北の核開発と裏切りの歴史@

1991年11月9日、韓国盧泰愚(ノ・テウ)大統領は「朝鮮半島非核化宣言」をし、在韓米軍の核の年内撤収を発表した。
韓国国内の米軍の核兵器を全面撤去し、「非核の門をまず南が開け、北に核の放棄を迫る」というものだった。
続いて12月19日、盧大統領「韓国国内の核不在」宣言。
米軍の戦術核は全て引き揚げられた。

1992年1月1日、韓国朝鮮は「南北非核宣言完全妥結」を締結。
南北双方が核兵器の試験・生産・受け入れ・保有・貯蔵・配備・使用を禁止するという。
北朝鮮は国際原子力機関(IAEA)の核査察を受け入れると約束した。
盧泰愚大統領は「われわれの自主的な努力により核の恐怖がない韓半島を実現しようという夢で、大きな進展が実現した」
「北が核兵器製造技術を持たないと表明したことは、本当に喜ばしい」と語った。

全ては、北朝鮮による完全な詐欺だった。
南北非核化宣言に合意したその日も、北朝鮮は寧辺でプルトニウムを抽出していた。
金日成(キム・イルソン)主席は米軍の戦術核が撤収したのを確認した後、韓国の鄭元植(チョン・ウォンシク)首相と会談した席で、
「われわれには核がない。在韓米軍を撤収させよ」と要求した。