新潟日報 連載記事 「生きづらさ」を生きる 81(2012年12月28日)
韓国へ「解毒」の旅
店の人の適当さに感動

店の一角で何人かがかわるがわる食事を取るのだが、なんだかそっちの方が明らかに美味しそうなのだ。
特に客に出す炊飯器とは別の炊飯器のご飯を食べていたのだが、店の人用の方が明らかに炊きたて。
そこまではいいのだが、食事後が問題だった。
店の人たちは食べ終わると、残ったご飯を当たり前のように「客に出す方の炊飯器」に投入。
食べ残した人は、みんな当然ように私達に出される方の炊飯器に余ったご飯を戻していく。

その光景を見て、私は感動に打ち震えていた。
少し前、日本では高級料亭が余った料理を使い回したなどとして問題になったわけだが、お隣韓国のこの店では、従業員の食べ残しのご飯が堂々と客に提供されているわけである。
しかも、何の悪気もなく。

かたや日本では、いつから「消費者こそが一番偉い」という価値観が幅をきかせている。
ちょっとしたことでクレームをつけたりする社会は、どうしたって殺伐としてしまう。

しかし、「お金を払って残飯を食べさせられる」という貴重な経験をして、思った。
世の中、なんかもっと適当でいいんじゃないかな、と。
少なくとも、私はこの現場を目撃して目くじらを立てるような人とはお友達になりたくない。

今日もあの店では、店の人の食べ残しご飯が出されている。
そう思うと、なんだか笑いがこみ上げてくる。
また韓国に行ったら、私はきっとあの店にいくだろう
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