倉富日記 大正10年12月20日

<倉富&牧野伸顕の会話>

牧野◆徳川慶久が一昨年頃、西洋より帰りたる後嫉妬を起こしたり。
その原因は不在中 妻が待合に行きたること家扶と私したることありということ等なる由。
慶久は一度は離婚を言い渡したるも妻これに応ぜず。
ある時は妻を厳責したるも服せざるため、ついに刀をもってその髪を切りたるも、
わずかに切りたるのみなりし由。その後 妻は葉山の有栖川宮別邸に行き居る由なり。
慶久は近々洋行する由なるが、娘喜久子を伴い妾を随行せしむる由にて、
妻は異見なきも娘が悪感化を受くることを気づかいおるとのことなり