カロッツェリアに依頼

マイカー時代の幕開けとなった1960年代、三輪トラックメーカーだったダイハツは時代に乗り遅れまいと、乗用車への参入を画策していた。

61年秋のモーターショーに700ccの試作車を出品したものの、予想外に不評だった。原因はデザイン。小型車には不似合いな大型のフロントマスクが洗練さを欠いた。デザインの重要性を痛感したダイハツは、洗練されたスタイルを求めてイタリアのカロッツェリア(車両デザイン工房)の門を叩いた。

当時、日本ではカーデザインの手法が確立されていなかったため、各メーカーはカロッツェリアにデザインを依頼していた。プリンス「スカイラインスポーツ」はミケロッティ、日産「ブルーバード」はピニンファリーナ、マツダ「ルーチェ」はベルトーネが手がけた。

ダイハツが白羽の矢を立てたのは「ビニアーレ」。フェラーリやマセラティを代表作に持つ名門だ。

ダイハツの乗用車第1号は「コンパーノ」と名付けられ、63年6月にワゴン、翌64年2月には独立したトランクを持つセダン「コンパーノ・ベルリーナ」が登場した。

モーターショーで復活

小さなボディのコンパーノはバランスのとれたモダンなデザインが特徴。当時のカタログには「美しいイタリアン・スタイル」と謳われた。内装もイタリアンムード満載。木目張りのダッシュボードに黒い4眼メーター、3本スポークの細いウッド調ハンドルはスポーツ心をくすぐる。

ただし、中身が旧態依然なのは否めない。フレームはトラックと同じハシゴ型、800ccエンジンは41馬力足らず。

ダイハツは性能の低さと販売力の弱さを補うため、派生モデルを次々と繰り出す。とくにオープンカーの「スパイダー」は美しく、当時の国産車

中でも印象深い一台だ。

それでもコンパーノは販売面で苦戦を強いられ、6年間の生産台数は約12万台止まり。69年4月には提携先のトヨタとの兄弟車「コンソルテ」にバトンタッチして、一代限りで姿を消す。

登場から半世紀、もはや過去のクルマとなったコンパーノだったが、昨年の東京モーターショーに突如、コンセプトモデルとして“復活”した。4ドアクーペの流麗なスタイルは未来的で、イタリアデザインから出発したダイハツ乗用車のDNAが息づいていた。(中村正純)

※コンパーノはイタリア語で「仲間」、ベルリーナは「セダン」の意味 


【データ】コンパーノ・ベルリーナ800デラックス

水冷直列4気筒OHV797cc 41馬力

全長3800ミリ×全幅1445ミリ×全高1410ミリ

車両重量755キロ

最高速度110キロ

乗車定員5人


産経WEST 2018.3.24 10:55
http://www.sankei.com/west/news/180324/wst1803240034-n1.html