元々は電鉄が線路or駅舎用地として明治時代に
確保してた土地だったんだろう。たぶん。
複線にするつもりもあったんじゃないか?

不要になったんで、税金払うのもイヤだし近くの学校に
タダ同然で譲った。学校も持て余したけど、近くのため池に
下りる道として近在農民に開放した。戦後は池の干拓のための
ダンプやブルドーザーの通り道として利用され、川も浚渫して
コンクリで固めて排水路として確保、橋を架け農道を確保した。

そんな干拓地がようやく完成した頃、日本は高度成長期に突入、
新たな住宅需要が発生、急遽宅地としての転用を急いだ。
→(と、この頃が約50年前に当たる)

こう考えると、競合バス道路と鉄道の併走、迷走する狭い道、
近くに隣接する2つの駅、貧弱な踏切などもほぼ合点が行く。

全部、オレの想像。