2002年9月17日の日朝平壌宣言と聞いても、今の若い人たちは知らないかもしれない。
この翌日から日本中は、メディアも世論も拉致問題一色となり、北朝鮮について批判的に書いた
著書、雑誌、臨時増刊号は、書店にあふれんばかりに売り出され、飛ぶように売れた。
ビジネス雑誌が売れる程度の駅ビルの本屋では、平積みの朝鮮・拉致関連本が連日
閉店までにはきれいに売れてしまっていた。
新聞、テレビ、ラジオで拉致問題は、毎日のように終日ニュースや対談、特集、再現ドラマ、
ドキュメンタリーが報道、放映され高視聴率を博して国民の関心の高さ、注目度No,1を続投した。
それまで朝鮮戦争すら知らない、朝鮮半島の38度線すら知らなかった若い世代も
半島情勢に関するゼミや公開講座は、募集しては満員となり真剣な盛り上がりを見せた。
拉致問題に対する怒りが国民を席巻したといいてもいい世論が数年は続いただろう。
そして、拉致問題の解決支援に組織された関係団体は、それこそ北海道から九州まで
日本中で問題解決の講演を開催し、どこも満席だった。立ち見は珍しくなかった。
政治家のほぼ全員がブルーリボンを付け、選挙で拉致問題を話さない候補者はいなかったのではなかろうか。
あの国民的熱気から今では隔世の感を禁じ得ない。
あれから16年、拉致問題のニュース発信は、激減した。
そして、拉致問題に関する書物も雑誌も話題もまた国民の世論から退潮したとの意見も出始め、
今や風化を危ぶむ空気すらあるという。
9.17の当時からは考えられない情勢である。
だからいいというのではない。
時の流れと時代の変化を本当に感じた一日だった。
時代は、朝鮮戦争の敵同士のアメリカと北朝鮮がなんと、握手する国際情勢に変わった。
これが日本にとって、いいか悪いかは別にして、時代の変化の早さと激しさを物語っている。
こうして今、北朝鮮はものの見事に、結果としてアメリカ、韓国、中国と握手した。
さて、拉致問題の当事国である我が国は、上記の国内世論の情勢から
ここでどうすれば拉致被害者を帰国させることができるのか?
専門家でない私には、見当もつかない。まさに、五里霧中だ。