撮影年月日 1961/05/01(昭36)の国土地理院の航空写真
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=400447&;isDetail=true
ずっと拡大していって、問題の等持院駅付近を見てみよう。

運動場の北側には、東西に通行できる私道はまだない。
運動場の東側に今はある女子学生専用のマンションはまだない。
マンションの建つことになる敷地から南側は更地の状態。

しかし、大事なことが判る。
1. 嵐電の等持院駅の南側に女子学生マンションの門になる所までに至る
線路沿いに建つ民家は、この当時に既に建物がある。
2.そして、今、マンションの入口の門の西側に学校の私有地の道路に
繋がるところに橋があるが、当時のその位置には橋はまだない。
3.それと、今ある女子学生用マンションの門の前の線路の位置に、幅の狭そうな
踏切があるように見える。車が通れたかは疑問なくらいの狭さだが。
4.女子学生用マンションが建つ敷地の東側には、区画の所有者が学校
以外の所有地なのか、更地とは別に空き地や建物がある。その区画には
南北の路地が2本あり、それは現在もある。

テレ朝の羽鳥慎一モーニングショーでも取り上げせさて、線路沿いの民家前の道が
軽自動車一台がギリギリ通れるって映像を流してた。しかし、その細い
道路は1961年当時の民家の前にあったので、そこの道の不便さをアピール
してたのは学校の私道との経緯とは無関係の不便さではなかろうか。

つまり、不便をアピールする材料に等持院駅南隣の民家前の狭い道を
羽鳥のモーニングショーで流してたが、そこの民家や道路は、果たして
元々から学校が所有していた敷地だったのだろうか?
等持院駅の東側の踏切の南側の車での通りの不便さの原因は、1961年
当時の航空写真に見てとれ、学校が私道を作る前からあった根本的な
ことであって、それを今回の学校の責任のように主張するのは違うと
感じた。