【島根】本能寺の変 明智光秀 「室町幕府の再興目指すクーデター」 市立松江歴史館で開催
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織田信長が家臣の明智光秀に討ち取られた「本能寺の変」を近年の研究に基づき紹介する特別展「本能寺の変―再考 何が明智光秀を決起させたか―」が、松江市殿町の市立松江歴史館で開かれている。
4月8日まで。
本能寺の変は、後に松江開府の祖として松江城を築く堀尾吉晴も活躍した信長の中国地方攻めの最中に起きていることから、同館が主催、期間中、展示替えをしながら計74点を並べる。
見所は、光秀が本能寺の変後に信長に反発する仲間に送った直筆の書状。昨年9月に書状の発見を発表した研究者は、本能寺の変が室町幕府の再興を目指したクーデターだったことを示すとしている。室町幕府の15代将軍・足利義昭が、薩摩の島津家に幕府再興の協力を求めて贈った国宝の名刀も並ぶ。
西島太郎学芸員(48)は「本能寺の変は複数の対立構造が関連し合う中で起きたことが次第にはっきりしてきた。近年の研究を知ってほしい」と話す。24日午後1時30分からは展示説明もある。
2018年03月20日 17時35分
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関連過去スレ
<明智光秀>反信長派への密書の原本発見 本能寺の変直後、室町幕府再興を目指していた★6 [無断転載禁止](c)2ch.net
https://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1505306488/ 信長が生きてたらヨーロッパの絶対君主みたいになってたのかな じゃあなんですぐに所領安堵の書状書きまくっちゃったのさ 敵がまだ周辺にいたあの時だからこそ出来たクーデタ
毛利か上杉滅んでたら連携すら出来ない どうして〜♪ どうして〜♪
どうして織田はシバかれた〜? 単なる大義名分だろ。
古今東西、クーデターするやつは旧王朝をかつぐ。
それが真のねらいと思ってる奴は馬鹿。 何か大きな後ろ盾がなければ明智ごときが信長を討つなんて大それたことをできるわけがないよな
実際三日天下だっけ?あっさり死んだし 光秀死んだときじじいじゃなかったか
やる気ありすぎ >>1
中韓企業のスマホ・家電製品は
TDK、村田製作所等、日本の先端部品が無ければ製造できない
さらに部品製造工作機械では
ファナック、安川電機など日本製が世界トップ
韓国の時給=280円(日本の3分の1以下)=名誉G7
https://awabi.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1392896793/l50
シナチョンは莫大なパテントをG7に払って製造している
ほぼ組立工賃分しか儲からず超薄利商売しかできない 儲けるのはG7だけ
東京都の年間GDP 1兆6239億ドル(193兆円)人口1360万人
韓国の年間GDP 1兆3189億ドル(150兆円)人口5150万人 ←1人あたりのGDP日本の3分の1以下
韓国=平均月給8万円(日本の3分の1以下)
名誉G7「スワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアップw」
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ハエハエ★=統括記者(運営側)=名誉G7
=朝鮮乞食=ニュース+で 記録更新した辻元スレをいきなり「政治スレ禁止」規制で潰した過去(記録更新の後も辻元ニュースは他にあった)
(森友スレは「微妙にリンク」程度のネタでもその直前まで2か月間放置)
★★★★★★ ニュース系速報板 歴代スレッド数ランキング ★★★★★★
1位 2017年 456スレ 辻元氏に関する記述、民進がメディア各位に不拡散要求 ★←記録達成後、辻元スレを+から消すため運営が政治スレを禁止に
2位 2010年 311スレ 尖閣諸島中国漁船衝突映像流出
3位 2016年 287スレ 鳥越俊太郎「女子大生淫行」疑惑(週刊文春)
4位 2009年 263スレ 朝日新聞社員2ちゃんねる差別表現書き込み
5位 2008年 230スレ 毎日デイリーニューズ WaiWai問題
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ばーど★= 名誉G7= 反日スレばかり立てる朝鮮記者
↓↓↓ KBSなんてチョンじゃないと知らない KBSが日本のNHKに相当することも知っている ↓↓↓
534 名前:ばーど ★[sage] 投稿日:2018/01/08(月) 21:49:54.50 ID:CAP_USER9 [250/336]
>>533
KBSは日本のNHKのようなものらしいので朝日・NHKソースの方が信頼できるのかなと
※ 政治スレ禁止なのにモリカケスレ立てまくってモリカケ騒動引き起こしたのもばーど★
これだけ違反してるのに何故かばーど★だけ記者剥奪されない(パヨク運営の方針)
名誉G7「スワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアップw」 適当なことばかりいえるのが歴史
タイムマシーンができない限り正解はでないね 歴史学者「記述してあるものが、正しい歴史書だ」
↑
幕末に全ての歴史書を燃やしますた >>15
タイムマシンができても分からないよ。
まだ当時知っている人がいる太平洋戦争ですら原因は割れてるし >室町幕府の再興を目指したクーデターだった
断言していいのかよ >>11
でも光秀には源氏の棟梁としての力量なんか無かったろ
土岐源氏として足利を担ぐのが精一杯 織田体制のもとで羽柴秀吉と並ぶくらい急激な出世した奴が室町幕府の再興って有り得んだろ
室町幕府って下剋上が一切許されない上下関係の固定化された幕府だぞ
単に足利を担ごうとしたってだけでは幕府再興目指したとはとても言わない(信長だって上洛時には担いでたわけで) 結果得したのは家康だから裏で糸ひいてたのは家康やろ
秀吉と戦って早々に消えるとこまでは予想外だったんだろうけど 本能寺の時の明智は何か始めるには年を取り過ぎてる
スケープゴートにされたと思う 信長で良かったのに
光秀がしょーもない足引っ張るから 旧幕臣系を釣る空証文
現代人が釣られてどうするんやと 1 ばーど ★ sage New! 2018/03/21(水) 13:54:44.43 ID:CAP_USER9
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20180320/20180320-OYT1I50010-L.jpg
織田信長が家臣の明智光秀に討ち取られた「本能寺の変」を近年の研究に基づき紹介する特別展「本能寺の変―再考 何が明智光秀を決起させたか―」が、松江市殿町の市立松江歴史館で開かれている。 >>25
これまでにある諸学説よりは説得力があると思うぞ まあ、でも領地取り上げられたら反乱するしかないわな。 なんでも目的や黒幕があると考えちゃう人っているよね
普通にチャンスがあれば下剋上したい
それだけだったと思うね 得をしたもんが黒幕
信長に殺されずに
現在までも君臨している 明智の血筋は土岐源氏で血筋的には主筋
一方信長は源平に習って
自身を平氏と偽って源氏の世を終わらせようとした人物
明智には一応、足利を救う大義名分がある 実はこうだったって妄想して、それをラノベ?化でもしようかと思ったが、
文章化するのが面倒なので諦めた。 >>32
家康が裏でけしかけるなら自分が少数の御付きしかいない堺にいる間にはやらせないだろう
上方の混乱の中、浜松に逃げ落ちるまで実際に危険だったわけで スケートの織田信成くんのデカッ鼻を見て分かる通り、信長は鼻デカ民族の子孫だ
日本人として外人の子孫に支配されるのは嫌だと思うのは当然
ならば、その認識を共にしていたのは誰かということになれば結論も至極真っ当 仮に、明智光秀が室町幕府の再興を目指してのクーデターだったとして、
だったらなんであんなにそのあともたもたしてたんだろうっていうのがよくわからない。
家康との密約でもあったのかな。 ごくごく単純に、織田信長・信忠親子を討ち、
重要な家臣団が畿内いない間に乗っ取る絶好の機会だと、
その場の思い付きで実行しただけだと思うけどね
親子を討った後の手回しが、光秀らしくなく杜撰だったし >>36
秀吉は結局歳とって死んだわけだけども死ぬ寸前まで朝鮮攻めたりアグレッシブにやってたぞ
歳だからもうやらないっていうのはこの時代にのし上がった人達には無い考えなんじゃないのかな
そもそも浪人したりしてフラフラしてたのが大名になったのが50歳くらいとかの人でしょ 最悪の息子殺された家康と母親殺された光秀が
組んだと思うのが自然
光秀の首が見つかったないのも
天海として生きたと思うのが自然 >>57
計画性がなかったからやろ
あの時代に通信手段も飛脚ぐらいやし
今とは違う
一方秀吉は数日で明智を打ちとった
光秀の落ち度ではなく秀吉の功績が大きい ここ最近秀吉共謀説・家康共謀説等々色んな胡散臭い説を唱えるエセ研究者が後を絶たなかったが
結局昔から最も有力だった室町幕府再興説に戻った形だな 実は織田信長は鬼で、それを倒す為に立ち上がったのが明智光秀なんだろ? 信長が生き延びてノリノリだったら
今頃朝鮮半島は日本だったろ。 人間五十年
下天のうちを比ぶれば
夢幻の如くなり
一度生を享け
滅せぬもののあるべきか >>40
たとえ幕府再興だとしても
当時の人から見ると
比叡山(既存の権威)焼き討ちの実行犯
が何言ってんだ って感じだろうね 歴史を知って思うのは最終的に残った奴が一番有能という訳ではないということ まぁ信ちゃんに拾って貰って、大きくして貰って、裏切って信ちゃん殺した歴史は、変えられない。 反信長ならば、信長という強権リーダーを倒し、ゆるい連合体(室町幕府)に戻ろうよという呼びかけか。
実現性はともかく、反信長勢からすればとっつきやすい提案ではあるな。
光秀も一人で変革するのは無理と思ってたんだろな。結集の口実としては上手いな なんでもいいけど見通し甘過ぎだろアホかよって思うw >>2
その割には朝廷からの援護はなかったかなあ。
朝廷黒幕セツは無理があるかも。 >>30
明智光秀は秀吉よりもずっと信長の側近。
秀吉がバイトから正社員、係長から課長、って必死に這い上がって来た頃に、
光秀は課長、部長クラスで中途採用、幹部登用。
光秀は役員クラスになった頃に秀吉も部長クラスになってたが、
本能寺の変で光秀はクーデターで社長になったが
部下がついて来ずに秀吉が他の役員を取り込んで、
社長の一族を社長に据える事で結託して光秀を討取る。
最初は秀吉は社長の一族を中心に組織運営をしていたが、
しばらくして組織を乗っ取った。
社長の一族はそれなりの待遇で隠居。 >>57
もたもたってどの辺が?
信長親子殺して安土含め近江全土を制圧して朝廷を懐柔も即座にやったんだが
誤算は賛同する大名がほとんどいなかったことだけど、大名歴10年くらいしかないポッと出だからある意味仕方ない ただ単に怨恨やろ
チャンスがたまたまきたから殺したんやろ 信長が事の成就を目前にして何故か突然ブルーになって自裁を決意
それを光秀が幇助、これが真相。 行動に意味を求めても、意味がないんじゃないのかな?
応仁の乱とかもっと不可解な行動がいっぱいだし。 まあ、信長も西郷隆盛も、同じ頃の年齢で死んでる
お前らはもうその年齢は越えてるだろ?
お前らはナニを残した? 3秒でわかる本能寺の変
信長「ハゲは甘えwwwww」
光秀「くrthそいhp殺jhg!殺rぎおpt!rgjてh殺jgr!殺rlthk;;ろw!殺!!!!!!!!!」 >>75
室町幕府が緩い連合か?っていうとそうでもない
ただ幕府の権威が落ちただけ
幕府の権威を再興するために
義元や謙信や信玄が上洛を目指した >>78
どっちかっていうとグループ関連会社の社長たちじゃないか。
で、お前解任な。会社は内の子どもたちにまかせる。
ああ、心配するな。お前の次のポストにはライバル会社を用意してある。
まあ、乗っ取れたらの話やけど(ゲス顔
こんな感じじゃないか。 >>69
「(当時の平均寿命から)人の一生は五十年に過ぎない」という意味としばしば誤って説明される場合があるが、
この一節は天界を比較対象とすることで人の世の時の流れの儚さについて説明しているだけで、人の一生が五十年と言っているわけではない。 >>84
応仁の乱も結局お金の問題だったんだろうね >>1
後付けっぽい 信長を討った後の手際が悪すぎる カッとなって攻め殺しましたじゃ
ないかなと思える >>88
十分ありえるよ
土岐源氏で光秀の感覚だとあくまで足利の臣下
実際光秀は足利とパイプをもってたし >>95
まあ、みんな武将が追い出されてしまったし、このままじゃ自分も殺されるか身ぐるみ剥がれて追放されるだろうとは思ってたろうな。 光秀と秀吉は結託してたんじゃない?
対応素早いから怪しい。 >>94
突き詰めれば金になるけど
複数の家の跡継ぎ争いの集合体が応仁の乱 信長が天下を取っていたら、
家康が江戸に幕府を開く事もなかったし、
今の日本の都道府県が全然違ってたものになってかもね 武士の棟梁である源氏
このまま信長が天下を握れば源氏は滅ぶと見えなくもない光秀的にな 足利家と織田家に日和見してたんだろう
本能寺の後信長は生きていると嘘をついて光秀を滅ぼした
秀吉の情報戦の勝利やろう
光秀は信長の首が見つからなかったのが痛い 信長は織田家による統一国家を望んでいて
織田家のために働いても一官僚にしかなれないと覚ったからじゃないかね
その後の秀吉にしろ家康にしろ封建制を維持する形に納まったし くだらねえ推測や妄想はもう要らん
歴史にたられば言う奴はあほ 滋賀に住んだからだろw
大友皇子も滋賀に住んだら叔父にいきなりぶっ殺されたし
井伊直政も関ヶ原で負傷したけど元気に執務やってたのに、滋賀に移って直ぐ体調崩して死んでる いろんなパイプは形成されつつあったが、大義名分が整うまで光秀が待てなかったのだと思う
当時の五十代半ばってそういう年齢だった >>88
逆逆
裏切って主君殺したあとで大義名分が必要になっただけ 基本的に信長も足利義昭の要請で室町幕府復興のために上洛したんやで
途中で義昭を追放したんや 今と違って源氏の血筋は昔より
そうとうに意識されてたろう
源氏の棟梁である現支配者の足利
そして源氏の流れをくむ土岐源氏家の光秀
信長が下克上って言われるのは旧体制を打破しようとしたから
そして光秀は旧体制を臨んだ側 @国替え
A何かの接待のやり方で信長に怒られて恨んだ。
B信長が寺を焼いた。
説って大体これくらいだよね。 >>102
県どころか、国境線も。
東南アジアに進出してただろう、そして、スペインポルトガルと戦争か、
アヘン戦争は日本と? >>106
一官僚ならまだいいんじゃね
そうじゃなくて突然高野山追放になった織田家重臣とか見てきたから、いつ自分がそうなるかと思ってたんだろう まあ、朝廷を取り込めなかった時点でどうにもならんわな。
次のワンチャンあるかどうかは分からんけど、信長討って朝廷がそれを支持したら違ってたかも。 >>116
そもそももう高齢で引退してもいい歳だからそんなのない > 後に松江開府の祖として松江城を築く堀尾吉晴も活躍した信長の中国地方攻めの最中に起きていることから、同館が主催
えぇ… 信長が長生きしてたら国内の線引きどころか割と欧州の地図も変わってた気がする 信長は今までの地方分権的な戦国大名とは異質だからな
だから家康以外の幕府と全大名から包囲された 光秀が謀反を起こす時期、義昭は毛利にいたんだっけ? なんで信忠はどんな汚い手を使ってでも生き延びようとしなかったのか 寝け目のない周到な戦いをする明智も歳をとりボケた上に私怨で思い付きのの犯行だろ
明智にしては事後の手配が杜撰すぎる >>112
旧体制の習わし通りなら地方の一守護の支流の家柄なんぞが城持ちなんぞとても許されるもんじゃないぞ
領地も坂本城も手放して下級武士に逆戻りを望んでたのか?w 70年前の南京大虐殺や従軍慰安婦ですら認められない日本人が
400年前の真実なんて分かる訳ねーだろw 信長は初めに本能寺で信忠の謀反を疑ったらしい
信長と信忠はトラブってたとか ユダヤ人ユダヤ黒魔術悪魔の72霊のカールマルクスの「共産党宣言」や
「資本論」が天使エンゲルスの2人テンプル相棒コンビで馬に乗った騎士団になってたり
マルクス共産主義黒魔術をターゲットの国民族地域に押し付け感染呪術魔術生贄儀式が
慰安魔女箒に乗った黒魔術ユダヤ魔女に韓国朝鮮の貴族王族資産家財閥の王女や皇女や子女を
ささげるというのが北朝鮮残りソビエト赤旭日旗マケドニアアレキサンダー大王じゃなく
マケドニア国旗の旭日が偽閉鎖ソビエトコミューン地域基地の
フランス大東社朝日新聞のシテ島の中州の悪魔教の黒魔術黒猫危機キキの正体なんだなあ、
赤多摩玉太陽の位置がずれて歪ん出るのは本物の現実の都市地域街町村邑
むら叢邨群屯里ではなく、偽入植コミューン開閉基地都市むらだから
名無しの黒猫黒魔魔術魔女がいる(吾輩は猫神である 名前はまだない)は
日本ではなく満州中国大陸にある
この織田信長ソビエトコミンテルンマルクス主義や悪魔教黒真術の「本能に従え」」という
「本能寺ユダヤテンプル悪魔教マルクス生贄儀式による日本の比叡山根本中道の
仏教系神智学や密教などによる満州中国大陸朝鮮半島ロシアシベリアなどへの
大日本帝国入植地での日本人移民の入植を守る護衛についていった19世紀20世紀に
世界中で大流行していた仏教密教チベット仏教などの仏教僧団や戦闘軍団による
中華帝国ロシアシベリア満州朝鮮などでの黄金の夜明けユダヤ黒魔術魔女や
降霊術などのオカルト光明やレーザー光線や灯光器や火炎兵器による戦闘のことで
そういう戦闘があったのが京都の「本能寺痕」じゃなく満州中国朝鮮ロシアシベリアなどのどこか
アメリカなら南部の路面電車「欲望」という名梨の路面電車の走る沼池地域の
軍事実験先端軍事実験基地荒野地域の事だと思われつ 大東亜戦争ですら
みんな言ってることバラバラだからな >>122
安国寺恵瓊のあの言も、
信長の目指すところが大名からも家臣からも決して賛同されないってとこから
出てきたんだろうな >>114
C四国征伐の件
D信長の采配により人質に出した母親が殺された 槇島の陣の後、義尋の処遇に光秀が関与してなかった説はあるからな
秀吉が信長亡き後の畿内主導権を取ろうとした際、義昭にコンタクトを取ろうとしたぐらいで、
やはり誠意大将軍の位はまだ価値があったはず 信長はサイコパス。ねらーがすぐつける方のなんちゃってじゃなく
教科書に出てくるまじもんの。 東照公は室町時代の名家を高家として召し抱えたんだな
こういった気配りが大事 >>126
支流の源氏だからこそ
俺がって望んだのかもな
俺の手で >>127
さすが、檀君伝説信じてる半島人は違うな、 まあ、ワンマン経営の社長みたいなもんだし、
彼の衰えとともに信長家は瓦解してたような気はするけどな。 キンカン頭を叩いてみれば文明開化の音がする
の語源になった人 自分で書いてて何か変な気したけど。信長家ってなんだよ・・・織田家だ。 >>128
疑ってたというよりも願望だろうね
信忠には、家臣に読まれるようじゃダメだとか説教してたし
後継者として認めたのは、武田征伐で命令違反した上で成功したからだね >>70
昔は怨恨説だったよな(ハゲを馬鹿にされた・家康を接待する席の不手際をなじられた等)。
で、
・信長の朝廷滅ぼし計画を察知して止めた
・四国長曾我部の歎願に内応した
あたりが最近の説 >>136
Dの人質に出した光秀の母が殺されたのは後世の俗説・創作
当時のまともな史料には出てこない 室町幕府再興ならなんで義昭抱えてる毛利と事前調整してないんだよ
邪魔な秀吉を備中に釘付けにするなり挟撃できただろ 自分(光秀)が天下をとりたかったからでしょ
人のためにこんな危ない橋は渡れない 黒幕は信長正室の濃姫。
光秀とは従兄弟の関係だし。
豊臣を滅ぼしたのも秀吉正室のねねだし。 ちなみに、秀吉は義昭を上手に抱き込んで、自らの権威を高めようとあれこれ画策、
かなり無茶苦茶な事をしても四姓を名乗れず、最終的には関白止まり >>143
信忠の人柄を示す具体的なエピソードが少なすぎるんだよな
実は言われた事をこなすのがやっとの雑魚レベルだったのではないか >>149
信長包囲網も朝倉が撤退するし
義昭がビッグマウスなんじゃね >>152
関白って征夷大将軍なんかを任命する方だろ 長宗我部、朝廷、足利義昭、恨み、秀吉や家康との共闘
色んな動機説があるけど、どれが一つではなく
複数の動機が重なっての行動でしょ、複数の中で大きい小さいはあるだろうが
明智光秀にとって人生の大きな決断だった訳だけど
現代の我々でいうと「転職」例えられやすい
転職するに際、一つの動機だけでなく、複数の動機が重なり決断するであろう
もちろん複数の動機の中で大きい小さいはあるはずだが
光秀の本能寺動機説で「これが正しい、あれは間違ってる」という論議をよく見るが
「これとこれが動機っぽく、特にこれが大きいか?これはありえないだろう」
こういう論議になぜならないのか?といつも不思議に思う >>149
ですよねー。
明智自身、駒だしそこまで戦局見えてなかったんじゃないか。
毛利へ早馬でも出していれば多分、秀吉は兵士ひっさげて戻ってこれなかったろうに。 >>149
まさか毛利がすんなり矛を収めるとは思わなかったとか
逆に毛利攻めが足利家滅亡とみれちゃうねw
四国攻めを止めるためより
毛利攻めで足利が滅びるのを阻止したとかアリそうだけど
資料にはないからなぁ空論で終わる >>149
毛利は元就の遺言で天下に望みなし
毛利は幕府再興はしたくなく自分の領土を保全したいだけ 働きすぎて鬱だったんだよ
だから視野狭窄になって気が利くところと利かないところが顕著に出た >>150
信長殺したって天下取れないよ、壬申の乱じゃないんだしさ、
危ない橋渡る年でもないし。動機は己の命か己の一族の存亡だと。
戦国時代、すべての武将が天下を狙ってるとか、
すべての武士が下克上狙ってるとか、ドラマの世界だけだと思う。 やっぱりハゲを馬鹿にされたのが1番有力じゃないの? 天下取る気ははなからなかった気はするけどな。
信長排除できればそれで良いなら彼の目的は半分は達せられている。
あとは自分の身内と家臣の安泰くらいが望みだったようにも思うけどな。 >>119
そういう実例があるんだよ
林秀貞1580年67歳の時に大昔の信長家督争いの時の罪を蒸し返され高野山追放。お家取り潰し
佐久間信盛1580年52歳の時に19ヶ条の折檻状を突きつけられ追放。お家取り潰し
この佐久間に変わって畿内方面軍軍団長になったのが光秀 ○○黒幕説なんかないだろう
情報漏洩したら一巻の終わりだからね
寸前まで光秀個人で決めてると思うよ 正解に言うと三河政権たる室町幕府の再興な
明智光秀の家は三河の奉公衆出自の可能性が高
室町幕府 三河国の日本支配構造
【奉公衆】
・奉公衆は、室町幕府に整備された幕府官職の1つ
・将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた
・奉公衆の人数は全国合計250〜300人
・三河国の奉公衆は全国で最大人数、又三河国出身の奉公衆も最大人数
・5番衆の番頭
一番番頭 細川氏、二番番頭 桃井氏、三番番頭 上野氏、四番番頭 石垣氏(畠山氏)、五番番頭 大館氏
三河国の奉公衆一覧(全52家)
【藤姓熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)
【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田
【足利被官】
饗庭、朝倉、飯尾、岩堀、大草、高、久下、小嶋、中条、二宮、彦部
【三河源氏】
足助、水野
【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永
【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)
【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下
【その他】
宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、堤、長、西部、本郷、丸山、三浦、大和 隙をついて大胆な行動に出た明智光秀。
死を悟り後の事を考えて首を隠した信長。
必ず明智殺すマンとして神業連発した秀吉。
とにかく全員人間レベルが高い。
織田家が最ツヨだったのがよくわかる事変だ。
亡き父の恨みを晴らすべく織田家に潜入してクーデターを起こした、とかなら最高のドラマだった。
シャアみたいなのだったら永遠のアイドルになれたなぁ。個人的には明智は気に入っている。 林佐久間が追放されて次は俺かと焦るのはむしろ勝家なんじゃない 大雑把に言えばキュウソネコカミだろ
後付けで色々な理由が貼り付けられていくけど 光秀は朝倉義景の家臣であったが、その後信長に仕えた、というのが定説だが、
実は細川家の足軽から足利義昭の直参になり、その後信長に仕えたというのが真実です。 >>170
林や佐久間の失脚は、相対的に光秀の地位を高める話
逆に光秀の讒言がばれて、折檻されたという話もある >>169
要するに信長が嫌いな卑怯未練な男になったんだな
林や佐久間のように
そういう事は日の本を統一してから考えればいい事 毛利は吉川は秀吉を追撃しようとした
小早川が反対した。秀吉を滅ぼせば毛利が天下を取れるかもしれんが輝元の器量では
天下は保てず他の戦国武将に滅ぼされるだろうから秀吉に恩を売って毛利の領土を
保存しようとした
毛利が秀吉を追撃してたら秀吉は滅びたし光秀はどうなったかわからん >>165
光秀「藤孝と順慶がわしについてたら天下とれた」 武田滅びてもう用無しだし
本能寺の変が無かったら家康は信長に
何されてたか分からん
今の東京があるのは光秀と
秀吉が家康潰そうとした時に起こった大地震のおかげ! 明智光秀辞世の句
うまれた時が悪いのか それとも俺が悪いのか
何もしないで生きてゆくなら それはたやすいことだけど >>152
信長って天下とったらどのポジションに収まってたのかな? >>32
三河の源頼朝が構築した三河縁故の武士が武家社会を支配する体制に戻す点で、光秀と家康は一致していたわな
日本の歴史(中世〜近世)
◆鎌倉幕府(1185〜1333年)◆
【勝者】源頼朝:清和源氏、藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338〜1576年)◆
【勝者】足利尊氏:清和源氏、三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国碧海郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国幡豆郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467〜1477年)◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603〜1868年)◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614〜1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平 秀吉戻ってくるから
変後に諸将を味方につけるために書いた書状はあてにならんだろ
大義名分こじつけるのが当たり前 >>169
信長殺した時点で自分も身内も安泰なわけがない
やはり彼なりの大義名分があったと思うな >>187
家柄重視のとこだったら足軽のままだぞ
織田家だから大名になれたんだよ 歴史って勝った人がいいように書き換えてるから実際わからんよなー
色々妄想するのは楽しいけどね 家臣一同、信長が死んでどこかホッとしたところはあったろうな
とにかく常に結果を出し続けていないとどんな目に遭うか、林や佐久間の末路を見て知っているだけに 自分の主君殺しを正当化するための後付けだろな
そもそも本能寺に信長がいて討てたのは計画的ではなく偶然だろ ほんと本能寺は日本の運命を変えたわ
信長があと20年生きてたら、大航海時代の流れに乗って世界的な強国になる目もあったのに ずいぶん計画性の無いクーデターですねw
単純に近江があの時軍事的空白地になったからこその
思いつきだろ >>168
個人的な恨みなら大軍を動かしてここぞというタイミングで
信長のみならず信忠まで仕留める計画性にまで結びつくか疑問
ハゲとバカにされた怒りならその場で刺し殺してしまえば済みそうなもので
信長との間に信頼関係があったら謀叛は起こさないから
よからぬ感情はあったにしてもそれだけが動機とも思えない >>174
不安はあったろうけど、嫁に信長の妹居るし大丈夫って言い聞かせてたかもな。
にしても、運不運はあるにしても光秀や秀吉の機を見る速さに比べると育ちが良いと言うか言われたことだけするタイプだわな。 >>182
本能寺の変が無ければ、ポルトガル宣教師などの活動はもっとできていて
南蛮貿易も史実よりも長く続いていた
貿易をもっと盛んにする事で欧州の政治情勢にもかなり介入で来ていて
産業革命に出遅れることはなかったよ まさか後世に残る歴史的出来事にウッカリと本音で
「ハゲ頭たたかれて出血した恨みw」とは言えんよ 白人が連れてた黒人の奴隷を家臣にし農民の秀吉を引き上げた
信長は差別をしないいいやつ 何かのドラマで
秀吉が明智が詠んだ「時は今」の歌を聞いて変を予測したと
時系列めちゃくちゃの山本勘助が桶狭間を仕組んだ並みの… 自分の主君殺しを正当化するための後付けだろな
計画的ではないと思う
そもそも本能寺に信長がいて討てたのは計画的ではなく偶然
しかも信忠まで殺さないと信長の後を継ぎ意味がない いろいろ皆さんの意見を聞いても、明智の動機がはっきりしない、
やっぱり、秀吉黒幕説しかないわ、(´・ω・`) 機会主義者の目の前に絶好の機会が転がってたから、やっちゃいました
程度が真相だと思うよ
事後、あまりにも無計画過ぎる >>200
カトリックの植民地がよかったのか?
