朝鮮通信使でさえ18世紀の日本に驚嘆した旅行記を書いている

日東壮遊歌
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9D%B1%E5%A3%AE%E9%81%8A%E6%AD%8C

大坂の印象
・(多くの船が)一斉に行き来する様は驚くばかりの壮観である。その昔、楼船で下る王濬が益州を称えた詩がある

が、ここに比べてみれば間違いなく見劣りするであろう。
・流れの両側には人家が軒を連ね、漆喰塗りの広い塀には鯨の背のような大きい家を金や紅でたくみに飾り立ててい

るが、三神山の金闕銀台(きんけつぎんだい:仙人の住処のこと)とは、まことのこの地のことであろう。
・本願寺に向かう道の両側には人家が塀や軒をつらね、その賑わいのほどは我が国の鍾絽(チョンノ:ソウルの繁華

街)の万倍も上である。
・館所に入る、建物は宏壮雄大、我が国の宮殿よりも大きく高く豪華である。
・天下広しといえこのような眺め、またいずこの地で見られようか。北京を見たという訳官が一行に加わっているが

、かの中原(中国)の壮麗さもこの地には及ばないという。

また、名古屋では美人の多さに首を左右に振ってばかりだったとも