姜 きょう-こう

1567−1618 朝鮮王朝の官僚。
明宗22年5月17日生まれ。

1593年科挙に合格。豊臣秀吉の第2次朝鮮出兵(慶長の役)で捕虜となり,京都に幽閉される。

播磨(はりま)(兵庫県)竜野城主赤松広通の保護下に藤原惺窩(せいか)とまじわり,朱子学をつたえた。慶長5年(1600)釈放され,帰国。

主著「睡隠集」の中に日本の内情や自身の捕虜生活をしるした「看羊録」がおさめられている。光海君10年5月6日死去。
52歳。号は睡隠。