バカかあんた アメリカ人に銃殺される天皇 w
ざまみろ www
https://i.imgur.com//////bdFnDHT.jpg
これにネトウヨはダンマリ。抗議一つしない。
アメリカ様の前では玉無しのチキン無能愛国者 www
慰安婦では大騒ぎするくせに、死ね
‘ldhaekrghekruh61309bjqwbdvq >>201
むしろ従来の通説が光秀の怨恨説(人質の母殺害、キンカン頭、鉄扇殴打等)なんだけど? >>193
俺はノイローゼ過労死コースだったと思うな。
天下統一後には海外侵略の予定だったし、それをやるのはまた光秀秀吉たちだし 幕府と信長の二重スパイみたいなことやってたんでしょ?
歴史にたらればはないけれども、
あのまま信長が天下とってたら、どんな歴史になっていただろうか?
信長を英雄視しすぎる歴史観にも問題はあると思う。 追い詰められて暴発
暴発に協力した奴はいるだろうけど、
生き残る為の手段として謀反を計画しただけな気がする
生き残れなかったけどw 明智は主君裏切って出世してきた武将だから
今度も行けるで!って思っただけだろw >>5
朝廷の家臣は全国津々浦々にいたから無理だろ。 >>1
そんな深い話じゃ話じゃないだろ
伏線は信長の圧力や暴力
これにプライドの高い光秀はまいっていた
決定打となったのは長宗我部を切れと言われた事
信長との間に立って誠心誠意の態度を長宗我部に取っていていろいろ約束もしていただろう
命にかけてもこの約束は守るとかの言葉も発してただろうとすら思う
それを反故にして来いと言われたんだから人格崩壊したんだろうな
四国説だが >>205
世界最強の重武装国家が植民地になるわけないやん、
マレー沖で、英国艦隊と戦争やで、(`・ω・´) >>209
いや秀吉の大返しが異常なんや
普通毛利に追撃されて秀吉は滅ぶ 「信長のシェフ」では二人仲良くケンの作った鍋つついてたのに >>205
逆だよ
当時の日本の軍事力から言って渡航するだけの船を手に入れたら
欧州内に日本の植民地を作れた可能性が高い
それと英国その他と交流することで欧州各地の言語は日本語の影響を受けて
日本人でも聞き取りやすい言語になっていただろうね >>211
なんでウンコ食ってる在日が話に加わってるの?
| []_]
| || ∧_∧
| ( ・∀・) うんこあげる
| ヽ( つと)
| || (ヽ ) ) ( ̄◎
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 ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄
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. | ∧●∧ わーい
. | <ヽ`∀´> ...|
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(衝撃映像) 韓国人がジャンケンで負けてウンコを食べる!
http://www.youtube.com/watch?v=K5C9uhMe7eE まあ、仏教心も篤い人物だし自分がされたことも踏まえて、
天下のために誰かが手をくださないといけないくらいには内心思ってたのかもな。
それに柴田や秀吉に比べるとどうにも織田家と縁を組めるような雰囲気にはなかったみたいだし。
彼自身の性格もあるのかもしれないが。 信忠を切腹させて雑兵に紛れて城から脱出した有楽斎さん有能 >>23
こんなストーリーの小説読んだ記憶あるな。 >>218
それなら長宗我部は光秀支持をして秀吉と戦うのではないか >>200
アメリカは日本の植民地になってたと思うなw >>222
朝鮮出兵って知ってるか?寝言もたいがいにしろよw >>220
兵站と移動を最優先に考えていれば別に不思議じゃない。
追撃しなかったのは毛利の遺言と安国禿の注進やろ。 怨恨が変だというけれど、個人的な怨恨で反乱・出奔した例なんて、戦国〜江戸初期には山のようにあるよ
同時代人としては、一番妥当な説だったんじゃないかな 日本の中世は、平安時代まで遡らなければ見えてこない
鍵は三河の源頼朝で、土岐氏にしても頼朝の御家人だ
三河の足利尊氏は三河の鎌倉将軍の敵を討つ形で北条を滅ぼし、三河の徳川家康は、三河の足利将軍の仇を討つ形で尾張の田吾作一味を滅ぼした
源姓足利氏は、源頼朝が藤姓足利氏を滅ぼし足利荘を、三河の従兄弟の源義兼に安堵した事で初めて誕生した
京の公家社会からあぶれて、父の受領国である三河に土着し、領主化武士化した一族から鎌倉将軍家と足利将軍家が輩出され
同じく三河から、徳川将軍家とトヨグループを排出したわな
三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
系図
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→源頼朝(初代鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→源義兼(足利義兼)(初代源姓足利氏)
■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、三河県岡崎市)
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(三河県豊田市)に土着する
・季兼は、三河国加茂郡(三河県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(三河県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(三河県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(三河県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪) ←乗っ取られる(笑)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝(初代鎌倉将軍)を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、足利義兼(初代源姓足利氏)を生む 信長が生きていたらの説だけど、本能寺で生き残っててもやっぱりどこかで謀反食らって死んでるでしょ
明智光秀だけじゃないからね?
信長って謀反を人生で何回受けてるんだよw 求心力が無かった証拠 書状発見…確定ですなあ
光秀怨恨説は邪馬台国畿内説と同じく死亡 老人の抵抗が真相て、また野暮ったい真相だな。
本能寺の変の時の年齢順
光秀 55歳(1582年当時)
信長 49歳(1582年当時)
秀吉 46〜47歳(1582年当時)
家康 41歳(1582年当時) 秀吉陰謀説が面白いけどな。
実は光秀は何もしてなくて信長殺しの罪を着せられた。
怨恨の線はほぼ江戸時代の創作だし、
小早川隆景とも組んでて毛利を止めてもらった。 恨まれ役を全部自分がやって隠居して信忠に天下を治めてもらうのが理想か
そうすると信長の天下
信長が収める日本はどうなってたか 秀吉とか信長に大恩があるのに織田家を冷遇してて恩知らずだな >>222
支倉常長はクリスチャンになって帰って来たけどなw >>8
> じゃあなんですぐに所領安堵の書状書きまくっちゃったのさ
確かにwwwww 異常かどうかは置いといて
計画性のある謀反なら可能性として羽柴の転進は考慮しておかないとならない事項
信孝と丹羽もそう遠くない場所にいたわけだし 部下や従属大名への扱いがあまりにも酷かったんだろ
世は戦国だし
起こるべくして起こった 単に信長の軍勢が手薄で、畿内に織田家重臣がすぐに引き返せないと見計らっただけだと思う しかし信忠ってバカだよなw
なぜここで戦力に乏しいのに戦いを挑むのか
引けよw >>222
当時の庶民が戦時に耐えれたかどうか
といっても明智のクーデターが無ければ
駆け足で近代化する必要もなく
大戦までにもっと上手く立ち回れていただろうなぁ >>224
織田は武田や徳川との縁組もあるけど、自分の家来との縁組が多いが
織田と明智は全くなかったね、濃姫の母が明智一族って説もあるけど
明智は細川と縁組があるけど、他の織田家来との縁組は聞いたことない
織田の家来同士の縁組ってあまり聞かんな、信長が天下布武以降
信長が家来同士の派閥を作らんようにしたからなのか? 仮に室町再興が動機だとしても足利義昭と連携していたとは限らない
四国征伐が動機だとしても長宗我部と連携していたとは限らない
その辺ごっちゃの人がいるよな >>246
これな 本能寺で生き残っててもまた別な所で謀反を食らうわな >>227
「あちゃー」
と言って何も出来なかったんだろw
光秀の暴発だからついていく義理も利益も見出せなかったんじゃないか? 普通に
「信長ムカつく。俺が天下取ったる!」
って思ったでいいんじゃないの? >>245
羽柴は毛利本軍の到来で救援要請が届くレベルのはずだったし多少はね? 信長に家康ゴロシを命じられて悩んだ挙句、信長ゴロシに切り替えたのが光秀 >>253
明智の立場以外での謀反は上手くいかなったろ >>256
それでいい
明智光秀の思惑なんて本人にしか解らない 答えがない議論だし 秀吉黒幕説まではいかないが
事前に秀吉は情報を察知していたのだろう >>230
信長と秀吉、しかも耄碌しかけた秀吉じゃ
やることも結果も違ってくるな >>259
荒木、浅井、松永と信長にそれなりにダメージ与えてるじゃん >>245
寝技が必ずしも得意そうじゃないしなあ。
天下取るとは言うけど、織田家には血縁のものも居るわけだし、
主君討ち取ったところでただの大名だし、織田家の領地ががそのまま手に入るわけでもない。
呑気すぎるというか、事前に手を打たないでこんなことしてもかなり暴挙だろう。 秀吉は包囲戦やってたんだから毛利からの撤退はそう難しいことではない 本能寺で生き残ったら、それはそれで警戒心やら猜疑心やらで今、認識されている信長より更にアブナイ人柄になっていそうで怖いなwww どんなに行儀がいいやつでも戦国時代の話だからな
切り取り強盗は武士の習い
隙の出来た信長を討ち取れば名分後付けでも何とかなると思って下克上に踏み切り、失敗したということ
つまり見かけの通りの事件 >>230
耄碌する前の補給に全力を尽くせる秀吉が
後方をまとめるんやぞ >>266
織田は倒せても、天下が取れるとは思わないだろ 明智光秀という部下1人まともにコントロールもできない信長に、その後の天下統一がスムーズにいったとは思えないけどな
秀吉、家康は信長を反面教師として許すところは許す、妥協すべきときは妥協してるから天下統一までいけたんだよ >>267
まあ事前になんの準備もしてなかったから信長殺害が上手く行ったんだろうけどな 光秀「あいつ、俺のことハゲって笑い者にしたんだぜ?謀叛起こしてやる!」
斉藤「殿、それぐらいのことは我慢なさりませ 笑」
秀満「利三の言うとおりでございます 笑笑」 >>1
国内が本能寺みたいになってたらこんな記事をゴミ売りがだしたり
果てはヒトモドキが生物学上ダウン症枠にはいったら
ダウン症は可愛い路線で番組に売り出すとかもうホントにアレだよね☆彡 >>272
兵站だけじゃなく、朝鮮の国情も調べ、
どうすれば分裂するかとか、
日本に味方する勢力があるかとか、
綿密に調べ上げてやるわな。 少ない供回りで大した防備もない本能寺に泊まっちゃう馬鹿殿 >>23
信長と信忠が連続して流行り病で亡くなった
跡目相続で譜代の柴田と外様の代表明智が争い、柴田に付いた秀吉が山崎で明智を滅ぼす
その事で発言権を増した秀吉と柴田が争う事に、そして賤ヶ岳で勝利する
秀吉は織田家を牛耳る力を得た訳だが
もっと大義名分が欲しく、明智を裏切り者の汚名をかぶせフィクションを創りあげた 室町幕府再興が目的なら、少なくとも将軍を継げるレベルの人間を担ぐでしょ。
誰も担いでいない事から、幕府再興は後付けの言い訳確定だと思うけどな。 佐久間信盛への折檻状がいけないんだよ
あれを見せられたら光秀だけでなく誰でもビビるわ >>271
信長の首が見つかって入れば
秀吉の信長公は生きているという嘘が通ぜず秀吉の味方は
減っただろう
毛利が追撃してたら秀吉は滅びたろう
光秀は足利義昭を上洛させて幕府再興の大義名分を掲げれば
うまく言ったかもしれん >>279
信長のあの甘さはどこから来たんだろうな
子供の頃から謀反起こされたりしてたのに >>279
なんか相手によって極端なんだよな
松永久秀とかは何回も許してるのに
佐久間林は一発退場しかも理由は言いがかりとか 単なる大義名分だろ
足利なんて何のありがたみも無い
官位も低い武家全般に言えるが家柄も少し辿ったら怪しい
延々とドロドロやって落ちぶれていったアホ将軍家
新田義貞と真逆で戦前には逆賊扱いされるなど人気も低い >>268
それって明智に伝わってるの?
昔の通信手段って飛脚ぐらいなもんだろ >>248
それな
俺ならなりふり構わず石山御坊に逃げ込むわ
「逃げ道ねーからお覚悟を」つって腹切らせて自分だけ逃げた有楽斎はガチでクズ 光秀は今で言う官僚達を束ねる組織の長、
信長軍団にも、元々室町幕府として参加していた。
家康は三河衆の長であり、幕府の警護を司る、
今で言えば警視庁の様な存在の奉公衆を束ねていた。 信長は人が良い所があるからうっかり外様を信用しちゃったんだな。
尾張の連中で本能寺の警備をさせるべきだった。 >>288
感傷的な話だが人を信じたかったのかなーとか 家康に仕えた天海と光秀は、同じ家紋で多分、同一人物やろ?って事は裏で本能寺の変を計画したのは家康か? 日本を取り戻すというのは誰の手から取り戻すということなのかね >>294
それは織田家士官直後の光秀
本能寺の変の時は織田家筆頭の重臣だよ 佐久間は憐れとしか言い様がないが、林は信長の弟を担いで謀反した過去があるからなあ
柴田のようにその後、馬車馬の如く働いた形跡も無いようだし >>289
基本的には利に聡い人物で場合によっては感情より利を見るタイプなんだろうけど、
一方でかなり激情家でもあるんだよな。
その時その時でどっちの面が表出するかって感じなんだろうなあ。
殺す時は女子供まで殺すだろう?その辺の匙加減が極端というか、使える立場の者にとってはたまったもんじゃないな。 >>299
それはない
命からがら逃げ帰る奴が黒幕なわけない 高橋英樹が信長の大河ドラマで
近藤正臣の光秀が 「律令の世に戻す」 って言ってたのに >>288
まだ使い道があるかないかだけ
一度歯向かった奴は根本的には信用してない >>36
実際に兵を動かしたのは家老の斎藤内蔵助(長宗我部元親の姻戚にして、後の春日局の実父)
光秀にはアリバイがあり、入京したのは全て終わった後 という説もあるな 天海は、明智ゆかりの人物だろうけど、光秀本人じゃないだろう >>283
少ない供回りには理由があって織田は全国に敵がいたから
軍団が出払ってる
その軍団は敵と交戦中だから動けない
光秀が信長を倒せば全国の織田の敵が光秀の味方になったかもしれん 信長は曲者好きでそのうえ、そんな曲者を重用する。
いつか裏切られてもおかしくないってw >>306
その割りには冷徹とは遠かったけどな
まぁそのせいで逆に下が判断不良に陥ってたが 松江って侍女の股間に蛍光塗料の刺青を入れさした松平のキチガイ越前系の殿様が有名やな。堀尾っておとりつぶしにすぐなった記憶。 清に降った呉三桂も立場が悪くなると中華を取り戻すって言って反乱起こしてたな >>308
以前、テレビ番組の企画で
天海と光秀の筆跡鑑定したら
極めて近い人物による筆跡と断定されたよ 在日は佐久間って苗字が多いよね
誰かが何かの目的で与えた苗字なんだろうね >>304
そこが、たぬきオヤジの家康やろ、たぬき芝居
それを全て秀吉が知ってた 今の時代、上司にムカついたっても
そう簡単に切り捨て御免って訳にもいかないしな・・・。 >>289
久秀は名物茶器多数持ってて
謝る度に献上してたからな >>299
家康黒幕説はないような
徳川家の全幹部を引き連れて安土、京都だからな
黒幕で計画的なら
少しは国元に残して、その後の準備をしていただろう >>318秀吉は知ってたかもしれないが光秀の突発的単独犯は揺るがない >>308
_/ ̄ ̄\_
/ \
/ / ̄ ̄ \ ヽ
i / \ .}
| /\ /⌒ i | そうかな?
/ ノk●丶 /● >| |
) i  ̄ i  ̄ | |
( ! 丶^ | |
丶 丶 <二> / {
| \ / .!
ヽ /ZT ̄/>\ ノ
\.| ヽ/ { > >
| K/
| ヒ) この書状は、謀反を起こした動機ではなく。単なる大義名分を言ってるにしかないでしょう。 >>321
そんなん打首にしたら全部自分のものに出来るだろ? >>289
小さくとも一国一城の主や己の才覚のみで遣える先を代える
そういうやつには敬意を払って
誰かに隷属する腰巾着で虎の威を借りてふんぞり返る役人とか
そういうやつが大嫌いだったんだろ信長は
単に短気だったのもあるが
不手際とその後の応対に腹を立てて女中を皆殺しにしたこともある
怒りに任せてやってしまうタイプで光秀もやられた >>318
連れの穴山梅雪死んでるし、家康が黒幕なわけない 日光の明智平とか籠目歌とか
どう考えも不自然な程
天海には明智光秀の影がある >>289
久秀は幕府・朝廷、畿内勢力に影響力があったから許しただけだと思う
畿内が平定されてしまえば用済みでやがて処分しただろう 陰謀説もいいが秀吉も家康も信長存命中は裏切る何て考えが全く無かったと信じたい 本能寺の真相は、元々、信長が家康を暗殺する為の策略だった。
そのために、自らの周囲を手薄にして、家康を油断させ、京に招き入れた。
そこで家康を暗殺する実行部隊を任されていたのが光秀だった。
本能寺当日の家臣も家康を暗殺するものだとばかり思っていた様だ。
ところが、光秀が殺したのは信長、美濃源氏の名門として、
足利幕府再興は果たさなければいけない事だったのだろう。 >>320
光秀のようになる覚悟があれば今の時代でも可能だよ >>328
天下取ってないしな
家康黒幕なんて考えられん
光秀の単独犯でもう答え出てんじゃん 明智光秀と天海僧正は朝廷の忍者・勅忍……歴史の真実は半村良の本を読めば分かる! 実行犯なのに、実行後のグランドデザインが描けてない光秀と
すぐ引き返して天下に収まった秀吉
刀狩りしたり、朝鮮出兵させたり参勤交代させたりで
謀反するだけの蓄えさせなかった秀吉、家康の流れ…
秀吉ってジジイ転がしがうまかったって話があるよなぁ 中国戦線は羽柴が圧倒的優位で後は毛利にとどめを刺すだけ
「大将、出番です」と羽柴に呼び出されて意気揚々と向かう矢先の思わぬ謀反
明智側視点だと、好機到来ではあるけれど逆に言えば手薄な状況下でも信長本人は安全と思ってたわけだから、明智は信長から信頼されてたはずなんだよな >>86
島根どうでもよくなっちゃってるなwと思ってたらこの言われよう(´Д`) >>332
でも対処が見事過ぎる
主君死去後のシミュレーションは常にアタマの中で行っていたはず >>329
光秀に親しみや恩義を感じてたのは事実かもな
家康が家臣の水野に光秀遺愛の槍を下賜した際、
「汝も光秀にあやかって忠義に励め」と言ったそうだ
光秀が(家康にとっては)忠臣であり謀反人ではない事を知っていた >>338
信長は人を見る目がなかったとも言える
浅井長政にも裏切られている むすびの山秘録
だっけ半村良
記憶のなかで山田風太郎とごちゃまぜになってるわw 光秀の謀反の理由?
