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リバタリアンは主観的な価値判断を客観的事実の如く絶対化している等と主張する児ポ法カルトの藁人形攻撃は妥当なのだろうか?:

私が提案している事は倫理学の完全に価値自由な体系である。私は完全にである意見の領域に留まっており、
そして"である"から"べき"を引き出す為の試みはどこにもない。
私の主張の構造はこれである、つまり、(a)正当化は命題の、或いは論争的な正当化である(先験的に真のである意見)、
(b)議論は私有財産倫理の承認を前提とする(先験的に真のである意見)、
(c)私有財産倫理からの逸脱は論争的に正当化される事は出来ない(先験的に真のである意見)。
それ故に全ての社会主義者倫理に対する私の反駁は純粋に認識的な物である。
ロールズやその他の社会主義者がまだこのような倫理を提唱する事が出来ると言う事は全く的外れである。
1+1は2であると言う事は誰かがそれは3であると述べる可能性を排除する事や人は1+1は3を
その土地の算術法にする事を試みない筈であると言う訳ではない。
しかしながらこれは1+1はまだ2であると言う事実に影響を与えない。
これとの厳格な類推で、私はロールズやその他の社会主義者が述べる事は何であれ虚偽であると証明する事を主張する"だけ"である、
そして全ての知的に優秀で正直な人々によりこのようなものとして理解される事が出来る。
それは無能であるか不誠実で邪悪な人がまだ存在する事が出来る、
そして真実と正義に対して勝ってさえ居る事が出来ると言う事実を変える訳ではない。

ハンス・ヘルマン・ホッペ,The Economics and Ethics of Private Property.
ハンス・ヘルマン・ホッペはアメリカ合衆国を代表する自然法哲学者、経済学者、社会学者の一人である。
彼はドイツでユルゲン・ハーバーマスに師事し、その後にアメリカ合衆国でマレー・ロスバードに師事した。
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