003-L.jpg
■分岐2万〜4万年前か
2003年に人間の全遺伝情報(ゲノム)が解読された後、様々な国の人たちのゲノムが解読されていった。一人ひとりのゲノムの違いは0・1%に過ぎない。しかし、そのわずかな違いを比べれば、私たちの祖先を探ることもできる。
◆福島の縄文人骨分析
「そんな方法があるのか」。福島県立博物館で考古学を担当している専門学芸員・高橋満(47)は、今も驚いている。地元の遺跡で出土した縄文人の骨について、2年前、DNAを調べることによって意外なルーツが明らかになった。
遺跡は三貫地貝塚。太平洋に面した福島県北部にあるこの遺跡は、明治時代に発見され、縄文人の骨が100体以上も出土した。国内有数の縄文遺跡だ。
長い間、発掘調査が続けられ、1988年に報告書が出された。この縄文人たちは木の実やシカ、イノシシを食べ、墓を作っていたという。だが、一体どこから来た人々なのか。それはわからなかった。
◇
骨は東大の博物館に保管されていた。国立遺伝学研究所教授の斎藤成也(60)は、その数の多さに注目していた。借りてきた男女2人の奥歯の細胞核から微量のDNAを採取した。
最新の分析装置でゲノムを解読。中国人、ベトナム人、南米の先住民など、いろいろな民族と比較した。
その結果、三貫地の縄文人のゲノムは、中国人やベトナム人のそれとはかけ離れており、太古にアフリカからアジアへ渡った人々から2万〜4万年前に分かれた集団の子孫であることが判明した。
がっしりした体つきに彫りの深い顔。全国各地で出土した骨などから、縄文人は、北東アジアや東南アジアの人々に近い存在と考えられてきた。見直しが必要だという。
後に渡来した弥生人らと混血が進んだため、三貫地の縄文人のゲノムのうち、現代人に受け継がれたのは12%だという。斎藤は「様々な古代人のDNAを調べれば、日本人の起源をより詳しく解明できる」と語る。
◇
ただ、今回はまだ、「三貫地の縄文人が古い時期に枝分かれした」ということがわかっただけだ。男女2人のDNAを調べたに過ぎない。
高橋はDNA分析には期待している。将来、三貫地の縄文人の全員の骨を調べれば、もっと多くのことがわかるだろう。親子関係や婚姻関係が明らかになる可能性もある。ムラの構造がわかり、関東や西日本など他の縄文人たちとの関係にも迫れるかもしれない。
「考古学は土器や石器から当時の社会を考えていく。いつ作られ、どこへ運ばれたなど物の流れはわかるが、人間の姿は見えにくい。DNA分析で、古代社会をより豊かに復元できる可能性がある」と考えている。
◆「出雲と東北類似」で新説
日本人のルーツに関して、ほかにも様々なことがDNAからわかり始めている。
出雲弁と東北弁が似ていることは昔から知られてきた。同じズーズー弁。松本清張の小説「砂の器」でも取り上げられた。斎藤が島根県出雲市出身者らのDNAを調べたところ、出雲の人々はDNAも東北の人と似ている可能性が高いことがわかった。
この結果から、斎藤は日本人の起源に新説を唱える。日本人の祖先は、縄文時代までに列島に来た狩猟民と弥生時代以降に渡来した稲作民が考えられてきた。新説では、この二つに加え、縄文後期〜晩期に渡ってきた集団を想定。この集団が、後から来た弥生人らに押され、出雲や東北へ移り住んだとみる。
このほか、日本人に多い「下戸」に着目した研究もある。アルコールは、肝臓で毒性物質になり、酵素の働きで分解される。この酵素をうまく作れない「下戸遺伝子」を持つ人は飲酒後、頭痛などに悩まされる。
北里大准教授の太田博樹(49)によると、下戸遺伝子の持ち主は中国南部と日本に集中している。感染症予防に関係があるらしい。感染症を起こす寄生虫は、血液中の毒性物質の濃度が高いと増殖しないという。
中国南部は稲作発祥の地。お酒の文化も広まった。ある時、感染症が流行。下戸遺伝子を持つ人たちが生き延び、子孫が稲作とともに日本へ渡った――。そんな可能性があるという。
(敬称略)
読売新聞 2018年01月12日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/CO032251/20180112-OYTAT50003.html
★1が立った時間 2018/01/12(金) 23:37:02.14
前スレ http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1515767822/ ルーツなんて何の意味があるのかね?
所詮はアフリカに行き着くんだろう 中国大陸で2000年前にあった戦国時代、
春秋戦国時代の負けた側の国の人々が、
長江を船て下って逃げて海に出て海流に流されて
日本にたどり着いたっていうのが
稲の遺伝子によって証明されていたと思うのだけど?
数十人単位の集団が散発的に、約500年間にもわたって
日本の九州や瀬戸内海に流れ続き続けたのが弥生人の祖先。
中国の戦国時代はとても長かった・・・。
なお千人逃げても日本に来たのはせいぜい数十人で、大半は途中で追手に殺されたか病死したか、
もしくは中国大陸の海沿いの北側、または朝鮮半島へ逃げた。
日本に来たのは海流に流された失敗組である。(更に奥の太平洋に流された連中は全滅した) 下戸は差別用語
使うな!