そんなもん過労によるノイローゼに決まってるだろ。
ほとんど休みなく働かされて、おまけに安定のポジションや領地まで奪われた。
俺はいつ休めるんだと自問自答しただろう。
信長を殺した後は、これで休めると安堵したわけだ。 実は本能寺の火事は自然発火で、それを見た光秀が賊にでも襲撃でもされたと思って駆けつけた。
そしたら何故か部下にも信長にも同僚にも光秀謀反と勘違いされて、後に引けなくなった説。 >>347
緒形直人やってたのNHK大河の織田信長ではそういうことになってたなw >>347
信長からしたら支店長の配置換え程度の感覚だったんだろうな
何怒ってんだろ?ぐらいだろうね 娘の春日局が江戸幕府を築いたから、ある意味で明智光秀の目的は達成されているんだよね。 本能寺の後は光秀は足利義昭を上洛させて
幕府再興を宣言する予定だったと思う 明智は余計なことをした馬鹿としか言いようがない
信長の天下なら秀吉の統一よりもっと早かったし
既に遠隔地は信長に臣従しているようなものであとは領地が接続したら儀式をするだけの状態だった
北条と上杉、毛利がかたづいたら雪崩を打って天下統一に成った
秀吉が再統一するために旧織田家中での戦いが必要に成ったりする必要が無く、人が死ななくて済んだ
そして信長もそのころは51歳くらいだろう >>341
そうだが
それにしては今は亡き大殿との夢や意思を継ぎ、影を追うかのごとく大陸出兵を繰り返すのが健気に見えてな >>347
ワロタw
有給休暇は人間に必要だもんな
うんうん >>343
暴君みたいに言われてるけど以外と甘いんだよな。
松永久秀には3回位裏切られてるんだよな。
最後はさすがに切れたけど、それでも平蜘蛛渡せば命は許してやるって直筆の血判状まで渡されたくせに日本初の爆死という道を選んだ。 >>353
後付けだろうけどその予定だったんでしょうね てゆーかさ、朝廷を潰そうとした信長がクーデターというか革命を企んでたんだろ? 指揮下の士官級から雑兵まで右へならえしちゃって誰一人信長方にチクリに行かなかったのかねえ
突然の謀反だから流れに任すしか無かったのか 光秀の家臣斎藤内蔵助の娘「お福」に家康自ら仕込んで子供を産ませたり
(後の徳川家光…「松のさかえ」という史料に明記あり)
春日局として大奥を取り仕切らせた事が全てを物語っているジャマイカ 明智の年齢は72?と55はどっちなんかね
最近は70代だと主張する人多いよね >>18 = >>104 = >>211
↑
ひたすら「安倍憎し」のネトエラ(ネット工作の在日朝鮮人)がすごい勢いで暴れまくってるな。
日本に密入国してきて図々しく居つき、
生活保護を受給しながら性犯罪を繰り返し、
日本人になりすましネット工作を続ける在日朝鮮人。
在日朝鮮人はスパイそのもの。
帰化人を含めて朝鮮人全員をいったん強制送還するしかない。
●●● ネトウヨ連呼厨(ネトエラ)の正体 ●●●
http://karutosouka2.tripod.com/uyokusyoutai.htm
. >>351
まともに考えれば無茶だ。数万の家臣たちの扶持も出せなくなるし。
ただ、信長だからなあ。
彼の言い回しにはだからさっさとケリをつけろってニュアンスだったのかもしれない。
秀吉とはそういう言外のコミュニケーションが取れたようだが。
本当に家臣を路頭に迷わせるようなことを自分がするか!あれはそれくらいの意気込みで励めということだ」って
後からいいそうな人物でもある、信長。 本能寺だけじゃなく
息子がいたほうも兵士に囲われてんのに
どんなニワカ知識ならそんな妄想喋れるんだ。 >>354
信長の領国は巨大だったが内実はグダグダ
信長が天下をとっても信忠の代で下剋上や 光秀って当時としてはかなり爺だから懐古主義に陥って発狂してもおかしくはない 信長が家臣や敵対勢力に対して行った扱いに対する鬱憤。
そして当時の京都周辺の手薄さ。何だかんだでついカッとなっただけだと思う。 >>360
朝廷を潰そうとした記録はなかったと思う >>360
光秀みたいな常識人からしたらとんでもない社長に見えたんだろうね 光秀は幕府の官僚達を束ねていたので、その所領が丹波に数多くあった者達ばかりだった。
山陰地方への領地変えは、今で言えば、東京から島根への左遷の様jなもの。
幕府として、信長軍団に参加していた光秀の家臣たちはどう思っただろうか。 無能で従順な部下より、有能で曲者部下が好きなんだよ
それも何度も裏切られても許しちゃうし、
そりゃ、いつか殺されるって。 信長は中国遠征に向かう途上だった
動員するのは織田信長直卒・織田信忠・惟任・池田・高山・中川・細川ら、
信孝は、四国組と連動して信孝の伊勢衆・惟住・三好ら
秀吉のほかに約7万人ぐらいは中国地方に雪崩込む予定だった、中国大返しとはその準備してあったものを利用して逆走して来ただけ 私も江戸幕府再興のクーデターをしたいね。
小藩だけども大名だからね。w 内実がグタグタというか、信長も結局、封建制取ってるからね >>361
半農の土着兵士じゃなくて
金で雇った兵隊だったから
給料を貰えば後は何でも良かったんじゃないかな
知らんけど おれは絶対にこの説を信じ続ける
今も残る信長の写実的な肖像画
それは明らかに異人の血が混じっている
南蛮寄り 比叡山焼き討ち 新制度推進
これらは信長がハーフだからこそ日本文化の破壊が躊躇なくできたし
実は裏では日本侵略を企むキリスト教徒どもとつながっていた
信長は今でいう売国奴だった
日本を守らねば
光秀・秀吉・家康のトリオは決起した
まず光秀が信長を本能寺で倒す
そのままでは逆臣になるので一応秀吉に敗れた事にして光秀は隠居
しかしその後も三人によりキリスト教の徹底排除の仕組みが固められ
日本はその後260年もの永き間
西洋の侵略の魔の手から逃れられた >>180
そうかなあ、
騙して和睦したから
迫撃されることを前提に近畿に向かったと思うぞ >>289
林・佐久間よ
お前らはこの信長の威光にすがって偉そうにふんぞり返っているだけだ
佐久間は畿内数ヵ国の軍団長という地位にあるが
この信長の下から追放してやるから己の才覚でやってみせよ
どうせ家臣からも見捨てられどこぞで野垂れ死ぬのであろう?w
さあ己の力でやってみせよ
信長はこういう人物 >>376
あいつはそもそも偽の家系図で偽ってるから
織田一門じゃない。
国からも庶流の子孫達からも本物認定されてない。 元々光秀は野心家だろ。大黒の逸話もあるし
親族や家臣に対しては寛容で派閥を形成
同僚やフロイス、比叡山では冷徹
元から成り上がって機を見て天下を取るつもりだった >>369
織田家家中内では信忠への世代交代は行われてたよ >>372
寧ろ荒廃した御所の修繕や地に落ちていた朝廷の威光を取り戻すはべく頑張ってたよな 本能寺って
歴史家の便利な飯の種になってるなぁ
と思う どこのものともしれん幕府が開かれる
結局は血筋より力よな >>379
信長は第1の家来に嫡男もろとも殺され信長の子孫は第2の家来に殺され追放され権力も
乗っ取られる あー、信忠の代になったら信長側近の自分は危ないと明智が考えてた可能性はあるな
先代側近はと当代側近の争いとかはよくあるし、淘汰されるのはだいたい先代の側近だ 織田信長 → 安倍晋三
明智光秀 → 前川 喜平文部科学官僚
安倍晋三の傲慢な国民いじめに耐えかねて起こした謀反 織田信長は中華皇帝の日本版の地位に就こうとしていたのでしょうか?
天皇より上の絶対的地位を目指したのは安土城の孔子や仏陀と並ぶ壁画や構造
開城前後の彼の行動などで推測されます。
ただし、中華皇帝がモデルではなく、ポルトガル人宣教師との交流から、
欧州の皇帝のような「絶対君主」がモデルでしょうね。 >>380
それはちょっと誤解じゃね
当時は平時でも生きていられるような平凡無能なんか武将としてやっていけなかった
歴史的に俯瞰してみれば無能に見えても実際は多芸多才の猛者しかいない
有能な連中は残らず血に飢えた野獣みたいなもんだから、好き嫌いの問題ではないでしょ >>371
おい、栄転だぞ
山陰な
事業所はライバル片付けて自分で作ってね
マジキレる >>361
挙兵は信長の命令(秀吉への援軍)通りで京付近を通るのも予定通り
そこから突然”敵は本能寺にあり!”だから抜けて密告するスキはなかったはず 信長死亡への道はもちろん林佐久間の追放、特に畿内をまとめていた長年の忠臣佐久間の追放が大きいわけだが、
その前に、伊勢長島で、一向宗の狙い撃ち特攻攻撃で有能な親族衆が死にまくったのが大きい。
あの連中が生きてれば畿内一円を親族衆が固めたりして、光秀の出番もなかったろうな。 ウンコ食ってる人は、どんな話題でも、アベガー
| []_]
| || ∧_∧
| ( ・∀・) うんこあげる
| ヽ( つと)
| || (ヽ ) ) ( ̄◎
| )し'し' |~~~|
| ⊆=⊇  ̄゛
 ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄
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|; : |
|●|
. | ̄ ̄; :  ̄ ̄|
. | ∧●∧ わーい
. | <ヽ`∀´> ...|
. |:::( ) ::::|
(衝撃映像) 韓国人がジャンケンで負けてウンコを食べる!
http://www.youtube.com/watch?v=K5C9uhMe7eE >>385
天皇を取り潰そうとした唯一の日本人なのかなぁ?とは思うぞ。 >>354
信長が天下統一していたら
毛利も島津も北条も皆殺し
あの悪魔はだれかが討たねばならなかった
今の安倍晋三とおなじくらいの悪魔 単独で当時無敵の信長と後継者の信忠をまとめて仕留めたのは見事としか言えない
二人を殺ったことで織田家は完全に粉砕された
変後の対応がグダグダで詰めが甘過ぎと言われるが、自爆テロリストと考えれば成果のデカさからいって日本史上最強レベル >>385
自分を神として崇めろとか、マカオ侵略まで言い出してた信長は伴天連たちからマークされてたのは事実かもな
その結果、伴天連の最新兵器で本能寺を爆破された信長は遺骸も見つかってない有様 >>397
まあ、朝廷を屁とも思ってなかったのは事実だな。
将軍家みたいにじわじわと矮小化させて消滅してしまおうという腹づもりはあったかもしれない。
当面の目標ではないにしろ。 >>361
京に向かって信長を討ち取ることを知っていたのは斎藤利三ら重臣のみ。
雑兵は当然これから毛利征伐に向かうと思っていた。
途中で方角が違って京に向かうとなったからてっきり毛利討伐と見せかけて
在京中の家康を討ち取る密命だと思い込んでいたらしい。 最近は毛利家が庇護する足利義昭の鞆幕府と織田徳川連合の対立という視点があるね。
足利義昭は鞆の浦という古代からの瀬戸内の要衝を得て結構羽振りが良かったらしい。 >>394
まあそう言われてはね、でも戦国時代だからね
内実がグダグタというのは行政面システムや統治経済的な根拠があってのことでそれから謀反が発生したことにコメントしたものだと思ったんだが >>397
信長は朝廷の権威を利用しつつ
自身がそれに成り代わる存在になりたかったのは事実だろうね。 >>392
長い徳川の世を経て国内にまともな史料が残ってないので
自由に発想して書けるしね 本能寺で得した人物は、後に天下取った秀吉と領土を大きく拡張した家康
中国大返しと伊賀越えという奇跡的な努力をした風潮
どちらも何かフィクションが混ざってる感じがしてしまうが
秀吉は鳥取城攻めや高松城の水攻めなど、独創的な戦略をやってのけ
さらに賤ヶ岳でも岐阜城からの大返しをしてる訳で
中国大返しは秀吉軍にとって、そんなに無理な戦略でもなかったのかも?
秀吉は明智残党との関わりは薄いが
家康は天海が光秀もしくは明智一族との噂もあり
春日の局が本能寺の実質的主犯とも言われる斎藤利三の娘であり
その縁故の稲葉や堀田など本来は外様大名である立場なのに
譜代大名扱いになり、さらに老中や大老まで出し、譜代大名の中でもトップクラス扱いに
徳川と明智は光秀生前中はあまり接点が無さそうなのに
江戸時代になって色々接点が出てきたのは、疑われる理由になったと思う
家康は江戸250年の間に色々神格化されたけど、伊賀越えもかなり脚色されるだろう 光秀もたいしたもんだよ
信長の兵隊使って、信長伐んだからな >>414
どっちかというと藤原氏みたいにやるつもりだったんじゃないの >>391
どんなに武家を蔑んでも、徳川時代のように太平の世でなければ、
独自の武力を持たない朝廷は生活もままならないもんなー ちょっと待てくれ、信長は戦前では勤王家として取り上げられてたんだぜ。 信長の新規性、転封を持ち出したところ
でもきっと探せば信長より先にもあったと思うよ
柴田勝家・前田利家・佐々成政・羽柴秀吉・河尻秀隆・滝川一益・森長可・・・・
ただし、必ず大きい転地にたいしていくばくかの元の本拠地に少し領土を残したまま行わせるのが信長の特色
そして安定したらそれを別の家臣に与えるようなやり方、柴田勝家が先例
惟任光秀にもおそらく丹波あたりに息子かなんかに少し旧領土は残したと思うよ
前田利家が能登に転封したら旧越前府中には前田利長が入ったように
惟任が驚くには及ばないとっくに先例は有るのだから >>321
謝る度に茶器で許すものかねえ
久秀「この度は申し訳ござらん これを」
信長「曜変天目茶碗か よし許そう」
久秀「この度も申し訳ござらん これを」
信長「曜変天目茶碗か まあ許そう」
久秀「またまた申し訳 これを」
信長「曜変天目‥‥おい本物だろうな前の2コも」 >>425
蜘蛛のなんたらだけは渡さずに、火薬つめて自爆してたな 信長が松永久秀を家康に紹介した時に
「こいつ将軍殺しなんだぜ〜」って感じだったんで
徳川家康がこりゃだめだと思って
朝鮮から導入したのが朱子学だしな
綱吉の代で赤穂浪士事件が起きて一応の完成を見たんで
荻生徂徠が法治へと方向転換させたんだけどね まあしかし考えてみたら信長の先駆者だった人で、信長よりもっとやばい人だった、
足利の六代目将軍も似たような殺され方してるしなあ。 戦国時代の方が輜重がきっちり行われていたのに
日本軍は 秀吉が気持ち悪い奴だったから信長に天下をとってほしかったな >>423
まあ、やったことだけみたらほっといても路頭に迷いそうな朝廷や天皇の威光を取り戻したからね。 室町幕府が事実上滅亡した時に光秀は信長の家臣ですがw 本能寺の変はタイムマシンでもできないと真実は永遠にわからない。 森可成の出身が尾張国出身で岐阜県出身なのがよく分からない。 >>435
たぶん、森氏の出自が可児市で森可成が生まれたのは尾張国側、そんなかんじじゃね? >>424
最近、流行りの信長アイデアパクり説みたい奴だな
それあんま見てないが
開発前のスマホみてすげぇウチでやろとかそれ採用って出来るのは
そいつが有能やからやで 大義名分は朝廷を助け、幕府再興するため。
秀吉とは愚痴を言い合う仲で結託してたけど、変後に裏切られた。家康とも繋がっていた。家康暗殺を知らせて助けた。だから明智と繋がりあるモノを厚遇した。変の動機は長曾我部問題と更年期で軽い鬱だったから >>361
光秀に従軍して本能寺に討ち入った本城惣右衛門という武士が文書を残している
山崎でなく京都に向かうので家康を討ち取りに行くのだと思っていた
本能寺に入って捕まえた女が「上様は白い着物を着ています」と言ったが、
この期に及んでもその上様が信長のことだと気付かなかったという
今のような通信設備もないから末端までなかなか伝わらないし、あるいは
上層部は最後まで謀反をしていることを下々に秘匿していたのかもしれない >>437
そもそも頭が有能じゃないと
有能な家臣は集まってこないからな >>441
割と逆らう奴にも寛容だぞ
基準が曖昧なんだよな 信長が海外出兵を考えてたなら
光秀の島根移転は左遷でもない
島津攻め朝鮮侵攻に使おうとしてたのかもしれん >>437
みんな物真似から入る、人間の発達も幼児期から物真似から
先例で良い所を取り出して今から先に合わせて改造するのは悪い事じゃないでしょ >>409
面白い説だね、小説にしてもいいぐらいだ
仕込み爆殺で、明智が通りかかるときに行って、京が燃えているからあわててきたら明智が謀反と騒ぎまくられてそのまま謀反へ
だったら古代中華の計略みたいな世界で綺麗に決まって大したものだわ >>435
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E5%8F%AF%E6%88%90
>大永3年(1523年)、森可行の子として尾張国葉栗郡蓮台(現岐阜県羽島郡笠松町)に生まれる。
葉栗郡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%89%E6%A0%97%E9%83%A1
>安土桃山時代まで郡域は広かったが、1586年(天正14年)の木曽川の大洪水により、美濃国との境に流れていた
>木曽川が葉栗郡内のほぼ中央を流れるようになった。この為、豊臣秀吉の命により、1589年(天正17年)に新しい
>木曽川を尾張国と美濃国の境とし、美濃国側を羽栗郡に改称した。同時に中島郡・海西郡も2国にまたがる郡となっ
>たが、こちらは改称されていない。 細川に嫁ぐ予定の明智の娘に森蘭丸が横恋慕して、娘を蘭丸に譲れと信長から命令されてキレたのが原因
という斜め上な仮想戦記を読んだ気がする タイムマシンなあ
日本史限定で1発使いきりのタイムテレビあったら
どっち見る学者が多いかね
・邪馬台国の謎
・敵は本能寺にありの辺り
まあ邪馬台国には負けるかなあ >>406
美濃の元斉藤家臣は皆殺しになったか?
浅井の元家臣は皆殺しになってるか?
朝倉の元家臣は皆殺しにされたか? >>303
一種の強迫神経症なんだろね、
こういうのは幼少年期の生きるか死ぬかの瀬戸際に生きてきた
人に多いんじゃないのかな、信長の幼年期なんて正に隣の集落の
領主との殺し合いだったんだろ、本来は気の小さい人なんだろうね
天下人にはなれない人だったんだよ、肝っ玉大きい秀吉と違うな 小藪千豊よく言った!ネット時代に左翼マスコミの汚い印象操作は通用しない
↓
【森友文書】小藪千豊「籠池が言ったと言わずに、昭恵夫人が言ったような心象を与える野党と報道は汚い」@Abema News(動画)
http://www.honmotakeshi.com/archives/53129620.html
売国左翼マスコミの安倍倒閣運動がいかに危険な事か、この記事見ただけでよく分かる。今、安倍政権が倒れて誰が得するかも
↓
【森友文書】韓国で安倍政権への抗議行動応援広がる ツイッターに印、メッセージ続々★3
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1520921511/
政治家の関与がなかったのは確定しています、売国左翼マスコミのイメージ操作に騙されないように気をつけましょう
↓
「政治家の指示確認できず」と財務省
https://this.kiji.is/345830182231786593?c=39550187727945729
>財務省の富山一成理財局次長は「理財局の一部職員の判断で書き換えた」と説明し、政治家の指示は確認できていないとした。
売国左翼マスコミがどうしても安倍政権を倒したい理由
↓
https://snjpn.net/archives/45578
【マスコミ反発】安倍政権、放送制度改革へ!新規参入を促す構え 放送局が増えて多様な番組が流通することが期待される
【これは酷い】テレ朝系の番組が「安倍晋三記念小学校」をCG合成した悪質すぎるイメージ画像を報道!
https://snjpn.net/archives/37409
徹底検証「森友・加計事件」 朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪
https://honto.jp/netstore/pd-book_28737140.html
エビデンス? ねーよそんなもん:日刊ゲンダイの朝日新聞・高橋純子氏インタビューに戦慄が走るTL【日刊アサヒ】
https://togetter.com/li/1183499
偏向報道にうんざり!マスコミの安倍総理批判に国民から大ブーイング
http://hayabusa9.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1499593879/
NHKが腐ってる証拠映像集 - 国民が知らない反日の実態
https://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1029.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/aritayoshifu/status/881045139640143872
有田芳生さんのツイート: "「聖地」が「墓標」に変わる画期的な街頭演説会がはじまります。"
↑
民進党の有田芳生の事前のツイートとかみると民進党と共闘している共産党としばき隊と左翼マスコミが結託して最初から安倍さんの選挙演説をヤジで妨害する計画をたてていたんだろうね
安倍さんの演説妨害した、しばき隊一派はマスコミだけが入るの許されていた一等席に朝から陣取っていた。これって犯罪だよ、明らかに。この件は売国サヨク側にとって致命的な問題に発展する可能性がある
安倍さんの演説妨害していたのはしばき隊だと大量に証拠が残っているのに、自然発生した批判であるかのようにデッチ上げ、安倍総理の「こんな人たち」発言を失言であるかのように報道する売国サヨクマスコミの程度の低さに驚く
日本のマスコミは在日の暴力集団のしばき隊と連携して捏造報道するまで落ちているのだ
CatNA
https://twitter.com/CatNewsAgency/status/881872300726829056
報ステ。しばき隊の意図的な演説妨害を自然発生した批判であるかのようにデッチ上げ、
安倍総理の「こんな人たち」発言を失言であるかのように殊更に問題視。
仕上げはイソ子の嫌がらせ質問。我々は詐欺報道の時代に生きている。
元都知事の猪瀬さんもこう言ってる↓
https://twitter.com/inosenaoki/status/881370560105660416
テレビで見たけれど、あの「安倍辞めろ」コールはプラカードなどから、共産党の組織的な行動ですね。
ところがふつうの視聴者には、「辞めろ」はあたかも都民の声と聞こえてしまう。
http://netgeek.biz/archives/99004
安倍やめろの巨大横断幕、しばき隊が2015年につくったものと一致。集団の正体が明らかに
500円
https://twitter.com/_500yen/status/882396914074779648
【計画的選挙妨害】大阪市民の籠池夫妻は都議選の選挙権がないのに上京して、TBS記者と横川圭季がタクシーに同乗。
秋葉原演説会場では、籠池泰典を謎のメガネ男が、籠池諄子を青木まり子が、しばき隊の野間易通たちが陣取る場所まで案内してる。
籠池泰典の掌には、事前にセリフまで書かれている 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:f1e341b6e67733c1327767e988175bd8) 蒲生氏郷が畿内から会津の田舎に大幅加増の転封になったにもかかわらず、
あんな田舎に飛ばされて俺はもう終わり、と嘆いたそうだが、それに近いものがあったのかもしれんぞ。 将軍殺しなんだぜ〜って信長と久秀が
ゲラゲラ笑いあってる時代だからな
主家への謀叛なんざ日常だったわけで
信長自身何度も何度も裏切りにあって
生き伸びてたの過ぎない
明智の謀叛も今なら好機!程度の理由でしか無いよ 岐阜県 - 地名由来辞典
織田信長は当時「井口城」や「稲葉山城」と呼ばれた城下町の井ノ口を岐阜と改め、
日本のまん真ん中は美濃より天下統一をめざしました。
その昔、中国の文王が八百年の天下泰平の世を築きました岐山の「岐」と
学問の祖、孔子が生まれた曲阜の「阜」をとって岐阜と名付けました。 左翼マスゴミに好き勝手にやらせたら民主党政権時代の円高デフレ政策の二の舞になって日本の輸出産業は壊滅状態になって韓国の輸出産業が絶好調になるわけだが
シャープや東芝がああなったのも民主党政権時代の円高デフレ政策の時のダメージがあまりにも大きかったせいです
神戸製鋼や日産のスキャンダルも仕掛けたのは左翼マスコミに巣食う在日チョン。彼らは日本の産業を叩き潰して韓国が利する展開にしたいんだよ
売国サヨクマスコミから一番被害受けるはずの企業が左翼マスコミに金を流し続けるのが悪い。もうテレビや新聞に広告出すのやめろよ!企業がテレビや新聞に広告出し続けるのならそれはもう売国であり反日だよ!
