【不正競争防止法】「八つ橋」創業年「創業元禄二年」巡り提訴、600万円の損害賠償ー京都
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京都銘菓「八つ橋」を製造・販売する老舗「井筒八ッ橋本舗」(京都市東山区)は4日、のれんや商品説明書などに「創業元禄二年」と事実と異なる記載をしたとして、別の老舗「聖護院八ッ橋総本店」(同市左京区)に不正競争防止法に基づき記載の差し止めと600万円の損害賠償を求める訴訟を京都地裁に起こした。
聖護院八ッ橋総本店は「驚いており、お答えしようがない」とコメントしている。
訴状などによると、井筒八ッ橋本舗の創業は1805年。聖護院八ッ橋総本店は元禄2(1689)年の創業としているが、八つ橋がいつから作られ始めたかを記録した文献はないと主張している。
【共同通信】
https://jp.reuters.com/article/idJP2018060401002251 全裸にパンストだけで1時間ほど近所を歩いた 途中でオナニーもした
すごく幸せ 生八ツ橋ってなんかイヤらしいよな
今日家行っていい?
じゃあ生八ツ橋もさせてくれる? 創業が何年だろうが別に困りはしないが嘘は良く無いな
どっちにしろ八ッ橋はマズイから嫌い どっちでも良いよ美味しければ
どっちもまずいんだけど 井筒の息子が不遜な態度で記者会見してたのはいただけないな
爺も95歳で耄碌したんちゃうん そういゃあ京都といえばエビ芋使ったいもぼうで元祖本家問題起こしてもめてなかったか? 元禄2年と表示したときから異議を言ってなければ元禄2年でないことは異議を言った方の証明が必要だろ。 >江戸中期にあたる1689年(元禄2年)に、聖護院の森の黒谷(金戒光明寺)参道の茶店にて供されたのが始まりとされる。
wikiにこのように書いてあるので井筒の負けな >>訴状などによると、井筒八ッ橋本舗の創業は1805年。聖護院八ッ橋総本店は元禄2(1689)年の創業としているが、八つ橋がいつから作られ始めたかを記録した文献はないと主張している。
コレは井筒親方が悪い
貴乃花親方が正しい なんだよ、八ツ橋って起源不明なのかよ
京都名物とか信じて損した 八つ橋戦争とかかっこいいな!
もし広島なら「もみじ饅頭戦争」だな 秀吉の北野の大茶会にでたという長五郎餅とかの方がずっとありがたいのか >>26
名物には違いない
餃子だって宇都宮で生まれたわけではないが宇都宮名物だ 東山区 対 左京区
左京区の圧勝なんだろ京都的には 西尾のほうも同じようなこと言ってるのに訴えられないのは、聖護院のほうだけ嘘だと思ってるのか?もしくは
聖護院は、昔は言ってなかったとか?
本家西尾八ッ橋
元禄年間に聖護院の森の黒谷参道に八ッ橋屋梅林茶店として創業し、1689年(元禄2年)に八ツ橋の原型が誕生。 差し止めはともかく損害ってなんだろうな
「そんなに古い創業の記載がなければ、ウチの方が売れたはずだ!」って感じ? 八橋検校(やつはし けんぎょう、慶長19年(1614年) - 貞享2年6月12日(1685年7月13日))
八橋検校の琴が由来だと思っていたが、西尾は変なエピソードを由来としている >>38
井筒は八つ橋を世界に広めた西尾には敬意を払ってるけど
西尾に断りなく勝手に起源説唱え始めた聖護院のことは昔から嫌っとる 京都で老舗、それも17世紀を巡っての論争・・・・
関東民から見れば、マヌケに見えます。
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \ ええかげんにせい!
欲ボケ。努力なくして儲かる利権を守ろうとする業界そのものが腐ってる。
バカな消費者の責任でもある。 ネットで見ると西尾が一番うまそうだな
あんこ詰めてないペラペラの生八ツ橋とおまんがうまそう 以前、オーストリアでどっちがザッハトルテの元祖かが争われた裁判があったな。 どこから損害賠償が出てくるんだろう
「ウソつくな!」
話じゃないの? なんの文献に載ってるんだ
文献の名前出したらOKだろ >>61
【京都】八ッ橋の老舗製造会社が老舗ライバル会社を提訴
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1528100650/841
841 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2018/06/04(月) 21:04:17.48 ID:TTf0uTfp0
実際の歴史は、
1889(明治22)年 西尾為治が八ツ橋をパリ万博に出品し、銀賞を受賞。日本でも八ツ橋が有名になる。(西尾八ツ橋ホームページ)
1905(明治38)年 聖護院八ツ橋発売(山本候充,2004「日本銘菓事典」東京堂出版,p.173.)
1943(昭和18)年 井筒八ツ橋発売(前掲書,p.155.)
1946(昭和21)年 おたべ創業(社名は違う)(前掲書,p.155.)
1966(昭和41)年 おたべ発売(前掲書,p.155.)
1969(昭和44)年 社名をおたべに変更(前掲書,p.155.、今は株式会社美十) >>61
【京都】八ッ橋の老舗製造会社が老舗ライバル会社を提訴
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1528100650/853
853 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2018/06/04(月) 21:09:02.86 ID:TTf0uTfp0
江戸時代の八ツ橋の記録を簡単に探したけど見つからなかった。たぶん無いのだろう。
そもそも江戸時代の聖護院村なんて、単なる農村。菓子の需要は無い。
もし江戸時代の記録があるのなら、西尾さんのホームページに載せるはず。 八橋検校とやらが作ったんだから
その子孫が決めたら良いじゃない >>61
鈴鹿家が借金のカタに西尾から経営権を取り上げたことなんか井筒のオーナーの親世代の話で普通に公文書に記録されてるだろ 京都の土産物産業界隈は今群雄割拠だからな
古都に来てハッタリの偽物買ってく奴多いから笑える >>21
wiki
アハハハハハハハハハハハハハハハ 裏表があって排他的な京都人らしい争いだなww
京都人て日本一性格が悪いイメージ。
だから京都は大嫌いだ! >>1
聖護院八ッ橋のホームページ
http://www.shogoin.co.jp/company/outline/index.html
ちょっとまずいかも
> 会社概要
> 社名 株式会社 聖護院八ッ橋総本店
> 屋号 玄鶴堂
> 創業 元禄二年(1689年)
元禄時代、つまり将軍綱吉の時代には、「鶴字法度」というのが発令された。
綱吉の愛娘が鶴姫という名前で、綱吉は鶴の字を鶴姫に独占させるため、人々が鶴の字や鶴の紋を使うのを禁じた。
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000135486
江戸歌舞伎の市村座と中村座の紋も鶴から他のものに変更されている。
井原西「鶴」も井原西「鵬」に改名した。
だから元禄年間に「玄鶴堂」というのは、あり得ない。 実は西尾もHPに1689年創業とは書いてあるんだが、「八ツ橋誕生」の所に載せてる
絵馬の写真が1824年と、八ツ橋誕生&創業より135年も後のもの。つまりこれより
前に自分所で八ツ橋を売ってた証拠が無い?可能性がある。
まあそれでもかなり前からヤってはいるけど。
https://www.8284.co.jp/history/index.html >>38
茶店始めた年であり自分ところが
八ツ橋作ったとは言ってないよ。
その文章だと。
八ツ橋って命名に近いところは
井筒が関係してるところは濃厚
聖護院のサイトの説明がいかに
も自分ところでって誤解しやす
い説明だね、創業年自体具体性
無いし。不誠実な内容だな 「本家西尾八つ橋」一択ですわ
清水寺門前の店で八つ橋食い放題で湯茶を配って無料休息できる
そこまでされたらここで買う 其れが人情というもんです ええっ?聖護院と西尾って、遠戚だかなんだかで両隣並んで聖護院の門跡の通りで八つ橋売ってるじゃん。
明らかに八つ橋パクった新参者の井筒がなんでイチャモンつけてるの? 聖護院の跡取りが女性だからナメくさって因縁つけてるんだろうか?
一澤帆布の骨肉の争いもそうだけど、京都人の意地汚さがわかって面白いから外野的はとことんやってw >>81
「奉納
文政七甲申歳壱月
聖護院村 八ツ橋屋 為次郎」
ですか。
八つ橋「屋」というのも違和感がありますね。
文化文政の頃は、八つ橋商 西尾屋 であって、八百屋とか乾物屋というのは一般的ではなかったのでは?
とすると「八ツ橋屋」というのは「駿河屋」とか「蔦屋」と同じく屋号であって、八つ橋を売っていた証拠にはならない。 >>74
石川県にはおまん小豆という特産の小豆がある
4ミリ程度の小粒なお豆で表面は黒々とした艷やかな皮で覆われているが
ひとたび皮を剥いてやれば予想外にうす色の可愛い中身が飛び出てくる >>44
西尾の八ツ橋は愛知の知立市の無量寿寺で売ってるときがあるよ。ここが八ツ橋の発祥? >>83
七味家本舗のとんがらし
大安のべったら
松葉のにしん 岡山の吉備団子も本家と元祖が隣同士でいまだにけんかしてる。
どっちもまずくて地元民は大手まんぢゅうばかり食ってる >>69
すげえな、聖護院=門跡の格式も知らないニワカが京都語ってるwwwww >>83
色々あるけど、自分的に一番嬉しかったのは京美人のLINEのID
東男に京女というからな 京都は意外と良い手土産がない
生八ツ橋はありきたりだし 近年の抹茶○○ラッシュもうんざりさせられる
残るは阿闍梨餅と麩まんじゅうくらいか >>92
伊勢物語で男(在原業平?)が東くだりした時に、三河で
「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」
で詠んだのが、知立市の八橋かきつばた園付近だそうです。 >>83
美玉屋のくろみつ団子
それ以外の餅菓子もおいしい
あそこの餅生地はクニュクニュした食感で好き >>79
将軍でも京都にはあんまり厳しく言えなかったんじゃないの? >>100
阿闍梨餅アゲも多過ぎて食傷気味
ステマ入ってるレベル 京都駅でやる気のない売り子のオバハンが、低い声で「夕子でーす」って店頭声掛けしてた。
あれから、夕子と言うと場末のスナックのママのイメージしかない。 >>100
これうまかったで
あんぽ〜ね
http://a-n-kyoto.shop-pro.jp/?pid=92568918 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:fc5433912aa55592f73f2dda4d43bdf8) >>101
かきつばたの句が有名ですが、八つ橋が出てきます。
伊勢物語 第9段
むかし、男ありけり。その男、身を要なきものに思ひなして、
「京にはあらじ、あづまの方に住むべき国求めに」とて、行きけり。
もとより友とする人ひとりふたりして行きけり。
道知れる人もなくて、まどひ行きけり。
三河の国、八橋といふ所にいたりぬ。
そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、
橋を八つ渡せるによりてなむ、八橋といひける。
その沢のほとりの木の蔭におりゐて、乾飯食ひけり。
その沢に、かきつばたいとおもしろく咲きたり。
それを見て、ある人のいはく、
「かきつばたといふ五文字を句の上に据ゑて、旅の心をよめ」と言ひければ、よめる、
からころも着つつなれにしつましあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ
とよめりければ、みな人、乾飯の上に涙おとして、ほとびにけり。 なんだかんだいっても小豆使った食べ物はたい焼きが一番美味しいな 帝都物語の加藤は、八つ橋が大好物だったって知ってた(^ ^) >>107
聖護院門跡や熊野若王子もあって江戸時代も参拝盛んだったから土産を売る茶店があってもおかしくないだろ 八つ橋がそんな昔からあるとは
ニッキはどうしたんだろか輸入してたんか? >>116
自己解決
ググッたらこんなんが出てきました
江戸時代にシナニッケイの樹木が伝来し日本で栽培が始まった >>98
聖護院村に格式ある寺院があっても、洛外なんだから、菓子の需要は無い。>>107
>>107
おっしゃるように聖護院村と吉田村は田畑でしたね。
京大総合博物館平成28年度特別展「文化財発掘III」激動の幕末と京大キャンパス
http://www.kyoto-u.ac.jp/maibun/book/pdf/leaflet05.pdf 餅だけならなんとか食えるが
いろいろ具を入れれれると不味くてかなわん >>1
はぁ?
会社の創業年って、別に八ツ橋製造開始年と関係ないだろ。
任天堂の創業が1947年で、
「そんな昔からテレビゲーム無い」
と言うのと同じじゃん。 八ツ橋うまいだろ
俺は好きだ
むしろ東京の雷おこしがクソマズい
俺東京者な あぶり餅も向かい合って、我こそは本家と張り合ってるわ 記録が残ってる方が勝ち
幕末に京都は焼けてるけどその辺をきっちり資料だせば簡単に決着
明治以降に書いたものは捏造ばっかり 神社とか相撲協会とか全部インチキ 信玄餅と安倍川もちも、元祖をはっきりさせて欲しい。 >>122
聖護院八ッ橋総本店は、HPで元禄2年(1689年)現在の本店の場所にて八ッ橋を作り、
販売をはじめ、以来三百二十年余りに渡り八ッ橋を製造し続けています。
って内容ちゃんと書いてるから。 ふたばの豆餅も八つ橋もゲロマズ。
美味いもんは大阪に行けばなんぼでもある。 >>125
でもあれプロレスみたいなもんなんやで。
年末休みの日も二軒で合わせてたわ。 >>132
名物には美味いもんは無いで
八つ橋と比較するなら昔からある大阪名物の菓子「岩おこし」な >>126
明示より前の記録が残っているのなら、本家争い、元祖争いをしているわけだから、
西尾さんか、聖護院さんがホームページに資料を発表するはず。
それが無いのだから、資料は残っていないと判断するのが妥当。
東洋文庫の近世菓子製法書集成 1、2に
古今名物御前菓子秘伝抄、古今名物御前菓子図式、餅菓子即席手製集、菓子話船橋、
南蛮料理書、鼎左秘録、古今新製名菓秘録
という江戸時代の料理、菓子についての翻刻がある。
まともな索引がついているので見てみたけど、
外郎、かすていら、葛粽、鶏卵素麺、コンフェイト、薩摩羊羹、塩瀬という感じで色々でてくるのに
八ツ橋は出てこない。
江戸時代に八ッ橋という菓子は無く、西尾さんが八ッ橋屋と名乗っていただけでは? 八ツ橋程度の安価な土産物にいつの創業とか地元でも誰も気にしてないわ
漬物屋みたいに仲良うせいや 昔からの利権絡みの遺恨に決着をつけたい。ということやな。
京都の土産もの物産業界は昔、商工会議所、ロータリー、ライオンズ、JCとかあらゆるところを二分して西利井筒グループと大安聖護院グループとが激しい戦いをしていたのだよ。
ああ懐かしいなあ。 でもね、京都のお土産なら、なんかトタン屋根みたいな焼き菓子が美味いと思うんだ >>119
肉桂について >>139 の「近世菓子製法書集成 1、2」の索引をみると
椿餅という蒸し菓子と、錦浜という練り菓子が出てくる。他はポルトガル料理。
で、錦浜というのは、求肥に肉桂と白檀の粉を練り込んで、形に切って、上に紅砂糖を塗って仕上げる。
錦浜は生八つ橋に似ているように思う。
でも焼いた八ッ橋に似た菓子は出てこない。
ということは、肉桂を使った焼き八ッ橋は江戸時代にはなかった可能性が高い。 生八つ橋はどこでもいいけど
ノーマルの焼いた八つ橋は聖護院の方が好き。
でも創業とかどうでもいい。
どっちのお店の商品も食べられるかたちで収まってくればそれで。 >>145
前スレで画像たっぷりで紹介されてた(;´Д`)ハァハァ
男はみんな聖奴院の味方 >>150
こっちも京菓子の専門書出してきたけど八ツ橋の記述がないw
「門前菓子」の章もあるんだけどね つまり八橋検校由来ではないということかあ
残念無念 >>156
八ツ橋は、明治時代のパリ万博の時に、西尾さんが創作した菓子の可能性が高いですね。 生八ツ橋を最初に作ったところはどこなの?