感染症に強い下戸は、最も進化した人類
エボラウィルスも酒呑めば治ってしまう 最初期の「越」(日本の)が出雲の植民先だってのは記紀だか何だかに書いてなかったか?w
北陸だけでなく東北も越w
其の越が中国沿岸部の越の遺民だとしても不思議はないw 下戸=血中の抗ウイルス毒を増やす機能
斬新な発想だ 天皇こそ正統周王家の生き残りなのです。
銅鐸がなぜ巨大化していったのかという
古代史の謎をここに解き明かしましょう。
呉の末裔達が列島に渡来してしばらく後
かられは列島の青銅器の一部、とくに
銅鐸を鼎に相当するものとして扱うようになりました。
しかし、鼎にはかつて楚の荘王からその大きさを問われた
苦い過去がありました、(いわゆる「鼎の軽重を問う」)
そのトラウマから銅鐸や銅剣の一部が巨大化してつくられるように
なっていったのです。
【奈良】「女王卑弥呼の宮殿」といわれている纒向遺跡から大量の山海の幸 祭祀の供物で並べられたか
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1295599247/
そしてとうとう纒向遺跡から大量の桃の種と同時に祭壇跡が発見されました。
桃は古代支那大陸の土着宗教である道教で神聖な果物とされ今も儀式に使われています。
卑弥呼が司った鬼道はすなわち初期の道教。
見事に日本人のルーツである周王室→呉(春秋戦国)→日本がつながりました。 >>6
違うな
人類のすべてのル−ツは地底にある
ufoは宇宙人ではなく地底人
地球の遥か内部にはマントルではなく空洞世界がある テメェらジャップが何処から来たかって??そりゃあお前のmotherのfuckerからだよwww DNAが似ているとは具体的には何?Y DNAのこと? 中国南部や日本では入れ墨を入れる風習があったというよな。 青森に縄文集落や
キリストの墓やピラミッドもあるから
青森は古いのは確かだ
https://i.imgur.com/EYEQmPd.jpg 西伯・楯築・纒向王朝は越遺民大量流入後に高句麗・新羅・伽耶から来た次の移民集団だろうなw
其れでさえ初期天皇家とは隔絶してるだろうがw
鬼道は道教もだが満州・朝鮮の巫俗の影響が濃いだろうw
猶太教や原始基督教の影響もw 島根県民は心外だろうなwww
トーホグと同じってw >>7
2000年前に戦国?春秋?
お前、頭おかしいんじゃね? 中国地方と言うくらいだから
潜在的にあの辺は中国からの渡来だと
日本中が暗黙の了解 😊 日本の次の30年は明るい時代なので安心 ♪
> 日本経済には60年の長期周期がある
http://image.slidesharecdn.com/08124-120123045008-phpapp01/95/08124-46-728.jpg
http://kakashi490123.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2010/02/28/20100227.png
昭和の約60年は前半が経済周期の下側、後半が上側だった。
平成の約30年は下側だった。次の30年は上側の明るい時代。
😊 日本の次の30年は明るい時代なので安心 ♪ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) >>28
依存症になるほど飲めないだろ。
飲みたくもならないし。 >>26
一般人が普段呑むものとしてだけ酒が存在したのだろうか
薬や神事・祭りに使うものじゃなかったの? >>14
貢ぎ物とか鬼道です、道教です、は、
個人の妄想レベルでしかない。 >>8
血中の毒素云々だからマラリアとかフィラリアとか? D系の遺伝子は、日本列島3万年前に誕生した遺伝子である。
中国人のO系遺伝子とは、全く別物。
日本人の遺伝子・・・O系は50% D系は40%。 >>1
下戸って、地位が低くて酒を飲ませてもらえない人のことだっけ
遺伝子的に下層階級とかキツイな >>37
そんなツマラン事しか言えない君の遺伝子のがキツイわ 古代中国の植民地 イギリスにとってのアメリカみたいなもの
アメリカは縄文原住民ころしまくったけど
日本はインディアンとセックスしまくった 陸稲は縄文時代に始まっていたというが、カロリーベースで主食と呼べるほど
広がっていない、むしろ極めて局地的だったと言える
http://www.museum.pref.yamanashi.jp/pdfdata/kenkyu/hokoku09_2014_4.pdf
p305
青銅器時代前期には、各種の片刃石斧、石刀、磨製石剣、紡錘車などが加わる(第1図右)。
これは宮本 の農耕化第3段階(紀元前 2000 年紀半ば、
水田をもつ本格的な灌漑農耕が農耕具や加工石器を伴って
山東 半島から遼東半島を経て朝鮮半島へ広がった)にあたる。
今回実施された圧痕分析でも、青銅器時代の多数 の遺跡で、
アワ、キビに加え多量のイネが検出され(中山 2013)、
稲作の定着・普及という農耕形態の大きな画期が想定される時代である。
http://www.museum.pref.yamanashi.jp/pdfdata/kenkyu/hokoku09_2014_4.pdf
p324〜326 チベット、ブータン、中国南部、日本のラインを解明して欲しい >>43
カロリーベースで主食と呼べるほどである必要はない
助けになる程度でも良い
一年二年保存が効いて冬場の食料事情が劇的に改善される
備蓄したコメを狙った実力行動やそれからの防衛が必要になることが重要 >>33
下戸の遺伝子がいみじくもそれを証明してしまったわけだが。 たとえ四千年前でも「朝鮮半島から」って聞くと悪寒が走るのは何故なのか >>43
雑穀喰ってるわけだから、米だけ調べても無意味よ 足の小指の爪の外側が割れてる人が割りといて
それは中国の夏の時代に日本に渡ってきたやつだって話を聞いたことがある ハプロタイプDは、
古くに他の人類から分かれたって前から結論出てたよ
日本、アンダマン諸島やチベットなど、東アジア周辺部に多い遺伝子
ホモ・サピエンスの原始的な特徴を残すネグリトもD
ネグリトはとても小柄な人種で、
縄文人も小柄
日本人が小柄な原因なんじゃないか >>43
URL先の305ページは山梨県の縄文遺跡の話なのだが。
お前はこいつか?
