>>596
 鯨食うことがいいか悪いかといえば、私は鯨を食うことを否定はしません。
ただ、議論をしてったら、最終的には牛も鯨も食えなくなるでしょうから、目
糞鼻糞になる。いま非常にややこしいのは、日本の人たちが、いわゆる鯨文化
がなんだかんだと言っているのは、ほとんどの人は金で動いてるんだと思いま
すけれど、捕鯨を守る会っていうのは、非常に矛盾がある。というのは、鯨を
食うのは文化だっていいますが、本当の意味での文化ではないですね。という
のは、日本で鯨を広く食いだしたのは、明治の中頃からで、その前は、限られ
た地域の人たちしか食べてなかった。それも、多分、やむをえず、ある意味の
差別的構造の中で認められて、鯨は食べられていたのではないかと思います。
これは詳しく調べて見なければなりませんが。というのは、もともと、千年の
日本の文化では、仏教が入って来て千年以上になるわけですが、その文化の中
では、けものは食べない、それから、なるべく魚も食べない。というのがあり
ます。より力のある人ほど、より仏教に近い人ほど、そういうことをやってい
たし、やれたんです。しかし、より、貧しい人ほど、そういうことはできない
から、皆食べてるわけですね。いえば、けものの解体をする仕事というのと差
別とが非常につながっている。それに対して、西洋のほうは、もともと人間中
心主義で、これはキリスト教の考え方で、人間以外のものは、食べられるため
に存在しているんだと、牛でも何でも、鯨だってそういう立場だったけれど
も、たまたま食べなかっただけで。そういう中で、むしろ、食べるのは、欧米
の文化であって、食べないのは日本の文化なんです。それがいまは逆転してる
んです。そこらのところを、日本の捕鯨をやる人たちは、気づいてない。

 ここからは異論もあると思いますけれども、ひとつの見方として言います。
例えば、江戸時代、マグロのトロというのは、貧乏人の食うものだった。赤身
は金持ちが食ってたんです。いま、お金のある人たちが、おいしいおいしいと
いって食っているものは何かというと、トロ、尾の身、霜降りの牛肉の刺身。
そういうものにおいしいと感じることを千年も前から東洋のひとたちはわかっ
てたんですね。で、それを、むしろタブーにしたんです。キリスト教のように
人間だけは別でほかの動物は食べられるものと言う考え方はないですから、人
間も動物も境目はないんです。ですから、仏教には来世という考え方がありま
すね。生まれ変ってくるかもしれないという考え方がありますから、やばいん
ですよね。多分一番おいしいのは人肉なのかもしれないです。そういうことを
わかっていたんですね。そういういうことを避けたんです。
 それに対して西洋の食べるという文化のほうがいろいろ問題がある、と思
う。ところがいまは逆にそっちのほうから、エコロジカルなものが出てくると
いうややこしい構造になっているんです。例えば、和田浦なんか、鯨が上がっ
て解剖しているところなんか、暖かい空気が来るんですよね。ほ乳類ですか
ら。そして乳臭いような匂いがするんですよね。それで僕は殺すのはいやだな
ーっていうのはあるんです。うちの大学は芝浦の屠殺場の近くですから、牛を
いっぱい積んだトラックが通ります。そうするとみんな並んで悲しそうな顔し
て牛が並んでいるわけです。こっちが感情移入するからかもしれませんけど
ね。