百田尚樹 戦後、日本のマスコミと野党はゆっくりと韓国化していたが、この数年、そのスピードが急速に増してきた。彼らに論理は通じない。あるのは感情だけ。
https://twitter.com/hyakutanaoki/status/974571589487349760
ひたすらに倒閣運動にいそしむメディアの自殺行為
http://www.sankei.com/politics/news/170724/plt1707240004-n1.html
憲法改正を恐れ、ひるみ、印象操作か メディアは「言論の自由」と「風説の流布」をはき違えるな
http://www.sankei.com/premium/news/170728/prm1707280007-n1.html
NHKが腐ってる証拠映像集 - 国民が知らない反日の実態
https://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1029.html
【青山繁晴】NHKがなぜ反日偏向報道を繰り返すのか
https://www.youtube.com/watch?v=_D-9ahl4tIw
【直言極言】どこまで続く?NHKの反日売国行為
https://www.youtube.com/watch?v=UrayRu8AXlk
安倍政権を倒そうとしている売国サヨクマスコミに金を垂れ流している売国企業を叩き潰そう!中韓や在日利権の尖兵と化している売国サヨクマスコミを叩き潰す事は国として急務!
広告宣伝費が多い=売国サヨクマスコミに金を垂れ流している売国企業のトップ15です
これらの企業の商品は絶対に買わないでください。これらの売国企業の商品について常に悪い噂を流し続けましょう。安倍さんより下の年代はもっと右なわけで、そういうこれからの日本を引っ張っていく層を企業は敵に回す気か?
↓
広告宣伝費が多い=売国左翼マスコミに金を垂れ流している売国企業トップ15
1位トヨタ
2位ソニー
3位日産自動車
4イオン
5セブン&アイ
6ブリヂストン
7マツダ
8武田製薬
9パナソニック
10リクルート
11NTT
12花王
13三菱自動車
14富士重工業
15キャノン
↑
この中で一番悪質なのはトヨタです。「日本死ね!」の史上最低のクズ売国奴の山尾志桜里を当選させたのはトヨタ労組の力です
そして反日売国新聞の中日新聞に対してもトヨタは影響力を持っています。山尾を支援した売国企業のトヨタを倒産に追い込みましょう
愛国者が1人、売国トヨタの内部告発すれば売国トヨタを倒産に追い込めます。山尾を支援した事を売国トヨタに後悔させましょう
一部メディアのすさまじい偏向の狙いは「倒閣」にある! 安倍首相は本気で対抗策を打ち出してはどうか?
http://www.sankei.com/politics/news/170714/plt1707140017-n1.html
【小川榮太郎×上念司×ケントギルバート】偏向報道マスコミに激怒!TBSを放送法違反抵触で公開処刑!報道ステーションにも異議あり!サヨク系論客との公開討論は?
https://www.youtube.com/watch?v=5steatrZuCc
加計問題、一部メディア「大本営発表」の正体 嘘も100回繰り返されれば真実となる
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170729/soc1707290001-n2.html
.加計問題で「悪魔の証明」求めるメディア 筋違いの首相会食批判も懲りずに「1月20日問題」追及
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170729/soc1707290002-n2.html
加計学園問題の偏向報道に北村弁護士がド正論!「日本のマスコミは終わっている!加戸さんを報道しないのはありえない!両方の論拠を出し国民に判断させるのが本来の報道!」
https://www.youtube.com/watch?v=1wcEQNvH8B8
「安倍総理は無罪って分かってるけど視聴率がとれるからやめられない」夏野剛がテレビ局ディレクターに聞いた話を暴露
http://netgeek.biz/archives/100699
.加計問題は「朝日新聞のフェイク(ニュース)」 夏野剛氏が指摘したメディアの「マインド」
https://www.j-cast.com/2017/08/07305336.html?p=all
前川氏答弁が加戸氏発言の25倍超だった!加計問題でテレビ報道に異議アリ 民間団体がBPOへ告発検討
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170821/soc1708210002-n1.html 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:f1e341b6e67733c1327767e988175bd8) >>453
潔癖症の神経質だったのは間違いない。
極度の掃除好き。屋敷に小さなゴミが落ちてるだけで一日中不機嫌。 >>448
年くって来たから分かるようになったが
新規立ち上げばっかやらされて
整えたハシから転属転属って繰り返されるのは
若いうちはいいが
年取ったら無理じゃわw
で、明智さん最高齢っていうw >>396
こうだろ
織田信長 → 小沢一郎
明智光秀 → 野田佳彦
双方の末路も似てる
野田なんてのは今じゃ山中を一人でさまよってる落ち武者そのもの まぁやっぱり突発的にだと思うな
近くに無防備な天下人がいて、かつ重臣がみんな戦いにでかけてる情況
みんなだって強姦はしないと思うけど、まわりに人がいない情況で裸の女がいたらするだろ? >>361
信長はいつも小姓達だけ少数を率いて移動しては、現地で兵を集めて大軍を率いて進軍していた
という説もあるそうだぞ
本能寺もそうする予定で、特に不自然な行動とは思わなかったんだろう >>455
会津は海路が無く、水路舟運も開発遅れていただろうからね、しかも阿賀野川と阿武隈川だけ
一方で当時の山陰は石見は銀山があり、出雲は鉄鉱山と美保関の交易港があり富裕だった
山陰は昔は太平洋側より海路が交易に接続していてその後も江戸時代はメインストリーム、別に左遷ではない 光秀の信長愛が極まり過ぎて
信長を自身の手で殺す事で、信長を永遠に自分だけのものに
したかったのだという俺説は未だ日の目を見ない >>447補足
>現岐阜県羽島郡笠松町
羽島郡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E5%B3%B6%E9%83%A1
>明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行のため、羽栗郡・中島郡の区域をもって羽島郡が発足[1]。 >>441
久秀と並ぶ戦国悪人の宇喜多直家が臣従してきたときは
受け入れた秀吉に「勝手に臣従させんじゃねえ!」って激怒したんだよなあ
ほんとワケわからん >>444
光秀には早い段階から
明智じゃなく惟任の性(九州に縁がある)を使わさせてるから
信長は少なくても九州攻めるきマンマンだった。
治めさせる気も満々だったであろう。 >>457
そう言えば岐阜駅に信長像が有るね
俺は南口から降りない用事でしか行った事がないから一度も見てないけど >>469
直家が悪人なら毛利元就は大悪人になるな。
講和してから毒殺が必殺技だし。 筑前守、日向守、惟任、惟住その他諸々
信長が「使える」と思ってる連中には後の九州攻めや大陸出兵に向けてそれらしい肩書を与えてる >>464
信長信忠ともに兵を京で集結させる予定だったみたいだよ
しかも、城と違い町屋に分散して集結地としては不適当だった模様
しかし、山城国は軍事拠点が当時はめぼしいものが無く、京都にするほかなかったんじゃないかな
政治的なイベントとしての恫喝もやりたかったんだろうし 信長が大陸出兵というけど、根拠となる資料は無いよな? 戦国一の男の娘である長宗我部元親ちゃんが好きすぎて身を滅ぼしたおっさん >>12
信長をやれそうだからやった
後は野となれ山となれってやつだな
立場は違うけど後の事を考えなかった点で呂布が董卓をやったのと変わらん >>416
軍事演習でそのまま北朝鮮に攻め込んだようなものか。 >>35
門番くらいの職は貰えたと思ふ。
受付嬢はブスじゃなれない
せむし女 >>473
直家のは家族を殺した奴とその仲間に対する復讐だが
元就はそういうのないしな >>460
切り取りって言うけど、先に自国の領地2カ国返上してからの話だし。
戦に何年もかかったら給料も出せない。
というか、もう二度と買える場所のない戦みたいなもんだ。
これはプライドとやる気の問題じゃないだろうなあ、信長が光秀にやろうとしたことは。
ほんとに意地悪でやったのかはわからないけど。
あの人、自分の言葉の真意を汲み取れないタイプは嫌いだからな。多分。 >>467
wwwwwwwww
その説をちょっと支持したいw >>471
南口なんてあるのかよ
湿地帯だと思ってたよ南側は
仮にあったとしても利用者比率は
北5800000:南13
くらいだろうなあ
じいさんが南に向かって歩き出したら
ちょっとちょっとじいさんそっちは何もありませんよもしくは湿地帯ですよ
死にますよと 宇喜多の臣従に関しては、領地安堵まで秀吉が確約しちゃったからそれを嗜めた程度
裁量の範囲の再確認みたいなもの >>469
敵であったことは気にしないが
相手の人間性の好き嫌いは有るようだな
そういう場合は容赦しないんだろ
有る意味女性的 >>467
細川さん家のヤンデレ忠興くんじゃねーかよw 信長公記で意気揚々と「御一層次第中国へ罷り立つ」と書いてある、信長に一掃される予定だった人
毛利、長宗我部元親、家康など(の手の者)にひっくり返された
それが本能寺の変 >>469
自分でコントロールしなきゃ気が済まないんだろうね。
特に部下の勝手を嫌がる。 >>480
確かね、硝子窓みかけて「あっ、割るか」、コンクリート壁みかけて「落書きしたろ」的に
「あっ、信長、数住人で寺に来てんの?やれるな、やっちゃうか」みたいな
それも有り得るよね、信長の油断がそもそもの原因だわ、アケメネス朝ペルシア帝国の大王も同じようなピンチがあって常に常備軍を万人で持っておかないとに改まったらしいけど >>135
本能寺の変の真相を知っている可能性の高い安国寺恵瓊瓊は家康にとっては目障りな人物で
家康本人の殺したい理由でしょうな
関ケ原前後から突然に現れた家康の参謀役の怪僧
南光坊天海の明智光秀説も浮上して来ました まあ滝川一益も、桑名から海が無い群馬県に転封されてたんだよ、織田家はそういうもの >>487
お前は世界的に有名な金津園というものを・・・
まあ爺さんが死ぬかもしれないというのは当たってるが ミッチーも本能寺の変の直後に死んだから好き勝手言われて大変だな
メジャーどころだけでも
・義昭陰謀派
・秀吉陰謀派
・家康陰謀派
・長宗我部陰謀派
・本願寺陰謀派
・朝廷陰謀派
・なんとなく派
これぐらいあるんだから困る >>502
永遠に答えは出ないのが良いんでしょうね 今の価値観で歴史の価値を決めるべきじゃないと思うけど
信長が死んだせいで秀吉が再統一するために余計に人が死んだのは確か >>502
まあ、本能寺はみなさんの心の中で燃えてるということでよろしいのではないでしょうか 本当に室町幕府再興をもくろんでたなら
変の後に義昭を京都に呼び戻すとかもっと全面に出すと思うけどな 単純に動機は四国問題で、遠からず佐久間同様の失脚を考えての
明智の単独か斎藤の主導だろ
幕府云々は事後の味方を増やす為の算段や方便でしょ 戦国なんて太平記のごたごたに比べたら、整然としたもんよ 織田信長が「天下統一」を果たしたら「唐入り」しましたか??
織田信長が「日本統一」後に「唐入り(支那征服)」を行おうとしていたという
「史料」は当時の「公家、キリスト教宣教師」の書簡などにあります。
秀吉朝鮮方面軍、家康琉球方面軍で支那征服の構想は有った。
恐らく「豊臣秀吉」もその構想を引き継ぎ「唐入り」を行ったのでは?と
推察されていますが・・・
結局、明智光秀は日本の古来からの伝統、秩序、を重んじ
織田信長はこの世には無い全く新しい体制秩序を
ヨーロッパ宣教師からの知識で東洋の秩序作りを考えて支那征服を構想していた。 >>465
毛利との最終決戦の場を作っておいて
そこへ信長を出陣させて手柄を総取りさせようとしたからな。
あそこを秀吉ひとりの手柄にしてしまうと遠からず友愛されるところ。 >>22
「割れてる」というのは、左翼リベラル系と右派保守系どっちも、大東亜戦争勃発の諸要因のうち自分に都合の良い要因だけをピックアップして原因論を
語るからだろう。リベラルは、当時の軍部官僚の暴走というところだけに焦点合わせ、右派は、当時の日本の置かれた国際環境のシビアさとくにアメリカに追い詰められた、という面だけをことさらにクローズアップし、
大東亜戦争肯定論(あるいは戦争不可避論、コミンテルンの陰謀論)を唱える、どっちも一面的 事後、明智方に味方したのが冷や飯食いとか追放された奴とかしかいなかったから、明智の人望の無さまで揶揄されてるよなあw
せめて縁者の細川ぐらい味方してくれていれば 筒井も細川も誰もついてこないからヤバいと思って苦し紛れに書状送りまくっただけだろw つか確かに室町幕府再建させるって新文書みつかったけど、これは建前で
本当はノッブが鬱陶しかったから殺したのが真相だろうな
さすがに私念でやりましたって、各大名に書状送っても信用されんし とある美少年の側近を巡って愛憎が渦巻いた、正に業の炎による事件なのだった・・・ パペポであれ面白かったな
上岡:信長殺しは光秀ではないです
鶴瓶:光秀って習ったで
上岡:それはウソを教えられているんです
〜
上岡:で芝居なんかやとそこで森蘭丸が信長に声をかけるんやけど
鶴瓶:森蘭丸ゆうたらちょっとオカマだった人でしょ
上岡:ちょっとやあらへん全部オカマや
鶴瓶:えっ? ちょっと待って下さいあなた信長殺しは光秀でないという壮大な話をしておいてですよ
上岡:はい
鶴瓶:なんで森蘭丸がオカマやて分かるんですか
上岡:‥‥ 信長のことが好きすぎて好きすぎて好きすぎて
だから殺すね…っていう漫画センゴクの光秀は面白かった >>500
?????
滝川一益は関東御取次役に命じられてるから
あそこに領地もらえたわけで、
本能寺の変が起きなければ
あのあと北条の領土からかなりの部分を貰えて大出世した可能性が高いのだが。
北条は織田に臣従を申し入れていたが、信長は受け入れてなかったし
武田と同じように潰す気だったんだろうし。 >>509
力こそ正義の戦国
正義の定義がコロコロ変わる南北朝時代
圧倒的カオス感w クーデター成功させたあと「ズッ友だよね」って親友に書簡送ったら
既読スルーされたでござる >>510
本当かね〜
キリスト教勢力が豊かな中華を征服したくて、その戦力を日本人を布教で洗脳することで調達しようとしてた向きもあるじゃない? 家康がそそのかしたんじゃん。
大河ドラマ「秀吉」で観た。 動機は長宗我部問題と旧領を改易の上で毛利領の出雲岩見を切り取り次第
という嫌がらせを信長から次々とされたから、佐久間・林のような末路になるのも
時間の問題だと考えて謀反を起こしたというのが割と自然な解釈だと思うんだけど
これに対して何か異論があったりするの? センゴクて終わったん?
完結したら古本屋で大人買いして読もうと思ってる作品の一つなんだけど >>516
「室町幕府再建」なんてことは、足利将軍家の1番の家臣だった細川家への書状には一言も書かれていないというw
細川も筒井もついてこないとわかって、苦し紛れに幕府再建が大義名分と言い出したのがバレバレ >>526
>旧領を改易の上で毛利領の出雲岩見を切り取り次第
光秀が率いていた武士団は丹波の連中だから、そもそも毛利責めの時点では旧領を改易なんてされてないそうだ
「改易されてたら光秀に手下いねえだろw」っていう・・・ 信長に不満があっても、領内は平和に成り開発が始まり、関所や惣村や座が弱まり、流通が促されて在地の税が整理させて減税化されて
「天下布武」に代わるビジョンも無いのに信長殺しても誰もついていかない訳だよ
「あいつ、ネタじゃなくてマジでやっちゃったよ、やべまじやべえ」って感じでしょうね、天下様への逆賊とかイメージ悪すぎて誰も乗らない
逆臣を討つ!
って方に乗るかどうか様子見たろ、この辺が細川・筒井でしょ 信長「貴様、さては朝鮮人だな。朝鮮のヒヤマイとやらを見せてみよ、ホレ」(冗談)
光秀「では、仰せのとおりに……」
―というような会話が、信長公記の第16巻から漏れていたらしい。 >>526
どうなんだろな。
信長に反抗するにしてもそれなら単独じゃなくて
毛利領を地盤にしてから毛利側に裏切るんじゃね? ガキの頃に観た大河ドラマ秀吉がキッカケで
歴史に興味持ったけど、その時の各人物のイメージの刷り込みの影響は
未だに小さくなく、光秀はイケメンで良い奴のイメージが頭から離れん。
秀吉に関しちゃ、あんな信長ラブの明るい善人じゃなくて
利に敏く、そのために自分が人にどう接すれば人を上手く操作できるかを
考えて行動する、サイコパス的な抜け目のない男という印象に
変わっていったけど 家康、光秀と連絡取り合ってた
予め伊賀者200名近く待機させ、甲府侵攻時の大恩人梅雪殺害、帰国後数日で甲斐侵攻
織田家重臣甲府番、川尻秀隆殺害・・・駿河拝領の礼どころか、反織田の牙むく
金柑「室町幕府再建して自分の権力は総て細川の婿殿に譲る(だから助けて)」
細川「無理!」 もうちょっと、死ぬにしてもな。
白装束で秀吉の前で持論を述べるとか。
誰も知らんうちに土民たちに殺されちゃったってのはなんかもの哀しい。
俺が子供ん時は基本的に逆臣の象徴で、一部の好事家や研究者以外に彼を擁護する向きはまずなかったなあ。 >>528
足利を見捨てた幽斎に説得材料として足利再興で連れると思ったなら書いただろうな >>420
明治クーデターでいきなり皇軍を預けられても采配の振り方も知らんだろw
天皇様は なんでそもそも東海道は和歌山位から続いてるから、いろいろあるってのが大阪の歴史だし
それは極東ていうだろ世界が、困ったやつはたいていそっち行くていう議論で一致してることだよ >>541
逆に言うと、細川が味方につかないとわかったから足利再興と言い出したわけだな >>541
彼のような頭の良い友人に書くようなことじゃないな。
見透かす以前の問題だろう。
追い詰められてたんだろうな。 義輝が殺されてなかったら、室町幕府はもっと続いていたんだろか 俺がタイムスリップして小栗栖の竹やぶに入る前の光秀に訊いたら
光秀曰く「だって戦国じゃん」って言ってた。 >>550
三好の傀儡になるか
義昭と同じ逃亡生活よ。 >>524
戦国時代のルソン交易商人からフィリピンはスペインに征服され
台湾にはオランダが征服中だと情報が有っただろうし
ちょうど日本が満州方面のロシア軍が迫って、焦った日本軍が朝鮮征服に行った様に
当時中国は満州のヌルハチに攻められ混乱状態、
焦った他国の宣教師たちが信長に唐入りをそそのかしたのは違いないだろね。 >>543
軍を東に進めれば勝てると思っていやがるw
アメリカと戦い討ち死にしてやがんのw
バカみたいwww 光秀って案外馬鹿だよな
信長死んだかて
他大名が従うわけないやろに
オマエのネームバリューは織田家でしか通用しない厨二 >>29
発見された文章でその説で確定しているだろ
長宗我部元親を殺らせたくなかった
だから>>1の説は的はずれ 明智光秀って賛否分かれる人物だよな。
有能説もあるし。
自分の母を人質として差し出したりとか、
何を考えてるのか分からんとこもある。 朝廷黒幕説が事実なら、光秀が細川幽斎を説得する書状に
その旨をそれとなく書くはずだと思うけどな。幕府再興を
大義名分にしても>>541の通りスルーされる可能性が高いし。 クリスの祖母の「土岐」という名字。土岐家は鎌倉時代から続き、光秀はこの土岐家の血筋であるという。
祖母の墓石に桔梗紋が入っており、過去帳に記載されているのは4代前の高祖父・土岐頼敬(よりたか?)氏まで。
過去帳に書かれている方々の戒名がいずれも「院殿」(戒名の最高位)であり、相当に家格の高い家柄である。
明智土岐家は江戸時代から大名家として系図を書き継いでいるのでペプラーさんの高祖父「頼敬」の書かれた系図
が存在する可能性がある。明智土岐家の系図には残念ながら頼敬は発見できなかった。これで捜査は行き詰まり!
これまで守護土岐家についてはノーマークで、どのような系図なのか知りたくて、念のため確認してみた。なんと、系図
の最後に頼敬を発見! 記載されている菩提寺の名も一致しており、間違いなくペプラーさんの高祖父である。
明智光秀の実子という説もある土岐頼勝(高家に列せられる)の直系の子孫になることもわかった。 >>480
当時でも有数の教養人にして有能な軍司令がそんな思いつきでやらかすかねえ… 有能なのは間違いない
主君殺して自分もすぐ滅ぶという、終わり方だけがどうにもならないくらい失敗した人 司馬遼太郎の「国盗り物語」を読むと良いよ。
光秀を描いた小説の中ではベスト。 >>558
信長の下で有力大名まで
出世した、その地位や利益を捨ててまで
長宗我部に肩入れするような動機って
光秀にあったん? >>558
元親はそんな重要な人物なん?
田舎の大名枠だったような >>565
まあ、大きく歴史を変えたのは間違いないし、
本人もそれを自覚してたかもしれない。
その後のことは、その時は考えとらんかったろうな。
京に上って天下人名乗るしかないってのもこの人の場合他に選択肢ないしな。 >>564
有能な人だったからこそ
事後処理の杜撰さが際立つ 室町幕府の 再興目指す クーデター
(´-`).。oO(時は今 天が下知る 五月だよ...以外も句を残してたのね) 陰謀史観をネタにして観光客を呼び込む魂胆か、松江なんて何の関係もないだろうにアホだなあ 信長、家康、秀吉の三人が揃ったタイミングで三人とも殺せば良かったんだよね。 >>564
ところがどっこい秀吉の中国大返しがなければ成功していた可能性高いんだよなあ。
>>565
有能な人ほど主君を殺して自分が主君にのし上がってた時代。
それが戦国時代ですよ。 四国に関して三好支持の羽柴と長宗我部支持の明智の対立
で、そこで破れた上に中国に行って羽柴の援軍
キレたのかも知れんねwww しかし土岐や瑞浪らへんの「明智」
あれは本当に明智光秀の明智なのな
おれは歴史を知らないから
また田舎者が名所っぽい偉そうな名前引っ張ってきやがって
犬山の桃太郎神社かよと思ってたよ 俺は常日頃からむかついてたけど暗殺計画とかは企ててなかった
そんなある日やれるチャンスが偶然きてしまってついやっちゃった!!