824名無しさん@1周年2017/12/30(土) 21:27:56.43ID:dkqoqBQe0
>>818
これを読んでみればわかると思うが、縄文期の陸稲というのはカロリーベースで全く考慮されていない
縄文期に全く稲作がなかったとは断言しないが、資料汚染の可能性が高い
ましてや弥生陸稲などとの連続性などを示す資料などない
http://ofgs.aori.u-tokyo.ac.jp/kawahata/chishitsu_news_n669_p11-20.pdf
というかもう諦めろ、日本会議ユナイトさんよ
それにここは稲作スレじゃない 日本人のルーツスレだ >>50
そのネグリトはアンダマン諸島の集団のこと?
他の地域のものもネグリトと呼ばれているから、赤道付近の地域性であってD系統イコールというわけではないのでは? な、弥生系渡来人も半島経由じゃなく、直接江南地方から来た人たちだっただろ
ネットの方が10年進んでるな
核ゲノムはそれを確証してるだけ
NA鑑定で弥生人は春秋戦国時代に江南地方から来た人たちってほぼ結果が出てる
渡来系弥生人の中国江南起源に関する人類学的研究
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-08041152/
>劉王城遺跡出土の春秋時代末期の人骨2体から抽出されたミトコンドリアDNAの塩基配列が、北部九州弥生人のそれと一致することも判明した。
>また、この劉王城人骨では、2体に上顎両側の側切歯を対象とした風習的抜歯痕が確認され、この風習でも日本の弥生人集団との共通性が認められた。
稲作も大陸から直接日本に来たのは今や定説だし、これからも直接海を渡って来たと考えるのが普通
https://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000116_all.html
核ゲノム研究の斎藤成也教授も3つの波がある言ってる
1つは後期旧石器時代から縄文時代の中期 これは縄文人
2つ目がこの時期で
3つ目が7世紀後半に白村江の戦いで百済が滅亡し、大勢の人たちが日本に移ってきた
つまり大量に日本に来るにはそれなりの出来事があると言うこと
当時は春秋戦国時代で斉や燕があって、そう簡単に陸路で日本に行くことは不可能
つまり時代考証をすれば越に滅ぼされた呉人、楚に滅ぼされた越人、秦に攻め込まれた楚人が逃げ場を失って大量に海に活路を見出したと考えるのが自然
ちなみに江南地方から対馬海流に乗れば九州にたどり着く >>54
だから稲作が直接大陸から来たと言ってるのは佐藤洋一だけ 南からやってきた人や文化が
九州に渡ると同時期に朝鮮半島南部にも渡った
それが再度合流しただけ
朝鮮ルート独自のものは北朝鮮あたりから南下した騎馬民族 >>58
まあ、旧石器時代の人口って驚くくらい少ないのは確かだけどね
数万年単位の話と数百年単位の話がごっちゃになってないか? >>57
図にある年代をよーーく見ろって
朝鮮半島が日本列島への最短安全ルートなのは確かなんだから、そりゃ大勢渡ってきただろ
それは不思議じゃないし否定できない
騎馬民族なんてのは紀元後の話だ
しかも中国で王権が誕生して富の奪い合いが起きて以降、混乱の時代の話
オレは騎馬民族「征服」説は否定するけどね >>61
たしかにミスった
騎馬民族が来たのは3の後
あと南からの1は、もっと南の島々から 883名無しさん@1周年2018/01/14(日) 20:05:50.58ID:j1yXc94i0>>891
>>878
仮にそれが事実としても、遼東半島でできるわけがないだろう
あそこは満州だぞ
近年でも主産物はコーリャンだぞ
あり得ないんだよ
誰がそんなところで水稲やるんだよ
陸稲ならあり得るが
また膠東半島の趙家荘遺跡では龍山文化期の不定型な畦畔水田が発見されており、
水田のような灌漸農耕が山東において始まった可能性が明らかとなった。
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-16251004/ 感染症はATLでしょ
ハロタイプDにはいるが、Oには居ないという。 ATLは日本以外ではなぜかアフリカにいる。
つまり、一時期アフリカにいた人が日本に来たか、或いはその逆の出来事が古代にあった。 大国主命は出雲からどっかに行っちゃったんだから天津神は東北人 弥生人に押されて出雲だけ取り残されて東北に移り住んだというのは不自然な気がする >>48
雑穀がなんだって?
