摂津の地域では、難波の地にあたる東生(成)、西成の両郡に吉志系の氏族と三宅忌寸とが居住していたことが知られる。
東生郡では難波忌寸・日下部忌寸、西成郡では吉士・三宅忌寸が、それぞれの郡の郡領をつとめる有力氏族であったのであろう。
吉士は朝鮮語の首長を意味する語に由来し、新羅では官位十七等の十四位の称にも用いられており、これを氏姓とする氏族の実体は渡来系氏族であると思われる。
『日本書紀』によると、難波忌寸がもとは草香部吉士であることが知られる。
(『大阪府史』)

比上肢長という体に対する腕の長さの比と足の長さの比をみると、アイヌ、東北人、畿内人の順に長い。
つまり、アイヌの人たちが一番腕や脚が長く、畿内人は一番胴長短足の人たちなのです。
朝鮮半島の人々も畿内人と同じように腕や脚が比較的短いことがわかりました。
(松村博文・札幌医科大学教授・兵庫県出身)

頭型の分布は朝鮮半島から渡ってきた人たちのルートを示していると考えるわけです。
大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い。
で、この(過)短頭の人たちは百済、対馬、瀬戸内沿岸とつながっています。
(欠田早苗/兵庫医科大学名誉教授)