って感じだと思う
やったあとに連携するように動いた勢力ないし >>576
そんなの戦国なら沢山あると思うけど
縁故のある延暦寺ではなんでキレなかったの? 正攻法でやっても勝てない相手を騙し討ちで暗殺という手段は間違ってない。
石田三成も家康を暗殺すれば良かったんだよな。 >>573
松江城は現存している城の中ではなかなか良いものだよ 「1573年で足利幕府が滅亡した」…的な学校教育を受けてるから「本能寺の変」がナゾみたいに思えるが
足利義昭が京都を追放された後も、副将軍・毛利輝元の庇護を受けて「鞆幕府」が実質的に存続してたわけでね
京都の室町幕府時代と同じく、寺社の任免権やその他の権力も足利義昭が行使してたわけだからさ
そうすると「足利将軍を蔑ろにする逆臣の織田信長を誅殺した、足利幕府の忠臣の明智光秀」という見方もできる
明智光秀の予想外だったのは鞆幕府の副将軍である毛利輝元が、秀吉と戦わなかったこと
もしも明智光秀の想定通りに、毛利と明智で秀吉を挟撃・殲滅できていれば……歴史は全く変わっていた >>576
見限られつつあるって自覚したのかもね。
信長の場合、追放で済まんし。
恨みつらみもあるんだろうけど、当時の家臣仲間も競争もあるのかもな。
いくさやってなんぼの武人だし。
今なら「カッとなってやった」程度の動機だったかも。 >>567
長宗我部征伐で光秀はメンツを潰さ
れたから。
あの時代メンツを潰されたら相手
を殺すなりしても恥を雪がないと
社会から馬鹿にされ相手にされなく
なる。赤穂藩が吉良邸に討ち入る
必要になったのもこのメンツってや
つな そうだと思っていたが、証拠が出てきたのなら確定だね。
信長は伝統の破壊者だったから我慢ができなかったのだろう。
明智光秀ファンとしては嬉しい。 光秀は自分が思っているほど
自分の与力、組下等々の心を掌握しきれてなかったんだろうな。
風呂椅子の光秀評とかも踏まえて考えると、信長の心は
掴んでいても、周りからしてみれば光秀の狡さはアカラサマすぎたり
したんだろ。
そんな周りの光秀に対する評価が、本能寺後の孤立に繋がった所は
あるのかもしれない 毛利から降参したいって言い出して後は条件交渉
という段階の毛利が明智や足利のために危ない橋を渡るはずがない 昔に嘉吉の乱があったりするのに信長も油断し過ぎなんだよ ちなみに光秀の家臣として働いた幕府の奉公衆でも、
伊勢家は名門中の名門だが、
その伊勢氏出身の戦国大名が伊勢新九郎、北条早雲。
丹波・山城・近江の明智
三河遠江駿河の徳川
関八州の北条、
そして四国の石丸家の長宗我部と、
幕府の奉公衆はかなりの勢力を有していた事が分かる。 >>585
いやメンツなんてwそれ以前も考えてないだろ
たかだか交渉役が秀吉よりに傾いただけでな
長曾我部だぞ長宗我部
田舎大名
それで謀反を起こすメリットなんてないよ >>584
信長家臣団で信長に本当にクーデタ
起こせそうな存在だったから光秀
は。光秀の領土や影響あった連中を
動員したら畿内で五万六万集まり
そうだったから。
信長からしたらそんなやつが近くに
いては目障りだろ 秀吉が、京都に
御土居・妙顕寺城・聚楽第・向島城・淀城・伏見城とか築城したのも本能寺の変のせいだろう 光秀が死に方も怪しいんだよな
死なずに徳川に匿われた可能性が高い 今と違って通信手段も無いんだから京のたった今リアルタイムの事情は分らず
本能寺を攻めたとき信長が必ず居るかどうかは賭けだっただろうな
万余の軍団が京に進撃するを発見される恐れもある
よく実行してよく成功したものだな >>577
明智町明智鉄道明智駅あるけど出身は名鉄明智駅辺りの出身なんだってな。 長宗我部のために信長を殺したとか
そこまでの愛情
そこまでの縁も義理もないのに
なんで長宗我部説が上がるのか分からん 黒幕は秀吉だろ
織田信長殺して得したのは誰だったのって話 >>587
まさか秀吉がわずか10日で引き返すなんて思ってなかったんだよ。
光秀が毛利に向けて送った密使をたまたま捕縛したためにこうなった。
予定どおり密使が毛利にたどり着いていたら秀吉は中国で釘付けになってた。 >>592
あの時代メンツやプライドが尊ばれ
るからいまと違って。しかも自分が
懐柔して担当してたやつを滅ぼすって
話になれば今後自分を頼ってくるやつ
いなくなり結果、信長にも切られる可能性も出てくる。 光秀の子孫の本のアレは
信長は家康を殺すために光秀に秘かにに命じていたが
光秀が裏切って信長を殺したって奴は
家康を殺したら毛利と徳川の二正面作戦になるので
あのタイミングで無理に家康を殺す意味はないって
まっとうな反論にはどう返してるの? お題目を掲げてお仲間を集って決起して要人をぬっころすまでは良かったけど、
その後の展望がほとんどなくて粛清されましたって、226事件みたいやね >>575
> >>564
> ところがどっこい秀吉の中国大返しがなければ成功していた可能性高いんだよなあ。
そう思う
それと光秀の発作的犯行ではなくて、背後に朝廷いただろうが、光秀敗北と同時に一切の証拠は隠滅したんだろう
皇族公家は蜥蜴のしっぽ切りがお家芸 >>602
いや普通に多方面で懐柔するのは当たり前だろ >>568 何処がおかしい??
フィリピンに到達した初のスペイン人は1521年のマゼラン率いるスペイン船団である。
16世紀中期、ポルトガル船が台湾近海を発見が国立故宮博物院の1542年、
頼建国の1544年、中村孝志の1557年ころ
初代皇帝 ヌルハチ. 1559年生まれ、1626年没。1613年女真族を統一し、1616年には蘇子 >>600
その辺が甘っちょろいというか覚悟が足りないんだろうなあ。
もう後戻りできないんだから、そこは抑えておかないと。
そもそも光秀が上洛しただけで事が簡単に収まるなんて保証は一つもないのに。 >>594
本能寺も城塞だった。信忠いた妙覚寺
もしかり。法華宗の寺はあの当時の
寺の中では一番の軍事施設になってる天文法華の乱の影響で。 光秀の本能寺の変のせいで日本の国際化が300年遅れた。 ちがうよ
信長が光秀ちゃんに無理やりメイド服着させたせいだよ 明智のメンツなんてのは丹波攻めかなんかの時にとっくに粉砕されてたような気がする >>605
朝廷かどうか知らんが秀吉の大返しがなければ光秀は十分足場を固めて足利義昭を向かえ
入れてた可能性は高い。
案外知られていないが光秀はもともと足利義昭の部下なんだよね。 >>568
まぁ〜卑弥呼の時代から500年も経過すれば朝廷が名乗りを上げ
朝廷の時代から500年も経過すれば武士が反乱を起こし
武士の時代から500年も経過すれば商人が唆され
国民が卑弥呼を求めるのじゃ。 >>610
結果としてよかった。
あのまま国際化wしたら西欧の植民地になってたから。
信長を潰したのは大正解。 >>602
対毛利にしてもそうだけど、信長は「最初は懐柔しといて態度を変える」ってのが一つのパターン。
信長は光秀使って長宗我部相手になにか特殊なことをやったわけじゃないから。 >>614
言いかえると義昭を裏切って信長に付いたってことなんだが 天皇をじゃけんに扱わないよう注意しながら天下取りをする動きは面白い。 織田信長が構想していた海外進出は、どんなものだったのか?
www001.upp.so-net.ne.jp/t-saito_world/docum.../12a_nobu-kaigai-sinshutu.html
その1. 第2のイエズス会≠フ翼賛を得た壮大な征服計画だった!
キリスト千年王国を叶えるべく2000隻を超える膨大な 数の軍船を建造し、
明朝中国を手始めにインド、西アジア までも視野の内に入れたものだった。
123456789012345678901234567890123 □一次資料の『イエズス会1582年日本年報追加』に
信長の海外進出の構想は語られる 信長が海外へ打って出ようと構想していたことは、
つとに知られる。しかしその詳細が語られることは今まで無かった ...
http://www001.upp.so-net.ne.jp/t-saito_world/docum_03_world/w01_nobunaga_basic/12a_nobu-kaigai-sinshutu.html >>606
その懐柔して頼ってきたやつを裏切る
なんてことしたら筋通さず人の道に
反すると反発生むんだよ。
これは仕事してても分かる話。
東京都知事選で野党が宇都宮弁護士
にやった仕打ちは野党支持者の中にも
反発生んだでしょ?鳥越に一本化
するという合理的な理由あるけど
筋通さずやってしまったことが
大きな恨みを生んだ。人間は感情あ
るからやり方間違えると大きな
恨み生み出すんだ >>504
例えば開拓は最初荒っぽいことしなきゃいかんけど
ある程度まで実効支配進めたら次は現地人と
融和策とったり調整のできる秀吉的なキャラが
必要とされるので、時代の必然的な流れとして
信長→秀吉の主役交代があった >>619
二人とも裏切ったとも裏切られたとも思っていなかったんじゃないかなあ。
義明も本能寺の一報を聞いたらさすが我が忠臣をよろこんでいたし。 >>616
延暦寺攻めって発掘調査で大した攻撃をやってないのが判明してる
大虐殺のように言われたのは反信長陣営のプロパガンダ >>624
三国志の司馬仲達ほど手荒な真似はしないだろうけど、徐々に織田家の血縁を排斥していったろうね。 乱世になると天皇は豊かになって
平和になると貧乏になる >>622
そこまで重要じゃないんだよ長宗我部w
信長にしても元親を田舎の大名という認識でしかない
光秀も同じ >>622
松永弾正ちゃんとか裏切りまくってたけど意外と愛されキャラですぞ >>616
延暦寺が中立違反犯したから。
信長サイドは丁寧に下手に違反し
ないように申し入れてきたのに
延暦寺はそれを無視して朝倉や浅井
を支援したから。自業自得
それに延暦寺焼き討ちは先例すでに
あったし、延暦寺の横暴にみんな
手を焼いてたから。法華宗からした
ら延暦寺ザマーだっただろう。 >>617
信長秀吉時代の日本は世界最大最強の軍事国家だよ
軍団の動員数練度、兵器装備で、ヨーロッパに匹敵する国はない、
少なくとも東南アジアは丸ごと支配できたでしょ >>631
まあ、将軍に任命するのが天皇なんだから当たり前なんだがな。 >>569
元親の正妻は
明智家重臣斉藤利三と縁があり
石谷頼辰(斎藤利三の兄貴)の娘やで。
だから石谷は明智から長宗我部家の使者に選ばれたりする。
本能寺の変の後は長宗我部家に逃げこんだ。 >>617
以前は鎖国の260年はなんて無駄だったん
だろうと思ってたが、西洋化を受け入れる前に
しっかり国柄を固めておくのに必要な時間だっ
たんだなと近頃はつくづく思う 学芸員などという本で読んだ知識だけの明き盲に何が分かる
素人に毛が生えた程度の代物 >>618
それは秀吉も同じやで。
所領安堵で降伏させてから
保護にして北条氏政やその他一門を切腹させたからね。
氏直は家康のおかげで助かったけど。 >>637
「征夷」大将軍なのにぜんぜん蝦夷征討してないけどな >>607
秀吉死去 1598年
家康死去 1616年
ヌルハチが後金を建国 1616年
オランダのゼーランディア城完成 1624年
スペインのルソン占領以外は戦国時代の話じゃねえ >>617
中華人民共和国日本人自治区になっ
てたわ今頃。
>>618
毛利の場合は敵対してきたからじゃ
ないの?本願寺に泣きつかれ領内の
一向宗無視できなかったからだろ?
別所氏が配下の一向宗無視できず
秀吉に逆らったのと同じで >>617
逆だよ
あのまま西洋化していたら、欧州のどこかは日本の領土になってた
少なくとも東南アジア一帯の公用語は日本語になってた >>637
当時、そんなの無視して滅亡させる選択肢がなかったのかねえ? 黒幕は秀吉ってのは無いな
秀吉は別に織田家筆頭の部下では無かったしな
信長には息子いっぱい居たし、孫も居たし、
何より秀吉より上の先輩武将たちがたくさん居たしな
信長一人殺した所で自分に地位が回ってくるわけないよ
アレはやっぱり突発的な事件で、一家の危急存亡の秋だったからこそ、能力が一番高い人間にチャンスが回ってきたって感じだ >>638
だから殺したとw
ぜんぜん信憑性がないんだけどw
重臣に縁があるから
明智家の命運を賭けてまで信長を殺したと
うーん全然なんでこの説が上がるのかわからん >>622
「人の道がー」とかいうなら、そもそも、光秀の主君裏切りに縁戚関係にあるはずの細川含めて
みんなドン引きして誰もついて行かなかったんだけどなw
「信長が人の道に反する裏切りをやるとんでもない奴だ」と当時の人間が認識していたなら、うまく
畿内をうまく固めて秀吉の大返しにも対抗できたんじゃないかな。 >>636
だから宣教師という名の西欧侵略者軍団としては、危険な信長を潰す必要があったわけ
信長暗殺には、南蛮由来の爆弾が使われた説がある。 >>639
鎖国は清を初めとして東アジア諸国の一般的な政策だったが日本以外の国はすべて近代化に失敗したのがまた面白いところ。 >>636
いやいや、西欧の近代兵器には絶対に勝てないよ。
当時の日本には、遠洋航海の技術もないし、だだっ広い大陸で兵站を維持する能力もない。
井の中の蛙よ。 >>603
徳川と毛利はグルだぞ、長州の上級武士は三河出自
絶対に対立しない
明治維新とは江戸の三河武士から、長州の三河武士への国譲り
徳川と毛利は裏で繋がっていた
源頼朝の側近が大江広元だったように、徳川の側近の酒井は大江広元の五男の家系、萩氏庶流ではないか
家康が生まれた岡崎の平安時代の領主、高階惟長の嫁は大江広元の娘だった
実は明治政府というは三河国宝飯郡萩に隠れ住んだ南朝落人の政権で、同じく南朝系を称した徳川政権から禅譲されただけ
譲られただけだからこそ江戸城は無血開城され、今までどおり東京が首都になった
徳川幕府は崩壊していないわな
http://books.google.co.jp/books?id=RVXyIQq5VMYC&pg=PA46&lpg=PA46&dq=%E4%B8%89%E6%B5%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80%E8%90%A9&source=bl&ots
=tYDHrH7uuT&sig=fBVt13JJ3pGPoJN1o7c5a6G4XE8&hl=ja&sa=X&ei=bHggU5HHKImgkgWuoYD4Bg&ved=0CDkQ6AEwAw#v=onepage&q=%E4%B8%89%E6%B5%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80%E8%90%A9&f=false
>三河の萩の南朝の末裔が、大江氏に連れられ長州に移り住み、三河の萩を忘れない為に萩と名づけた
三河国宝飯郡萩と大江広元(毛利氏の祖)
大江忠成(海東忠成)
・鎌倉幕府評定衆
・大江広元の五男
・三河の藤姓熱田大宮司家に養子入り
・熱田大宮司
藤原実範(三河守)→季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→範忠→忠季→忠兼→海東忠成(養子入り)→萩忠茂(三河国宝飯郡萩、萩大宮司))、 最近では長曾我部との関連説が有力なんでねえの?
姻戚関係やその後(春日局の厚遇)を考えると重臣の斎藤に引きずられた感が強い
光秀自身はそこまでクーデターに乗り気じゃなかったかもしれん >>642
徳川幕府に至っては幕末に「征夷」しなかったしな。
それが権威の直滑降低下の原因かもしれんが。 >>636
それは、火縄銃の数だけでいえば、当時の最大の軍事国家だとはいえますけどね。
私も何回も書きましたが。 >>636
どうかなー
秀吉が朝鮮出兵してボロ負けして帰ってきたじゃん
半島すら支配できず中国制覇とか夢のまた夢だったじゃん
けっきょく戦国時代の戦なんて日本国内の約束事の上でしか成り立たない陣取りゲームに過ぎなかったんでしょ 信長は部下を信頼しすぎる性向があったんだよ。
普通はあの規模の軍隊だと半里毎に伝令を置いて監視させてる。 そもそも室町幕府って本能寺の変時点で滅びてないんでしょ 信長討った後が杜撰すぎて
いまいちそういう壮大な計画があったとは思えない 明智が長宗我部を大事にしてない的な
アホなこと書いてるのが偶にあらわれるけどな
それは大きな誤解やで。
少なくても斉藤利三は明智家の筆頭家老。明智秀満と同レベル。
その兄貴の娘が長宗我部元親の正妻なんだからめっさ配慮してるで。 光秀は赤穂藩の浅野みたいなDQNではなく教養人で、確か堺の豪商たちとも付き合ってて開明的な人物なんだよな。
信長を殺せば親戚の細川はじめ有力諸侯が絶対に自分に付いて来ると思ったんだろうな。そこで室町再興の書状を出して正統性を強調。
だが時はすでに信長が君主のような存在になっていたから、誰も付いて来ない。
下克上の時代といっても、君主殺しは大罪と明智以外は認識していたんだと思う。当時珍しいぐらいの教養人武士がそんな判断をしたのはマジで謎 >>648
> イエズス会黒幕説じゃなかったのかよ
サスケはイエズス会のスパイで、信長暗殺にかかわった説は濃厚にある
事実、サスケはなぜか信長の「デスマスク」を取っている。死んだことを、
本国に報告する必要があったということ。
ようはあのまま信長を生かしておいたらまずいと思ったヤツらが総出で、
信長を罠にはめて、本能寺におびき寄せてそこに仕掛けた大量の爆弾
で仕留めた
秀吉も光秀もグル。場合によっては家康もかかわっていた可能性はある。 >>646
ない。
戦国時代は世が乱れに乱れていたにも関わらず朝廷の権威は絶大だった。
戦をするにもいちいち大義名分が必要でその大儀を朝廷が握っていた。 朝廷からの密命だったとかナントカ
昨今の騒ぎはなんだろうね
贄が小さいのかなぁ? どうも、おかしいね
改竄のせい? 信長の構想は、一次資料たるイエズス会の『1582年日本年報追加』に、
そしてまた、ほぼ同文が『日本史』に見える。引いてみよう。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/t-saito_world/docum_03_world/w01_nobunaga_basic/12a_nobu-kaigai-sinshutu.html
信長は毛利を平定し、日本六十六カ国の絶対君主となった暁には、
一大艦隊を編成してシナを武力で征服し、諸国を自らの子息たちに
分ち与える考え(計画)であった。(括弧内は「年報追加」における文言)
秀吉は、関白に任官された天正13年(1585年)、早くも唐入りを表明していたことが、
家臣の一柳末安へ宛てた朱印状で確認できる。
それには、「秀吉、日本国は申すに及ばず、唐国迄仰せ附けられ候心に候歟」とある。
本能寺の変からわずか3年後、九州、関東、東北が未だ服属していない段階であるにもかかわらず、だ。 >>646
無視してた連中がことごとく弱小のうちに滅んだりしてるから
なんだかんだ言って大義名分がないと天下取りが出来ないという空気になってたんだろう
織田家は親父の代から天皇家や公家に付け届けしてたような家系だし
天皇の威光で戦を有利に進めたりしてるから排除という選択肢はなかったように思う >>655
それ普通に家臣の謀反の謀反じゃないか?w >>659
フビライハンだってまさか日本やベトナム(だっけ?)に負けるとは思って無かっただろうよ
それと同じで外国と戦争するのって難しいんだよ この最中に津田信澄が謎の流言飛語を信じた信孝と丹羽長秀にやられた
誰だろな噂流したの?(あいつしかいないだろこれ) >>653
関ヶ原の合戦で使われた鉄砲の数は東軍西軍の片方だけでも
同時期の西欧にあった鉄砲の総数を軽く上回ってる
ちなみに軍隊における鉄砲の装備率は西欧1割日本3割
兵站補給の概念も太平洋戦争中より戦国時代の方が優れていた 本能寺の変は、義昭黒幕説かそれとも朝廷黒幕説か?、カトリック勢力?と個々ばらばらに考えると正解が遠ざかる
信長ってのは、寺社に象徴される旧勢力の利権秩序をぶちこわす革命勢力だから、
保守反革命側の総意を酌んで個人的恨みもある光秀が動いた(でも秀吉の動きが想定外の速さでもくろみはズレ)、というのが一番真相に近いのではないかと思う >>672
文禄慶長の役では戦闘には負けてないだろ。
秀吉が死んだので止めて帰ってきただけ。
明朝廷も万里の長城を越えてくるんじゃないかと終始怯えていたみたいだしな。 >>659
マジレスするともともと唐入りはイスパニアの巨大フスタ船を使って直で大陸に乗り込む
予定だったんだよ。
それが秀吉のバテレン禁止令で関係が悪化して頓挫。
代わって朝鮮半島経由の陸路で明を攻めるというこんなんな手段を選ばざるをえなくなった
のですよ。 >>665
光秀は現代なら70代くらいのジジィだぞ?
70代が野心や個人的な恨みで軍隊動かすか?