日本会議が縄文稲作を強調するから縄文人がコメで暮らしてたことを否定しただけだけど? 縄文人はインディオ的な印象
あっさりと征服されてしまったのだろう >>45
というか補助となるほどコメが取れていたのか
ようやく縄文でも陸稲は作っていたんだなとわかって来た
段階に入って来ただけのことで、
サプリメントほどであったかどうかすらわからないのがいまの現状 下戸の下りがよくわからない
肝臓から酵素が出なくて血中濃度が高いままだから寄生虫が死ぬって? >>51
山梨県だがそれが何か?
他県では著しくデータが違っている
もしくは縄文時代にコメが主食であったという県があったらソースを出してください >>73
寄生虫が死ぬ前ににアルコール濃度が高くて本人が死ぬ危険があると思います
俺は一晩一升飲めますが 北九州〜瀬戸内〜大阪平野
この辺りで弥生人が人口を増やした。
かな? >>76
水稲は北九州に上陸して250年間、周囲に広まらなかったのですが
その後、爆発的に全国に広がります。
それに伴うのか、あるいはそれに先行するのか人口増加ついても気になりますね 稲作発祥の地ってトンレサップ湖付近って事で決着着いたんじゃ無かったっけ? 宮崎県南部
愛媛県南部
高知県平野部
米の二期作が可能とされる地域 陸稲先行論者は朝鮮半島最古とされる稲田遺構が4000年オーパーツの浅田で在る件をどう考えて居るの?
日本には鎌倉時代も中頃まで浅田なんぞ有りやせんでしたぜw? 天皇は、国外だけじゃなく国内でも過去の侵略行為について
謝罪せねばならない 雲南あたりの文化は親近感を覚えるな
共通の祖先がいたとしても何の不思議もない >>73
ホルムアルデヒドの濃度が高いと寄生虫が繁殖しないってことでしょ?
濃度的に本当かは知らないが消毒剤にも使われるから
可能性としてはあるのかな >>84
どうしても半島経由でないことにしたい日本会議の皆様、ご苦労様です
結局まともに論文はご提示になりませんでしたね >>83
魚の寄生虫落としにホルマリン使ってたしね
でも人が死なない程度のホルムアルデヒドに原虫やら線虫やらの体内寄生虫駆除に効果があるのかなあ
根絶しないまでも数が減れば宿主の負担が少ないとかそんな感じかね… >>52
ただ、縄文人がとても低身長なのは事実ではある。
日本人が低身長な理由かもしれない。 下戸の連中は二日酔いには悩まされたが、感染症には勝ったって事か。 大元がアフリカである以上
弥生人も縄文人も朝鮮から渡ってきた連中だろうよ 日本と大陸の航海は、陸を確認しながらの沿岸航海が大部分であり、航海中に朝鮮半島で補給することが多かったと考えられる。
「朝鮮を経由」という表現が厄介。
二世代以上、朝鮮に定住・定着したあと日本に渡ってきたら、「朝鮮を経由」してきたと言えるだろうが、
航海中に朝鮮半島に寄港したにすぎない移動まで「朝鮮を経由」とするべきではないだろう。 そもそも日本人ににはユダヤの血統が入ってるらしいからね
ノーベル賞が多いのもわかる >>91
南西諸島の人たちは一万年以上昔から島々の間を比較的頻繁に航海していたようだから、
大陸の福州・泉州・廈門→台湾→南西諸島→九州というルートは存在する。
南西諸島の人々の船は小型船なので貿易と呼ぶほどの大量の物資移動はできないが、
長い年月をかけて人や技術が伝わるのはアリだと思う。 2万〜4万年前って日本列島の南側が大陸から離れたか離れないかくらいの時期で北側はまだしっかり大陸とつながっていた時期でしょ。 天津神が弥生系で国津神が縄文系と考えれば国津神を祀る出雲が縄文系というのは神話的にも合点がいく。 >>94
沖縄人には南方系の遺伝子が、本土人より少ないからそれはないと思う >>91
概ね同意
ただし二世代以上定住というところは意見が分かれると思う
少なくとも東シナ海を横断はありえないわ
三国志の時代でさえできなかったんだから >>94
遺伝子で見る限り台湾と沖縄の間は断絶してる
海水面が下がってたときでさえ台湾と沖縄の間は移動はできなかったということ 私がイメージする縄文人は、褐色の肌に厚い唇のアフリカ系と丸い顔に赤い頬のイヌイット系だな。 >>98
>>100
稲作を伝えるだけなら、そんなに大量の人が渡来する必要はないよ。 日本ってもとは大陸にくっついてたんでしょ。それが2つに割れて、また合流した。
アフリカ系やらシベリア系やら混ざってても不思議じゃない。
いろんな顔の日本人がいる。 古代朝鮮の影響力を過大評価するのをやめて、等身大の古代史を見つめることが重要だろう。
JR米原駅がさも文化の発信地であるかのような歪んだ世界観がまかり通っているのはよくないことだ。 >>102
少数の人が渡来した証拠を出さないとただの妄想 >>105
稲作が朝鮮半島経由で伝来したという証拠もないんだけど?
