■海軍第4病院による生体解剖・虐殺事件(1944年1月、3月、7月トラック島)
1月:捕虜8人に生体実験を行い6人が死亡した。生体実験で生き残った2人を
ダイナマイトで吹き飛ばし、爆風で四肢を失い苦しむ2人を絞殺した。
3月:捕虜4人を生体解剖し殺害。
7月:捕虜2人を槍や銃剣で刺突して殺害し、斬首した。
さらに6名の捕虜が殺害されたとされる。
戦後、捕虜の死体を掘り返して海に捨てるなどして隠し、関係者に口止
めをして事件を隠蔽しようとした。
グアム裁判において第4病院の院長・岩波浩に絞首刑、
軍医官ら18人に終身刑・有期刑の判決が下された。

■海軍第41警備隊による生体解剖・虐殺事件(1944年6月20日、トラック島)
捕虜1人の胸部、腹部、陰嚢などを切開し、さらに斬首して殺害。
同時に、別のアメリカ人捕虜1人を銃剣刺突によって殺害した。
戦後、捕虜の死体を掘り返して海に捨てるなどして隠し、関係者に口止
めをして事件を隠蔽しようとした。
グアム裁判において10人が起訴され、第41警備隊の浅野新平と上野千里
に絞首刑、他4人の被告に終身刑の判決が下された。



■パラワン島捕虜焼殺(1944年12月14日、フィリピン・パラワン島)
150人の米軍捕虜を地下防空壕に押し込み、バケツでガソリンを注ぎ、続いて
たいまつを投げ入れた。燃えながら防空壕から逃げようとした捕虜は
銃で撃たれるか銃剣で刺殺されたが11人が生き残った。