光秀は将軍家のために働いてきて、信長との間を行き来してた
信長が将軍追放するのも目の当たりにした
内心忸怩たる思いがあっただろう
自分のせいだって思ってたともう思うよ
そうなると人生最後に己の理想と大義のために軍を動かすのがサムライなんじゃないかなと思うね 根本的な思想に違いがあって、明智は室町幕府再興したかった
最初で最後のチャンスだと思ってやっちゃったんだろ >>636
船、航海術、大砲
日本はこれらは劣っていた
大軍を海外で維持する兵站もない
朝鮮半島も攻略できないんだから無理でしょ >>682
朝鮮半島は19世紀のアメリカも占領を諦めて引き返すほどの不毛の地やぞ。 スペインのフィリピン総督が日本の軍事力を過大評価してた話は聞いたことある 信長は、部下にも恵まれていたな
とにかく、凄かった伝説は、野戦をやらせたら、無敵の秀吉
行政にとにかく明るい光秀、その他、家康ですら
織田家が捕虜にしてたし、天皇から早く上洛してください
征夷を1日も早く出しますと言われても、保留にできる余裕
何やらせても、驚くような完成度、調査が進むほど、すごさが出てる
光秀は、天才が日本をメチャクチャにすると思い、行動したんだろな
しかし、凡人は所詮凡人、日本最大の才能を 秀吉の後継は当時は信長から貰い受けた四男存命中だから謀反する意味が無いんだよ >>643 ボクちゃんは信長の野望でも夢見て寝〜よ。
信長の構想は、一次資料たるイエズス会の『1582年日本年報追加』に、
そしてまた、ほぼ同文が『日本史』に見える。引いてみよう。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/t-saito_world/docum_03_world/w01_nobunaga_basic/12a_nobu-kaigai-sinshutu.html
信長は毛利を平定し、日本六十六カ国の絶対君主となった暁には、
一大艦隊を編成してシナを武力で征服し、諸国を自らの子息たちに
分ち与える考え(計画)であった。(括弧内は「年報追加」における文言)
秀吉は、関白に任官された天正13年(1585年)、早くも唐入りを表明していたことが、
家臣の一柳末安へ宛てた朱印状で確認できる。
それには、「秀吉、日本国は申すに及ばず、唐国迄仰せ附けられ候心に候歟」とある。
本能寺の変からわずか3年後、九州、関東、東北が未だ服属していない段階であるにもかかわらず、だ。 >>682
だから初めはイスパニアと協力しながらやる予定だったんだよ。
朝鮮征伐も最初は朝鮮王朝は快く日本の軍隊を素通りさせてくれるものだと思い込んでた。 長宗我部説上げる人ってどこかがおかしいw
そんな重要な人物なの?田舎のなんの力もない大名なんか >>682
インドを経由地にすれば全然違うよ
その手始めに東南アジアを占領することが必要だけど
当時の東南アジアなんて誰も居ないに等しいから占領そのものはすぐに達成する
それに西欧全てを相手にする必要もない
西欧は西欧であちこちの思惑があるからね >>687
秀吉は信長のお気に入りの立場をひけらかして、気に食わない柴田秀勝を上杉攻めのど真ん中に置き去りして帰っちゃうぐらいだしな。 本当の黒幕には誰も気づいていないな。
織田信雄こそが、本当の黒幕である。バカを演じる奴が真犯人。
変後、全然得することもなかったけどなw 本物のバカだったからww わかった!犯人は権六!
お市ちゃんと結婚したいがために信長を亡き者に! >>690
「の変」は成功したクーデター。
「の乱」は失敗したクーデター。
豆な。 >>679
光秀はなんか織田家臣の中でもちょっと異質とういか。
普通は大名なら世子とか養子でもなんでも用意するはずだろうにそれも居ない。
正直、彼がどんな行く末考えてたかもよくわからんのだよな。
なんか独特の考え方を持ってそうな人だけど、ああいことがあったせいか彼の人柄を表すものがあまりない。 >>641
後北条氏も隠れ三河
徳川の天下になっても、三河縁故は殆ど生き残っている
伊勢氏の初代は三河でプータローしていた伊勢俊継
伊勢氏(藤原俊経→伊勢俊継(初代伊勢氏)→伊勢盛継→伊勢貞継)
■藤原俊経(****〜1238):初代伊勢氏・伊勢俊継の父
・肥前前司
・法名願仏
・弟の相模法橋円辰と円辰の子大進法眼増恵は三河国滝山寺僧侶
・三河国滝山寺に持仏堂を造営する(後に持仏堂は、甥の大進法眼増恵に譲られる)
・三河国滝山寺に古市場御油畠を寄進する
・歴仁元年(1238)5月13日、京都東山一切経の谷で死去
■伊勢俊継(1217〜1274):初代伊勢氏
・藤原俊経の息
・伊勢前司
・建長7年(1255)、三河国滝山寺に、足利義氏追善の法華堂(宝幢寺)を造営、この堂に田畠3町8段を寄進、足利家氏に働きかけ、家氏の三河国碧海荘青野、宇祢部の料田畠を寄進させる
・天照大神のお告げで姓を伊勢に変える
・文永11年(1274)6月23日、鎌倉で死去
■円辰(****〜****):初代伊勢氏・伊勢俊継の叔父
・三河国滝山寺僧
・藤原俊経の弟
・相模法橋
■増恵(1209〜1283):初代伊勢氏・伊勢俊継の従兄弟
・三河国滝山寺僧
・円辰の息
・聖蓮坊大進法眼
・叔父藤原俊経の持仏堂を譲られ、自身の持仏堂とする
・吉良荘の奉行として、吉良氏の所領経営をする
・建長6年(1254)、本堂屋根瓦替工事の大勧進を勤め、同年、温室を改造する
・正嘉元年(1257)、一切経蔵を造営する
・文応2年(1261)、山王社の宝殿を改築する
・弘安6年(1283)2月13日、鎌倉滞在中に死去 >>679
年寄りであることを理由にするならむしろ、「長年仕えて功績があった佐久間信盛や林秀貞も
簡単に追放された。次はおれかもしれない・・・」という方がまだ説得力がある。
資料に出てくるはずがないから永遠に謎のままなわけだがw >>691
長宗我部説って長宗我部がやったとかじゃなくて
明智が四国の仕置きを長宗我部を残す方向で長年調整してたのに
信孝を大将にして四国征伐して滅亡させることになって全部無駄にされたから
やったとかそんな話だろ >>12
後ろ盾がなかったから速攻やられたとも考えられる。
まあ速攻過ぎて体制作る前にやられたとも考えられるが。 そもそも、明智は室町幕府再興云々を語るほどの側近でも縁者でもない たいてい 武将の戦や、戦争の理由なんて、我がとこの、飯や、女遊びや・子供をとられたくないから。とかで失敗するパターン
戦争させないためには、そこを最初に回し蹴りしてから 鼻っ柱を折るしかないのな 明智光秀は生まれが美濃明智一族や他にも色々あるみたいで
年齢も説が分かれ、延暦寺での行動もドラマなどで分かれ、本能寺の動機も意見バラバラ
実に謎だらけの人物だけど、これって後に色んな人に脚色されまくったからやろね
光秀を正しく書いた書物は処分され、好き勝手に書かれ
真実の光秀が年々分からなくなったと
以前までの信長像は暴君扱いが多かったが、これは延暦寺などの仏教関係者によるものが大きいと思う
家康が息子信康を殺したのは、信長による命令だとされていたが
最近は家康と信康の対立説が高くなり、神君家康像の徳川史観で捏造されたもの
これらの徳川史観の影響も、信長暴君扱いに影響与えたであろう >>696
ちなみに秀吉の唐入りは韓国では「壬申倭乱」って言われてるけど
日本の猿どもが宗主国たる親であり兄貴分である中華・朝鮮へ攻めて来て失敗したわいww
って侮蔑の歴史用語を付けてるんだよなぁ
本来なら外国同士の戦争に「乱」って言葉は使わないんだけどな
戦争に負けたらこうなるって例だわ >>659
別に負けてないぞ。秀吉が死んだからやめただけ。 まっ、所詮信長と光秀ではウツワが違いすぎて信長を理解出来ない変人としての評価
さいごも山科の百姓に竹やりで殺されたと言い伝えの人物、明智藪って地名に成ってるわ。 >>700
光秀は良き家庭人の仮面の下は隠れゲイで
蘭丸ばかり寵愛する信長にジェラって刺したって妹のBL同人誌に書いてあった じゃあ、聞くけど
大河ドラマで明智光秀役が似合いそうな俳優って誰? >>691
お前絶対に偏差値20程度のアホやろ?
長宗我部家説は元親自身が力があるかどうかではなく
惟任が穏便に対応してたのに重臣の兄貴の娘がいる家に
問答無用で攻め込む事を決められて憤慨した説ってだけやろが >>708
特亜以外そんなことは書かない、くされ華夷秩序の根っからの日本人差別主義文明だから 武家社会において表にはでない三河縁故と言うものが存在した
土岐氏もそうなんだが、この縁故とは関係の無い信長や猿吉が滅ぼされるのは当たり前なんだよ
足利尊氏の生誕地は家康の生誕地から約1,5キロしか離れていない
おそらく足利尊氏、直義は、足利氏の大門屋敷(三河県岡崎市)のすぐ近くにあった上杉氏の日名屋敷(三河県岡崎市)で生まれた
■上杉氏
太田亮
上杉−勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。
丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。
『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、足利家家人の上椙三郎入道(上杉頼重)より前は不明。
その出自は難解であるが、三河の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か
足利尊氏、直義が生まれただろう日名屋敷
■日名屋敷(事実上の始祖である上椙三郎入道(上杉頼重)の 屋敷)
鎌倉末期に三河国額田郡日名(三河県岡崎市)にあった上杉氏の屋敷。
足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、
翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。
頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。
日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。 >>674
戦国の大名の兵站は国内だから成り立ったものだよ
海越えて兵站を維持するのは朝鮮半島ですら難しい
まして東南アジアなんて無理だろうな
現地調達しかないが十万の軍隊が出現したら現地は飢饉状態になる
食糧はどうするのか
鉄砲をいくら持っていても火薬が無ければ役に立たない
火薬の供給はどうするのか
人を物を運ぶ船はどこから
陸上で物資を運ぶ馬車の技術もない
無理だろうねえ >>709
明の入り口にすらたどり着けてないんだから、どう観ても惨敗だろ >>701
うんそれ
あの時代の交渉って割と淡白なんだけどな
初心者なら分かるけどベテランで
しかも自分の失敗なのに
なんで元親だけ固執するのかが長曾我部派の謎 光秀って落ち目の足利家より勢いのある織田家に移ったり信長に讒言して佐久間信盛の地位を受け継いだり立身出世の野望がよくよく垣間見えるからただ単に野望説ありえそう
信長とその跡継ぎが一緒にいて簡単に討てる機会なんてそうないしその後のお粗末な対応を考えるとね >>708
朝鮮が勝利したみたいに言ってるけど 和平交渉も日本と明の間で行われて
朝鮮王は蚊帳の外だったんだよな 朝鮮には外交権もなかったのかも >>697
ん〜 光秀自身が、秘かに 誰かに養われていたのかもしれないね?
光秀自身が養子だったとか
そうでないと、3日天下なんて言葉も生まれないだろうから >>713
いやwそうじゃないだろw
なんでたかだか重臣の縁で明智の命運をかけるんだ? >>683
蹴ったの長政やで?
信長は金ヶ崎でえらい目に遇わせられたにもかかわらず戻ってくれへんかと持ちかけたのに 負けたら負けたでもただ戦争と記すのに「倭乱」と書くところが半島が差別主義文明だからだよ >>713
しかも交渉の決裂はどう見ても光秀の読みの甘さだろ >>716
ロジスティクス、兵站が何より大事ってのは、太古から現代戦まで一貫して普遍の真理だねえ 丹波国は山陰への入り口、谷ごとに国人領主が居て独立気質が高く、征服するのに光秀は苦労したし、その後の統治も苦労しただろう
近江坂本城でのんびり琵琶湖を眺めながらと行かずに、更に出雲石見と山陰の谷を新しく統治することを想うと疲れたのかもしれない >>705
冗談はヨセ
明智光秀の家は、足利将軍家本領、三河国の奉公衆、土岐長山氏の可能性が高い
奉公衆出自なら、モロ中の人だろうが
室町幕府 三河国の日本支配構造
【奉公衆】
・奉公衆は、室町幕府に整備された幕府官職の1つ
・将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた
・奉公衆の人数は全国合計250〜300人
・三河国の奉公衆は全国で最大人数、又三河国出身の奉公衆も最大人数
・5番衆の番頭
一番番頭 細川氏、二番番頭 桃井氏、三番番頭 上野氏、四番番頭 石垣氏(畠山氏)、五番番頭 大館氏
三河国の奉公衆一覧(全52家)
【藤姓熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)
【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田
【足利被官】
饗庭、朝倉、飯尾、岩堀、大草、高、久下、小嶋、中条、二宮、彦部
【三河源氏】
足助、水野
【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永
【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)
【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下
【その他】
宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、堤、長、西部、本郷、丸山、三浦、大和 当時は源平というのが意識されていた。源平交代説に則り織田が平氏を名乗り
天下を取ろうとしていた。源氏の武田が滅ぼされ源氏の明智としては
自分は何をしているのだ敵は織田ではないのかという思いに駆られ
敵は本能寺に有りとして決行したのだと思う。
助けを求めた細川も源氏だし明智の行動は源氏第一として見ると筋が通ってくる。 >>716
朝鮮出兵は秀吉が死亡した部分が大きいし
それに当時の東南アジアにまともな国家は無いから
実質無血占領だよ
ここをターミナルにしてインドまで進出すれば後は船団を組んで攻め込める。
(まあ、ポルトガルなどの西洋諸国のバックアップが必要だが) 足利幕府・あし足利将軍家が継続したら
日本はもっと良くなった
のは確か 浅井は上も下もなんであんなに滅びたがったのか不思議だな >>84
応仁の乱は一つ一つ紐解けば分かりやすいよ。 明智光秀さんは小早川秀秋さんよりはいいポジションで歴史に名を残した 単に下剋上いけそうだからやっただけで特に理由はなさそう 当時、全員が今川が家柄も勢いも天下を取ると
思っていたその時に、弱小な変人と言われた
変わり者との合戦、周囲の気の早い武将とか
合戦前に、今川殿様 状態の使者を送っていた
それが、事実上の奇襲、ギリギリの合法戦法での、大逆転に
武士はもちろん、朝廷やお公家様まで、戦慄したと言う
その天才を、焼き討ちしよと考えるとか、室町復興なのか >>705
本気で言ってるのか???
信長がなんで光秀を初期から重用してたのか
根本から崩れるんだが。 >>716
だから欧米諸国も楽に勝てる海外地にまず拠点帝国主義で拠点を築く、面への制圧はずっと後、
条約で型にはめてしばらくは落ち着くし、アフリカや南北アメリカなど蹂躙し放題の土地から支配していった
それには天文学と航海技術と科学技術および宗教などの遠隔地支配を結びつける仕組みが必要だった
イギリスは郵便制度などを組織化して世界帝国を運営していった、日本は銀は持ってたがその辺が難しい >>728
当時のヨーロッパも似たようなもんやぞ。
そもそも缶詰どころか瓶詰めのような保存食もないんだからな。
植民地政策は現地の政権争いに乗っかってそこのインフラを活用したか、インカ・アステカみたいに青銅器文明にも達してない文明を滅ぼしたかどっちか。
インカも内戦に乗じたりしてるけど。 >>1本能寺が変
本能寺も変本能寺は変
歴史わからないけどどれが当てはまるだろう…(´・ω・`) >>692
インドを経由地にする?その手始めに東南アジア?
東南アジアを支配する話しじゃなかったのか?
>>617
>少なくとも東南アジアは丸ごと支配できたでしょ >>716
既に中国には、バテレンの勢力がキリスト教の布教に成功していて、
キリスト教会から認定された「神の軍隊」としての豊臣・日本陸軍だと、
中国国内のキリスト教勢力から支援を受けられることはありえたと思う。
もともと、そのための日本国王・信長暗殺であり、「唐入り」という外征戦争を、
新しい日本国王・豊臣秀吉にさせるためだったとすると、かなりスッキリする。
秀吉は、バテレン追放令なども出してはいますけど、世界戦略で協力する点も、
かなりあったのではないでしょうか。
ご指摘のように、兵站が大変でしょうけども、船や港などのシステムを、
バテレンが押さえていたの重要な点でしょうね。 >>735
むしろ悪くなっていたとしか思えないけど この手の陰謀説は散々検証されてほとんどが根拠ない妄想って本がベストセラーになってるけどなw >>728
でも、孫子では敵地で略奪するのが前提になってるなw
この点は何かともてはやされる孫子の黒歴史 光秀と家康の共犯説が正解。光秀重臣斎藤氏の娘が後の春日の局。家光の実母が春日の局である。当時家康は信長に殺されそうだったのよ。 >>731
そもそも、なぜ源平に分けたのだろうか?
まず、そこもわからない
旧か新かの、違いだけだったりして 光秀みたいな人がと思うかも知れないけど
光秀だからこそ天下を狙おうと思ったんだよ
ただ誤算だったのは
農民上がりの秀吉の求心力と織田家直臣以外が自分に付いてきてくれなかった事 >>751
食料の保存技術も碌に無い時代だしな。
というかそれが17世紀ぐらいまで続くんだけど。 >>698
足利幕府の当時の副将軍=毛利輝元がついてくれば
細川ごときがついて来なくても何とかなった筈だった
明智光秀と毛利輝元の勢力があれば足利将軍家の京都還御は充分可能
ところが肝心の毛利輝元が秀吉と和睦しちゃったのよねw >>22
南京事件も第三者である海外マスコミもいたのに
ちゃんとした写真も残ってるのに中国が言い放題だからな 中世は三河史が大事
奉公衆を組織したのは足利義満だが、足利義満時代の三河史には松平も絡んでくる
足利義満(3代目足利将軍、1358〜1404)年表
【1351年】高師泰・高師直他高一族8人が、摂津国武庫川で殺害される
【1351年】仁木義長(兄の仁木頼章は幕府執事(管領の前身))が、三河守護(前任は高師兼(高師直の猶子)になる
【1357年頃】明阿(父:高師泰、夫:高師冬(高師直の養子))が、三河国額田郡菅生郷(三河県岡崎市)に、一族を菩提する総持寺を創建する、住持は兄・高師世の娘
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【1358年】伊勢貞継(初代伊勢氏・伊勢俊継の孫)の屋敷で生まれる
【1360年】大島義高(新田氏流)が三河守護になる(新田義重―里見義俊―義成―大島義継―時継―盛義―義員―義昌―義高)
【1367年】足助重宗(足助重範の孫)の子・重政(寛立上人) が、松平郷主・在原信重の支援を得て、三河国加茂郡松平郷(三河県豊田市)に寂静寺(高月院の前身)を開創する
【1368年】管領・細川頼之を烏帽子親として元服する
【1368年】三河国額田郡片寄郷(三河県岡崎市)に、天恩寺を創建する、足利尊氏遺言の寺、開創は永源寺2世弥天永釈、4代目将軍足利義持の祈願所
【1369年】三河国宝飯郡御馬郷(三河県豊川市)に御馬城築城を、管領・細川頼之に命ずる、頼之は弟の頼有に命ずる
【1370年】三河国設楽郡(三河県新城市)に甘泉寺創建か?、天恩寺と同じ永源寺2世弥天永釈開創、御朱印高48石、山林境内20余町歩を寄進する
【1379年】管領・細川頼之失脚、斯波義将が管領になる(康暦の政変)
【1379年】伊勢貞継(初代伊勢氏・伊勢俊継の孫)を政所執事に任ずる
【1379年】一色範光(侍所頭人、若狭守護、、尾張国知多郡・海東郡の分郡守護)を三河守護に任ずる
【1380年代】管領・斯波義将が、斯波氏先祖代々の墓所がある三河国碧海郡(三河県岡崎市)に、永源寺の創建を申し出る、これを支持し将軍家安泰を併せて祈願
【1380年代】三河国額田郡(三河県岡崎市)の滝山寺本堂(4度目)を建替える
【1382年】源信氏(細川信氏か?)が義満誕生日祈祷の為、三河国額田郡片寄郷(三河県岡崎市)など4ヶ所を天恩寺に寄進する
【1387年】三河国額田郡下和田郷(三河県岡崎市)を、京極高詮に還付する 基本、商売のタネだからね
異説、奇説を思い付いて跡から肉付けされてくwww >>639
> >>617
> 以前は鎖国の260年はなんて無駄だったん
> だろうと思ってたが、西洋化を受け入れる前に
> しっかり国柄を固めておくのに必要な時間
それは逆だろうね
信長が生きて海外進出してたら、イギリスより早く近代化できてた可能性すらある
種子島に鉄砲伝来して短期間で国内大量製造やっちゃった民族だよ、戦国人って
西欧中世封建制の成熟と崩壊→絶対王政→近代社会というのが西欧の流れだが、
日本の封建制は西欧のそれと酷似してて、そこにこそ日本だけがアジアで唯一近代化できた秘密がある、
というのは、いまではかなり常識的な考え方 >>747
コエリョは、秀吉に対等の軍事同盟者として海軍提督クラスとして大陸進出を持ち掛けたけど
天下様に成りつつあった秀吉の自意識はそれを拒否した、ので、大陸への侵攻は日本独自のものになった。
あれで秀吉が洗礼を受けたらイスパニアの先陣として中華になだれ込むような形成に成った
石山本願寺と戦争しまくってた織田家の秀吉でもあった秀吉からしたら宗教勢力との対等同盟とか悪夢でしかないだろうしね >>758
続き
【1388年】富士山遊覧、三河国額田郡(三河県岡崎市)の矢作宿に宿泊する
【1388年】一色詮範(侍所頭人、若狭守護、尾張国海東郡・知多郡分郡守護)を三河守護に任ずる
【1390年】管領・細川頼之が、三河国額田郡細川郷(三河県岡崎市)の屋敷跡に、蓮性院を創建する
【1390年代】足助重宗(足助重範の孫)に、尾張国野間荘を還付する、当時の野間荘は、高師直領を将軍家預かりとなっていた模様
【1391年】伊勢貞行(伊勢貞継の孫)を御料所三河国額田郡山中郷(三河県岡崎市)の代官に任ずる、山中郷の法蔵寺は6代目将軍足利義教の祈願所
【1392年】細川頼之死去、葬儀は義満が主催して相国寺で行われる
【1394年】出家する
【1397年】三河国碧海郡(三河県岡崎市)の永源寺(創建:斯波義将)に、後に建仁寺61代住持となる玉岡和尚を住持職に補す
【1397年】三河国渥美郡(三河県田原市)を京極高詮に還付し、守護使不入の地とする
【1399年】三河国額田郡菅生郷(三河県岡崎市)の乙川六名堤造営を、管領・畠山基国にを命ずる、下和田郷が水不足に陥り、領主・京極高詮から苦情が入る
【1399年】三河国額田郡比志賀(三河県岡崎市)の深恩院に、高一族の比志賀郷の旧領を寄進する
【1404年】松平和泉守源信光が誕生する
【1406年】一色満範(義満偏諱、侍所頭人、若狭守護、丹後守護、尾張国海東郡・知多郡分郡守護)を三河守護に任ずる
【1408年】死去する >>742
秀吉見ても信長見ても、システマチックに考えることが苦手だね。だから長続きしなかった。
その点、家康はシステマチックに考える事が出来る人間だったから江戸時代が200年以上も続いたのだろう。 佐久間信盛の追放&死が、光秀を突き動かしたと思うね。
最大規模の重臣でも簡単に追放されてしまい、
誰にも相手にされずに一人寂しく死んでいく恐怖。これは怖いと思うね。
追放されて熊野の山中逃げ回って、何もない、誰もいない、付き人も一人しかいない。
信長もやり過ぎたと思うね。必ず捨て扶持与えないと。家康の上手い所はここだよ。
佐久間の次は、誰だ?ってなるでしょ。
会社のリストラと同じでリストラされる前に
辞表叩きつけて、もっと良い転職をとなるよね。
そういう意味では佐久間信盛が黒幕かもね。 山田長政なんかは信長の野望の先兵スパイだったんだろな。
海戦名人型 · -, 才, 1590年, シャム(現在のタイ)の日本人町頭領。
アユタヤ国王・ソンタムの信任を得て活躍する。
国王の死後、政争に巻き込まれ戦闘で受けた傷に毒を塗られ死亡した。 オレは司馬史観に毒されてるせいか
徳川の260年で日本人が矮小化したイメージだな >>716
元寇など中国の巨大国家誕生しても
日本海という日本列島にとって最大の防御壁のおかげで独立を維持できた
しかし日本が中国大陸へ攻める際も、日本海は大きな妨げになり
いくら日本が強くなっても侵略は失敗になってただろう
モンゴル人や満州人が制圧しても、漢民族と共闘し国家を運営した
昭和の時代は海軍力もあり進出できたが、漢民族との共闘が実現できず
戦争してしまい失敗した
秀吉の朝鮮出兵も、当初は明と戦う事だけを想定し朝鮮とは戦わないはずだったが
結局戦う事となり、それが大きな失敗になった
秀吉も大日本帝国も、大陸民族との共闘に失敗したのが敗因の一つ >>717
明を征服するという最初の目標は達成できなかったからそういう意味では負け。
でも朝鮮に負けたというのは全然違う。あれは日明戦争と言うべきもので
主に日明軍が朝鮮半島舞台に戦った戦争。お互い被害が大きかったので講和になり
(文禄の役)、講和条件がだまされてることを知った秀吉が再度出兵した。(慶長の役)
その途中に秀吉が死んだから撤収した。
で明の被害は糞でかくて後に清に滅ぼされる原因になった。 >>743
そう
だからヨーロッパはアメリカ大陸や、アジアでもインドネシア、フィリピンといった部族社会しかないところしか征服できなかった
日本もヨーロッパもあの時代に海を越えて国家が成立している所を大征服するなんて無理だった
日本は船も航海術も無いのでよけいに無理
日本から大軍を送って東南アジアを征服するなんて無理
せいぜい琉球〜台湾を征服し、その後フィリピンを征服できればいいほうだろう >>735
足利幕府を長くと言われてもw
足利幕府がアホだったから戦国時代になったわけだがw 例えば光秀が書状を送った島津の立場になって考えてみれば
織田がこのまま拡大戦略を続けると自分たちが危うい
今のうちに明智と同盟して、織田を叩いておくのは良い手かも知れない
そして明智とともに室町幕府再興に尽力すれば
島津は管領になれるかも知れない
でも肝心の脅威の織田信長を明智が討ってしまった以上
島津が遠路はるばる上洛する意味がないからなw
とりあえず脅威が取り除かれた、その後は様子見したほうが利口だと思うだろう?