どちらの証拠もない現状においては、どちらのルートで伝来した可能性も捨てきれないということ。 ☆本日☆のビッグ☆ニュース
厚生労働省は大麻を所持や使用出来るように大麻の法律を書き換えていた
大麻取締法(二十二条の三参照)
https://www.ron.gr.jp/law/law/taima.htm
1 厚生労働大臣は、この法律の 規定にかかわらず、大麻に関する*1犯罪鑑識の用 に供する*1大麻を*2輸入し、又は*1譲り受けることが できる。
*2事実上大麻使い*3放題であることがわかった
*3かくの如し、日本でも*4CBD(オイル系)大麻は*2個人輸入でき、*4yahoo!や*4楽天などのウェブサイトで*4正式販売されるようになっていった
事実上厚生労働省の医療大麻*3解禁宣言である
*3これが某業界の枕営業となっている
*3因みに芸能人に大麻の話しをすると芸能界に入れてくる >>105
弥生時代の開始が紀元前8世紀から紀元前10世紀のあたりなら、現在の遺伝子の割合になるには大量の移民は
必要がないという計算結果が出ている。
北部九州の縄文〜弥生移行期に関する人類学的考察(2)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/asj/116/2/116_2_131/_pdf >>87
縄文時代の日本列島の住民は多様だったことがわかっている。
【富山】6000年前の人骨が次々と 縄文人骨91体 ルーツ解明に期待
https://uni.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1392190469/
【考古学】170センチ超える縄文人の骨見つかる、珍しいノッポ集団か? 富山市
https://toki.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1310134514/
> 同博物館人類研究部によると、男性人骨は、昨年見つかった縄文時代前期(約6000〜5500年前)の人骨群の一つで、
>骨の状態などから20歳代とみられる。茨城県行方市の若海貝塚で1998年に推定身長170センチの縄文時代中期の人骨
>が見つかった例があるが、これを超える可能性もあるという。
【古人類学】縄文人祖先 南北から?小竹貝塚人骨「北方系類似」を確認
https://anago.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1406383899/
http://www.toyama-brand.jp/TJN/?tid=103699
>No.643-2:小竹貝塚 縄文時代前期の人骨、国内最多91体出土
>身長を推定できる人骨は男性22体、女性7体あり、男性では165cm以上の、当時としては高身長の人もいれば、154cm前後の
>低身長の人もいた。女性の平均身長は、縄文時代後・晩期の平均推定身長と同じ148cmだった。
> 国立科学博物館人類研究部が人骨の細胞の中にあるミトコンドリアDNA(遺伝子情報)を分析したところ、小竹縄文人はロシア
>のバイカル湖周辺や北海道縄文人に多い北方系と、東南アジアから中国南部に見られる南方系の2系統が混在することがわかっ
>た。縄文時代中期以降の系統と遺伝的なつながりを確認することもできた。一方、渡来系の弥生人や現代の日本人に多い型は
>見られなかった。 >>108
だからレスできなかったって飯食いに行ったとか風呂入ったとか寝たとかあるでしょう
で、逆に質問しますが縄文で稲がカロリーベースで主食になっていたという証拠はあるのですか?
このスレで出したのは山梨県のデータですけど、だいたい日本中同じです
縄文中期にコメが主食だったというデータはありますか?
あと縄文時代に水田耕作をしていたというデータがありますか?
定説なんでしょう、それが、だったら歴博でも見つかりますよ
ここにいっぱい論文ありますから見つけてきて教えてくださいよ
https://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/ronbun/index.html
頑張ってください、日本会議さん
ホモ未成年買春武藤とか
https://ameblo.jp/mutou-takaya/entry-11937106261.html
自称皇族の竹田恒泰に言わせて江戸しぐさみたいに広めようとしたんでしょ
http://www.dailymotion.com/video/x12gx5q >>115
>>108は前スレでは903だったんだが、お前は901に対してはレスしてんだよw
903 名無しさん@1周年 sage 2018/01/14(日) 20:32:39.18 ID:zwElVxRJ0
>>885
>土器についた籾(もみ)の圧痕の発見から、縄文時代後期まで稲作はさかのぼると
これ、岡山県の南溝手遺跡のものかな?
縄文中期の土器の圧痕の話はどうなの?
