■昭和20年3月26日早朝 玉砕の地で有名な硫黄島
ここで日本陸海軍 残存兵4百余とアメリカ軍後方部隊の最後の戦闘が行なわれ
日本兵の196遺体の一つから”ルーズベルトに与うる書”の日英両文が発見された
これを書いたのは 市丸利之助少将
少将は 海軍飛行士から予科練の初代部長を任じ 朝鮮 中国の航空司令官を経て
最後の任地 硫黄島に着任していた。以下は ルーズベルトに与うる書の現代かな文である
>ルーズベルト君
貴下は 真珠湾の不意打ちをもって対日戦争を唯一の宣伝材料となしていますが
日本は その自滅より免れるため この挙に出るほかなき苦境にまで追いつめたる種々の情勢は
貴下の最もよく熟知したる所と思念している
貴方達は 既に十分なる繁栄にも満足することなく 数百年来の貴方達の搾取より免れんとする
是等の憐れむべき人類の希望の芽を 何がゆえに若葉に於いて摘み取らんとするのですか
ただ東洋の物を東洋に帰すに過ぎないと思いますことを
貴方達はどうしてかくの如く貪欲にして且つ狭量であるのですか
大東亜共栄圏の存在は いささかも貴方達の存在を 脅かすものではない
かえって世界平和の一翼として世界人類の安寧幸福を保障するものにして
日本天皇の真意は 全くこのほかには無い と云うことを理解する度量の大きさを希望して止みません
略
奇しくもルーズベルトは この8日後に死去
また、大戦後に米ソの冷戦が始まったことを考えれば まさに正鵠を得たものであります
マッカーサーは 日本に対し己個人の復讐劇を東京裁判では果たしたが
七年余の日本生活を経て 朝鮮動乱勃発で国連軍最高司令官として着任した折り
はじめて日本の立場は 満州朝鮮半島が最後の防共のラインであることを自覚したのだ
その危機感が朝鮮戦での原爆使用発言となったのである
マッカーサーが解任帰国後、米国議会・軍事外交合同委員会で述べた、
<日本が あのような最後通牒を受けて開戦したことは日本の自衛戦争であった>
この言葉を鑑みても 死に臨んで宛てた市丸少将の文章は今もなおその光芒を放っている
↑クリントイーストウッドはこれ読んだから、あんなすばらしい映画撮ろうと思ったんじゃないか?