地方の大名家は 本能寺の変(1582)の前に、永禄の変(1565)ってのがあって、三好三人衆により足利将軍が殺害されてんだよな
信長の傀儡将軍足利義昭の遥か以前に、名もないようなカスに殺されている程、室町幕府足利将軍家ってのはもう既に弱体化していたんだな >>771
尊氏が成り上がるために安堵状をばら撒いたり実力者の権限拡大を約束しちゃったのが原因だぞ。 >>753
単純に平(清盛)源(頼朝)平(北条)源(足利)ときたから、次は平だという思いが
世の中にあったのだろう。
そして徳川はその次ということで源を自称したしな。 突然信長から国替えを命じられて苦労して振興してきた領国を奪われ、挙句にゃ新しい領地は自分で攻め取ってこいと
これで発狂するなというほうがおかしいだろ >>765
日本人町の日本人って、オランダなどの記録によると、オランダ人に協力していて、
敵の城の測量や情報収集活動などをしていたようで。 >>772
赤穂事件も同じだな
いじめ→切れて復讐は物語として面白いからな >>1
凄ーくシンプルに
腹が立ったしやられる前にやれ
だったんだろ
だから今までずっと反対論が根付かなかったんだよ >>764
佐久間も隠れ三河だわな
初代佐久間氏、佐久間家村は、宝治合戦で、三河国重原荘に逃げてきた
家村に和田義盛の孫(甥)が養子入りして、いつか事大に三河から尾張に移住した >>765
1590年頃の生まれだから、本能寺の変の時はまだ生まれてもいねーぞ >>769
朝鮮征伐は明滅亡の遠因になっただけで、決定的な原因じゃない 明智の血流を名乗る人達の努力が多少は実って少しは見直されるようになってきた
ま、こういうのはジーンズのストレートとベルボトムみたいなもんで、広く行き渡って拡張が鈍ると違う方を売り始めるんだよね >>770
一応言っておくが伊達政宗がフスタ船を作ったし、商人たちは東南アジアのあちこちへ
進出していたからやろうと思えば出来たんだよねえ。
ただ、秀吉は自分の寿命を気にしてか半島経由という安易な手段を選んだ。 キレたんだよ
俺もその気持ち分かるわ
上司が信長なんだからね >>778
もともと貸し与えただけのもので
家臣にあげたわけじゃないんだけどね。
勝家や秀吉ですら同じだった。 >>771
幕府がどうかって言うより、
日本人が馬鹿になったと言うか、変な知恵を付けちゃったと言うか、
争った末の秩序の崩壊を想像出来なかったせいだと思うけど >>772
一部の影響力ある連中が最初に声高に唱えて
それが盲目的に信じられるような時代は既に終わった。 オランダと云えば、このような16世紀後半は、オランダがスペインに勝って植民地支配から脱却した頃でもある
全世界的にクーデターが盛んな時代だったのだろう >>770
国家が成立しているところの政変に乗じて勢力拡大していくのがアジアでのヨーロッパのやり方だから航海術云々はあまり関係ないよ。
日本もタイで山田長政がやりかけたが鎖国で日本人の供給が絶たれたので儚く消えた。
世代を超えるほどの根気と時間をかける気力が日本に無かったのが問題。 信長はやる事が、部下がやって欲しいという事の連発
領土の住民も、これをやって欲しいという直訴が、お方様の面談
その後の決議、それを3日で布武してまう
猿の秀吉も参戦してる、商人も農民も熱狂的に支持、そして無限の未来
下手すると今より自由な可能性すらある >>790
中央集権という発想は、フランス革命による近代以降の発想で、信長の革新性というのは、
どうもバテレンの人々の発想に、強く影響を受けているように思うんですよね。 >>743
だけど、西欧には鉄砲があっただろ。
織田信長が鉄砲や大砲を導入したといっても
量、質ともに負けていたんじゃないのかな?
一気に勝負がついてたとおもうが >>789
でもさ実力があるんなら認められるんだぜ 明智光秀はお花畑なのか?
覆水盆に帰らず
あの時点で室町幕府再興なんて無理すぎ
どうも明智光秀贔屓の連中は
明智光秀を卑怯な裏切者にしたくなくて
有り得ない妄想説をブチ挙げてダメ 光秀の思い通りになったではないか
光秀の思いは三河幕府の再興
三河幕府(足利将軍期、徳川将軍期)は500年続いた事になる
日本の歴史(中世〜近世)
◆鎌倉幕府(1185〜1333年)◆
【勝者】源頼朝:清和源氏、藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338〜1576年)◆
【勝者】足利尊氏:清和源氏、三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国碧海郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国幡豆郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467〜1477年)◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603〜1868年)◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614〜1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平 室町幕府再興が目的なら、自分が天下人になるんじゃなくて足利義昭を立てなきゃならないと思うんだけど
その辺りどうなの? 新たな書状が見つかる度に小説並の新説を歴史家を名乗る者が唱えるからなwww >>803
当時のキリスト教宣教師たちは、石見銀山が非常に有名だったから、
日本に来たらしいですよね。暗に示そうとしているのではないでしょうか。 >>797
鉄砲自体は特に。
ただ大砲に関しては使い方や
守り方の面である程度遅れていた。 >>780
赤穂事件はいじめだろう
津和野藩の藩主も吉良にいじめられた
らしいし >>791
単純に中央に力がなくなって
地方がそれぞれのやり方で力をつけただけって話よ。
秩序崩壊とか以前に日本という国の中に
いくつもの別の国があったような状態だし。
現代とは比較にならないレベルで自分らの国だっていう意識が強かったんだと思うよ。 >>790
おそらく将来的には信長の構想として大掛かりな国替えを目論んでいたと思うが、本能寺の時点では誰も気づかなかったと思う
いきなり光秀だけを狙い撃ちしたので、光秀も家臣もこれは佐久間父子と同じ扱いを受けたと思ったはず
これは完全に取り潰し 当時の信長の所領の与え方は郡単位
守護システムではない江戸時代方式の走り
中央部分から小大名を廃止て遠隔地に大大名にしていくシステム
たぶん普通にそうなるべくそうなったんだと思う 秀吉側近の名将達は徳川神格化の為に不当に低く扱われている
ま、そこは仕方無いよ >>789
信長は、神経質なぐらい良く気がつくタイプだったらしいから、部下たちが、ついていけなかったんだよ
上下関係しかないから、戦国の褒美のためには、山分けで、争い合うことになる >>810
浅野精神疾患説が正しいと思う
親戚にも刃傷沙汰起こした人もいるし そういう家系なんだよ >>811
馬鹿だなぁ
歴史を勉強しろよ
そもそも中央集権なんて日本にはない 真相は知らんが、明智の心境は「もう、ついて行けない」だったと思うw >>811
下剋上が頻発するのは秩序の崩壊に他ならないだろう?
地方分権どころか、隣の集落と武力闘争する有り様なんだから、
地方すらまとまっていない
武力で押さえつけて新秩序を構築していったのが戦国大名 >>1
支持・協力を求める相手によって、説得する方法を変えるのは基本
明智家の家臣へ
『俺が天下を取ったらおまえら大名だ。その他ものも出世のチャンスだぞ』
細川幽斎へ
『あなたの息子の忠興(光秀の娘婿)に天下を譲るつもりです』
朝廷へ
『天皇に対して横暴・無礼な信長を排除しました』
義昭・親義昭派大名へ
『足利幕府を再興し、義昭を将軍として迎えるためです』
上杉景勝へ
『私も信長にいじめられていたので、恨みを晴らしました』 毛利がな、関ヶ原の時と同じで動かない。
東では北条がきちんと動いてたのに >>785 1590年, シャム(現在のタイ)の日本人町頭領
あんた日本語理解出来ないのか??1590年には日本人町頭領だよ。 春から「信長の忍び」の新シリーズ始まるんだってね
前回は、金ヶ崎の話だったけど、今回は何処まで進むのかな? >>560
比叡山の生き残った僧侶が神通力で光秀をコントロールしたってトンデモ説があったりするw
まぁそんな説が出る位動機が分からんって事だろうけどw >>808
堀尾吉晴、中村一氏、山内一豊
この3人は同じぐらい地味な存在だったが、山内の土佐藩だけが幕末まで生き残り
おまけに幕末活躍し明治でも発言権があったから
山内一豊並びにその妻まで有名になった
もしも土佐藩が同じように改易になってたら、この3人は同等の地味で
一豊の妻は、堀尾や中村の妻と同じぐらいの知名度であったはず
10年ほど前にこの3人中心の大河ドラマがあったが
他の大河では全く出てこない3人
土佐藩が改易になってたら、この大河はもちろん、司馬遼太郎もこの小説を書かなかったであろう >>802
鎌倉幕府が源氏政権だったって時点で破たんしてるじゃねーかアホ >>822
三河と対立するとは、恩人の源頼朝と対立すると同じ
毛利は三河とは絶対に対立しない
日本の中世は、平安時代まで遡らなければ見えてこない
鍵は三河の源頼朝で、土岐氏にしても頼朝の御家人だ
三河の足利尊氏は三河の鎌倉将軍の敵を討つ形で北条を滅ぼし、三河の徳川家康は、三河の足利将軍の仇を討つ形で尾張の田吾作一味を滅ぼした
源姓足利氏は、源頼朝が藤姓足利氏を滅ぼし足利荘を、三河の従兄弟の源義兼に安堵した事で初めて誕生した
京の公家社会からあぶれて、父の受領国である三河に土着し、領主化武士化した一族から鎌倉将軍家と足利将軍家が輩出され
同じく三河から、徳川将軍家とトヨグループを排出したわな
三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
系図
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→源頼朝(初代鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→源義兼(足利義兼)(初代源姓足利氏)
■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、三河県岡崎市)
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(三河県豊田市)に土着する
・季兼は、三河国加茂郡(三河県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(三河県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(三河県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(三河県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪) ←乗っ取られる(笑)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝(初代鎌倉将軍)を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、足利義兼(初代源姓足利氏)を生む >>816
どうも元々酒や女など素行が悪く、精神疾患かもしれませんけど、
当時の大名は戦国の気風が残っていて、喧嘩っ早かったのかもしれませんが。
その刃傷沙汰に乗じて、権力闘争をした人間がいるのが忠臣蔵の話ですよね。
あの事件が異様なのは、事件の顛末を、そして反乱のほうが正当だと、
かなり早い時期に生き残りが作品にして、歌舞伎で上映したこと。いまだと、
テレビでプロパガンダを打っている。つまり、完全に黒幕がいるということ。 >>796
中央集権ってのはフランス革命前段階の話だよ
「中世」封建制(分権制)を「近世」的な中央集権的に再編成する課題を果たしたのが絶対王政、
その絶対王政でいちおう形になった中央集権的王国の枠組みを前提に、その王権を暴力的にぶっ壊し「近代」国民国家を産みだしたのがフランス革命
王権は一応残しつつ近代化したのがイギリス もはや室町幕府後半の足利幕府の弱さは読んでて悲しくなるよね
清和源氏の名が泣くね
この辺はオーストリアのハプスブルク家と被る
隆盛を極めた名家もいつかはこのように没落していくんだな 室町幕府再興ってのは大義名分であって、光秀の本意はわからんだろ・・・。 >>777
源と平の繰り返し式じゃないか。
あッ!
現代は、平成の平だから、次は源氏とゆうことか!
あ〜 計ったな!? >>823
1590年頃の生まれだよ、Wiki見てこい >>832
所詮は栃木の土田舎侍が京都に逃げてきて作った政権だから お方様信長が、永遠に言われるのは、世界の転機の時期だし
結果としての鎖国、鎖国が終わったら、長州の明治
朝鮮 大陸問題、そして、最後のB29ピカドン、米軍植民地、全部つながってるから
光秀の罪は、永遠に重い >>763
家康は運が良かったんだよ
長生きだったからね
戦国時代を駆け抜けたバリバリの歴戦大名たちは大概くたばったからな 光秀は天海として生きたから勝ち組だな。
土民に刺され死んだのは影だからな。 足利幕府のシステム的欠陥は最初から
守護大名システムにおいて、
@もともとの地元と離れすぎた
A守護大名が山城国を囲んでいて、武力が脆弱
B直轄領が少なく戦功に対して分配してたら枯渇した
C守護大名が各地のばらけた小さい所領に対する圧迫があり権力が脆弱
Dその他にも宗教勢力・朝廷勢力・商人や座などの勢力など遠心力が沢山
所領がほとんどない・金がない・米が無い・権力が無い
その後、土倉とかいろいろ金を工面する方法を組み込んだりしてたけど、全然足りない、つまり軍隊を維持できない
構成するまともな組織が無い 今で言えば、財務省の官僚の有力天下り先が長宗我部家だった訳で、
奉公衆の鉄の結束を考えれば何もおかしくは無い。 >>817
長宗我部説を厨房みたいな妄想で
勘違いしてた奴が何いってんだ?w >>831
左派的な人民による権力の完成ではなく、かえって官僚機構による中央集権の完成として、
王権を排除したのフランス革命だという指摘があります。これは比較的最近の見方ですが。 茶会なんかでダラダラと人生過ごした信長がアホなだけ >>839
小牧長久手も家康の勝利のように言われているけど大地震で秀吉の総攻撃が頓挫しただけだしな。
糞漏らし狸の妖力は加藤保憲並やぞ。 >>839
家康が長生きだったのは運だけじゃなく
本人の勉強と努力の成果やで
健康オタクやから >>842
奉公衆てwww
なんか武将用語で、笑うてしまうわw 安土桃山は「へうげもの」で学びました
あれが正史でいいや まぁ、みんな信長の強権主義に嫌気がさして光秀が担がれたんやろ
手を貸した証拠なんざいくらでも隠滅できる時代だしな
真実は闇の中やで 当時、信長の5人の軍司令官の中で
光秀以外の4人は外政してて、光秀だけが信長直属の護衛軍として京都に滞在してた
つまり最も信頼されてたわけだけど
信長が全く警戒して無かったのが不思議でしょうがない
そこまで光秀を信頼しきってたわけが知りたいわ
見抜けなかったのかな >>845
茶会というのは、信用融通システム。茶器で、一国と交換とも言えるほど、
由来のある特定の茶器という美術品を介して、金融を行っていた。 >>836
はい Wiki情報 生年不詳 >日本語理解できますか???
時代 江戸時代前期
生誕 生年不詳
死没 寛永7年(1630年)
別名 仁左衛門
官位 オークヤー・セーナーピムック
主君 大久保忠佐 → ソンタム >>837
違うぞ
三河→京都洛中だ
◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇
【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆 >>845
そやね、茶室なんかで、チャラチャラやってたしね >>831
何故イギリスは一度は共和制にしていながら、王権にまた戻してしまったのだろうか?
共和制は10年程度しか続かなかったよね
議会の力が強いというのは分かるが、その上の傀儡みたいなお飾りをわざわざ据えるというやり方が性に合ってるんだろうかね 野党連中には矜持を感じられない
政治家になるために政治家やってるだろ >>839
1食べるものに気をつけてた➡長生き
2毎日鍛練を欠かさなかった➡長生き
3部下に恥をかかせなかった➡長生き
何が運だよ?
織田信長
3で部下に裏切られ死亡
豊臣秀吉
12をしなかったので短命 信長はもちろん、家康暗殺の指令を授けるぐらい、
光秀の事は信用していた。 >>854
wikiに1612年にシャムに渡ったって書いてあるだろ
わざとやってんのか? >>853
今で言えば、銀行なのかも、金融庁かな
茶室なんかにチマチマ出入りする男衆なんぞ、かなり気持ち悪いわ >>861
なるほど
島国ということと関係あるのか >>765 >>823
元ページ確認したら、
『1590年シャム(現在のタイ)の日本人町頭領。』じゃなくて、
『誕生年 1590年、登場年 1605年、死亡年 1630年、
シャム(現在のタイ)の日本人町頭領。アユタヤ国王・ソンタムの信任を得て活躍する。
国王の死後、政争に巻き込まれ戦闘で受けた傷に毒を塗られ死亡した。 』
だから>>785のいう通りだよ
http://hima.que.ne.jp/souzou/souzou_data.cgi?equal34=18 >>796
シナの王朝は、ずっと科挙で選ばれた官僚による中央集権国家だろ 浅井長政の謀反というのは間違いでしょ。
ずっと、足利義昭に従っての一連の行動を2年やってきたのに、
信長から1つも恩賞をもらってないし、家臣ではないよね。
伊勢にまで浅井軍は援軍で派遣している、
信長はその伊勢の全てを自領にしてしまったのに、他にはまったく恩賞もなく独り占め。
将軍の命令の建前があったにせよ、伊勢まで行かされて、家臣(藤堂高虎の兄)が戦死している。
そして次は、朝倉征伐だろ。浅井領は完全に包囲される上に、今後は領土拡大もなくなる。
更に、将軍義昭からの密書だろ。
一連の行動が、将軍からの命令に従ってるから、信長への反逆は、謀反には当たらないよ思う。
松永久秀も同じだよ。謀反ではない。主家三好家からの命令で、三好家と常に行動を共にしている。
信長から見れば謀反だが、それは信長と信長公記の勝手な言い分であって、
浅井も、松永も信長に一度も臣従していない。将軍に臣従していただけである。 >>832
ハプスブルク家は今でも欧州議会議員やったり数々の名誉職に名を連ねる
押しも押されもせぬ名門だぞ?w 本能寺の変の話題の度に思うが、最初「信忠か?」て疑われた信忠が不憫でならない。
本人は父親助けるために篭城して死んでるのに・・・ 信長の生母、土田御前は明智家の家臣の娘であり、
信長の正室、帰蝶は明智光継の娘小見の方と斉藤道三の娘であり、
光秀の従姉妹に当たる。 足利将軍家の本拠が足利とか、未だに言っている馬鹿がいるんだな
三河政権たる室町幕府の支配層一覧(三河繋がり優遇)
■将軍御一家
【三代将軍足利義満時代】(3家)
・西条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・今川氏(三河国幡豆郡今川、三河県西尾市)
・渋川氏(上野国群馬郡渋川)
【八代将軍足利義政時代】(4家)
・西条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・東条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・石橋氏(三河国設楽郡石橋、三河県新城市)
・渋川氏(上野国群馬郡渋川)
■三管領(将軍に次ぐ最高の役職、将軍を補佐して幕政を統括)
幕府執事(管領の前身)(3家)
・高氏(三河国額田郡菅生、三河県岡崎市)
・仁木氏(三河国額田郡仁木、三河県岡崎市)
・細川氏(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
管領(3家)
・細川氏(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
・斯波氏(三河国碧海郡矢作、三河県岡崎市)←初代足利家氏は、祖父より三河国碧海郡碧海荘を相伝し本拠とした
・畠山氏(武蔵国男衾郡畠山)←初代畠山義純は三河国生まれ
■七頭(管領家とともに幕政に参加できた七家)(7家)
・一色氏(三河国幡豆郡一色、三河県西尾市)(四職)
・山名氏(上野国多胡郡山名)(四職)←初代山名義範の実父は、矢田城主(三河国幡豆郡矢田、三河県西尾市)の矢田義清
・京極氏(山城国葛野郡京極)(四職)←京極高秀(佐々木道誉の嫡男)親子は三河国額田郡下和田郷(三河県岡崎市)の領主
・赤松氏(播磨国播磨郡赤松)(四職)←善住寺(三河県豊川市)に赤松円心親子の墓あり、赤松円心は一時、赤田和城(三河県岡崎市)に隠れ住む
・土岐氏(美濃国土岐郡)(五職)
・上杉氏(丹波郡何鹿郡上杉)(関東管領)←事実上の初代上杉頼重の屋敷あり(日名屋敷、三河県岡崎市)
・伊勢氏(出自不明)(政所執事)←活動を記録した最古の資料では、初代伊勢俊継は父、叔父、従兄弟と共に三河国額田郡賀茂郡(三河県岡崎市・豊田市)で活動 もし何かもっとでかい存在のパシリで動いてたとしたら
そちらの旗印を掲げて、いざという時の責任逃れのための布石を打っていたと思う。 >>872
そっか、今でも一定の影響力は持ってんだな
腐っても鯛か
勉強になるなあ、ありがとうございます >>873
弟や母親に殺されそうになった信長も不憫やろ。
そんな奴の倅に生まれた信忠は一層不憫だが。 >>873
甥の信澄だったかも疑われて信長の息子に襲撃されて討たれたんだよな
父親が信長に殺された実弟だから実際の内心はわからんが周りから見ると動機があったのと
光秀の娘娶ってたから共犯と疑われた ただ単に戦場へ向かう馬上で「あれ?今なら信長の首取れんじゃね??天下獲れるビッグチャンス到来じゃねww。このビッグウェーブに乗るっきゃない!!!」って気づいただけ。 鎌倉期を通じて、頼朝公が武士に象徴化されるにおよんで源氏の名誉もまた上がり
北条高塒の頃には、足利高氏は武士たちの間で強い存在感を得ていた
田舎武士というのは誤り、当時は鎌倉システムでは鎌倉に近い足利に勢力を持っていた侮りがたい勢力
北条もやっかいな連中と思っていただろう >>881
まあ首さえとれば後のことは後で考えようと思ったんだろうね
まさか体制整える前に短期間でゴリゴリ攻められるとは思いもよらなかっただろ このときの信長に生に対する執念が感じられないのが引っかかるんだよな
もし信長に未練があったら、何が何でも生き延びた気がする
是非もなし。なんて格好いいけど、何となく生をあきらめた気もするんだよな >>876
たぶん、パシリかと。 錦の御旗とかの
京都の腹黒さはスゴイし、明治維新だって、影のフィクサーだったかもしれないじゃないの?京都w 明智光秀の母は武田信豊の娘であり、
本能寺の際には、武田信豊は光秀について若狭を奪還した。 >>884
死に方がカッコ良すぎるよな
首も見つからないとかさ
いつでも死ぬ覚悟が出来てたんだろう
そのへんが凡百の大名たちとの覚悟の差 光秀は亡くなってたのさ、それがバレたら明智は数段の格下げになる
バレる前にヤッちまえって事さ >>882
三河な、三河の源頼朝
隠れてこんな事やっていた
北条が乗り越えられなかったのは、頼朝が構築した三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)
男系、女系共に源頼朝に近い足利氏が使命感をもって、武家社会を源頼朝の三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)に戻したのさ
その三河システムの存在は政子ちゃんは周知の事だ
頼朝やその息子孫がいなくなって、政子が頼りにしたのは三河で繋がる人々だったのは明白だろう、政子の葬儀奉行は三河守護の足利義氏だった
金剛三昧院(本尊、愛染明王は北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏として作成)
・建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建する
・承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰する
・貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立する
・嘉禎4年(1238年)、足利義氏は政子の十三回忌にあたり、当院に大仏殿を建立し、丈六の大日如来像を奉安して、政子と実朝公の遺骨を納める
・源実朝
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→源実朝
・葛山景倫(願性)
藤原実範(三河守)→女(藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)の妹)→高橋惟康(三河国高橋荘領主)→鮎沢惟兼→葛山惟忠→景忠→景倫(願性)
・安達景盛
小田野兼広(三河国八名郡小野田)→安達盛長(三河国小野田荘地頭、三河守護)→安達景盛(三河国小野田荘地頭、1221年まで三河守護だったか?)
・足利義氏
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女(養女)→足利義兼→足利義氏(三河守護) 四国征伐出発の日付との重なり具合見ると無関係はありえない
それだけでもないだろうけどかなり大きな要因だったはず >>55
信成は織田信長とは無関係
三代前の先祖がわからない信成
織田信長の子孫から
どちらの織田さんですか?と言われる信成 >>841
そんな状況でちゃんと稼いでた日野富子は立派 信長は躁鬱だったからねいつでも死ぬ覚悟は出来てただろうなあの時代だし おみくじを引いて、最初から吉が出てたらどうなったんだろう?とたまに考えるw >>884
相手が光秀とわかってぬかりはねえだろうと思って諦めたんだろう
それぐらい光秀のことを認めてたんだろうな 信長の首は見つからなかったが、九十九髪は見つけたYO >>891
四国征伐の総大将は長宗我部の取次だった光秀でなく信孝になったから
光秀からしたら、やられる前にやるって心境になったのかなぁ >>888
信長の首 とゆうか、頭蓋骨 外国人が持ってたりしてな
なんとなく、そんな気もする… >>852
信長は浅井も易々と信用して酷い目に遭ってたな。
義理の弟とは言え朝倉との仲を考えたら浅井が迷うことを考慮していなかった。 >>57
もたもたの意味がわからんが
信長の死体か首が有ればよかったのだが
発見できなかった為 信長が生きてたら大変と
抑えれなかったのが痛かった >>857
同じ絶対王政でも、大陸国フランスと島国イギリスはけっこう違うからなあ
イギリスの場合は、王権と臣下の関係が長年の相互妥協と譲歩で「持ちつ持たれつ共存関係」になってたから、
暴力革命でドラスティックにぶっ壊す必要がなかった >>837
何が関東のド田舎侍だよw
足利家は清和天皇清和源氏の一族の
源義家から続く源氏の嫡流
>>855
三河バカ発見
三河は所詮
足利の植民地
足利庶流で足利家・足利将軍家の奴隷なんだがw 明智光秀のクーデターが成功してたら鎌倉幕府的になってたんじゃね?
将軍家は足利にして管領で実権を握る感じでさ 室町幕府の再興というよりも天皇家の存続でしょう?
信長の後を受けた秀吉や家康の朝廷への対応を見ればわかる それもあって賃貸の仲介屋も一階紹介しろ、一切連れて行かず
後から聞いたら速攻辞めてるという、そもそも実態あったのか思うわな >>909
秀吉は割りと融和だったぞ家康の方がえげつなかった >「室町幕府の再興目指すクーデター」
ちがうね。
書状の書きぶりからしても、突発的事態が原因なのは明らか。
たぶん、家康に想定外の「伊賀越え」で逃げられて、討ち漏らした結果。
信長殺すのが光秀が生き延びられる可能性がある唯一の策。
だが準備不足で最初から無理ゲー。 自分が天下を取りたかったからだろ、ただの欲望だよ
戦国なんだから当たり前といえば当たり前
室町幕府再興は建前(大義)であり、自分が天下を取るための手段だろう >>907
逆
足利は三河→足利→三河だ
源姓足利氏は、源頼朝が藤姓足利氏を滅ぼし足利荘を、三河の従兄弟の源義兼に安堵した事で初めて誕生した
京の公家社会からあぶれて、父の受領国である三河に土着し、領主化武士化した一族から鎌倉将軍家と足利将軍家が輩出され
同じく三河から、徳川将軍家とトヨグループを排出したわな
三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
系図
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→源頼朝(初代鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→源義兼(足利義兼)(初代源姓足利氏)
■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、三河県岡崎市)
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(三河県豊田市)に土着する
・季兼は、三河国加茂郡(三河県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(三河県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(三河県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(三河県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪) ←乗っ取られる(笑)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝(初代鎌倉将軍)を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、足利義兼(初代源姓足利氏)を生む >>912
細川にすら打ち明けていないことからして、発作的衝動だよな 秀吉が三法師出したように光秀も将軍担ぎ出せば名目がたったろうに >>61
息子を殺したのは家康
織田信長のせいにしたのは江戸時代に入ってから
江戸幕府の役人が織田信長と酒井が面会してる日を
無理やり謀反ありの場とした >>918
本人が将軍家裏切ってるからなぁ
将軍本人は毛利あたりにいたし 尊氏直義の兄弟は餃子でも食いながら兄弟漫才して「足利家」って名乗ってるのがせいぜいの奴ら。
本当の嫡子が早世したばかりにショッパいお袋の実家からは大した援助も期待できなかったし。 >>222
当時の日本は兵員、鉄砲の数メチャ多かったようなデータ見たような。 誤解で言えば、三河西部は江戸時代からは徳川家だったように歴史観変えていると思う
中条家忠・水野信元・佐久間信盛らの配下からして、矢作川西部は少なくとも松平氏しかないというのではなく、かなり織田・水野の勢力圏だったと思う ちなみに室町幕府の名門、京極高次も光秀について、秀吉の本城、長浜城を攻めた。 まあいろいろ後からみれば欠陥はあるが、当時の常識と社会勢力の布置のなかでやりうることをやってるだけで
当時としては合理的だったりするのだろう、正しいことを言ってもやろうとしても通らないのが既得権益というもの
日本での話としてよく言われる既得権益だが、これには誘導がある世界中そうだから >>918
信長恩顧の武将は全員抹殺するのか?
生かしておいたら、いつ仇討名目で反逆されるか分からんぞ 戦国時代の真実の多くは、
間違いなく江戸の徳川時代に書き換えられているということ。
それを未だに真実だと思っている日本人の多いことに驚く。
一次資料を中心に研究すべき。 謀反起こした身としては何でも利用しようとしただろうし、その一つなんじゃね? >>923
微妙なとこだな
鉄砲数に関しては実数はよく分かってない
欧州だってかなりのペースで増えてるから、欧州全体と日本とを比べたら
欧州の方が互角以上じゃね?
欧州のどこか一国と比べたら日本が圧勝だが 光秀のバックは朝廷と仏門だよ。
信長生きてれば朝廷も、仏教も滅び半島進出もしてただろうがいずれ内部分裂はしてたろ 書状は沢山残っているけど、どれもアピール不足なんだよな
謀叛したことに対しての正当性を大々的にアピールしなきゃ皆ついてこないのに もし光秀が一時期でも天下人になっていたら
世の中が中世に逆戻りするだけの無駄な時間だっただろうな
信長→秀吉→家康で良かった
もし信長があと10年長生きしていたら、という興味はあるが >>931
チャー研の恐怖精神病院長が「目標はヨーロッパだ」っていってたみたいな >>929
でも太閤秀吉の存在を書き消すことは出来ないから、
むしろ秀吉側を褒めることで、そいつらに勝った家康様はもっと偉大
って論調に持って行ってる
書き換えはしてないよ >>906
なるほどねえ
非常に勉強になります、ありがとうございます
やっぱ歴史は面白いやね >>929
うん。焼き討ちの未浄化霊に悩まされて天守閣で刀を振り回していたという説も聞いたことある。 >>924
適当な事言ったらあかんな
西側は、鎌倉期を通じて斯波氏だろ
東側が足利宗家 >>942
俺京都人だけどあの辺一体つまんねー商店街だぞ
場所は本来と違うし
京都は歴史をもっと保存する方法を考えろと言いたい
パチンコ店や地元のきったねー家屋が多すぎ >>939
足利将軍を茶坊主にしていた秀吉のことを「将軍になれないからしかたが無く関白になった」とか林羅山に言わせてたぞ。 >>939
勝った長久手の戦いだけ強調してるんだなあれ。 信長と信忠を殺した光秀と
信孝とお市と柴田勝家を殺して信雄と三法師秀信を家臣にして茶々を妾にした秀吉とどっちが悪辣なんだろう。
個人的には断然後者なんだけど。於次丸秀勝も病死って言ってるけどそれもどうだか。 >>837
足利氏は鎌倉時代通してずっと重要な位置にある御家人で
先祖は源平合戦にも早くから参加してる クーデター起こした後の書状なんか、
きれいごとだらけのなるべく多くの人が納得しそうな
内容にするに決まってるだろう。 >>943
俺が言いたいのは江戸徳川家の譜代で西三河出身勢力がさも昔から徳川であるように設定されていることが違うということ ハプスブルク家も、スイス東北部アールガウ地方のアーレ川とロイス側の川渡の親分が始まり、
Habichtsburgが築城されたころが解る範囲での初代と思われ、ドイツ人がアルプスを越えてローマに巡礼する経路を抑えたことで経済力を握るようになる
漢帝国の劉邦も、郡県制の郡にあった都市に居たごろつきの兄貴分だった、それらが成りあがった後は系譜が名門と成る
それが素晴らしいじゃないか、初代は世の中を知っているということが、後代の皇帝が愚鈍になるのは狭い宮殿で育つことで世の中を体験することが出来ないからだろう >>925
そりゃ京極は三河サイドだからな
家康が生まれた岡崎市下和田と渥美半島は京極氏の所領だった
足利義満(3代目足利将軍、1358〜1404)年表
【1351年】高師泰・高師直他高一族8人が、摂津国武庫川で殺害される
【1351年】仁木義長(兄の仁木頼章は幕府執事(管領の前身))が、三河守護(前任は高師兼(高師直の猶子)になる
【1357年頃】明阿(父:高師泰、夫:高師冬(高師直の養子))が、三河国額田郡菅生郷(三河県岡崎市)に、一族を菩提する総持寺を創建する、住持は兄・高師世の娘
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【1358年】伊勢貞継(初代伊勢氏・伊勢俊継の孫)の屋敷で生まれる
【1360年】大島義高(新田氏流)が三河守護になる(新田義重―里見義俊―義成―大島義継―時継―盛義―義員―義昌―義高)
【1367年】足助重宗(足助重範の孫)の子・重政(寛立上人) が、松平郷主・在原信重の支援を得て、三河国加茂郡松平郷(三河県豊田市)に寂静寺(高月院の前身)を開創する
【1368年】管領・細川頼之を烏帽子親として元服する
【1368年】三河国額田郡片寄郷(三河県岡崎市)に、天恩寺を創建する、足利尊氏遺言の寺、開創は永源寺2世弥天永釈、4代目将軍足利義持の祈願所
【1369年】三河国宝飯郡御馬郷(三河県豊川市)に御馬城築城を、管領・細川頼之に命ずる、頼之は弟の頼有に命ずる
【1370年】三河国設楽郡(三河県新城市)に甘泉寺創建か?、天恩寺と同じ永源寺2世弥天永釈開創、御朱印高48石、山林境内20余町歩を寄進する
【1379年】管領・細川頼之失脚、斯波義将が管領になる(康暦の政変)
【1379年】伊勢貞継(初代伊勢氏・伊勢俊継の孫)を政所執事に任ずる
【1379年】一色範光(侍所頭人、若狭守護、、尾張国知多郡・海東郡の分郡守護)を三河守護に任ずる
【1380年代】管領・斯波義将が、斯波氏先祖代々の墓所がある三河国碧海郡(三河県岡崎市)に、永源寺の創建を申し出る、これを支持し将軍家安泰を併せて祈願
【1380年代】三河国額田郡(三河県岡崎市)の滝山寺本堂(4度目)を建替える
【1382年】源信氏(細川信氏か?)が義満誕生日祈祷の為、三河国額田郡片寄郷(三河県岡崎市)など4ヶ所を天恩寺に寄進する
【1387年】三河国額田郡下和田郷(三河県岡崎市)を、京極高詮に還付する >>867
密談と銀行なんて、相性がいいじゃないですか。
世の中なんて、陰謀まみれ。
最近は陰謀説なんていって、否定されますけど。 >>925
続き
【1388年】富士山遊覧、三河国額田郡(三河県岡崎市)の矢作宿に宿泊する
【1388年】一色詮範(侍所頭人、若狭守護、尾張国海東郡・知多郡分郡守護)を三河守護に任ずる
【1390年】管領・細川頼之が、三河国額田郡細川郷(三河県岡崎市)の屋敷跡に、蓮性院を創建する
【1390年代】足助重宗(足助重範の孫)に、尾張国野間荘を還付する、当時の野間荘は、高師直領を将軍家預かりとなっていた模様
【1391年】伊勢貞行(伊勢貞継の孫)を御料所三河国額田郡山中郷(三河県岡崎市)の代官に任ずる、山中郷の法蔵寺は6代目将軍足利義教の祈願所
【1392年】細川頼之死去、葬儀は義満が主催して相国寺で行われる
【1394年】出家する
【1397年】三河国碧海郡(三河県岡崎市)の永源寺(創建:斯波義将)に、後に建仁寺61代住持となる玉岡和尚を住持職に補す
【1397年】三河国渥美郡(三河県田原市)を京極高詮に還付し、守護使不入の地とする
【1399年】三河国額田郡菅生郷(三河県岡崎市)の乙川六名堤造営を、管領・畠山基国にを命ずる、下和田郷が水不足に陥り、領主・京極高詮から苦情が入る
【1399年】三河国額田郡比志賀(三河県岡崎市)の深恩院に、高一族の比志賀郷の旧領を寄進する
【1404年】松平和泉守源信光が誕生する
【1406年】一色満範(義満偏諱、侍所頭人、若狭守護、丹後守護、尾張国海東郡・知多郡分郡守護)を三河守護に任ずる
【1408年】死去する 秀吉は悪行に次ぐ悪行がやがては韓国への野望に広がり法則発動で破滅へ向かう 本能寺の変後は味方集めに大義名分が必要だから、
明智の性格からすれば、そう言う以外、ないというだけだろう。
変前の書状なら、価値はあるけど。 >>192
全てを塗り替えきれないから、残った部分と状況証拠から推定するのよ。 >>916
そもそも
藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)は尾張
で頼朝の出生地
三河は何もないから何でも捏造できる
家康が良い例だわw 元祖「このハゲーーーっ」
かと思ったらキンカ頭は創作なのね >>951
家康は、安しょう松平家でしょ
安城は西岸じゃないのか?w >>935
謀反の理由が書状送る相手によってコロコロ変わってるから、掲げることができる大義名分なんてなかったのが真相だろうな
保身だけ、あるいは、自分が天下人になりたかっただけ。 あの時、本能寺で信長が死んでいなければ、日本の領土は広がっていたかもしれない。 >>958
古代史も実は乾燥した大地や堆積した大地や、腐食性土壌で遺物をなくしてしまう傾向の強い大地と乾燥化してそのまま残りやすい大地とかがあり
残ってるもの中心主義で歴史を解釈せざる得ないから実際は解らないよね
また海面も上下かなり移動しているから、先史時代とか、人間の人口数類推も今海面下にあるかもしれない貝塚などが解るとかなり違うものがあるかもしれないし
海面がかなり低かったころ、今海面下に陸地があり先史遺跡が海底下に沈んでいるところもあるかもしれないしね(華々しい遺跡とかではないのだとしても) このクーデターで怪しい動きをしたものが黒幕
家康と秀吉 当時の55歳って随分老けてそうだからジジイが正しい光秀像なのかもしれないけど
大河ドラマ秀吉の村上弘明はカッコよかったなあ… 秀吉が信長横死後最終的に顕如や義昭を支配下に置いて
権威付けに邁進したってのも結局は
旧社会(朝廷・貴族)らから政権の正統性を保証してほしかった証拠だしな
文禄の役には義昭ですら先の将軍と号して肥前名護屋まで行ってるんだぜ >>959
生まれるわけない
303 :名無しさん@京都板じゃないよ:2012/03/23(金) 09:35:38.83
尾張國造家は、単なる外戚の三河の藤原南家に「天皇の夢」というワケのわからんムチャクチャで大宮司職を奪われるも、神宮寺の愛染院(真言系)とスクラムを組んで対抗し、
藤原季範を締め上げた。季範の息子の代には、館を社僧に取り囲まれて外に出ることもできなくなり、頼朝に泣きつき、頼朝の発案で天台系の神宮寺を作って愛染院に対抗させやがる >>961
だからさ、信長の家臣団で西三河出身者が当時から居る訳、でも徳川史観では松平が三河を掌握しているような世界観があるでしょ? 足利幕府って言うと、なんで潰れた幕府を復興させるのか、としか思えないが、
当時の価値観からしたら、源氏が武士の棟梁なわけで、
足利は源義家の系譜だから、頼朝に近いわけだよな。
一方、信長は下剋上の成り上がりに過ぎない。
どこの馬の骨って感じなんだろね。
農民出身の秀吉の死後、関ヶ原で大坂の秀吉側に味方が付かず、大方が家康についたのも、家康の方が家柄がいいからだろうし。 >>911
ところが水戸藩は勤皇家に育てた
家康は徳川家存続の保険の意味でそうしたんじゃないかって思える 室町幕府再興させても足利じゃ頼りないから、
天海僧正に姿を変えて徳川のブレーンとして強力な江戸幕府成立させた
と言う小説なり漫画なり誰か書いてくれ >>973
関が原では家康も三成も秀吉の名代を称した。
所詮はどちらも秀吉の手下。 もし後ろ盾がいたなら本能寺の変の前後に
光秀と頻繁に連絡を取り合っていた記録が残っているはず >>87
お前はウンコとゴミレス以外残したもんあんの? >>973
それはちょっと権威を重く考えすぎ。家康がいちばんの実力者だっただけ。家柄で言えば、同じ五大老の上杉なんて徳川よりはるかに上。 光秀の家臣は木っ端まで、本能寺の当日は家康を殺ると思っていた様で、
信長家臣団も暗黙の了解で、秀吉も長秀も分かっていた事だろうな。 天正時代の役人がしっかり記録を残さないから
平成時代の人が困るんだよね >>797
当時は鉄砲だけで勝敗決まったわけじゃないよ
射程範囲も狭かったし、命中率も低かったし
火縄銃だから、雨とか風で火が消えると弱かった
インカ帝国とかアステカ帝国は、金属器もろくにない文明だから
スペイン人数百名で攻略できたけど、あれも鉄砲で無理やり殺しまくったんじゃなくて
現地勢力の内紛を利用したり、敵対部族と協力して、現地の人員も動員してるし
鉄砲だけで戦ったんじゃなくて、フルプレートアーマーを装備して、槍でも戦ってる
仮に、500人が一斉に射撃しても、全弾命中がありえないし
雨天の時に、数万の大軍で包囲されて奇襲されたら、ひとたまりもないよ
スペイン人が新大陸を攻略できたのは、現地の神話で
「この年に、神が降臨する」みたいな預言があって、
スペイン人を神と誤認してたって事情もある 戦国は下剋上の時代だから隙さえあれば光秀みたいな武将は普通に寝首をかくだろ。
光秀は土岐家の再興が最終目的だからその目的達成のためには信長の首をとってもおかしくはない。 >>975
割とマジでそれ
細川とか筒井が動いてたら歴史は変わってただろうな >>973
源氏ではない
頼朝にとって親戚とは、三河の母方を指す
北条が乗り越えられなかったのは、頼朝が構築した三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)
男系、女系共に源頼朝に近い足利氏が使命感をもって、武家社会を源頼朝の三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)に戻したのさ
その三河システムの存在は政子ちゃんは周知の事だ
頼朝やその息子孫がいなくなって、政子が頼りにしたのは三河で繋がる人々だったのは明白だろう、政子の葬儀奉行は三河守護の足利義氏だった
金剛三昧院(本尊、愛染明王は北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏として作成)
・建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建する
・承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰する
・貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立する
・嘉禎4年(1238年)、足利義氏は政子の十三回忌にあたり、当院に大仏殿を建立し、丈六の大日如来像を奉安して、政子と実朝公の遺骨を納める
・源実朝
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→源実朝
・葛山景倫(願性)
藤原実範(三河守)→女(藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)の妹)→高橋惟康(三河国高橋荘領主)→鮎沢惟兼→葛山惟忠→景忠→景倫(願性)
・安達景盛
小田野兼広(三河国八名郡小野田)→安達盛長(三河国小野田荘地頭、三河守護)→安達景盛(三河国小野田荘地頭、1221年まで三河守護だったか?)
・足利義氏
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女(養女)→足利義兼→足利義氏(三河守護) 光秀が用意した家康接待の料理が腐っていたと言われているが、
実際には毒が盛られていたので、家康は腐っていた事を口実に食わなかったのだろう。 >>981
いや、権威を軽く考え過ぎ。
源氏も、そもそも、朝廷の血筋で、そこらの血筋のわからない庶民従うのはおかしいのが当時の価値観。
力があるから、しょうがないって感じで従っただけで、だから信長包囲網が築かれたんで。 信長が光秀を叱責したのは、
料理が腐っていたからではなく、
家康毒殺に失敗したからだろう。 織田信長が構想していた海外進出は、どんなものだったのか?
その1. 第2のイエズス会≠フ翼賛を得た壮大な征服計画だった!
キリスト千年王国を叶えるべく2000隻を超える膨大な 数の軍船を建造し、
明朝中国を手始めにインド、西アジア までも視野の内に入れたものだった。
信長の構想は、一次資料たるイエズス会の『1582年日本年報追加』に、
そしてまた、ほぼ同文が『日本史』に見える。引いてみよう。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/t-saito_world/docum_03_world/w01_nobunaga_basic/12a_nobu-kaigai-sinshutu.html
信長は毛利を平定し、日本六十六カ国の絶対君主となった暁には、
一大艦隊を編成してシナを武力で征服し、諸国を自らの子息たちに
分ち与える考え(計画)であった。(括弧内は「年報追加」における文言)
秀吉は、関白に任官された天正13年(1585年)、早くも唐入りを表明していたことが、
家臣の一柳末安へ宛てた朱印状で確認できる。
それには、「秀吉、日本国は申すに及ばず、唐国迄仰せ附けられ候心に候歟」とある。
本能寺の変からわずか3年後、九州、関東、東北が未だ服属していない段階であるにもかかわらず、だ。 >>993
家康は賀茂氏だったり藤原氏だったり徳川氏だったりとカメレオンみたいな奴だろ。 >>851
謀反をそそのかす和歌を詠んだ人がいたが
光秀が死んだ後で、和歌の当該部分を削って同じ文句で書き直した人がいたね
後で取り調べを受けた時に「削って書き直したのは明白。これは私を陥れる罠だ」という言い訳で証拠不十分で釈放された >>993
信長包囲網? 手を組まないとやられるやつらが手を組んだだけだろw このスレッドは1000を超えました。
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