縄文中期に稲作の「印」、土器にもみ圧痕 熊本大矢遺跡
http://www.asahi.com/culture/entertainment/news/SEB200507160033.html
http://www.asahi.com/culture/entertainment/news/image/SEB200507160034.jpg
>大矢遺跡から出土した縄文中期の土器に付いていた、稲もみ圧痕の電子顕微鏡写真 「しかし、籾圧痕にシリコンを注入して顕微鏡で観察した結果、籾にあるはずの針状の突起、「禾(のぎ)」を確認できませんでした。」
という引用でイネの圧痕を否定しようとしたけど、>>116は電子顕微鏡で確認したものがありましたと。 ID:OfdwG/0r0の14日のIDはID:p/hoJrL20
http://hissi.org/read.php/newsplus/20180114/cC9ob0pyTDIw.html
スタンプされた時刻から、飯だとか風呂がどうとかは言い訳ができないんだよな。
885 名無しさん@1周年 sage 2018/01/14(日) 20:07:16.80 ID:p/hoJrL20
>>877
これももう一回貼っておくわ
901 名無しさん@1周年 sage 2018/01/14(日) 20:27:24.88 ID:jLLNcxIu0
>>872
その文献にこんなことが書いてある。
903 名無しさん@1周年 sage 2018/01/14(日) 20:32:39.18 ID:zwElVxRJ0
>>885
919 名無しさん@1周年 sage 2018/01/14(日) 21:11:55.38 ID:p/hoJrL20
>>901
書いてあるけど 14日のID:p/hoJrL20の最後のレスは>>118にある919のものであることは、貼ってある必死チェッカーのURLで確認できる。 縄文期の農耕には陸稲もあった、稲作の最初の伝播はその頃だという話を否定していたが、分が悪くなると「主食」という
言葉で議論をすり替えているのがID:OfdwG/0r0です。 だから日本会議さん、ちゃんと文責がわかるソース名で反論してください
どこに所属している誰が調べてどんな調査をしたソースをお示しください
日本会議さん、ホモ未成年買春武藤とか
https://ameblo.jp/mutou-takaya/entry-11937106261.html
自称皇族の竹田恒泰とかに物を言わせたりしてることについては無反応だし
http://www.dailymotion.com/video/x12gx5q
そんなのを晒される前に考古学上のちゃんとしたソースをお示しください >>121
記事に「福岡市教委文化財部長で考古学者の山崎純男さんらの調べ」とあるだろw
自分が優位にあるように見せかけて誤魔化すことしかできないんだなw
http://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I7839387-00
>熊本県大矢遺跡の籾圧痕土器と縄文農耕 山崎 純男
https://yondemill.jp/contents/31663 山崎純男は圧痕レプリカ法関連では丑野毅や中沢道彦、松谷暁子などとともに名前が出てくる人だね。 ID:24NWDQzo0 が「中国では1万年以上前の農耕の痕跡がある」と言っていたが、研究者からは疑問視されているんだな。
イネで1万年以上前ってのは野性種の採集じゃないか。しかも圧痕の話をしたのにプラントオパールの奴を出していたんだな。
雑草からみた縄文時代晩期から弥生時代移行期におけるイネと雑穀の栽培形態
那須浩郎
https://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/ronbun/ronbun8/pdf/187004.pdf
>野生イネ採集の記録は,15,000〜11,500 年前頃の長江中下流域南部の丘陵地帯(湖南省玉蟾岩遺跡,江西省仙人洞遺跡・
>吊桶環遺跡,浙江省上山遺跡)で見つかっており,その後,9,000〜7,000 年前頃に長江中下流域で栽培化されたとされている。
>9,000〜8,000 年前頃には,湖南省彭頭山遺跡・八十遺跡,浙江省上山遺跡,河南省賈湖遺跡などでイネが多数見つかるよう
>になるが,これらが栽培種か野生種かで議論が分かれている[Li et al., 2007; Fuller et al., 2007]。籾軸の脱粒痕により栽培種
>だと判定された確実な栽培イネは,7,900〜7,000 年前頃の長江下流域の浙江省跨湖遺跡が最も古い例である。イネの栽培が
>定着するのは,長江下流域の浙江省田螺山遺跡で,6,600 年前頃から栽培イネが野生イネよりも多く出土するようになる[Fuller
>et al., 2009]。さらに,つづく6,400〜5,500 年前頃になると長江中流域の湖南省城頭山遺跡や長江下流域の江蘇省草鞋山遺跡
>で水田が造られるようになる[Yasuda et al., 2004]。
> 一方,雑穀のアワ・キビ作は,黄河流域で始まっている。黄河中流域の東部低地の河北省磁山遺跡から10,300〜8,700 年前頃
>のキビが出土している[Lu et al., 2009a;2009b]。ただし,これは種子の出土記録ではなく,土壌に含まれるキビの種子の表皮細胞
>に含まれる珪酸体から特定されたものである。表皮の長細胞の形態がキビ属の野生種の一種であるヌカキビと異なることから
