【日韓】祖国捨て日本へ「済州島虐殺」という地獄 大阪・鶴橋のコリアタウンの背景[08/12] 【前編】2ch.net  元スレ

現在は美しいリゾート地として知られる韓国最南端・済州島。だが、朝鮮戦争と前後して、李承晩大統領による徹底的な弾圧を受け、人口が9分の1になる「地獄」を経験した島でもある。
島民の多くは、祖国を捨てて日本に渡り、大阪・鶴橋のコリアタウンに集まるようになった。当時の韓国大統領は、なぜヤクザ崩れの暴力組織まで使って、自国民を虐殺しつづけたのか――。

■統一か独立かで国論が二分

いつも観光客でにぎわう、大阪・鶴橋のコリアタウン。おいしい焼肉店や各種の韓国食料品店、美しいチョゴリを売る店など、本場の韓国さながらの雰囲気が人気です 。

一方で、実はこの街の成り立ちそのものが、韓国の悲しい歴史と深く関係しているのです。
 
今の在日韓国・朝鮮人の人々のうち、済州島の出身者が大きな割合を占めると言われます。済州島は韓国の最南端の島で、福岡から100km程度、対馬から50km程度の距離にあります。
現在では観光リゾートとして人気を集めている場所です(昨今、中国人や中国企業が島の不動産を買いあさり、森林の伐採を進め、水資源などを大量に採取して、深刻な問題が生じています)。

この美しい島が、第2次世界大戦が終わった後、2度も地獄と化しました。1948年の済州島虐殺事件(済州島四・三事件)と、1950年からの保導連盟事件に連動した大弾圧です。
これらは私たち日本人にとっても関係の深い出来事なので、よく見ておきたいと思います。

まず、済州島での大量虐殺がなぜ生じたのかという政治的な背景を見ておきましょう。第2次世界大戦後、朝鮮半島はアメリカとソ連により、北緯38度線を境に南北分割占領されました。
冷戦の対立の深まりとともに、米ソ両国は傀儡(かいらい)政権をそれぞれ樹立します。南部では李承晩が、北部では抗日パルチザンで活躍した(とされる)金日成が首班となります。

李承晩は北部との対立を後回しにして、南部単独で国家樹立を先行させるべきと考えていました。一方、そのようなことをしてしまえば、民族が分断されることになりかねないとして反対する者もかなりいました。

その代表が金九(キム・グ)や金奎植(キム・ギュシク)や呂運亨(ヨ・ウニョン)でした。(金九と呂運亨はその後、李承晩派とみられる 人物によって暗殺されます)。

■反体制派への「ヤクザテロ」の恐怖

民族分断に対する抵抗は、一般世論としても、大きく巻き起こります。危機感を強めた李承晩は、統一派をけん制するため、彼らを共産主義のスパイとして取り締まりました。
1948年の段階で、統一派を消すために李承晩が主にとった手段は、暗殺と「ヤクザによる恫喝」でした。

日本統治時代の朝鮮半島には、日本の統治法制に服しない「ならず者」の集団があり、闇市でさまざまな物資を流通させて稼いでいました。中国経由でアヘンなども扱っていたようです。
実質的には一種のヤクザ組織で、朝鮮全土に広範なネットワークと巨大な組織を形成していました。

戦後、李承晩政権は彼らを取り込み、「大韓民主青年同盟」を結成させ、共産主義に対する白色テロの組織として、半ば公然と支援します。大韓民主青年同盟の実質的な指導者となったのが金斗漢(キム・ドゥハン)という裏社会の大物で、後に国会議員になる人物です。
さらに李承晩政権は、北の迫害を受けて南に流れて来たヤクザ たちを、同様に北から逃げてきた若者たちとともに「西北青年団 」という組織にまとめます。

李承晩政権は大韓民主青年同盟や西北青年団を利用して、共産主義者や政権に批判的な者を暗殺したり、恫喝したりしていました。警察や軍などの正規実働部隊には行動させず、住民票もろくにない
(つまり、不法行為の手がかりが残りにくい)ヤクザに、反対派への示威行動をさせたのです。李承晩の番犬のような役割を演じた大韓民主青年同盟や西北青年団は、アメリカからもその存在を認められていました。