八つ橋はたいしたことないけど、生八ツ橋はすごくおいしいよな。 >>157
西尾さんは江戸時代に「八ツ橋屋」という屋号だったので、伊勢物語の八ツ橋の段とか、八ツ橋検校に関連付けて、八ツ橋という菓子を売り込んだのかも知れません。
菓名の由来が、検校さんとか、在原業平さんとかで、菓子を作った訳では無いのかも。 >>159
あれはもともと隠しメニューみたいなもんで
店のはしっこでりっぱな包装もされず無造作に包まれて売られてた >>159
戦争中の食糧難の時に、八ツ橋は代用食として重宝されたみたい。だから、井筒さんやおたべさんは昭和20年ぐらいの創業。
その頃から焼く前の八ツ橋は売られていたみたい。
餡を入れた生八つ橋は、1966年発売のおたべが最初。 >>162
切り離さずにシート状で売られていたという話もありますね。 スーパー行ったけど八ツ橋売ってなかった
そりゃそーか >>164
そのとおり
家に持って帰るとくっついて塊になっていたりする >>168
清水寺の参道などに行くと店頭で実際に焼いているぞ >>125
あぶり餅めちゃうまいがめちゃ高い
中に落ち着いた座敷があるのは観光タクシーの運転手さんに教えてもらった
京都は観光タクシー最強 唐菓子にも茶の湯にも出てこない
米粉の前に原型が無いのも不自然だろ
いきなり米粉の焼き菓子かよ
何より何処かに献上品になってたのか?
無名菓子がそんな歴史ある?w >>174
宮中で供された有職菓子でもないし
大名屋敷や公家屋敷に出入りできる菓子司だった記録もない
裁判所で全否定されたらどうするんだろうな 創業年を気にして買う客がいるんだろうか
損害賠償を求めるのは無理があると思うが 八種唐菓子が訛って出来た呼び名がヤツハシだろ?
それ売ってる店がヤツハシ屋
八種菓子ではヤツハシと読めないから八つ橋に変えた
こんな感じだろ? パンの消費率全国一とかでもわかるように
何気に京都は大陸の文化を最も色濃く残してるとこだよな >>163
各社のサイトによるともっと古いらしい
井筒 1947年つぶあん入り生八ツ橋夕霧発表
聖護院 1960年つぶあん入り生八ツ橋聖誕生 かたことの日本語で八種唐菓子売り出した菓子やが
菓子を発音できずハシ連呼してたんだろ?
日本人売り子 「八種菓子いかが〜!」
三国人売り子 「ヤツハシイカガアルョ!」
こんな感じだろ? >聖護院八ッ橋総本店は「驚いており、お答えしようがない」
「弊社先祖代々の古文書や聖護院や京の有力者の文献に記録が残っており、
創業年も320年絶えず八ツ橋を作り続けていたことも証明できますビシッ!」
じゃないの?何故?根拠示せばいいだけやん? >>183
おたべの先代社長によると、餡入りの最初はおたべ。
>井筒 1947年つぶあん入り生八ツ橋夕霧発表
夕霧を商標登録した年を調べてみたら、シロクロがはっきりすると思う。今の商品名は夕子でしたっけ?
>聖護院 1960年つぶあん入り生八ツ橋聖誕生
商品名が書いてないのが不思議。現在の商品名は聖かな? 聖護院八つ橋は悪質。本家八つ橋から賢八つ橋の販売を委託されたのを勝手に自分で作って売ってた前歴がある。1698年創業なんてウソ。生八つ橋でも井筒のパクリ。訴えられて当然。 夕霧は饅頭みたいなもんだからカテゴリーが違う
あん入り三角形は「おたべ」が最初 >>186
記録があるんだったら各社のホームページで紹介しているはず。
紹介していないと言うことは記録が無い。
江戸時代の菓子についてまとめた江戸時代の文献を見てみたけど、八ツ橋は出てこない。
八ツ橋は明治時代に西尾さんがパリ万博に出したのが最初では? >>179
>>184
八ッ橋は「八橋検校」(やつはしけんぎょう)っていう箏の音楽家からつけた名前だよ。
あの瓦みたいな形は八橋検校の箏の形からとってる。
箏をやってる人なら知ってるけど「八段の調べ」とか作曲した人で、バッハよりも古い。 >>1
これ聖護院がねつ造と主張するならその立証をするのは井筒だろ
ただ単に文献がないという指摘だけで立証になるのか >>194
根拠が無いのに歴史があると主張するのは優良誤認につながる。
ホームページで製品の歴史の古さを宣伝しているのなら、古さを立証する責任は製造業者側にある。 でもねでもね、
井筒さんのHPでは、八橋検校が亡くなって彼を偲んで作られた堅焼き煎餅が八ツ橋だって書いてあるんだよ?
亡くなったの1685年だよ?
八橋検校由来と主張しながら、そんなに古くないはずって訴えるのは合理性がとれないんじゃないの? 聖護院という名前からして井筒より断然古そうだけどな
そこの寺院の僧侶が茶席で出したのが発祥だろ? >>197
茶の湯に出すような菓子なら御用達の看板挙げてるだろ?
何処の御用達なの? 井筒八ッ橋は地方のデパートで売ってる印象しかないわ 雑魚が争うも、観光客は「おたべ」しか買わないですから!残念!\(^o^)/ 当事者同士やりあうのは好きにすればいいけど
八ツ橋のイメージダウンになると思う 聖護院は「驚いている」とか言ってるが、今回の訴えの前から八つ橋協会が表記の撤回を求めていた
簡裁を通じて聖護院に調停案も出されていたので唐突でもなんでもない筈
記録もないのに300年以上作り続けたという法螺を吹き続け、指摘されても開き直っていた聖護院
かたやそのことをネチネチと指摘し続け遂に法的手段に訴えた井筒
ほんま京都の人間は性格悪いな >>210
要するに
聖護院以外「証拠も無しに元祖名乗るなや、そもそもおまえんとこは乗っ取ったそもそも分際で」
聖護院「うるせージジイ共、はよ○ネwwww」
ジジイ共「お灸すえんといけませんなー」
というところか。 聖護院側の八ツ橋に関する起源が虚偽だというなら、それを証明するのは原告の井筒側
ところが、一番最初に八ツ橋を売り出したという文献や証拠は、実は何処にもないんだわ
だから、これに関しては先に言った者勝ちなところがある、井筒側は多分証拠を出せない
聖護院側が裁判で反訴を起こしたら、逆に苦境に立たされるかも知れない >>177
自分
聖護院のが古そうだからこっち買おうかってなったわ
根拠ないってのはどういう根拠で言ってるの? 証拠がないのが根拠なんだから
聖護院側が逆に根拠となる証拠を出さないと駄目なんじゃないのか 京都に行ったら
晩酌用に西利の千枚漬けをいつも買って帰るわ いかにもケチな京都人らしい騒動だな
博多の「明太子」の創業者である川原俊夫は製造法を博多の人に伝え
商標登録も特許もとらず地元の発展に努めた。
京都の人間は恥を知れ恥を 昔は女の子のお土産に
あぶらとり紙のセットとか買ってたけど
あれ貰った方も困るわな多分 >>215
井筒さんは「聖護院八ツ橋さんは根拠も無いのに元禄2年創業と言って、消費者に優良誤認を惹起させている。おかげでうちは迷惑を被っている」と訴えているわけだから、元禄2年創業を立証する責任は聖護院八ツ橋さんにある。
立証できないと優良誤認で刑事罰を受ける可能性もある。
>>217さんの意見に賛成。 京都て何代先から住んでるかを競う町なんでこれは死活問題 >>217
日本における訴訟一般では訴えた原告側に挙証責任があるので、
聖護院側は、自分が元禄年間に創業したという証拠を出す必要は無く
原告の井筒側が、聖護院側がウソを吐いているという証拠を出す必要がある
私も元禄年間の創業はあり得ないと思うが、それを否定する証拠もないので
この裁判は(井筒側にとって)非常に困難だと思うよ >>224
ということは、>>215で言うような聖護院八ツ橋が反訴を起こすと聖護院八ツ橋側に立証責任がでてくるから、聖護院八ツ橋は反訴しづらいのでは? >>224
「挙証責任は原告にある」というのは、ちょっと違うみたいですね。
ソースがwikiで申し訳ないのですが、証明責任は
権利根拠事由(借金のあることの証明)なら原告側、
権利消滅事由(借金の無いことの証明)なら被告側、
権利発生障害事由(借金を払わなくて良いことの証明)なら被告側、
権利行使阻止事由(??)なら原告側。
今回は、「聖護院八ツ橋さんが変なことを言うからウチが迷惑してる。変なことで無いというならそれを証明してね」というわけだから、証明責任は聖護院八ツ橋さんにあるのでは? 訴訟では、井筒側が聖護院の創業年と菓子作りが虚偽であるから600万の損害が出たとしてる
競争相手の家伝がホントかどうか、実は何処にも古文書などが存在しないのだから、聖護院側の証拠は
家伝しかない訳で、それを証明しろというのは悪魔の証明、刑事事件では伝聞推定は証拠とならないが、
民事であれば家伝の類いは一定の証拠能力があると思う、口伝等に正確性がある事はよく知られた事実
であれば訴えた側が反証を提示しない限り、家伝に証拠能力を認めるのではないかと思う >>79
井原某は、今何て名前で知られてる?
で終わりやでそれ >>229
そうなの?
でもいいんだよ
京都で買ったから京都のお土産って事でw 西利の千枚漬け、東京でも普通に売ってる
コレド室町にはイートインもある 彦根井伊の京屋敷のすぐそばに在って井伊家と商いが無いのか?
商い帖とか注文書とか残ってないの?
商売上商い帖は一番大事な財産だろ? >>228
雅号は個人の勝手だから井原西鶴には簡単に戻せるけど、屋号とか紋は今で言うCIなんだから一度変えたら元に戻しにくい。
鶴字法度の時に、和歌山に鶴屋という菓子屋があったけど駿河屋に改名して、元には戻していない。
有名な鶴屋吉信も享和3(1803)年の創業。
聖護院八ツ橋が元禄2(1689)年創業の玄鶴堂というのは、将軍綱吉の鶴字法度に背くことになるから歴史的におかしい。 >>236
彦根藩について調べたことは無いけど、京大周辺の大名屋敷って、幕末に次々に建っただけでは? >>238
それより前からあったと言うの?
それなら洛外でも通りに名前も付いてるんじゃないかな? 生八つ橋は西尾本舗がうまいから他はどうでもいい
https://www.8284.co.jp `滋賀'すげぇえええええ 完全に大阪超えキタぁあーーーー
【現代的新しい価値・文化の創造】
1.ゆるキャラ(ひこにゃん)
2.イナズマロックフェス (西日本最大)
3.オペラ
4.ビワイチ(自転車 琵琶湖一周)、ウォータースポーツ、グランピング
5.ラッピング(路面)電車
【著名な観光地】
1.比叡山延暦寺、三井寺、石山寺、坂本・日吉大社、近江神宮、おごと温泉、びわ湖バレイ
2.彦根城、安土城
3.長浜黒壁、竹生島、多賀大社、メタセコイヤ並木、湖東三山・鶏足寺・永源寺(紅葉名所)
4.八幡堀、近江商人屋敷、水郷、ヴォーリズ建築(旧豊郷小 他多数)
5.信楽焼、琵琶湖博物館、佐川美術館、MIHOミュージアム、甲賀流忍者
【美味名物・食文化】
1.近江牛、鴨料理
2.鮎、ビワマス、ホンモロコ佃煮、ふな寿司
3.焼き鯖そうめん、近江ちゃんぽん、比叡そば、伊吹そば、来来亭
4.近江米、近江野菜、朝宮茶、近江の地酒
5.叶匠壽庵(和菓子)、クラブハリエ(バームクーヘン)
大阪 → たこ焼き(笑)串カツ(笑)ハルカス(笑)偽大阪城(笑)道頓堀(笑)橋下劇場(笑)
. >>237
鈴鹿家の屋号なのに西尾家の創業年に背乗りさせちゃんたんかな >>83
黒七味
安いウドンでもメチャクチャ美味しくなる >>239
黒谷の金戒光明寺に京都守護職松平容保が本陣を置いた。洛中にまとまった土地は無いから、黒谷に近い聖護院村や吉田村に彦根、尾張、越前、加賀、秋田などが急遽、京屋敷を構えた。
http://www.kyoto-u.ac.jp/maibun/book/pdf/leaflet05.pdf
というわけで、聖護院周辺の大名屋敷を調べても八ツ橋の歴史は、ほとんどさかのぼれないのでは? >>245
玄鶴堂って駿河屋八ツ橋さんの屋号では無くて、西尾八ツ橋さんの屋号なの?
参考文献を教えていただけませんか。 >>248
ごめん。勘違い。
鈴鹿って駿河屋八ツ橋でしたね。 >>245
鈴鹿さん(駿河屋八ツ橋)=玄鶴屋
元禄2年創業と主張したいがために、元禄に鶴字法度があったのを知らずに、玄鶴屋を元禄までさかのぼらせた? なんかわからんくなってきた
今回訴えられてる聖護院って西尾家なん? >>247
それだけ周りに藩邸が有るのなら遡れなくとも
大政奉還前後に取引は有ったでしょ?
その時代の資料ぐらいは容易く出せるのではないでしょうかね?w 八橋はただのせんべいだから昔からあったんだろうけど(おいしくもないが)
生八橋は江戸期にあんな旨い物作れるわけが無い
ウソの主張はしちゃだめだね たかだか600万のために名を下げなくてもな。
聖護院がテレビとか出まくってるからだろうが。 西南戦争が終わるまで物騒で鶴は使えない?
聖護院なんかは大東亜戦争で敗戦するまで恐れ多くて使えないんじゃ?w この2社が合併すれば良いのに
そしたら売上高がおたべに並ぶ >>252
幕末の藩邸が八ツ橋を買ったという歴史資料があったら出てきてるよね。
幕末が大好きな歴史家や小説家が多いから史料は読み込まれているはず。
司馬遼太郎が八ツ橋の文字を見つけたら、小説の中で坂本竜馬か誰かに八ツ橋を食べさせると思うんだけど。 >>255
鶴字法度は鶴姫が死んだので廃止されたんだけど、また使えなくなったら困るので庶民は鶴の字を使わなかったはず。
鶴姫が亡くなってから100年以上たった享和3(1803)年に鶴屋吉信が創業。 >>223
競うのは劣等感のある家
古い家はぼさっとしてるよ
但し、松前屋だけはエラそう
天皇家に納めてるから仕方がないが、まあ気の毒
アト、裏表千家は武者小路のおっちゃんを見倣え >>251
聖護院八ツ橋=鈴鹿さん=玄鶴屋
西尾八ツ橋=西尾さん=八ツ橋屋(文政年間の絵馬あり)
井筒八ツ橋=津田さん=文化2(1805)年創業。当初は茶菓子、米、味噌、醤油販売。八ツ橋を売り出したのは昭和になってから >>251
西尾が西尾
聖護院は鈴鹿さん 聖護院の社家というやんごとないお家なんやで >>258
そう言えば大河ドラマには八つ橋の煎餅は出んなあ
こないだ清永の巾着袋が出てたね >>263
鈴鹿さんは吉田神社の社家の家計。
聖護院は修験道系だから僧侶では? >>201
応仁の乱を正しく説明できれば「京都検定」1級合格。 ブログのアクセス数競ってるんじゃないので
炎上しても誰も得せんやろ
これ見て八つ橋買いたくなるやつなんているかよ >>269
愛媛大学にある鈴鹿文庫は、卜部神道家の鈴鹿三七氏(京都市左京区)の旧蔵書ですね。
なんで愛媛大学が持ってるのかは知りませんが。 >>262-263
ありがとう
西尾さんは今回蚊帳の外なんね良かった
あそこの変り種の生八ッ橋好きなのよ
あと松原通りの元祖八ッ橋のとこ
店の前で手焼きしてるおっちゃんのとこ >>273
国文学の世界では、大和文華館所蔵の鈴鹿文庫の方が有名なんですね。 >>264
亀屋清永の清浄歓喜団。
亀屋清永は「京羽二重」に載ってるから、歴史上の疑問点は無さそう。 >>27
西尾は清水で観光客を無料のお茶で釣って商品を買わせる手口を
テレビで得意げに話しているのを聞いたことがあるから印象最悪。
味はつぶあんなし生八ツ橋ならどこのもそこそこ美味しい。 >>220
は?明太子って朝鮮にあったやつを真似して作っただけやん どういう損害なのかは知らんが嘘を正すのは良い事
他のインチキ起源も訴えられるべき 新参のおたべが若い人の口にも合う
柔らかくて甘すぎない今風の八つ橋 >>250
綱吉の政策として生類憐れみの令は有名だけど、鶴字法度なんて、西鶴好きか、江戸歌舞伎好きでないと知らない。
同志社中高、京大経済、UCSDでMBA。そして「MBAでは、八ッ橋は売れません」という迷言。
UCSDのMBAコースがどんなのかは知らないけど、宣伝のためには何をしても良いのかな?
研究者ならば捏造は身の破滅だと教え込まれるハズなんだけど、商売人の倫理観は違うのだろうな。 1689年創業嘘臭い
あそこの場所は 菓子店無かったはず。
八つ橋販売も 幕末〜明治
盛りすぎ(笑) >>280
まあな
どうせ誰も調べんから分からんやろがまかり通るのは嫌やな >>237見ろ
聖護院の前の店名→厳鶴堂←将軍吉宗は 鶴字を 使うべからずを 全国へ 通達→逆らえば 遠島、処刑だった。
徳川綱吉の娘の名鶴姫
聖護院(厳鶴堂)は 存在して 無かった。1700年以降なら
また 元禄創業八つ橋販売?
幕末〜維新の間違い?
盛りすぎ(笑) 京都人から見栄っ張りを無くしたら
何が残るのかな? 八つ橋はまずいからもう勝手にやっといてだわ
それより帰りにリクローオジサン買って帰るかなw もう八つ橋は聖護院で決まりだなって何百万人の人に思わせて
井筒は何をしたいんだ? 京都人って見栄っパリなくせに東京に住んでたら出身地を隠したがる 結局引け目があるんだw 元禄二年が嘘か本当かは置いておいて、井筒が損害を受けたと認定されてることはないだろう これって訴えられた聖護院側が色々なコラボしているから、
井筒側が僻んでるだけだろ >>290
創業100年以上、八つ橋唯一の老舗は西尾だしな
西尾も八つ橋の由来等は聖護院と同じだけど訴えられてない この件で街頭アンケートとったら100人中80人以上が元禄二年創業の店のお菓子食べたいと答えてた
消費者なんて簡単に騙されるもんさ >>1
創業時期と八つ橋がいつから作られ始めたかって話は別じゃねえの? なんか馬鹿な争いだよな
どっちも八つ橋のイメージ損
しかも、うまいわけでもねーのに
馬鹿だわ 京都は皮カバン屋でも同業者身内争いあったよな?
なんでそんな陰険なの?
大阪ならタコ焼き屋の元祖なんかこだわり持ってないだろうに。 「嘘をつくと世の中が乱れる」とか八つ橋ごときで頭おかしい!売り上げが悪いから八つ当たりしてるんだろ これだけじゃなくて、全ての八つ橋共同組合からも嘘つきと訴えられてたとか、京都やからチヨン入ったんやな。 カンブリア宮殿に出てた、専務の鈴鹿可奈子がやらかしたんやろなあ。ちょうど年数も合うし 他のメーカーの表示にケチをつける京都人の
ネチッコイいやらしさが出ている。
井筒八ッ橋本舗は恥ずかしく思わないのか?
これだから京都人は嫌いだ。 民事訴訟だから、立証責任は原告側だよね
「ない」っていう証明は難しいけど、大丈夫なんだろうか
例え1000の文献当たって記載が無かったとしても、だからない
とは言い切れない(1001番目にあるかも知れない) >>296
他の八つ橋含めた共同組合からも訴えられてる 井筒八ッ橋本舗の社長を見ると京都人の
ネチッコイ性格を感じたのは私だけでしょうか? 京都人がケンカをすると
尾を引いていつまでもネチッく恨み続ける。
そんな京都人は大嫌いだ。 ニュース見てたら八つ橋食いたくなった
後で買ってこよう >>321
今の京都は信用できない
京都ブランドを使って儲けるウソつきがいっぱい 井筒八ッ橋本舗を見ていると、
京都人が女の腐ったような性格をしているのが良く判る。 >>314
あるっていう証明は、実例を1つ示せば終わる
ないっていう証明は、全てのケースでないことを示さないといけない >>322
ちなみにこの記事で嘘つき扱いされてるのは聖護院のほうな 創業年が何年なんてどうでも良い。
おいしければ良い。
相手のあらを探し商売敵を潰そうとする京都人の厭らしさ満点。
京都人は全員、女の腐った様な性格をしている。 ttps://www.cieej.or.jp/toefl/webmagazine/interview-closeup/151013/
専務がやらかしてるってこれもか 爺さんの言ってることはもっともだと思う
しらんけど >>316
鶴の漢字が使えない時代だから別の茶屋やね。 >>286
一部の書込みに、元々聖護院の門前で茶店を始めたのは西尾家だけで、その後も営業していた
幕末に資金難で店を鈴鹿家に売り渡した、鈴鹿家はそこから聖護院玄鶴堂として営業を始めた
幕末でもあり鶴の字禁止令は既に無効、西尾家はその後自力で新たに本家西尾という店を構え
営業を始めたが、当然以前の経歴をそのまま使って元禄2年創業としたが、屋号に鶴の字がなく
最初から問題なかった、鈴鹿家は本来ならM&Aで聖護院を始めた時が創業の年ではある筈だが
のれん分けで分家した訳ではなく本家の営業権そのものを取得した(歌舞伎で言う襲名)ので、
西尾家から代替わりしただけで、店自体の歴史は西尾家以来の以前と変わらないとしている
といった可能性はないか? 生八つ橋なら、聖護院でも井筒でもなくて
「おたべ by 株式会社美十(びじゅう)」
という印象が強いんだけどな。 >>110
まあおたべが一番うまいな
いちご八つ橋好き 井筒八ッ橋本舗はくだらないイチャモンでは無く
味で勝負しろ。 >>302
京都は陰険という印象しかない
物腰柔らかだけどネチネチやるんだよな 聖護院八ツ橋は元禄2年に玄鶴堂として創業したと主張しているが、元禄年間には将軍綱吉が制定した鶴字法度があり、鶴の字を含む名前や紋は使えなかった。従って元禄2年に玄鶴堂は存在しえない。よって、聖護院八ツ橋が元禄2年に創業したという根拠は無い。
裁判所的には、この程度の証明で良いのかな?
>>79、>>237、>>250 参照。 ただの炎上商法だろ。
全体的に売れ行きが鈍ってるから、何か話題を作れば注目されると思ったんだろ。
で、小せぇ奴らって呆れられるww おたべは昭和30年代になってから八つ橋を売り始めた新興の店だけど、
伝統に縛られないというか、宣伝や営業等も上手そうだし、ひょっとして
一番売れてるのとちゃうか?
井筒の夕子は目が怖い〜〜〜 もう一度、応仁の乱が起きて京都が灰になれば良いのに。
そうしたら、厭らしい京都人が減って住みやすい都市になる。 ビビットでやってたが、外国人のほとんどは創業年が古い聖護院を選ぶんだとさ
これは戦うしかないだろ >>324
論理学としてはおっしゃるとおり。
でも裁判実務としては、裁判官の心証として、歴史的事実かそうでないかを判断するのでは? 京都で裁判を起こす、判決が出ても
いつまでもネチネチ揉める。
京都人、全員、大嫌い。 八ツ橋
八ッ橋
八つ橋
正式名はどれなんだよwww >>345
今で言うCIだから、変えたら元に戻しにくい。
和歌山の鶴屋という菓子屋は、鶴字法度で駿河屋に変えて、ずっとそのまま。
玄鶴堂から一時的に他の名前に変えたのであれば、その記録を出せば良いだけの話。 >>302
たこ焼き屋の元祖ははっきりしてるし
元祖を名乗ってるけど? そもそも八ッ橋べつにいらない
ガッカリお土産の定番じゃないか >>352
聖護院門跡は延宝4(1676)年に今の場所に建ってから焼けていない。つまり元禄2年以降の記録が失われる可能性は、聖護院門跡も聖護院八ツ橋玄鶴堂も極めて低い。
それなのに記録が出てこないのは何故だ? 他の記事によると、元々聖護院は創業年を「不詳」としてたのに近年になって創業年を表記するようになったみたいだね >>333
土地と建物売っても ※のれんは売って無い(売ったのは1800年以降)から聖護院(厳鶴堂)の創業は元禄創業(1600年代)は間違いね。
売った元の店主は※のれんは降ろさずひなびた所で 一文菓子屋から始め 復活!
今 背乗りは 法律違反(商法読め戸籍法読め)だが 当時の幕府の法度→奉行所へ訴えれば→与力吟味(受付)→奉行 今回の案件聖護院敗訴
平成の審判如何に!! >>359
まあ最近になって文献が見つかったとかの可能性もあるからねえ 今の商法では慣習や歴史を非常に重視するから、引き継いだ当時の奉行所が許可していれば
その店の歴史を引き継ぐことは非合法とは言えなくなるし、西尾がその事に関して抗議をしていないと
一定の期間経過後は除斥されるのではないのか? >>357
そもそもこの八つ橋聖護院って名前が付いてるだけで寺のほうとは何の関係もないだろ? 聖護院の八つ橋は 早くて幕末以降 遅くて 明治
元禄創業明記 嘘臭い
なぜなら 店買い取り1800年代後半じゃ
約200年大違い メロンパンくらい新しくても諸説あるんやし
元禄二年とかきっぱり書かれたら違うやろっていうのはわかる >>363
京都は江戸時代に何度も大火があるけど、聖護院近辺は一度も焼けていない。だから、記録があるのなら残っているはず。 >>333
いずれにせよ
西尾か聖護院のどちらかが、
ウソつきのレッテルを貼られることになる >>360
× 厳鶴堂
○ 玄鶴堂
聖護院八ツ橋のホームページによると、玄=「くろ」は、黒谷さん、金戒光明寺にちなむ。 >>369
嘘つき扱いされてるのは聖護院の方じゃろ 西尾は元々なんじゃないの
店舗売り払ったって言っても細々続けてはいたんでしょ 専務が突っ走って越えてはいけない一線を越えたってことか
協会から訴えられて穏便に解決したのに「私は間違ってない!」って強行した結果訴えられたってこと? 生八つ橋食べたくなってきた
聖護院のは美味しくないのよ 旅館のお茶請けで固い方を食って
土産に買って帰るのはおたべ
なので割とどうでもいいなこれ >>328
コレは極めてまずいな
社員の気持ちを考えたらこんなモン公に出来んもんやぞ
且久は止めなかったのか
本人は調子に乗ってるが親の責任あるぞ >>110
けど三角形を発明したのは確かおたべ
しかも最初に売り出したのが大津のレジャー施設 >>372
西尾に火の粉がかかるかも知れん
安心とは言えん >>378
親がひっそりやってたのに事情を知らない娘がウソをホントにしようと頑張った結果
訴えられました >>353
それ有名になった店が名乗ってるだけで
小さなお店がもっと昔からタコ焼き屋やってたら
どっちが元祖とかわからないじゃん。
でも大阪人はそこに拘りあまり持ってなさそうだから
京都人との気質の違いを感じるね ところで、京都の八ツ橋各社の年間売上高知ってる人いますか?
上位5位くらいまでとか。 >>378
親「色んなところが元祖とか本家とかゆーてるけど、うちがほんとの最初なんぇ」
子「せやったんか!」
↓
成長後「うちは1番古いんどす!」
訴えられました
こうですか?わかりません! 俺の推理では、最初に八つ橋を作ったところの
考案者はもう死んでいる >>384
じゃあ堂島ロールでもめてるのはどうなの? >>389
そんな旨くない菓子なんか枝葉の話題だろ。
ソウルフードじゃないし。 >>357
なぜずっと今の場所に立ってたってわかるの?
普通に考えてありえないけどな >>393
聖護院八ツ橋のホームページには、元禄に現在の場所で営業を始めたと書かれている。
元禄2年(1689年)
八橋検校の墓参に訪れる人たちに向けて八ッ橋を作り、現在の本店の場所にて販売をはじめました。 >>342
八ツ橋は昔から本家争い商標騒ぎ起こしてるからなw狼少年と一緒w 今日、夕方のカンテレで 創業年巡っての解説ありますね。 今回の訴訟騒ぎには伏線があった。2017年5月に、京都八ツ橋商工業協同組合(*2)が
「聖護院八ッ橋総本店」に対して、今回と同様の「根拠のない表示」の中止を求めて、京都
簡易裁判所に調停を申し立てた。しかし、「聖護院八ッ橋総本店」が「民事紛争に該当し
ない」と主張し、調停は不成立となっている。そのため、今回の「井筒八ッ橋本舗」はこうした
流れに決着をつけるために訴訟に持ち込んだ。組合内部での「聖護院八ッ橋総本店」のここ
十年ほどの積極的な宣伝手法に対する反発が続いていたことが背景にある。
https://news.yahoo.co.jp/byline/nakamuratomohiko/20180606-00086094/ そのうち菓子のモンブランも起源を巡って裁判沙汰になるのかな >>ID:vMP3/y9Q0 [1/12]
今の時間店が暇なのか? 京都のお土産屋って
日本一態度がでかいだろ?www
あの人を見下したような接客態度はどうにかならんのか? 元禄2年(1689年)
元号じゃ何年前なのかわかりにくいから元号やめようという話に持っていくか >>401
西暦だと無味乾燥だけど、和暦だと時代が見えてくる。
例えば元禄と言われると、元禄文化、綱吉の時代、生類憐れみ政策と関連する歴史が次々に浮かんでくる。 外国人がインタビュー受けてたけど歴史がある方を買うらしい
カリフォルニア大学でMBA取得ってあるから戦略だろうね
鈴鹿可奈子氏 プロフィール
京都市生まれ。
京都大学経済学部経済学科卒業、
在学中カリフォルニア大学サンディ エゴ校エクステンションにてPre-MBA取得。
卒業後、信用調査会社勤務を経て、
2006年聖護院八ッ橋総本店入社。 たたりじゃ〜たたりじゃ〜
八つ橋村のたたりじゃ〜〜 >>403
UCSD で MBA じゃなくて
UCSD extension で pre-MBA ですが? >>405
あーそうそう
書くのが面倒くさくてコピペしたんだからわかるだろ? ニッキの味って好きなんだけど八つ橋は硬いんだよな
ルマンドみたいな食感の八つ橋作ってくれないかなー >>402
日本人は八つ橋なんてもう買わないからターゲットは外国人
外国人受けする方法を娘は知ってた
嘘だと思ってないから今頃ビックリしてるだろうね >>401
元号廃止には賛成
特に平成の後の年号になると近年でもさらにわかりにくくなる >>401
歴史を知らないアホと思われるだけだから
止めとけ。 94歳の爺さんを誰も止められず強引にやらかした感じ
もし爺さんが全部正しかったとして勝訴してもイメージ悪化しか得られない >>411
いや自分も八つ橋は本家だとか元祖だとかいろいろ言ってるが
実際はどうなんだろうと思ってたんで、すっきりさせることには賛成
今回の指摘はイメージ的にはいい 嘘を宣伝文句として利用してるなら詐欺に相当する
不正競争防止法、経済産業省の管轄らしい
役所から是正要求があるならまだしも、訴訟に発展しちゃったのか
以下wikipedia「八ツ橋」から丸コピペ
>起源・由来[編集]
>八ツ橋がいつ誕生し、いつ八橋と呼ばれるようになったのかは不明である。
>箏曲の祖・八橋検校を偲び箏の形を模したことに由来するとする説[1]や、
>『伊勢物語』第九段「かきつばた」の舞台「三河国八橋」にちなむとする説などがある[1]。
>いくつかの企業では、江戸中期にあたる1689年(元禄2年)に、
>聖護院の森の黒谷(金戒光明寺)参道の茶店にて供されたのが八ッ橋の起源とする説を唱え宣伝にも用いているが、
>八ッ橋が同時代に作られていたとする文献はなく、
>京名菓八ッ橋工業協同組合は「根拠のない話」として1689年(元禄2年)という年代を表記することを中止するよう求めている。
>[1]…「事典 和菓子の世界」とやらの155頁に記載されてるそう
以前(いつなのかは不明)から、宣伝利用しないよう訴えかけてはいたとの事
>>403
>歴史がある方を買うらしい
販売の差し止め要求と6百万円の損害賠償請求の根拠に関連か?
その歴史とやらに信憑性が無いって話だね
恐らく、起源説みたいな話になっちゃってるんだろう
本家やら格付け(笑)の材料になる場合もあるんだろうな
特に食品において、「うまいか?」が判断材料になってくると思う
八ツ橋自体、そんなうまいものでもないしな
換装させたほうは甘い煎餅みたいな感じだし、生八つ橋はあんこ餅みたいなもの
ニッキの香り付けが強過ぎて他の素材の香りなんかしやしない
(天然)香料が貴重だった時代にはともかく、現代において厳しいとは思う
だからこそ、お土産産業としての付随情報が重要視されてしまうのか? >>394
聖護院は 江戸時代末期に 元禄創業の老舗移転就き→売り出した。→それを買い取りをしただけ!
創業は幕末。
売った店主は 他の京都の地で 営業中!! __________
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ >>1
こんなの裁判で決着させようなんて、どれだけケツの穴が小さいんだか。
今後、井筒の製品は絶対に買わない。
まあ、元々おたべしか買わないんだけどな。 >>413
お土産だから うまいかどうかは関係ないよね
特に外国人は
since 1689って書いてあるほうをありがたがって買うだけ
ネットで口コミはあるけど全部うまいものだけを買う訳じゃない
普通に考えて損害賠償請求よりそれを理由に裁判をして事実確認をしたかったんだろうな
カンブリア宮殿に出たりコナンとコラボしたりしたのも元祖の看板があったからだし
後追いでここまで大きくなりました!ってやってれば問題なかった >>417
お土産だと「うまいかどうか?」は後回しにされちゃうの?
食品だよ?おかしな話だよね、お菓子だけに…( ´艸`)ムププ
いやぁ、滑ったなぁw
有難がって?情報を鵜呑みしてるとするなら、その理由もある筈
日本に観光に来た外国人に対し「歴史が古いからこれは正統な物だ!」みたいな、
観光案内の仕方?をしてるとするなら、それも問題だとは思うけどね
>カンブリア宮殿に出たりコナンとコラボしたりしたのも元祖の看板があったからだし
そういう宣伝利用が激しかったのか?
知的財産権がうんたらかんたらとか、炎上マーケティングめいた宣伝に
裁判が利用されているとも受け取れなくもない
訴えた方も訴えられた側もどっちもどっちっぽい話になっちゃう
温故知新じゃないけど、日本の伝統文化として風習を残していくことも大事
その一方で、菓子の土産で利権めいたドロドロな話に発展してるのは感心できない 八橋検校が由来っていうのがそもそも嘘くさい。
なんで「ッ」入れるん?
それに日本だけど、人の名前を名前を商品名にするってあんまりなくない?
偉い人はだいたい肩書で呼ばれるでしょ。
やるなら、「検校煎餅」とかになると思う。 >>419
日本人も海外に行ったら同じことになってるんだけどね〜
全体的に世の中のことに疎そうだね
ニートかなにか? >>419
いや、多分頻繁に食べる人はほとんどいないし、うまいかまずいかなんて
複数比較できるほど食べてないから、一番伝統のあるやつがいいだろうとか
ってなるんだと思う こういう争い事表沙汰になるだけで京都観光のイメージダウンになるだけなのに >>422
そうなんだ?根拠は何?なんかカチンときたとか?
「日本人モー!」とニート煽りが何故か始まったw
「朝鮮人がー!」と、そのスレにレスがあるのもあながち間違って無さそうだな
事大主義なの? >>425
落ち着けよ
わかるように
日本語書いて >>424
原因を作った方に問題があるから仕方ないよね 聖護院八つ橋がわが
派手に宣伝工作してまた
それが大当たりした
妬みが原因だよな おたべ「争え! もっと争え!」
西尾「ちょっとー、やめなさいよ、男子ー」 なんだなんだ
聖護院の会長に馴染みの芸者でも取られたのか?
今更創業年嘘ついたくらいでお互いの売上左右されないだろ
このくらいのジジイの行動原理は分からん >>426
合わせて貰えないと「落ち着かないお前が悪い!」と落ち度を捏造して責任転嫁
反日外国人の特徴だなw
今日もネットでザパニーズ、抜け道を探して利用価値でしか物事を見ない
そんな感じか?
>>423
結局、観光客は宣伝を鵜呑みにされて「買わされてる」訳だよね
それ、観光業者側の案内の仕方がなってないんじゃないの?
別問題だとも思う
どこでも売ってるからどこがうまいのか判断できない
で、歴史=創業の古い物を正統品として案内でもされないと、
売上が一カ所に集中する(他の売上を奪ってる)なんて事はまず起きないと思う
勿論、裏付けの取れない事を宣伝利用してるなら、それは駄目な事だけどね
そのまま受け売りとして、右から左に丸流しでもされてないとしてないと
そんな事にはならないとは思うんだよな
ニッキ(シナモン)の香りを特に好きな人も中には入るけど、
餅粉や餡子に上等な材料、厳選素材とやらを使ってわかるものなのか?
八ッ橋なんてそんな大層な食い物でも無いと思う >>432
自分ところの跡継ぎよりライバルの娘の方が商才があるからつぶしにかかったんだろう
まあどっちにしても嘘はいけない >>328
生八つ橋も自分たちが考えたことになってるんだなw >>433
観光業者の案内ってなに?wwwwwww
観光業者が案内したから買ってると思ってんの?
いつの時代の話だよ >>328
この専務、メディアに出すぎだろ(; ・`д・´) >>437
ID変えたの?ストーキング入った?
ラーメンとかでも時々噂されるよな
食い物なのに、それに付随する情報を何故か「有難がって」喰う奴w
「日本に来る観光客のみならず、日本人も同じアル/ニダ!」
歴史をコリエイトも大概にしとけよ? いちおう損害賠償請求の体裁は取っているが,主要な争点は歴史学上
の学説の争いであって,法律上の争訟ではないから,訴え却下とすべき。 京都の菓子組合の老舗
最低限200年以上
幕末開業なら 老舗Х
聖護院の経営者の開業幕末開業 ルーツは同じでしょ?
そこから暖簾分けしたか、破門になった弟子が起業したか、レシピ盗んだ奴が居たのか、なんやかんやで今の数になっただけでしょうよ?
美味しいの作れよ、それだけだよ。 わざわざ創業年が古い店で買う そんな奴はおらんやろ 聖護院の方がどうせ分からないだろうからってはったりかましすぎたと思う
今後はじじゅうするように 落ち目の八ッ橋屋が話題作りに提訴しただけやん。
八ッ橋業界は西尾の一人勝ちやもんなwww >>448
修学旅行のお土産の時、買った後でお前の買った元祖と
俺の買った本家とどっちが古くて価値があるんだって話になった
ような記憶がある このところ聖護院の羽振りがよいのは確かだが、なぜ井筒が訴える?西尾ならまだ分かるが。 土産に八つ橋なんか持って来る奴は無粋に思うよな。
美味くもないし、それくらいうんざりな菓子。 >>443
あああああなんでこのページこんなに重いの全然開かないんだけど 「自分が嫌いなものだからそれを好きな人がいるのは認めない」
幼児のままの大人 >>456
そっち側の経路障害じゃないの
うちの環境ではさくさく開くぞ しょうむない訴えしてる暇があるなら
清水寺参道の西尾のやってるサービスのひとつでも見習いなはれ
お茶のひとつでも出しなはれ >>447
ルーツが同じなら虚偽とは言われんだろw 聖護院は幕末に西尾を乗っ取って菓子の製造販売を始めたが、店は旧来のままなんだから
西尾の歴史を引き継いだと解釈してもおかしくは無い、西尾がそれに対して奉行所なりへ
訴え出たならともかく、それもしてないし、現在に至るまで抗議一つしていないんだから
聖護院の解釈(元禄以来の西尾の歴史を引き継いでる)は既に固定化したと見るべきで、
京都における老舗という地位は慣習上の物であるから、民商法に優先すると思われる 1689年に創業なら会社の登記簿にそう書いてあるだろ 藤井恒次含む三人は新幹線を狙ったテロを実行中です。2018年4月30日は藤井恒次の
闇サイトかつ思考盗聴器による証拠の 残 り にくい、指示による新幹線人侵入
の 自殺テロ未遂を敢行!! 新幹線脱線転覆を狙う狂気に満ちた凶悪テロ事件であ
る!1000人の死傷者が出る恐れがある。服部直史ら三人はISに加盟して軍事秘密兵器で朝鮮が日本に戦争を する よう にけ し かけた。
藤井恒次は岐阜県敷島町や尻毛町独居老女殺人事件やった。森伸介は札幌大火災放火や札幌自立支援施設放火テロをやった!!2005年JR脱線事故は服部直史ら三人による凶悪置石テロ事件である!! 服部直史は吉川友梨ちゃん誘拐殺人やった!!
藤井恒次が大阪駅置石事件や飛び込ませて3人 殺 し たのもバラすで!おい!森伸介!!お前が歯に埋めるように指示してんで!女歯科助手になりすましてワイ服部直史とともに 歯にチップを埋めて岡町や原田神社放火テロやったやん!!
藤井は3年前 逮 捕 されてパソコン押収されたでえ。98年に森伸介は伊藤明子さんにフラれてストーカーのさなか 電 磁 波 ショックで殺害!!
ハードゲイ森伸介獣医
./∵∴∵∴ \ 服部直史に金で買われた森伸介(緑の森動物病院札幌クリニックに勤務)
./∵∴∵∴∵∴. \ ジジイフェチ森伸介。基本はジジイに抱かれることが多いモテ男。
/∵∴// \ | 14歳(女装しだした年)で処女卒業の森伸介のガバガバの肛門。
|∵/ (・) (・) | 1976年6月14日生A型41歳
(6 つ | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ___ |<もうっ!、終わりやぞーオリの中に監禁されてるメスネコの藤井恒次も呼ぶぞーー
\ \_/ / ζ \_________
\____/ / ̄ ̄ ̄ ̄\ バイ服部直史歯科医
/⌒ - - ⌒ /\ / \ |
/ /| 。 。丿| (゚) (゚) |
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大阪府池田市井口堂3−4−30−401の自宅
2005年4月傷害事件で
逮捕されて留置場15泊 _,-=vィ彡ミミミヽ,
の後、罰金払って ミミ彡=ミミミミミミミ,,
略式起訴の ミ彡 ミミミミミミミミ
有罪判決だで! 彡! __ ミミミミミミ
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ゞ| ヽ、 ‥ `) ノゞ リアルゲイ藤井恒次高卒ダメニート 0582751590
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ヽ `ー'´ |ゞ. 101回目のプロポーズのモデルでフラれてばかりの
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〔ノ二二二二,_____ _____,二二二二ヽ〕 転向する!!薔薇族愛好家。
|:::::::::::::::::::::::::ヽ ゜ ゜ /::::::::::::::::::::::::::/
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|:::::::::::::::::::::::/\ω/ヽ::::::::::::::::::::::/
〔:::::::::::::::::::/ ノUヽ ヽ::::::::::::::::::|
ヽ:::::::::::::::::/ /::::::::::::\ ):::::::::::::::::::ゝ
ノ::::::::::::::::::| |::::::::::::::| |:::::::::::::::::::::/ >>448
古いのが売りのお菓子だからなぁ
日本人より外国人が買う印象
京都で創業年偽り出したらお終いだよ
ほとんどは暖簾とか資料が残ってるところからしか書いてない 京都なら応仁の乱より後の戦災は無いから文献は残っているだろ? >>1
たたりじゃー!八つ橋のたたりじゃー!
「八つ橋村」 >>9
インタビューで、創業が古い方を買いたくなるというコメントが多かった
八ツ橋は不味いからどうでいいけど不当競争なのは間違いなさそう 嘘は良くないな、看板で嘘ついてるような店で商品は買いたくないから >>476
味の差がわかるほど頻繁に食べないからな 八つ橋って美味しいと思った事無い
三大ガッカリお土産 八つ橋、雷起こし、ちんすこう 井筒屋に損害が出だのをどう証明するのかも注目。
単に売れないだけとも見られるし。
旨ければ創業の古さは関係ないしな。
元祖より新興の店の食いものの方が良い場合もあるよ。 井筒八ッ橋本舗が、「ほれ、こないなってますのや」って1805年の根拠出せば終わるんじゃないの。
何か根拠があるだろ。適当に、「一番古しとこ」とかやってんの?
根拠が出たら、改めて検証すりゃいいじゃん。 >>480
昨年までの売上げ額だと井筒屋の方が聖護院より上回ってるって出てたけどね。 >>480
普段から食うものじゃないから、味のことはそれほど差があるかわからんし
元祖っぽいところの方を選びそう これで発祥不明であることがわかった。
ウソをつくなウソを、ということだな。 >>484
ましてや外国人旅行者ともなれば八つ橋を買うのはほぼその一度きり
その一度を選ぶきっかけとして「うちが一番古くからやってます」と偽ったのなら
そりゃ同業者から待てやコラ言われるわけで このスレを見て、今後は聖護院のを買わないようにしようと思った。 心底どうでもいいわ。日本人の争いそうな事だけどな
八つ橋なんて試食だけで十分。お土産に買って帰っても誰も喜ばないし
京都に行って来ました。アピールのアイテムだな
職場じゃ嫌われているわ。コーヒーに合わないお茶うけは要りません。と言われる
確か初めはお茶も容れられる給湯器だったはずなのに、お茶っ葉の片付けが面倒だからって理由で使われていない 参考に創業は1689年だと頑張っている「本家八ッ橋」さんも入れて比べてみた
形の由来
井筒 八橋検校の遺徳を湛えて琴の形
本家八ッ橋 『伊勢物語』第九段「かきつばた」の舞台である三河の国の八橋にかけた橋の形
聖護院 検校さんのお墓参りの人たち用に琴の形(専務談)
パッケージ
井筒 琴の絵柄
本家八ッ橋 八枚橋とカキツバタの絵柄
聖護院 八枚橋とカキツバタの絵柄 ← なぜ? >>473
あれは敢えて2つ並べてどっち?と聴いたからじゃないか?
わざわざ2つの店に行き古い方で選ぶとかそうそうないだろ。
土産屋で並んでいたのを見てわざわざ創業の古さで選ぶか?
パッケージの良さとか評判で選ぶだろ。
影響はあっても小さなレベルじゃないか。 西尾君のところも1689年創業って謳っているけど、こちらは本当だから訴えられないのかな? >>490
修学旅行の時に土産物屋で買ったのを友達と見せ合って
どっちの方が古くからの店とか言い合った記憶がある >>491
西尾から暖簾分けした筈なのに、西尾と同じ創業年にすんなって話かと。
創業年は暖簾分けした年だろって言いたいらしい。
聖護院側の言い分は、暖簾分けじゃなくて事業譲渡だから、創業年はそのまま引き継ぐ筈だと。
どうでもいい話ではある。 >>491
>西尾君
ついつい出ちゃった呼び方だねww >>496
太子堂行けばジェネリック生八ツ橋売ってるw >>494
乗っ取ったとか販売権買ったとか建物だけ手にしたとか
暖簾は手にしてないとかいろいろ書かれているな これ井筒のおっさんが言い出したんじゃなくて組合から怒られてたのか
根が深そうである
ヤフーのニュースから引用
今回の訴訟騒ぎには伏線があった。
2017年5月に、京都八ツ橋商工業協同組合が「聖護院八ッ橋総本店」に対して、今回と同様の「根拠のない表示」の中止を求めて、京都簡易裁判所に調停を申し立てた。
しかし、「聖護院八ッ橋総本店」が「民事紛争に該当しない」と主張し、調停は不成立となっている。
そのため、今回の「井筒八ッ橋本舗」はこうした流れに決着をつけるために訴訟に持ち込んだ。
組合内部での「聖護院八ッ橋総本店」のここ10年ほどの積極的な宣伝手法に対する反発が続いていたことが背景にある。 >>494
やっぱり西尾君とこが元祖本家なんか
>>492.495
ごめんごめん
今の社長が高校の先輩なんだわw
全く付き合いは無いけど 八橋組合みたいなところに所属してる八橋メーカーが聖護院八橋に対して「根拠のない宣伝やめて」って
ずっと言ってたらしいじゃん
それも考慮しないとな >>503
板尾係長が頭よぎったよw
あの辺なら鴨沂高校?北陵高校? >>501
アウトレットじゃなくてジェネリックな。
製法に特許があるわけじゃないから誰だって作れるし売れるもんだよ。 >>504
でもこれ、外部から見たら老舗同士が何やってるの?と全体のイメージダウンと
訴える方が大人気ない、というかみっともないと思われて
「驚いている」コメント出してる方がイメージ良いような気がする >>510
組合怒らせてるんだから逆にどんな店か解る気もするんだけど
携帯のSBやらみたいな存在に思えてきてる >>510
日本人の悪い癖だよな
テレビ出たりしてるからテレビは悪く言えないよね
テレビ以外だと前から注意されてたとか新事実が出てきて意見が変わってきてる >>510
自分はそうは思わなかった
昔のことだからいいだろうって姿勢で言ったもの勝というのはよくないね >>513
そうなんだよな
歴史やら伝統を意味する創業を売りにしながら昔の事だからとか無理筋だよね
昔ながらのっていいながら昔の事なんでいいでしょ?とか日本語で頼むわてレベル >>514
俺の憶測でしか無いけど金じゃねーんだよ!
ざけんなよって感じ? >>509
あんこにシナモンかけてクレープで包めばいいのか? 無いだけだから嘘ともいえない
これで提訴とか狂ってる >>514
知ってたか? id被ってるのを
こんな勢いあるのかないのかよくわからん八つ橋スレで 聖護院なら門跡寺院だから
法親王の日記とかありそうだけど
あと冷泉家の日記とか 「八ツ橋は9世紀の新羅で作られた」という文献が発見される予感 本家西尾と聖護院の鈴鹿は昔から仲悪く揉めてる。軒を貸して母屋をとられたんだから、西尾はおもしろい筈がない。
鈴鹿は聖護院の名前を八つ橋に付け、聖護院門跡の権威を利用して悪どい。
鈴鹿には、それなりの制裁が必要か? 八ツ橋の起源は朝鮮半島ニダ
その600万はウリ達に払うニダ 制裁とかどうでもいいよ
今回の騒動は八ッ橋にとってマイナスでしか無いだろ >>514と>>520が京都の人だというのは予想がついた。 井筒の爺さんが怒ってはるのは、聖護院が八つ橋の総本家とゆわんばかりに業界を混乱させた、鈴鹿に一泡吹かせてやりたいとの執念からでっしゃろな。 >>532
西尾の先代に恩があるとかだったら良い話しだよな〜 子供の頃以来、周りから聞かされたことは、鈴鹿はズルい、西尾さんを蔑ろにしているということ。だから、鈴鹿には良い印象を持ってないし、鈴鹿には何らの落とし前を付けさせることは必要と思う。井筒の訴訟には拍手喝采している。 >>533
西尾も一時期と言うか今は知らんけど女当主状態になったけど聖護院の娘さんとはまた違うベクトルで頑張ってはったから好感度は高いねん
旦那亡くなってから男所帯の世界に頑張って来てはったからな
影で笑い者も居たけどな 元禄2年どころか創業昭和2年でもいまや老舗だもんなー
昭和を少しでも知ってるやつは40以上のおっさんおばさんて時代だしまともに昭和に生きた人はじーさんばーさんだ 内部事情なんてお客さんからしたらどうでもええ話やけど、井筒のおじいも先が長くないから1人の人間として思うところがあるんやろな
業界荒らし?は何処ぞの国の奴らやってる事と変わらんからな、なんの業種だろうが嫌がられて当たり前やし
組合が言うてもシカトしたけど少し考える時が来てるんやろ
知らんけどな これって訴える側が元禄2年に創業していない証拠を示す必要があるんだよね? 生八つ橋うめー
創業年とかどうでもいいけど、生八つ橋うめー
特にあんこ入ってる抹茶のヤツ
超うめー
どっちの店のヤツかなんて知らないけど
生八つ橋うめー >>540
そうです、単に文献等がないからではダメで、ハッキリと元禄年間には開業してないと
明確に分かる証拠を出さないと負けます、負けたらそれに対する反訴を起こされて
逆に賠償金を取られる可能性もあります まず西尾に聞きたいな。
1.西尾が本当に元禄2年に聖護院横で茶店開いて八ツ橋創作したのか
2.西尾は本当に鈴鹿に売ったのか
3.売ったのが事実として、土地建物なのか、屋号を含めた事業一切の権利込なのか
鈴鹿と井筒の意見が割れるなら、西尾の意見で決着つくだろ。 売却証拠あるらしいよ
のれんは 売ってない
店の名現存してる。 >>542
それは訴訟テクニックで被告鈴鹿が元禄2年に創業していたことを証明しなければならないような訴え方を原告がするのでないですか? 創業何年 sinceやめれと組合に言われてもやめない位のうま味はあるんだろうな >>128
信玄餅は桔梗屋が最初に製造したが、金精軒からクレームがついて
名前を桔梗信玄餅に変更したそうな 就職先が帝国データバンクちゅうのもわからんな。メガバンクや京都銀行引き取ってくれんかったのかな >>544
もし売ったのが土地建物だけなら、鈴鹿が西尾の歴史語るのは詐欺だな。
のれんや商売の権利全部込みで買ったなら、まあ判らんでもないが。 この訴訟は西尾さんの立ち位置が重要なポイントを占めている。
いずれ、証人として裁判に出られるでしょう。
その時は、鈴鹿に対する複雑な屈折した感情もあるでしょうから、鈴鹿に有利な証言は出るのでしょうか? いかにも根性の腐った京都人らしい訴え
この冥土ジジイは早く死ねよ 井筒の記者会見を見る限り、
裁判の目的が、聖護院の評判を落とすこと(ネガティブキャンペーン)であり
裁判で勝てる見込みはほとんどないのは井筒もわかっているのでは?
とにかく、聖護院のネガティブキャンペーンを、大々的にやりたかったということだと思う
このスレを見てもわかるように、裁判の結果が出ているわけでもないのに
すでに聖護院は嘘をついているかのようなレッテル貼りが連発されている
井筒が本当にやりたかったのは、裁判というツールを利用したネガティブなレッテル貼りだったのだと思う 去年の菓子工の八ツ橋の会長どこやったん?
それによって色々と見えてくるんやけどね >>554
聖護院もこれこれこういった根拠で「1689年から八つ橋を作っている」と
主張していますと明確にすればいいのに
クレームがついた時点でね >>555
>>558
こういうレッテル貼りをするのは、どういう人なのか?
語るに落ちているとは思わないのかなぁ やっぱり正直が一番だと思うなー。
嘘をついて歴史をねじ曲げて、どうせバレやしないとたかをくくっているのは嫌いだな。
今度京都に行ったら西尾か井筒を買おう。 >>561
井筒が叩かれてるとき出てこなかったお客さん 娘がお詫びに脱いだりしたら、俺は許すよ(;´Д`)ハァハァ 聖護院のパンフレット元禄創業←証拠
司法の場
聖護院が 証拠を出さなきゃ成らない!
(原告側の弁護士遣り手)
しかし 聖護院側は 幕末に 土地建物を買っただけ→※のれんは 売って無い→売った店主は 今も 菓子店やっているから 聖護院側は かなり 苦しいね! もう聖護院買うのやめるわ
西尾か井筒かおたべにする この事件は600万円では済ませられない
可奈子ちゃんに課するべき刑罰は? 35歳越えた一般人の女性にちゃん付けとかキツいだろ
それに専務さんに何で刑罰なんだよ 同じ創業年である本家八ツ橋と西尾の八ツ橋の由来が同じことが引っかかる。
この2軒はもともと一つの茶店だったんじゃないの?
暖簾分けして2軒に別れたとか。
それにどう考えても、八橋検校が由来っていうのは、おかしいと思う。
なんで「ツ」が入るの。失礼でしょ。
茶屋の主人か先祖が三河出身で、三河八ツ橋が由来だというほうが説得力ある。 >>566
西尾のあんなまシリーズ美味いよ
個人的には塩が好き >>569
そう言う事か
西尾茶売る行商だから西尾ってことだな
そして生せんべい
三河の八ッ橋 >>541
旅館のお茶うけに出る生八ツ橋が最高に美味いという噂 >>548
京都市内で存在感がある金融機関は、京都銀行(きょうぎん)ではなく、京都信用金庫(きょうしん)と京都中央信用金庫(ちゅうしん)です。
京銀は京都市内発祥ではありませんから。 >>557
聖護院八ツ橋のホームページが全て。元禄2年創業の証拠があるなら、ホームページに載せる。
740 名無しさん@1周年 sage 2018/06/06(水) 00:20:16.57 ID:e2sOH96J0
村上龍 「聖護院八ッ橋総本店は、とても不思議な会社だ。
329年の歴史があるのに、沿革として記されている項目が少ない。
江戸、明治、大正を合わせて項目が5つしかない。」
『カンブリア宮殿』
京都の老舗SP 「守って攻める!」320年伝統菓子の極意
http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/backnumber/2018/0215/ >>577
ニキニキってなんだよw
二木ゴルフにも訴えられそうだ >>577
>元禄二年、琴に似せた干菓子を「八ッ橋」と名付け、黒谷参道にあたる聖護院の森の茶店にて、販売し始めました。 現在の当社本店の場所にあたります。以来、三百二十年余りに渡り、当社は八ッ橋を製造し続けています。
>八橋検校の墓参に訪れる人たちに向けて八ッ橋を作り、現在の本店の場所にて販売をはじめました。
聖護院八ツ橋公式HPからだけど、怪し過ぎるわな
場所、場所って濁したぼかした言い方してるし、主語が誰かは明記してない。日本語として不自然。
後ろめたいことやってるの自分でわかってるんじゃないか?
「最初に八つ橋売ってた店がここにあったらしいから、ここで販売開始して総本店名乗ればいけんだろ」的な感じだった可能性もある >>565
>売った店主は 今も 菓子店やっているから
今もあるの?なんて店? 元禄なんていったら京都じゃ新参者扱いだろ 少なくとも戦前からやってないと 元禄2年(1689年)創業って平成元年(1989年)の時に丁度300年ってキリがいいからそうしたんじゃね? 元禄2年と言われても、昔から有るんだなあ。としか思わない
古きゃ良い。とか元祖や発祥に何て興味があるのは朝鮮人くらいだな
起源なんて、今現在の暮らしに何の影響も無いからな >>580
>元禄二年、琴に似せた干菓子を「八ッ橋」と名付け
今の八ツ橋は「焼き菓子」だけど、元禄2年は「干菓子」になってるね。
いつから焼くようになったのかな? >>586
そういう人も京都にはいるけど、概ね自分の住んでいる場所が戦で焼けたりする場合を指すね
だから、幕末の戦乱(鳥羽伏見、禁門の変)では結構広範囲に町屋が焼失しているんだけど、
その時以降を「戦後」と言う人も結構いる、尤も、一番多いのは無論太平洋戦争後のことで
京都からも大勢の兵隊が16師団から出征しているからね 聖護院鈴鹿の、やったもん勝ち、言ったもん勝ち、儲けたもん勝ち商法はえげつない。 嘘をつくのもダメだけど、わざわざ訴えて大騒ぎにするのもダメ
どちらも根性のねじ曲がった同士としか思えない
聖護院も井筒も今後は買わない >>589
買わないのは勝手だけど、
当事者の立場になったらそんな寝ぼけたこと言ってられないと
思うけどな >>584
古い順から選ばれるってことはないけど元祖と言われる店はそれだけで選ばれるファクターになるよ
伝統が売りの名産品は特にその傾向になる
埼玉県の十年前から作ってますっていう八ツ橋と京都の百年前からある八ツ橋
どちらを京都のお土産に買うか
って言われて埼玉のを選ぶ人はいないでしょ 京都に行ってきたがもうあんな所行かん方がいいぞ
外人だらけで観光なんてまともに出来る所では無くなってた 京都の老舗は本当に創業年合ってるか確認取ったほうがいいよ
言ったもん勝ちじゃあ信用できない ドイツのザッハトルテみたいな結論になるんじゃね?w
その方が、丸く収まるし 創業年が正しいか役所はすべて確認取るべき
取れなかったら不当表示で告発すべき案件 >>585
その辺にヒントがあるかもね
てか、干菓子と焼き菓子じゃ別物だよなw なんか94のボケ老人が死ぬ前の思い出作りに暴れてるだけだったな
下らない話で笑った >>598
干菓子と焼き菓子の区別がついていない可能性 >>591
埼玉ディスったw
これが京都人の本性、いけずという奴か これ、日本中の昔からあるお菓子が証明できない
そして中国産に取って代わられていく 正直、あれマズイよな
よくあんなもんおみやに買ってくるとかw >>600
堅い方の八ツ橋は焼き菓子だよね。たぶん。 ここから十年を超える泥沼の抗争になって京都が焼け野原になります 旅先で焼き菓子なんか食いたくない
道中旅人が茶店で食べたいのは蒸したての饅頭や餅だろう
焼き菓子は携帯食ではなかったか >>580
それなのに聖護院八ッ橋の包装は、琴ではなく伊勢物語由来のカキツバタと橋なのはどういうことなんだと……
矛盾していないかね? >>597
創業年なんて確認出来ないよ。役所で確認できるのは設立年。 「八つ橋買ってきた」
「おお、ありがとう」
「堅い奴な」
「うわ、マジ死ね」
同じ名前を名乗って欲しくないくらいの味の落差 わしが悪いんじゃあ
わ、わしが鈴鹿の姐さんのインタビュー読んで井筒のおじきに
「おじきの店、200年の歴史とかいっとるけど新参っすねwwwww」
て言うたもんじゃからこないな戦争になってしもうた ◆
デマ、捏造、偽装、粉飾、談合、改竄、隠蔽、わいせつ
ジャップの国民性
◆ >>612
2ちゃん…じゃない5ちゃんらしいレスでほっこりした(´・ω・`) 鈴鹿のおばはんの思い上がり醜いわ
幕末、資金難の西尾はんから土地家屋を買っただけ、暖簾は対象外
それを勝手に八つ橋作り聖護院を名乗る厚かましさ
その時が創業でっしゃろ、150年位前のことてすわな
井筒はんは200年以上前の創業でっせ
鈴鹿のおばはん何を偉そうにほざかはるのでっか 創業と、いつから八ッ橋を作り始めたかとは関係無いんじゃね。
元禄2年に創業したが、八ッ橋事業に参入したのは平成とかあり得るやろ。
その場合でも元禄2年創業を名乗っても嘘ではないんじゃね。 外国人がお土産として八ッ橋買って行って、
日本の食い物は不味いという印象を与えていないか心配。 >>615
土地家屋を買っただけで元祖みたいに名乗るのはひどい嘘だね。
そりゃ訴えられても仕方ないと思うw >>615
単純に土地と家屋を買っただけでは菓子は作れんだろ、同時に職人や手代なども引き受けたはずだよ
さすがに暖簾は渡されなかったので、玄鶴堂という屋号を創設したか元からの屋号で営業を始めたんだろ
店は居抜きで取得し、従業員もそのまんま引き受けたんだから、対外的には経営が代替わりしただけで
中身は同じだから歴史と味も引き継いだ事になる、少なくとも客から見れば息子以外に継承された同じ店
その後、既に100年以上が経過しているが、このことについて西尾系の店から文句は出ていないらしいから
その地位は既に固定化されたと考えても不当とまでは言い切れない 根拠は「じっちゃが言ってた」くらいしか無いだろうけど、
それが本当か嘘かを証明することは、何か物的証拠が無いとどちらも証明できないんじゃね。 裁判の過程で全て明らかにしてほしい。ただ、聖護院側が元禄2年創業を引っ込める和解を申し出て経緯をウヤムヤにする可能性がある。 >>579
ハッカはミントの一種です
八ツ橋はニッキでシナモンの一種
ただし昔使われていたニッキは今は希少種でほとんど流通してないため
中国産やベトナム産のカシアという種類が使われている
焼き菓子や安物のシナモンロールとかにふりかけられたりコーヒー屋で自由に使えるようになってるのは大体これ
ちょっとお高くて本来シナモンと呼ぶべきものはセイロンシナモンという種類
これらをすべて長らくニッキだの肉桂だのシナモンだの、めちゃくちゃに混同して使ってるのが菓子業界
ほんとどうにかするべき >>616
鈴鹿が創業と言う限り、鈴鹿が創業した時でしょう‼
西尾さんが創業した時ではないです。 >>622
民事裁判を分かっていない、主張の根拠を明らかにするのは聖護院では無く井筒屋側
聖護院側は、井筒屋が裁判所に提出する証拠にケチを付け続ければ良いだけで、自分から
積極的に「元禄2年の創業」を証明する必要は無いので、取り下げはせんだろ >>625
不正競争防止法違反で刑事告訴しなかった理由はなんだろうね
そこまで徹底的に喧嘩するつもりではないのか
起訴されるほどの証拠がないのか ボケジジイの思い付きに周りが付き合ってあげてるんだろ
記者会見の時にジジイの横の人がなんかずっとニコニコ笑ってたしw
「あー老い先短いお爺ちゃんのすることだからみんな笑って許してやってくださいね〜」みたいなノリだろ
真面目に取り合う方がアホだろこんなもんw >>625
和解と取下げの違いが分かってない
取下げは訴えた側がする >>609
ほんとそれな
お琴の形のお菓子ならパッケージもお琴にしたらええのに、なんでかきつばたの絵柄のパッケージやねん
おかしいんちゃうか? 参考文献を出せば終わる話じゃんw
さっさと出して終わり >>626
不正競争防止法は、営業秘密の窃用とかデザインやロゴの類似コピー等知的財産権の
法益保護関する法だし、侵害された内容が西尾の営業権だとすると、既に100年以上も前の話で
今更、保護されるべき内容だとも思えず、刑事事件にする為には民事以上に明確な証拠が必要だし
時効の壁もあるし、こんなん持ち込まれたって検察庁は困惑するだけ
>>629
ちょっと言葉が足りなかったな、取り下げるというのは聖護院側の「元禄2年創業」という文句で、
これは書いたとおり撤回する必要は無い、なお、民事訴訟の取り下げには被告側の同意も必要で、
原告側がそれを申し込んできた場合には、負けそうにな場合や訴訟費用などがヤバクなって来た証拠で
敢えて拒否する(訴訟を継続する)戦術もアリ >>632
聖護院が創業したとしている元禄二年は鶴字法度があり、屋号等に鶴の字は使ってはいけない時代。
元々屋号に鶴の字が入っていても変えなくてはいけなかった。
だから聖護院の屋号に鶴の字が入っているのはおかしいんだそう。 >>633
聖護院鈴鹿家は幕末に資金難で苦境に陥った西尾を店と店員ごと居抜きで買い取り、
新たに菓子司を経営したという説があるが、その際に西尾がのれんは渡さなかったため、
屋号だけは新たに幻鶴堂という名称で始めたなら、綱吉の禁止令は100年以上も前であり、
その時点では問題なかった可能性がある 初代や二代目の活動履歴が疑わしいのに三代目を名乗るのは不正競争でしょうか 鶴字法度が1688年からってことは1689年から玄鶴堂ってのは完全に矛盾するな
十分根拠になるんじゃね 井筒でも聖護院でもなく、西尾が作った商品だよ。
西尾より古い訳がない >>587
62師団の方は沖縄嘉数の戦いで京都の人3500人くらいが死んでるね 西尾が元禄2年創業をいうならまだしも、幕末のドサクサに西尾から土地家屋を買った鈴鹿がいうのは明らかにおかしい。 >>601
東京から散々ディスられて慣れてんだろ、さいたまさんはよ。
>>628
あれはマジおすすめ >>641
東京と埼玉は仲良しですよ
東京の大部分は埼玉ってディスられるし
一心同体だから
埼玉をディスるのは地方ですよ >>643
八ツ橋のスレで味の話をされても
どこのメーカーのトンスルが旨いみたいな話するようなもん
京都行ったら、阿闍梨餅かそば餅買うわ >>644
あんたがただ単にシナモン嫌いなだけやん
シナモン好きな人は世界中にたくさんいるんだよ?
自分以外の世界も存在することを知りましょう >>216
起源の根拠が無いから訴えてるのであって、「根拠が無いことの根拠を示せ」って悪魔の証明であって、出しようがないでしょ。 >>645
ニッキ使った奴なら川越のぽくぽくの方が旨い
埼玉にニッキの使い方で負けてるんだから
歴史ある所が 生八つ橋は旨い。
でも、そもそも京都は関西では一番歴史のない新興住宅地みたいな町だから、歴史って言われても違和感あるなぁ… >>651
兵庫県滋賀県は関西じゃないとかでかく出たな 元禄2年創業と宣伝することで利益を得ている者がそれを証明するのは世の中当たり前のことでしょう。裁判上でも恐らくそうなるのではないですか? 八ツ橋はあの香りが嫌い
あの香りなければ美味しいと思うのに
何でわざわざあんな香りつけるの?
日保ちするとか? 八つ橋が、一社ではなく何社も作ってるって初めて知ったw
むかし修学旅行で行ったとき、なんで八つ橋のほかに夕子とか
名前付いてるのか不思議だったけど、複数あったのねw >>656
事情はもみじ饅頭より混沌としてる。
だからこういう騒動が起こるんだが。 >>653
今回の裁判では、井筒屋が聖護院に向かって「お前の創業年はウソだろ」と言って裁判官に
こいつのウソを暴いて、ついでにご褒美として600万円むしり取って私に下さいと言ってる
こういった訴えに対して、もし訴えられた側が証拠を提示しなければならないとなると、
訴えられた方は溜まったもんじゃ無い、これだと訴える方はリスク無しで訴えられた方は、
証明できないと一方的に賠償責任を負う事になる、これだと根拠がハッキリしないケースでは
訴える方は、リスク無しでゼニ儲けができ乱訴になる、それを避けるため、訴訟では原則として
訴えた側に挙証責任を負わせる事になってる
実際に審理が始まれば>>646の言うとおり、井筒側は悪魔の証明をしないと勝てないので、
裁判そのものは井筒側が負ける可能性が高い >>660
>>640のとおりなら、西尾八つ橋がその場所で営業していたのだから、悪魔の証明という訳でもないのでしょう。 悪魔の証明(笑)
別に科学論争でないですよ。
裁判官の心証を形成するだけでいいのです。 聖護院のパンフレットには元禄二年創業でその時から屋号は玄鶴屋だと書かれている。
しかし元禄二年は鶴字法度が制定された翌年で、当時屋号に鶴の字は使う事はありえない。
元禄二年創業だとパンフレットに載せる事に決めた人が鶴字法度というものがあった事を知らなかったんだろうね。 >>661
井筒側が証明しなければならないのは、元禄年間に聖護院(西尾)が営業してないという事実
営業したという事実なら、何か一つでも挙げられれば証明が終わりだけど、していないと言う事は
全ての可能性を排除した後でしかできないが、どれだけ証拠を出しても不十分になってしまう
特に今回のケースでは、肝心の八ッ橋の起源さえ不明という状況では証拠そのものが無いと思う
>>662
自由心証主義はその前提として証拠裁判主義に立脚するが、井筒側の言う「文献が無い」だけでは
証拠価値は無いに等しい、何故なら文献の存在と実体の存在は別の事だから、心証の形成はあくまでも
提出された証拠の価値判断にかかる基準であり、提出されない証拠の上に心証を形成するのは判例違反 鶴字法度があるから当時玄鶴屋はありえないで十分証明できるじゃん
何か必死に井筒は勝てない勝てない言ってるけど 熊野交差点の聖護院のほうが、裏みちの店より本家と思ってた。
実は逆だったんか >>666
西尾が左前になって、聖護院が救済ていうか買い取り。
その後西尾が復活って流れだといわれてる。 ここで訴訟の素人論議をしてないで、裁判の行方に注目していましょう(笑) >>607
昭和15年頃から八ツ橋業界の主導権争いが激しくなったみたい。
以後70年間、足の引っ張り合いをしている業界だから、訴訟になっても業界内では「またか」という感じ。
でも業界の中が割れていることが世間に知られれば、八ツ橋の評判が落ちて、売れ行きも落ちるかも。 >>610
元禄2年には登記などという制度は無かったんだから、
元禄2年の看板とか、
元禄2年の古文書とか、
元禄2年から使ってる道具とか、
何かで証明して欲しい。 八ツ橋なんてどこが元祖だろうが本家だろうが創業が何年だろうがどうでもいいわ。目糞鼻糞の大量生産の土産菓子に過ぎない。 >>615
鈴鹿さんが八ツ橋の店舗を買ったのは昭和2(1927)年。 >>628
平成になるまでは、何それ?
店舗に看板さえ無かった。
近所に住んでた私が言うのだから間違いない。 >>631
京都府が始めた100年企業表彰の時に、各社が自社の創業年を証明する資料を出している。
京都府に情報公開すれば、昭和40年代の時点での各社の主張とそれに対する京都府の見解が明らかになる。 >>634
鈴鹿が店を買ったのは昭和2年だよ。まだ100年も経っていない。 >>637
西尾家もそんなに古くは無い。ホームページに載せてる文政年間の絵馬が最古の資料では?
絵馬に八ツ橋屋と書かれているから八ツ橋を作っていたことにしたいようだけど、八ツ橋屋という屋号だっただけで、八ツ橋を作っていたか否かは不明です。
江戸時代だと、八ツ橋を作っている店は八ツ橋「屋」とは言わずに八ツ橋「商」といいます。 >>639
鈴鹿さんが西尾さんの土地建物を買って八ツ橋を売り始めたのは、昭和2年です。 >>651
聖護院八ツ橋と西尾八ツ橋があるのは、聖護院門跡の近くで聖護院という地名ですが、鴨川の東で洛外です。
洛中は何度も大火にあいましたが、聖護院門跡のホームページによると聖護院門跡が今の場所に移った後、聖護院門跡は焼けていないそうです。
聖護院門跡が今の場所に建ったのは元禄より前です。そうすると聖護院門跡の近くにある八ツ橋屋さんも焼けていないと思われます。それなのに元禄創業の歴史資料が出てこないのは変です。 >>663
鶴字法度なんて高校までの歴史では習わない。
井原西鶴好きか、江戸歌舞伎好きでないと、「鶴」の字や紋が禁止だったなんて知らない。
菓子屋で言えば、鶴屋が鶴字法度で駿河屋に改名。ちなみに鶴屋吉信は1800年代の創業。 >>666
東山通は明治時代にできた新しい通り。市電用の通りだと思うけど確かめてない。 >>668
裁判の結果が出る前に、外野があれこれ言うのが面白いんだよ。 鈴鹿は昭和2年創業なのに元禄2年創業とは大ボラを吹いたもんだ。
誇大広告もやりすぎだ。 >>667
西尾八ツ橋が昭和2年に倒産したので、西尾さんの八ツ橋屋を鈴鹿さん(今の聖護院八ツ橋)が買った。それが昭和2年。 >>680
そういえばバブルの頃に、「昭和元禄」という言葉がありましたね。 >>686
その後、昭和15年に鈴鹿さんが中心になって京都八ツ橋工業組合(名前は微妙に違うかも)を作って、八ツ橋業界を支配した。
昭和20年代に八ツ橋製造をはじめたのが、井筒八ツ橋とかおたべ(おたべを開発する前だから別の社名だった)。 鈴鹿て苗字あまり京都で見掛けない。
古くから京都に住んでいた人でないでしょう。
割りと新しい時期に京都に入って来た人たちの気がする。
だから元禄2年創業なんて嘘っぱちだと思う。 >>83
上賀茂神社前の葵家やきもち
京都駅でも買えた気がする 西尾屋は変な味のやつまで全部味見させてくれる。
八阪神社前の店しか行ったことないが >>628
以前の社名は、清水製菓で
要するに下請やさん スーバーで売っていたかも知れない
だいたい20年弱前に付けたブランド名だと記憶しています >>689
吉田神社の社家だから、一応は馬の骨ではないな
社長の家も吉田神社の東側にあるはず
確か2011か、2012年頃に新築したと記憶している どうも八ツ橋屋ってのは西尾家の屋号ぽいよな
万博等のローマ字表記もYATSUHASHI T.NISHIO COって綴ってるし
西尾家は元々八ツ橋屋西尾為某商店で聖護院八ツ橋とは名乗ってなかったんだと思う
江戸時代以来の店名としてもしっくりくる
分家の八ツ橋屋西尾為忠商店は明治以前の屋号+商号をそのまま受け継いで今に至ってるんじゃないかな
んで菓子の八ツ橋も元々は八ツ橋屋さんのとこの煎餅てな通称だったのがそのうち煎餅そのものを八ツ橋と呼ぶようになったのかも知れない
その後大正以降に屋号が玄鶴堂の鈴鹿家が傾いた八ツ橋屋西尾為某商店の菓子事業を買い受け、
そのままでは西尾家の店と勘違いされるので商品名となった八ツ橋に聖護院の地名をひっつけて玄鶴堂の聖護院八ツ橋と名乗ったのかも
その後西尾本家は本家八ツ橋西尾としてリスタートしたと
こういう筋書きなら鶴字法度との矛盾も説明できる
屋号に商人一般に使われる〜屋ではなく知識人階級や本屋が使う〜堂なのも吉田神社神職の係累である事と関連してるんじゃないのかな
このへん詳しい人解説して欲しい >>688
井筒八ツ橋は昭和20年代に八ツ橋を作り始めたんですか。
確かに、ホームページの沿革の項目を見ると、文化2年の次が昭和22年。
それも「夕霧」創作の話で、八ツ橋の製造開始については一切記述がない。
文化2年(1805年)に創業して「菓子・米・味噌・醤油・砂糖などを商う」
昭和20年(1945年)以降に八ツ橋の製造を始める
「創業文化二年 井筒八ッ橋本舗」というのは嘘とは言えないけど、
江戸時代から八ツ橋を作っているように見えます。
オーナーは、こういう表示は全く問題ないと思ってるんでしょうね。
「八ツ橋がいつから作られ始めたかを記録した文献はない」と主張するなら
本家西尾八ッ橋や本家八ッ橋が創業を元禄2年(1689年)としているのも
根拠がないということになりますが、八ツ橋業界は大丈夫なんですかね。 >>695
井筒八ツ橋は八ツ橋作る前は菓子屋ではなく小売商店だったんでは?
だから菓子屋として同一業種の業歴を基準に表彰する京都府の百年表彰も受けてない
百年表彰見てて面白いのは鶴屋吉信は受けてるのに俵屋吉富は受けてなかったりすること
気になって俵屋吉富の沿革みたけど
京都はやっぱ色々深いわ >>695
井筒は、戦前まではステテコ等の下着を売ってまして
京都らしい呉服とか染め物なのではなくグンゼのパンツの卸みたいなもので
菓子屋でも何でもございませんでした...
申し訳ない >>696
俵屋吉富は、今の社長の祖父の石原留次郎が鶴屋吉信の職人でして、
独立するときに屋号を人から買って今の格好となったのです
申し訳ない... >>697
>>698
真偽はしらないけどそんなの書き込んで大丈夫なの? 鶴屋も前に民事再生法うけてるし老舗の維持って大変なんだな >>689
明治からは戸籍でたどれる。
それ以前から京都に住んでいたなら、近くのお寺の檀家だったはずだから記録が寺にあるはずだね。 >>701
あ、もしも明治から京都に住んでいたなら戸籍でわかる、という意味ね。 >>694←事実なら聖護院は 大正時代創業
明らかな不当表示
詐欺紛いだ!
元禄創業1600←笑うぞな >>689、>>693
鈴鹿家は吉田神社の社家の家系で、聖護院八ツ橋もその一族。
大和文華館と愛媛大学に鈴鹿家系の研究者が集めた日本の古典を収蔵した鈴鹿文庫がある。
要するに鈴鹿家は吉田神道の名門。 >>695
1889(明治22)年 西尾為治が八ツ橋をパリ万博に出品し、銀賞を受賞。日本でも八ツ橋が有名になる。(西尾八ツ橋ホームページ)
1905(明治38)年 聖護院八ツ橋発売(山本候充,2004「日本銘菓事典
」東京堂出版,p.173.)
1943(昭和18)年 井筒八ツ橋発売(前掲書,p.155.)
1946(昭和21)年 おたべ創業(社名は違う)(前掲書,p.155.)
1966(昭和41)年 おたべ発売(前掲書,p.155.)
1969(昭和44)年 社名をおたべに変更(前掲書,p.155.、今は株式会社美十) >>694
詳しいことは過去帳とかえどじたいの宗門人別帳とかを溯るしか無いと思う。
八橋検校をしのぶ「八つ橋忌」というのが鈴鹿さん主催で法然院でおこなわれていたらしい。今でもやっているのかは不明。 >>697
井筒の津田さんは、戦前は水茶屋。それで100年表彰は八橋製造業ではなく飲食業で受けたらしい。 昭和14年設立の京都八ツ橋卸商業組合の発起人は聖護院八ツ橋の鈴木さん。寺町通松原下ルの西尾さんが参加してる。他の西尾さんは参加していない。 >>694、>>695
江戸時代の京都観光案内の類が京都叢書の中に何点か翻刻されているんだけど、索引に八ツ橋という項目は見つからない。
江戸時代に八ツ橋というみやげ物は無かったのでは? 辻ミチ子という京都生まれの歴史家が「京の和菓子」という本の中で八ツ橋を紹介しているけど、文献の中に「八ツ橋」が出てくるのは大正時代の京都物産案内書「京の華」が最古。
八ツ橋は明治に出来たのかな? >>695
元禄どころか江戸時代に「八ツ橋」という菓子の存在が歴史資料では確認できない。 >>704
神社の家系なら過去帳バッチリだろうから即答で蹴散らしたら済むのに何でしないんだろうな
吉田さんにある菓祖神社への寄付が鈴鹿に入るならなんかアホくせぇ うん、神社の家系なら結構たどれるね
うちも母親の実家が小さな神社(所謂村の鎮守ってやつ)なんだけど
倉には先祖代々の位牌があって、社のいわれは養老年間(720年頃)だけど
実際の位牌で確認する限り、1650年代までは確実にたどれた、吉田神社は
もっと古いだろうね 勝手に一番の老舗みたいに名乗られたら競合他社が後出しみたいになるだろ >>686
井筒「それやったら昭和2年創業やろ」
聖護院「事業を引き継いだんだから創業は継続カウントやろ」
こう言うことか。 >>715
引き継いだとしてもそんな古くから西尾が営業してないという二段構造 >>715
西尾さんが元禄2年に創業したというのも歴史資料では確認できていない。 >>718
井筒さんは聖護院八ツ橋さんが盛りすぎだと言ってるだけで、八ツ橋業界全体が盛り盛り体質のように思います。だって、江戸時代の観光ガイドに「八ツ橋」という菓子は出てこないのですから。 >>720
それやったら井筒さんとこも「盛りすぎ」じゃないの? 100年前を知ってる人がほとんど死んだら
歴史なんて印象操作で事実と違うことを刷り込める
下請け昆布かきのかたわら、端物昆布を駄菓子などと一緒に売ってたよろず屋が、
目先の利く戦後世代で大きく発展、
観光客に地元で一番古くて立派な昆布屋と思わせるのに成功した例と一緒 >>721
井筒さんのホームページは、創業年と八ツ橋販売開始を分けて書いてる。きっちり分けているか、そうでないかは微妙だけど。
それに対して聖護院の鈴鹿さんは、ホームページにも包装紙にも元禄2年と書いている。
井筒さんは「私はウソはついてないけど、聖護院の鈴鹿さんは大嘘つきだ」と言いたいのでは? >>722
でも古い記録が残ってる場合があるから、盛りすぎると歴史的事実との矛盾がでてくる。
聖護院八ツ橋さんは元禄2年の玄鶴堂が起源と言うけど、元禄年間には鶴字法度があり、家号や紋として鶴は使えなかった。井原西鶴が改名したのはそれなりに有名。 組合に去年も言われてるの無視してるからだろ
何で頑なに証拠提示して組合やら井筒を黙らせないんだろうな
去年に組合に言われたときに提示してたら井筒の今回のこれも無く波風たたないのに 明治維新後、吉田村の百姓が土地の名家の鈴鹿を名乗ったのでないですか?屋号に聖護院を取ったように。左京区吉田あたりには鈴鹿という名前の人時々いますよ。ちなみに私の家は吉田のほうを名乗りました。 過去帳も残ってそうなちゃんとした家柄なんだから組合に言われたときに出したったら良かったのに
背乗り違うだろうな?って違う方向に向いてる俺ww 鈴鹿氏自体への背乗りなら吉田神社の本家が黙ってないだろうしそれはないな 西尾の土地家屋を聖護院が買ったというのなら、西尾の方にその記録は残っているのだろうか。
もし記録が残っていれば、聖護院が元々菓子を作っていた店なのか、西尾から土地家屋を買い取ってから始めたのかわかるかも。
この訴訟は色んな歴史が掘り起こされそうで興味深い。 >>726
あのあたりは南から順に、岡崎村、聖護院村、吉田村、田中村だよね。聖護院八ツ橋の鈴鹿さんが吉田神社のある吉田村から聖護院村に本拠地を移した理由は何なんだろうね。 >>686、>>729
昭和2年に倒産した理由は何なんでしょうね。
昭和恐慌というのが、1930年(昭和5年)から翌年にかけてあった。この昭和恐慌で倒産ならわかるんだけど。 全然関係無いが天一も一枚岩じゃ無いよな
数店舗の作り方があって本店が不味い方の作り方とか笑えるw
セントラルキッチンのを使ってる店は論外な 江戸時代以前は、公家や武士でない限り庶民は姓が無かった。維新後、名字が許されたとき、地名、有力家名、寺社名などから適当に名字を付けたと聞いてます。聖護院鈴鹿の御先祖さんが吉田神社や聖護院門跡の近く住んでいたのでしょうね? 聖護院の鈴鹿さんは社家だから名字あって当たり前だろう 幕末説 >>634、1905年説 >>705、昭和2年説 >>686
どれがホント? ほんとのところはともかくこういうウラ知識みたいなのが5chの書き込みにしか存在しないところに京都の闇を感じる
表立っては誰も指摘できないんだな >>738
幕末説は根拠が無い。
1905年説は引用文献がある。しかし、引用元の根拠は不明。
昭和2年に倒産した西尾さんの生産設備を引き継いだのは事実。
1905年に生産を開始し、昭和2年に生産設備を拡張したと考えれば矛盾はない。 >>739
京都府の100年企業表彰のときの審査資料を情報公開請求すれば、それぞれの創業時期の根拠が明らかになるよ。井筒さんにとって裁判は難しくない。 訴えるということは聖護院に売上や味で負けているんだという憶測が働く 八つ橋こうてきたでー!からの生じゃない方の時だったガッカリ感よ >>699
ご本人から直接に聞いたわけではありません
すみません >>737
聖護院鈴鹿が吉田神社の社家であることを示す文献を挙げて見て‼
百姓が勝手に鈴鹿を名乗った疑いがある。
なにしろ屋号に聖護院を名乗り、元禄2年創業と嘯いている家系だから信用できない。 >>424
文献ないのに名乗ってるほうがイメージ不味いよw 聖護院八ッ橋総本店
http://www.shogoin.co.jp/yatsuhashi/history/index.html
元禄二年、琴に似せた干菓子を「八ッ橋」と名付け、黒谷参道にあたる聖護院の森の茶店にて、販売し始めました。
現在の当社本店の場所にあたります。以来、三百二十年余りに渡り、当社は八ッ橋を製造し続けています。
本家西尾八ッ橋
https://www.8284.co.jp/history/index.html
江戸時代・元禄年間(一六八七年) 本家西尾八ッ橋の歴史は、聖護院の森の「八ッ橋屋梅林茶店」にさかのぼります。
江戸時代・元禄二年(一六八九年) 現在の八ッ橋の原型となる、橋の形をした素朴なおせんべいが誕生しました。
本家八ッ橋
http://honkeyatsuhashi.co.jp/about.html
創業は、元禄2年(1689年)3月。
もともとは、京都・熊野神社の境内にある茶店でした。
そこで、祖先である西村彦左衛門が『伊勢物語』の在原業平の風流を偲び、京の都の銘菓として製法を考案したのが始まりです。
彦左衛門は、『伊勢物語』第九段「かきつばた」の舞台である三河の国の八橋にかけ、八枚橋の板の形に模した菓子を作りました。 >>724
京菓子の老舗『鶴屋』は屋号を『駿河屋』に後の江戸三座の一つ、中村座は丸に舞鶴が定紋でしたが、これを替え紋の『角切銀杏』に変更
なるほどw >>747
西尾は「原型になったお菓子」をその頃に作ったと言ってる一方
聖護院は当時からずっと八つ橋という「干菓子」を作ってると言ってる
似たようで全然違うんだよなあこれ
そして普通あれを干菓子とは呼ばないのにこの主張なのも謎 >>748
歴史を知らずに変なことを言うとボロが出てしまうのですね。
歴史のある街は怖いです。 >>749
八ツ橋は干菓子なの?
焼いてあるから焼き菓子のような気がするけど、和菓子に焼き菓子という分類ってありましたっけ。
今、焼き菓子っていったらクッキーとか? 太子堂で生八つ橋買ってきたけど、これも京都製じゃん。
製造者「白心堂」って書いてある。 >>751
調べてみました。
和菓子の世界では、水分含有率10%以下の乾燥した菓子を干菓子と言うそうです。煎餅も干菓子ですので、堅い方の八ツ橋も干菓子です。 >>747
聖護院さんは琴に似せて菓子を作ったというならば、パッケージにカキツバタと橋をどうして使っているのだろう
他の2社のように伊勢物語からの風流な由来であるならわかるけど……
ちなみに琴の形が由来だという井筒さんとこはパッケージに琴のイラストを使っている >>754
あー
普通おひがし言ったら東本願寺・・・じゃなくて落雁系統のイメージがあったけど
乾燥してりゃ一通りオッケーなんね 昭和2年の倒産話なら94歳の会長は、親からいきさつは直にきいているなあ。
100年のイザコザか
どっちもどっちかもしれんな この騒動を使って便乗宣伝してる餅屋が最低なのは理解出来た
今のところその二軒は最悪なイメージ 昭和2年創業のくせに元禄2年創業とは大サバ読みしたもんや。聖護院鈴鹿は不当表示、誇大広告、虚偽広告してはりますわ。自分のとこが八つ橋の発祥、総本家のような顔してるさかいに西尾本家や井筒が怒らはるのや。 でも店を買収したとき元禄創業と聞かされてたのなら
見物決め込んでる西尾さんに聖護院の方が騙されてたかもしれないのではw (井筒八ッ橋本舗のウェブサイトから)
その後、八橋検校は、貞享二年(1685年)その生涯を閉じ、井筒茶店も含め
祇園の茶店中で検校を偲び、琴の形に仕上げた堅焼煎餅を「八ッ橋」と名付け
売り出したところ、それが大流行したと伝えられています。
http://yatsuhashi.co.jp/history/index.html
貞享二年(1685年)の4年後が元禄2年(1689年)。井筒の言うとおり
その当時八ツ橋が存在しないなら、自分自身が嘘をついていることになる。
祇園の茶店が検校を偲んで、120年後の文化2年(1805年)ごろに八ツ橋を
売り出したというなら話は別だがw
もちろん、創業1689年と称する本家西尾八つ橋も嘘をついていることになる。
さすがは京都、古参の嘘つきを差し置いて新参者が嘘をつくのは許さないということか
おきばりやす(爆笑) >>762
八ッ橋の由来が八橋検校ってのは後発組の創作じゃないのか
西尾だと伊勢物語の三河八橋由来だし これが問題なけりゃウチは紀元前創業!なんてのが次々でてくるんじゃね? >>762
江戸時代に八ツ橋という菓子があったという証拠が無い。
西尾さんのホームページに文政年間の「八ツ橋屋」の絵馬が載ってるけど、「八ツ橋屋」は家号であって、八ツ橋を商ってると言いたいのなら「八ツ橋商」とするはず。
伊勢物語のカキツバタの段で有名な三河の西尾さんが「八ツ橋屋」と名乗ることには何の不思議も無い。 >>708
× 鈴木
○ 鈴鹿
昭和14年設立の京都八ツ橋卸商業組合の発起人は聖護院八ツ橋の鈴鹿さん。寺町通松原下ルの西尾さんが参加してる。他の西尾さんは参加していない。 八ツ橋って明治の大発明かな?
1889(明治22)年 西尾為治が八ツ橋をパリ万博に出品し、銀賞を受賞。日本でも八ツ橋が有名になる。(西尾八ツ橋ホームページ)
1905(明治38)年 聖護院八ツ橋発売(山本候充,2004「日本銘菓事典
」東京堂出版,p.173.)
1943(昭和18)年 井筒八ツ橋発売(前掲書,p.155.)
1946(昭和21)年 おたべ創業(社名は違う)(前掲書,p.155.)
1966(昭和41)年 おたべ発売(前掲書,p.155.)
1969(昭和44)年 社名をおたべに変更(前掲書,p.155.、今は株式会社美十) この手に持たれてるのが八ッ橋の元となった七橋って菓子な訳でだな
七橋は3つ並べると空からお金が降ってくると言ういわれのあるパ・ティスロッテと言う祭事に使われてたんだよ
https://i.imgur.com/EzGLCM4.jpg 八ツ橋戦争かぁ へ〜
皮だけの ニッキのやつ たまに買ってきてもらって食べてるよ たまに皮だけを欲しくなって あ〜ん♪して ハムハムしたい時があるよ ちなみにニキニキの起源は昔の支那であり西方から来たとある商人夏目と言うまるで三蔵法師のような者から譲り受けたのが始まりである
http://youtu.be/VbO6ToCqS_Q ※聖護院の 疑惑
※元禄創業
※聖護院の菓子販売 幕末明治開始
※聖護院は 建物 土地を 幕末に 買っただけ
のれんは買って無い。
※なぜ 聖護院は 元禄創業1600年代?
※裁判官は 元禄創業を 問題点重視!
※裁判官は 元禄創業を不当表示に あたると 見るのが 司法関係者の大半! >>766
みんな現代の感覚で屋号=商号と刷り込まれてるから
八ツ橋屋なら八ツ橋を売ってる店って考えちゃうんだよな
実際は丹波屋とか尾張屋みたいに地名由来の屋号で菓子の銘としての由来は後付ということか
そうすると玄鶴堂という屋号の家の茶店が元禄時代にニッキ煎餅を八ツ橋と名付けて売り出したっていう説明は途端に胡散臭くなるな
西尾と聖護院両方の説を並べると
八ツ橋屋の西尾家と玄鶴堂の鈴鹿家が1689年に西尾は八ツ橋のルーツになる菓子を、聖護院は八ツ橋と名付けた菓子をそれぞれ聖護院の森の茶店で売り出したとなる
でも実際は聖護院が菓子業手がけたのはここ百年ほど?
だとしたらかなり聖護院苦しいな
少なくとも宣伝してる1689年から作ってましたー!
ってのは嘘になるね >>762
創業当時蜜って高価で平民風情が容易く入手できるのか? 聖護院鈴鹿が本家西尾から土地家屋を買ったのは幕末ではなくて昭和2年だということです。昭和2年創業なのに元禄2年創業とは不当表示、虚偽表示になります。
また、聖護院門跡の名前を屋号にして権威づけ、八つ橋の総本家のような顔をするのも如何かと思われます。 >>774
白砂糖ですら無理
今は逆転してるが昔は白砂糖を庶民が使えないから黒砂糖を使ってたレベル
黒蜜なら作れたかもな >>761
買収じゃなくて聖護院が傾きかけた西尾の土地家屋を買っただけ。 >>774
麦芽糖の水飴は米から作れるから甘い味の煎餅なんかは作れなくはないだろう
でも米粉丸めて蒸して出すだけで食ってける門前の茶店で堅焼きの煎餅をわざわざ作るかな、とも思う
そんなの江戸時代なら洛中の菓子店の領分だろ
都の外れの茶店が作るようなもんじゃない >>778
それ米飴だろ
麦芽糖は大麦だよ
でんぷん質なのは一緒だけど味は違う
ついでにどちらも癖が強い味
癖が強い味だから肉桂使ってたレベルとかなら何となく解るが肉桂も支那肉桂か国産の沖縄の方の肉桂だとしてもめちゃめちゃ高いだろうな >>777
江戸時代って(今でもそうだが)、その店特産の菓子の作り方は当然のことながら「秘伝」だろ、
土地と家屋を買収しただけで、ド素人が新たに菓子の製造販売を始められるほど簡単な商売か?
店舗を売った西尾は、小さな店から再出発したとあるので、当然従業員等を全員引き取れん罠
じゃあ、多くの職人達はどうしたのと考えれば、新たな店が家屋だけで無く従業員達も一緒に
引き取って、菓子の製造販売を始めたと考えるのが合理的で自然、であれば商品の中身は同じ
店は同じ、商品も同じ、店員も同じ、経営者だけが違う、シャープからハイアールシャープに
変わったのと違いは無い、ハイアールシャープもシャープの歴史を引き継いでる そもそも何で八ッ橋が京都のお土産のトップ扱いなんだよ
八ッ橋屋がかなり昔にステマやら馬鹿みたいに広告打って根付かせただけだろうが 京都はこういうの多いね
歴史があるから
語る輩も後を絶たない
旅館幾松や寺田屋あたりも
根拠のない自信で成り立ってる 蜜とは蜂蜜の事だろ?
蜜と桂皮となると完全に薬だよな
薬となる菓子を平民が容易に作れるのか?w
利休が愛したふの焼きがとらやの資料で1793年の御所献上があるが
ふの焼きより先に八ッ橋が商品化されてるのか?ww
ふの焼きですら茶会での高貴な一部の食い物だぞ
どう考えても入手困難な組み合わせでふの焼きより進化した食い物がそんな
乱世に平民が販売できるはずないだろ?w
とらや文庫や古今名物御前菓子秘伝抄にレシピは載ってるのか?w >>780
西尾はのれんを売ったわけではないので買収ではない。
100年前創業したパン屋の店舗を最近買って新しくパン屋を始めた人がいて、うちは100年前創業です! て主張するのは違うんじゃないの? だいたい
つぶあん入り生八ツ橋を
当たり前のようにパクって
売ってるような業界 八ッ橋なんて洛外の川向こうの村での菓子って扱いなのに上品とか全然無縁な菓子なのにお高く止まってんじゃねーよと
もう訳わかんねーから山名持豊呼んで来いよ >>789
京都来たことないの?
景色いいとこなんて無いわ 上のほうの歴史の観点からの検証面白いね
聖護院さっさとごめんなさいして変えときゃ良かったのに >>765
ワシが卑弥呼に貫頭の衣と大袖の衣の着方を教えた おもろいもん見つけた
お嬢、これはアウトやろ?ww
ニキニキsince1689かよ?
これは叩かれるわ
https://i.imgur.com/BdnwSW7.jpg >>794
ググったらニキニキも聖護院関係やったんか
ニキニキもあかんわ
買えるのおたべだけやんけ 十年くらい前から言われてる話みたいだしちょうどこのニキニキの1698表記辺りから怒られてるんじゃね? >>795
おたべは色々と凄いな
時代を読む嗅覚だけで一気にのぼりつめて餡入り作って定番化させたり
不二家のペコちゃん人形からヒント得たのか知らないけど舞子さんの御辞儀する人形置いたり >>800
聖護院は1689年でニキニキは知らんけど2008年位じゃね?
ニキニキはホームページ無いのな
ドメインはあるけどニキニキのなのかは不明だが削除されてる
やっぱ争点これやろ >>801
カフェの名前とか外人やら知らん人から見たら100%創業1689の老舗ニキやしなw >>801
なるほどありがとう
ニキニキがHPないのは意外だ
あの娘絶対そういうの好きそうなのにな
井筒屋は1805年創業らしいな >>803
ドメイン取ってあるからサイトあったのかも知れんが実際のところは解らんね
オンラインショップも外部と聖護院のとこの中に入ってるから不思議だわ
ま、最近多角経営にしながら本体の創業をちらつかせてる店多いからこれから色々と出て来るかもな >>804
重ね重ね詳しくありがとう
八つ橋は好きじゃないがそういうの聞くと今後の成り行きが楽しみだな >>773
元禄年間には、将軍綱吉が愛娘鶴姫が可愛くて、鶴の字を鶴姫に独占させたいがために、鶴の字や紋の使用を禁じた鶴字法度があった。
それなのに聖護院八ツ橋さんが元禄2年に「玄鶴堂」として創業したというのは不思議。
それに「堂」という名前は、>>694が指摘したように、商店の家号というより、知識階級が寓居や学舎に付ける名前。 >>778
麦芽糖は庶民の甘味料として使われていた。でんぷんを麦芽酵素で分解したのが麦芽糖だから、原料は米でなくても芋とかでもかまわない。例えば州浜団子の甘味料は砂糖ではなく麦芽糖。
八ツ橋は庶民の菓子なんだから江戸時代に出来たのであれば砂糖ではなく麦芽糖を使うのが普通だと思うが、麦芽糖を使った八ツ橋の記録はない。そもそも江戸時代記録に八ツ橋という菓子は見つかっていない。
八ツ橋は、砂糖が手に入りやすくなった明治時代に開発されたと考えればつじつまが合う。 たかだか400年前のこともあやしいなら
関ヶ原の合戦もあったかどうか疑わしいな >>809
まぁ実際1192年の鎌倉幕府は間違いだったしw >>775
聖護院八ツ橋の販売開始は明治38年。昭和2年に倒産した西尾さんを買って経営規模を拡大した。
1889(明治22)年 西尾為治が八ツ橋をパリ万博に出品し、銀賞を受賞。日本でも八ツ橋が有名になる。(西尾八ツ橋ホームページ)
1905(明治38)年 聖護院八ツ橋発売(山本候充,2004「日本銘菓事典」東京堂出版,p.173.)
1943(昭和18)年 井筒八ツ橋発売(前掲書,p.155.)
1946(昭和21)年 おたべ創業(社名は違う)(前掲書,p.155.) >>779
一般名として米飴なのはそうだけどアミラーゼでデンプンを糖化させてできる糖としての物質名は麦芽糖(マルトース)って意味で書いたんだけどね >>783
「古今名物御前菓子秘伝抄」に八ツ橋という菓子は載っていない。
江戸時代の京都の地誌の類にも載っていない。
京都の地誌に八ツ橋という菓子が現れるのは、「京の華(大正15年刊) 」が最初だと思う。 >>792
実は、洛中では京大出身より同志社出身の方が地位が高い。
京大出身は一匹狼ばかりだけど、同志社出身は団結力がある。 >>797
上方漫才の今いくよ・くるよもおたべちゃん人形の宣伝を手伝ってくれた。
ちなみに「京ばあむ」もおたべさんが作ってる。 >>803
井筒屋さんの創業は古いが業務内容は水茶屋。100年表彰も八ツ橋ではなく料飲業として受けているのでは? >>817
わかったからお前いい加減アホみたいなドヤ顔連投やめたら?
必死に情報漁って頼みもしないレス返すなよ鬱陶しい >>811
昭和初年の女子学生のレポートによると、
日本で八ツ橋が有名になったのは、日清、日露戦争で兵隊さんへの慰問品として使われてから後。 えらく難しい話になってるけど
結局>>794これだろ?
別に井筒のおっさん聖護院の生い立ちにとやかく言ってるんじゃないだろうしさ
店名にnikiniki1689ってのがどやねん?って話になってるだけだと思われ >>816
バームクーヘンは欧風堂のでええわw
洋菓子はやっぱ洋菓子専門店のが美味いしね >>814
俺のばーちゃんの先祖でも地誌に乗ってるのに何でないんだ?
まあ禁裏御用と幕府御用やってたらしいけど なんかね。
京都八橋ってイメージがあったのに。
壊れちゃったな。
お土産なんてイメージなんだよ。 >>823
おたべがゴリ押しで定着させたから壊れるときはこんなもんだろ
修学旅行で先生に宅配用のを何箱みたいな注文用紙を旅館で配られたのは印象深い つか94歳のボケ老人の思い出作りを本気にして対応してる奴なんて一人もいねーだろw >>823
京都のお土産は阿闍梨餅が喜ばれる傾向
>>826
赤福は職場で一つ一つ分けられない難点が
信玄餅みたいにならんかのぅ。 阿闍梨餅は賞味期限が短いのがお土産にしづらい
自宅用ならいいんだけど >>828
阿闍梨餅は何か微妙
最近京都行って食った中じゃ上賀茂神社のとこにあったやきもち?あれが美味かった
似たような物だけどね 京都も行きなれちゃうと祇園界隈行かなくなるんだよね
特に西の大陸からの人が増えてから祇園とか行かなくなったよ、んで京北の方に足伸ばして茅葺きの里とか行ってみたらこれまた観光バスが大陸の人運んできた
この間行った時は上七軒の辺りぶらぶらして北野天満宮で牛の頭撫でて、そのあと上賀茂神社いってさっき書いたの食った >>828
阿闍梨餅、日本橋三越本店でも人気商品
一度だけ話の種に買って食べてみたけど、それほど美味いとは思えなかった
世間ではあれが美味いのか >>832
ぶっちゃけふたばの豆大福も並んで迄買うような物じゃなかったよ
昔はTV今はネットでまとめサイトやらインフルエンサーに金払って取り上げてもらえば勘違いを産める時代よね >>794
ニキニキも1689年からあったのかよ、スゲーな(棒)
京都はなんでも古いものにこじつけないとダメなの死ぬの?
聖護院に限らず他の京都の老舗も創業詐欺ばっかなんだろうね >>1
俺は八ツ橋より生八ツ橋のほうが好きだわ
おたべ ね
お前ら東京もんに、違いが分かるか? >>832
阿闍梨餅もふたばも大量生産しだしてから
不味くなった。
ぼそぼそと近隣の人間相手に
商売していた時のほうがうまかった。
多くのお菓子にあてはまると思うけどね。 宣伝や口コミに踊って遠方から大挙押しかけて行列作った挙げ句
食ったけど大したことなかったわーってドヤるまでがデフォ 地元では八つ橋なんて食べないよね。子供の頃好きだったのは、新京極四条上がったところで売ってたロンドン焼き。それと高島屋地下で売ってたイカ焼き。 正直、割高ってかボッタクリに近いからな。
京都府民が京都タワーに行かないのと同じ。 >>616
聖護院八ッ橋総本店は、HPで元禄2年から八ッ橋を造り続けていると主張している。
>検校没後四年後の元禄二年、琴に似せた干菓子を「八ッ橋」と名付け、
>黒谷参道にあたる聖護院の森の茶店にて、販売し始めました。
>現在の当社本店の場所にあたります。以来、三百二十年余りに渡り、
>当社は八ッ橋を製造し続けています。 自分の京都土産は、出町ふたばの豆餅かな、朝に餡抜きを注文して帰りに受け取る
あと赤飯饅頭と東山の工場で買う祇園饅頭のこれまた豆大福としんこが好き、
ここも文政年間の創業なので、あと少しで200年、屋号は鶴遊堂 扇子って、なんで線香くさいんだろ? 京都行くと買うよね、扇子 >>838
ロンドン焼も設備を更新した後、雰囲気が変わった気がする。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています