1985年、レバノンでソ連の外交官がイスラム系過激派によって拉致された。
報道によれば、過激派の目的は、レバノン内戦を画策するシリアへのソ連の支援を止めることだったようだ。
過激派は、銃を頭に突きつけられた人質の写真をマスコミに送り、ソ連が支援するシリア軍によるレバノン北部への攻撃中止を要求した。

 当初、ソ連側はテロリストとの交渉も止むを得ないとしていた。
しかし、ソ連側にシリア軍を撤退させる気配が見えなかったことから、過激派は要求から2日後に人質の1人を処刑した。

 これを受けて、ソ連側は交渉を断念し、KGBによる介入が開始される。
KGBは事件の背後にイスラム系武装組織ヒズボラがいることを掴み、報復としてヒズボラのリーダーの家族を誘拐した。
そして、人質の身体を切断して、過激派に送りつけた。

 その後、KGBはヒズボラのリーダーへ向けて、他の家族の居所も把握しているというメッセージを発信した。
それから間もなくして、人質になっていたソ連の外交官3人は無傷のまま解放された。