>栽培種のキビであると示されているが,ヌカキビはキビの直接の野生種ではなく,上述したようにキビの野生種はまだ見つかっ
>ていないので,この指標で本当にキビの栽培/野生を識別できるか疑問とする見方もある[Nasu et al.,2012]。さらに,年代測定
>も土壌の年代を測定しており,遺構との関係から年代が古すぎるという見解もある[Zhao, 2011]。 >>100
台湾から沖縄へ古代人が渡れなかったというのは現代人が解明できてないだけ、沖縄各地に
多くの古代人の人骨が発掘されてる、少数の古代人に次第に大陸〔中国には様々な民族〕と
南方系 [南方にも様々な民族〕がミックスしたのが沖縄人、中世以前から東南アジア交易が
頻繁だった特にマラッカは最大交易地、近くのジャワラ人のD遺伝子が沖縄人D遺伝子の
ルーツ >>126
デタラメすぎる
ジャワラ人のD遺伝子と沖縄を含む日本人のD遺伝子の分岐は5万年も前のこと
旧石器時代、日本列島に人間が住むようになるもっと前のこと
つまりまったく関係ない >>127
D遺伝子の分岐は単なる憶測、又全中国の核遺伝子情報を抜きにしてる不完全な日本
収れんの妄想、古代本土人が沖縄渡来前提自体がいかがわしい、海流に逆らって来れない
Y遺伝子の一部が似てても沖縄人と本土人は東アジアで最も離れたDNAを持ってる
過去から現在まで本土から沖縄移住は無かった、種だけ飛んでこない ウエーッハッハッ、ウリはチョッパリの兄ニダ。尊敬するニダ! >>128
>D遺伝子の分岐は単なる憶測
自分の妄想を正当化するために学問を否定してるだけ
その否定に何の根拠もない
そもそも台湾にD遺伝子の人間がいないのだからそんなルートがあったなどデタラメの妄想
台湾と沖縄の遺伝子の違いはY染色体だけの話ではない
Gm遺伝子で見ても完全に断絶してる
それと九州と沖縄の交易が弥生時代には活発に行われていたというのは
古代史マニアにとっては常識レベルの知識だがな >>130
人口大国中国の核遺伝子抜きでの縄文人物語り〔縄文人も多様の可能性〕で非科学的
沖縄人にとって南方系とは台湾人〔北方系も多い】じゃない台湾人は沖縄人より本土人に近い
沖縄歴史捏造が難しいと、誰も否定断定しにくい縄文だ弥生だと持ち出し針の穴を幾つも
通すこじ付け屁理屈、本土人に近いのは朝鮮人ー北中国ー北東アジアー台湾ーー沖縄人 >>131
山田孝之は奄美と沖縄ミックスで縄文人じゃない >>132
日本語が不自由すぎて意味がわからんぞ
何の根拠も示さずケチつけてるのは何となく理解できるが
しかも最初のレスと矛盾することを言っているようだし
ただのイチャモンだけになってるしこれで終了な >>134
>>8は下戸遺伝子の持ち主だけが生き残るような感染症があるのか
と質問してるんだけど、君はわかるの? ATLウイルスキャリアの分布と縄文人
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/02inu_hatukanezumi/ATLwirusukyaria_R.jpg
ATLのウイルスキャリアが日本人に多数存在することは知られていたが、東アジアの周辺諸国ではまったく見出されていない。
いっぽうアメリカ先住民やアフリカ、ニューギニア先住民などでキャリアが多い。
日本国内の分布に目を転じると、南九州や沖縄、アイヌに特に高頻度で見られ、四国南部、紀伊半島の南部、東北地方の太平洋側、隠岐、五島列島などの僻地や離島に多いことが判明している。
九州、四国、東北の各地方におけるATLの好発地域を詳細に検討すると、周囲から隔絶され交通の不便だった小集落でキャリアは高率に温存されている。
東京、大阪など大都市で観察される患者の90%以上は九州などに分布するATL好発地帯からの移動者で占められていた。
以上より、日沼頼夫はこのウイルスのキャリア好発地域は、縄文系の人々が高密度で残存していることを示していると結論付けた。
HTLVはかつて日本列島のみならず東アジア大陸部にも広く分布していたが、激しい淘汰が繰り返されて大陸部では消滅し、
弥生時代になってウイルス非キャリアの大陸集団が日本列島中央部に多数移住してくると、列島中央部でウイルスが薄まっていったが、
列島両端や僻地には縄文系のキャリア集団が色濃く残ったものと考えられる。 ATLは縄文より後の人類には感染しない。
つまり、アフリカ→日本→アメリカ→耐性人類だけアジアやヨーロッパなのか
あるいは
アフリカ→世界→アジア→世界で耐性人類が縄文を滅ぼす→僻地は縄文人が残る
なのか
最近結構日本が文明発祥説が多くなっている。 >>122
ですから縄文中期に稲作が主流であったという主張は誰がしているわけですか?
熊本の出土例の他に縄文中期にどれだけ稲の圧痕が発見されているわけですか?
縄文中期に水田があったと誰が言っているわけですか?
歴博の論文のアドレスをせっかく紹介したのに
一切「定説」の論文を教えてくれないじゃないですか
ホモ武藤とか竹田恒泰に喋らせてないではやくその「定説」を紹介してくださいよ >>139
>ですから縄文中期に稲作が主流であったという主張
またずらしている。
縄文時代に農耕があり、その中にイネもあったという話だろw
それと、歴史学や考古学は「通説」だぞw
この程度の用語も知らないのか。 >歴博の論文のアドレスをせっかく紹介したのに
>一切「定説」の論文を教えてくれないじゃないですか
もしかして歴博の論文だけが通説だと思っているの?
歴博の論文も仮説だぞw
それと、山ア純男は圧痕レプリカ法では権威のひとりだと>>123に書いただろ。
同じ権威のひとりの中沢道彦も>>122を完全に否定できていないし、縄文後期の石の本遺跡の土器のイネの圧痕も
イネではあることは認めつつ判断を保留している。
お前みたいに完全に否定している研究者はいるの? >>137
>列島両端や僻地には縄文系のキャリア集団が色濃く残ったものと考えられる。
アルコールに強いのも列島両端や僻地の縄文系に多い高知鹿児島とかね
下戸の弥生系日本人は中国の漢民族とか朝鮮とは顔が似てるが微妙に違う
しかし中国南部のある民族は単に顔が似てるだけじゃなくしっくりくる感じで似てる
そしてこの民族はチベット方面から来たらしい
だからチベットの服は着物そっくりだ 弥生系のルーツはチベットだよ >>144
4000年前に半島経由でやってきた縄文人の子孫ってならあり得るけど想像すると嫌だわ >>140
縄文農耕は濃厚であったのかそれとも園耕であったのかまだ決着がついていない
そしてイネが重要なカロリー源だった(つまりイネが日本中で重要な栽培種であった)という主張をしている論文を教えてください
あと通説ならそれでいいです
今後は通説にしますが、定説と言い続けてきたのは日本会議さんですよね >>141
別に歴博の論文でなくても結構ですが、あなたは歴博のものでない論文すら提示してくれてませんよね
「通説」なんでしょ、だったら歴博じゃなくてもどこにでも転がっているはずですよ
だから縄文にイネがあったらしいことは認めますが水稲でなく陸稲である可能性が高いのに
それがどうして水田稲作が日本から半島に伝わることになるんですか
それがどうしてこんなホモ買春国会議員や自称皇族の主張するような説になるんですか?
https://ameblo.jp/mutou-takaya/entry-11937106261.html
http://www.dailymotion.com/video/x12gx5q >>149
論文は>>122にあるだろ?
お前はずっと何を言っているんだ? >>149
それと、>>141に書いたことの意味がわからないの?
>>116の熊本大矢遺跡の圧痕についてお前みたく断定して否定している研究者はいないよ。
いるのなら出してよ。 >それがどうして水田稲作が日本から半島に伝わることになるんですか
日本列島で稲作がいつからあったかという話をして陸稲が縄文時代からあったという話になったら、お前は
農耕自体が縄文時代にないと言った。
だから縄文時代のイネの痕跡の話をしてたのだがなw
お前は今までお前が議論した内容も忘れたのか? >>148
園耕という言葉は俺が使ったから知った口のクセにw >>148
>定説と言い続けてきたのは日本会議さんですよね
知らねえよw
俺は大学で史学をしたから通説って言葉使ってんだよw
お前は相変わらず自分を否定したり肯定しない人間は全て日本会議だと思っているんだなw
議論する気がないだろw しかも、自分が「定説」という言葉を使っていたことを人のせいにしている。
つまり、日本会議否定ありきであり、その活動のために歴史の話に首を突っ込んでいるわけだ。 ID:mcZEBMyk0 は>>118の指摘に対してレスを返すこともできなかったし、>>124にもレスができなかった。
自分が間違っていることを認めることができない奴だ。 カロリーカロリー言うが、縄文時代の他の雑穀だって条件はイネと同じだぞ。
縄文時代の畑そのものは確認されていないのだから。
イネよりも早く可能性が認識されていたというだけだ。
ID:mcZEBMyk0 は縄文農耕を否定しながら、こういう部分で都合のいいとこだけつまみ食いしている。 ID:mcZEBMyk0は園耕などと言っているが、歴博の藤尾慎一郎による研究報告書「弥生鉄史観の見直し」には
こうのようなことが書いてある。
https://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/ronbun/ronbun8/pdf/185006.pdf
> 山内清男の弥生式文化に属する農業と利器(鉄器),祭祀(青銅器)に関する見解を見てみよう。まず農業だが,山内は
>縄文時代の植物栽培を認めずに弥生時代の植物栽培を認めているが[山内1937(2)],その実態は磨製片刃石斧を鍬
>[山内 1932a],石庖丁を鎌とする耨耕(どうこう)であって,女の仕事として補助的に栽培されていた程度にすぎず,鉄器を
>農具として用いる農業は古墳時代から始まると考えた。ゆえに縄文 ・ 弥生時代は採集経済段階であり,古墳時代こそ
>生産経済段階にあるという理解を示した。そのうえで縄文人は高級狩猟民,弥生人は耨耕民,古墳時代人は園耕民と
>位置づけている[山内 1937]。 ID:mcZEBMyk0いよると、縄文時代の農業は古墳時代並だそうな。 ID:mcZEBMyk0がカロリー云々との根拠にしている >>51のPDFだが、川幡穂高という東京大学大気海洋研究所の教授だ。
史学も考古学も植物学も専門ではない地球環境学者が書いたものだ。
http://ofgs.aori.u-tokyo.ac.jp/kawahata/kawahata-j.html
カロリーベースの話で引用している佐々木高明の「日本史誕生」は1991年で三内丸山の本格的調査が始まる前年の出版だ。
赤沢威と南川雅男による炭素・窒素同位体分析による古代人の食生活の復元の論文では、縄文時代は東日本と北海道のみだ。
カロリーベースがと言っていたものの元は、縄文時代の概念そのものが前時代の書籍と地域が偏っているデータだ。
http://ofgs.aori.u-tokyo.ac.jp/kawahata/chishitsu_news_n669_p11-20.pdf
書かれている表は狩猟採集しかないことが前提の食料名が並んだものである。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています