>>164
元々の「背水の陣」はそういう意味じゃないよ

>必敗の陣形である、手取川の戦いにおける柴田勝家、淝水の戦いにおける苻堅など
>歴史上多くの将がこの陣を取って、取らされて敗れている。
>ただ唯一、楚漢戦争時に韓信が擬態としてこの陣形を取り、別動隊への注意をそらすことに成功して勝利した。
>漢の劉邦に仕えていた韓信は兵力20万人の趙を約3万の兵で攻略しなければならないという難局に臨んだ。
>韓信は少ない兵力で勝つために、少ない上に更に川を背にして布陣し、兵法に疎い少数の軍が攻撃してきたように見せかけた。
>これは兵法道理に趙軍の総攻撃を誘い、空となった城と備蓄を別動隊が占領し韓信が勝利した。
>韓信の背水の陣軍が壊滅しなかったのは、敵が大軍であればあるほど、逆に、しばらく持ちこたえれば自軍が勝利することを知っていたから奮戦できたのである。
>ところが通俗ではこの重要な戦略が伝わらず、戦術の定石を敢えて無視し、軍団を逃げ場の無い川の前に布陣させ、
>兵が逃げ場が無く、陣形の再構築もできないことを悟ることで決死の覚悟で奮戦する為に勝利すると誤解され、
>あえて自らを窮地に置き、最大限に力を発揮させようとする事を背水の陣と言うようになった。