【福岡】国宝「金印」再現なるか?鋳金・考古学者らが実験…失敗 古代技術の「謎」解明へ再挑戦
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福岡市東区の志賀島で発見されたと伝わる国宝の金印「漢委奴国王」の製作を再現する実験が始まった。取り組むのは「九州鋳金研究会」に所属する鋳造技術や考古学などの専門家たち。古代の金印がどのように作られたのか、いまだ詳しいことが分かっていない謎の解明への挑戦だ。
3月末、福岡県宗像市にある福岡教育大の鋳造室。九州鋳金研究会会長で、鋳金が専門の宮田洋平教授(58)が溶解炉を熱していた。地金を溶かす「るつぼ」が炉内にある。木炭を炉に入れると、火の粉が高く舞い上がり、真っ赤な炎は勢いを増した。
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」への金印の登録を目指すNPO法人「志賀島歴史研究会」(福岡市東区)の要請を受け、九州鋳金研究会は金印の製作技術の研究を始めた。
昔の官印に関する文献を踏まえて工法を検討し、古代中国でも行われた蝋(ろう)型鋳造法を採用。金属を溶かす熱源は、現代ではコークスを用いるのが一般的だが、当時の工法に近づくため、木炭を使うことにした。
鋳型は、宗像市の鋳物師、遠藤喜代志さん(68)が製作。福岡市博物館にある金印のレプリカを参考に、蜜蝋と樹脂を混ぜて原型を作った。実物よりわずかに大きくしたのは、後で加工するためだ。
□ □
歴史研究会のメンバーや福岡市博物館の学芸員など合わせて約30人が見守る中、実験が進む。
火入れから約1時間。炉内の温度が千度を超えると、地金をるつぼの中へ投入した。金の含有率は実物と同じ。湯口まで満たすため、地金は実物よりも約90グラム重い。
15分ほどで地金が溶けた。炉内の温度は1188度に達していた。地金を鋳型に流し入れると、オレンジ色の液体は急速に赤みを失って固まった。
さらに1時間後。宮田教授が冷ました鋳型を木づちで割ると、砂まみれの金印が現れた。しかし…。
「残念ながら失敗です」と宮田教授。金印の印台の一部が欠けていた。
宮田教授によると、熱源に使い慣れていない木炭を使ったことで、地金が十分に溶解せず、湯口に近い部分まで行き渡らなかったようだ。
当初は金印を鋳造後に印面に篆刻(てんこく)する予定だったが、その手法を含めて製作法を再検討し、実験は原型作りからやり直すことになった。ただ、古代の技術解明のためには、失敗を追体験することも大切なことかもしれない。
九州鋳金研究会は、志賀島歴史研究会が10月に開く金印シンポジウムで一連の研究成果を報告する予定。歴史研究会理事の岡本顕実さん(74)は「金印を技術的に検証し、製作法が明らかになれば、世界の記憶登録への追い風になる」と期待を寄せている。
【ワードBOX】国宝金印「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」
江戸時代、志賀島で農民が発見したと伝わる。古代中国の史書「後漢書」に、後漢の光武帝が57年、福岡平野にあった奴国の王に印綬を与えたと記され、「漢委奴国王」と刻まれた金印のことだとされるが、偽物説もある。一辺2.3センチ。重さ108グラム、金の含有率95%。福岡市博物館所蔵。
金印の製作を再現する九州鋳金研究会のメンバーたち=3月30日、福岡県宗像市
https://www.nishinippon.co.jp/import/national/20180417/201804170007_000_m.jpg
溶かした金を鋳型に流し込むと、あっという間に固まった
https://www.nishinippon.co.jp/import/national/20180417/201804170007_001_m.jpg
九州鋳金研究会が作った金印。湯口に近い部分が欠けている
https://www.nishinippon.co.jp/import/national/20180417/201804170007_002_m.jpg
関連過去スレ
【歴史】国宝「金印」は本物? 後世のニセモノでは、との声が後を絶たず[朝日新聞]
https://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1508837001/
2018年04月17日 17時00分
西日本新聞
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/409269/ 刀鍛冶ならいざ知らす 今はコークスを使わないだろ
高周波溶解炉のはずだぜ >熱源に使い慣れていない木炭を使ったことで、地金が十分に溶解せず
当時の職人は木炭がデフォだったのならノウハウもあったんじゃね? >世界の記憶登録へ
へぇ、2000年前だものなぁ。
登録騒ぎ起こしてもいいな。喧伝は南韓国がやるだろうし。 きんいんきんいんきんいんきんいんきんいんきんいんきんいんきん 古代の金印じゃないよ(笑)江戸時代後期の彫金師が造ったんだよ。 >>15
発見当時の人が作ることができないって話を覆せてないんだな
覆せないと捏造説の根本が成り立たん 鋳型を温めてないからだよ、入れる先から冷めていくからね、 まだ贋作とか大昔の俗説信じてる奴がいるのか。
考古学が20世紀以降の大陸の出土品からはじめて知りえた特徴を
矛盾なくそなえてるものを江戸時代に出し抜けに一個だけ作れるわけがない。 温度管理ができてないだけじゃん
謎も何も技量が不足しすぎ いやそもそも江戸時代の腕のいい彫金職人が作ってるフェイクだから。
古代技術では無理だよ。
ちなみに他の中国の本物の金印らと印面の鮮明さや造形を比べてみなよ。
明らかに近世の偽物って解るから(本物は現代人から見ると素朴である) >>20
こういう「証明」を発行してたんだから、鋳造は一度や二度ではないよね 卑弥呼の金印ゴッドハンドが掘り出すための第一歩だと思う
福岡が早いか奈良纒向が早いか >>11
倭寇に略奪された物だから返還しる!とか言いそw >>1
要らないから棄てたのに、わざわざ復元とかよほど支那の下僕に成りたいようだなw とりあえず金印贋作説がまるっきり根も葉も無いデタラメなのが丸わかりでんがなまんがな >>22
古代支那の技術の高さが知れ渡るね。
支那人にとっても結構な事だろ。 金印贋作説を垂れ流してるウソつき野郎が、
どの程度のウソつき野郎なのか丸わかりでんがなまんがな。 おっと、それは拙者のインキンでござるよポリポリ >>18
∧_,,_∧ .・(U) ボ
( ゙゚'Д゚')∴;∵ヽ('∀' ) ン
⊂|、, つ.;.;.;’ ヂ
((, |・," /
| | ノ ッ
(.(_)
(U) 金印の再現に失敗しました!
( '∀')ノ 熱意が足りなかったようです! 金印がどうやって作られたのか、現代科学でも今もって分からないあーだこーだって状態なのに、
「金印は江戸時代の贋作キリピカ」ってやってんだよ。
どのくらいのうそつき野郎か良く分かるだろウソつき野郎どもwwwww
本物かはともかく出自は怪しいね
長年土中に有った割には傷や変形が少ない
本物だったとしても長年箱の中で大事に保管されてたのでは?
発見からそう遠くない頃に何らかの理由で埋められたのでは?
金印がどうやって作られたのか、
現代科学でも今もって分からないあーだこーだって状態なのに、
「金印は江戸時代の贋作キリピカ」
ってやってんだよ。
どのくらいのうそつき野郎か良く分かるだろ
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中国にやり方習えよ
今でもその時と同じ手法でやってるだろうから この前、福岡市立博物館で見てきたけど、
意外に小さいのな、あれ
もっと大きいものだと思ってた。 江戸時代に贋作を作る意味も無いしなぁ
江戸時代の人も漢の時代のことなんかよく知らなかっただろうし
偽物作るならやっぱ秦やろ!
始皇帝がくれた金印の方が価値がある >>45
温泉に入るとか日本猿にもロマンはあるけど、
ロマンを求めないのは猿以下だろ w 江戸時代の飾り職人が作ったんだから、藩庫でも調べりゃ製法書いた書付くらい出て来るだろう
古代中国? 馬鹿かw
金印がどうやって作られたのか、
現代科学でも今もって分からないあーだこーだって状態なのに、
「金印は江戸時代の贋作キリピカ」
ってやってんだよ。
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>>44
畿内の古墳から出ている銅鏡と同じ石棺構造だろ。 何故に漢の萎(イorリ)の奴隷国王が、倭国のことといいはれるのかが不思議 江戸時代は初期過ぎると国学がブームになってくるから
日本の成り立ちも関心が持たれる頃
当然中国の日本に関する文献もよく読まれる
贋作も根拠なしではないのがややこしい >>57
漢の時代は倭と委がほぼ同じ発音だったんだろ
(金印とほぼ同時代の説文解字つう辞書には、倭の説明のとこに委声、とある)
だから金印に倭ではなく委を使われたのかも 本物かどうかは別にして極めて怪しいのは事実だろう
黒田藩も危険を感じたのか門外不出とし明治になって公開された
近年他の金印(本物)との比較で日本では当時分からないはずの意匠や造形であったことが知られ
本物説が主流であるが
本物を模したフェイクである可能性もあるだろう
ちなみに蛇の意匠は誤りで本当は駱駝の意匠が崩れたものではないかとの見解も最近出ている
言われてみればどうみても蛇ではない
金印がどうやって作られたのか、
現代科学でも今もって分からないあーだこーだって状態なのに、
「金印は江戸時代の贋作キリピカ」
ってやってんだよ。
どのくらいのうそつき野郎か良く分かるだろ
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では本物を模したフェイクあるいは江戸の職人が本物を造形し直したという見方はできないだろうか
それは印面の文字が誤りである点、蛇の意匠が打ち直し(本来は駱駝であったはず)である点
からもどうも本物をかなりいじっている可能性は否めない
そうする理由は、本物の金印の位置づけを、発見者に有利に変えたいからであろう
そこで発見者である或る無名の国学者が問題になってくる。 >>61
石板で囲んでありその中に金印があた
伝承によれば 前漢の滇王之印は蛇紐で、漢倭奴国王印とほぼ同じ時代の廣陵王爾は
亀紐だが意匠は似てる(どちらもデザインとして円形の掘り込みあり)
サイズも大体近い。偽造ってのは考えにくいかも >>21
江戸時代には中国古印が美術品収集の一分野として確立していた上にいろいろな印譜が流通していた
当時の篆刻家が漢印の特徴を知らなかったわけがない なぜか 畑に捨てられてたって聞いたことあるんだけど 中国の奴隷の国って意味だよね
ジャップ哀れw
そんなものが国宝だなんて 奴隷献上しただけで金が貰えるなら
奴隷を万人単位で献上してるのでは >>68
江戸時代に流布してた印綬のサイズはまちまちで、漢の時代の一寸のサイズは判ってなかった
印綬の紐の部分のデザインについては、残ってる記録ではラクダか亀、っていう記述しかなく、蛇が無い
(ただ滇王之印から、蛇紐があったのは確実)
倭にしても、贋作ならわざわざ委にする理由も恐らく無いし
紐のデザインについても、江戸時代じゃ判らない
ほぼ同時代の廣陵王爾は1981年発見だし、紐の動物に小さな丸を入れるようなデザインがあったなんて
江戸時代には判らない
確実に本物だと断定は出来ないが、本物の可能性は結構高いんでは、と思う 型に流し込んであと加工で仕上げるより、最初っから削り出しで作った方がよくね? >>47
無理無理
あそこは王朝変わるたびに技術全部失ってて何も持ってない上に共産党がとどめさしてるからな
耀変天目茶碗なんか絵の具で模様書いてる有様 その方法が当時の技術なのかどうやって実証するんだ? >>72
日本全体じゃなくて日本のうちの小さな一地域だから
金印がどうやって作られたのか、
現代科学でも今もって分からないあーだこーだって状態なのに、
「金印は江戸時代の贋作キリピカ」
ってやってんだよ。
どのくらいのうそつき野郎か良く分かるだろ
ウソつき野郎どもwwwww
>>72
https://www.google.com/search?q=%E5%A4%A7%E6%B8%85%E5%9B%BD%E5%B1%9E%E6%97%97&client=puffin-a&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwiEtvbHzcLaAhUL658KHW0TCvgQ_AUICigB&biw=1024&bih=1662 新日鉄とかなら木炭使って簡単に作れるんじゃないの? >>82 えーでも江戸時代の職人は木炭の扱いに慣れてたんじゃねw?コークス明治時代からだし 失敗したんかいw
つかこれ実物ビックリするくらい小さいよな
「え?マジでこれなの?」って絶対に思う 無知すぎてごめん
一応大事なものなんでしょ?なんでこの島から出てきたの?
政治の中心地だったの? >>90
不明
出土位置も多分嘘で記録におかしな点が多い
そこは弥生時代にはラグーンでそもそも埋められない
ただ物自体は本物 >>41 奴→ナ=那 で諸那邦(稲作倭人邦)の内のどれかが漢に恭順を示したに過ぎないと思うけどね
何でイコール邪馬台国までトリップできるのかオレには云う連中の頭の仕組みを能く理解できない 福岡にあった国(奴国?)が何か理由があって志賀島に隠したのかもだし
口伝だと糸島半島にある細石神社から盗まれた、て話も
細石神社のすぐ傍には伊都国の王墓があり、細石神社はその拝所だったという話も
今の細石神社は小さな村の神社、て感じだけど
まあ実際は判らんけど >>24
佐渡でざくざく取れてた日本産の金で作ったて聞いたわ 1回でこのレベルが出来たんなら。
10個作れば1つくらい完成品は出来るだろ。 >>88
江戸時代の職人は鎌倉時代の刀を再現できなかったからな
失われた技術の再現てのは実際のところ難しい >>88
金印がどうやって作られたのか、
現代科学でも今もって分からないあーだこーだって状態なのに、
「金印は江戸時代の贋作キリピカ」
ってやってんだよ。
どのくらいのうそつき野郎か良く分かるだろ
ウソつき野郎どもwwwww
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています