7/11(水) 12:11配信
朝日新聞デジタル


 「あの日」、たくさんのゴムボートが命を救った。西日本を襲った豪雨により大規模に冠水し、48人が犠牲となった岡山県倉敷市真備(まび)町。その中で、自衛隊員でも消防隊員でもない男性が、ひとりでも多く助けようと、力尽きるまでこぎ続けていた。

 「生きとったんじゃな」

 倉敷市真備町箭田(やた)の会社員、野村浩史さん(31)は病院で目覚めた瞬間、こう思ったという。体力が回復した10日午後、退院した。

 野村さんは豪雨が降り続いていた6日夜、自宅に父真示さん(58)、母裕美子さん(57)といっしょにいた。同午後10時ごろ、真備町地区に避難勧告が発令されたことから、「車がやられたらどうにもならん」と先に高台の公園に避難。車内でサッカー・ワールドカップの中継を見ていた。

 状況が急変したのは7日午前1時ごろ、まだ自宅にいた裕美子さんから、「(水が家の車の)ボンネットまできた、もうダメじゃ」。2時間後には「肩まで(水が)きた」とLINE(ライン)でメッセージが届いた。

 「行かな」。夜が明けると車に積んでいた釣り用のゴムボートに空気を入れ、午前8時に車で自宅近くの土手へ。だがそこでは、一変した街の光景が広がっていた。「まさかこんなことに……」

 雨が降り続く中、ボートで必死に300メートル先の自宅を目指した。裕美子さんは一足先に市のボートに助けられていたが、周囲を見渡すと、大勢の人が取り残されていた。

 ベランダで胸まで水につかったおじいさん、屋根の上でタオルを振る知人、小さな子どもの姿も。「屋根まで上って待っとって! またすぐ来る」と声をかけ、順番にボートに乗せ始めた。定員3人。片道10分以上かかる土手までの道のりを何度も往復しながら、動画をSNSに投稿し、知人に応援を求めた。

 目の高さにある電線をくぐり、クギが刺さったがれきを避けて進む。何度も屋根瓦にあたり、ボートに穴が開いたらどうしようと不安がよぎったが、それ以上にさっき無事だった人に万が一のことがあれば、という思いが勝り、オールをこぐ手が止まらなかった。

 救助活動を4時間ほど続けた昼ごろ、手がしびれ始めた。前日から何も食べず、飲み物もほぼない。脱水症状と疲労でろれつが回らなくなり、倒れた。20人ほど助けたが、「まだ残ってる」「行かないと」と口にし続けたという。その様子を見た友人らがボートを受け継ぎ、午後7時ごろまで救助活動を続けた。

 すんでのところで救助された男性(69)は、「あそこから20分ももたなかっただろう。本当にありがたかった」と振り返る。

 野村さんは熊本地震でボランティア活動をし、水や土砂の怖さはわかっていたつもりだった。命は助かったが、「二次災害になってしまった」と反省する。それでも、「一人でも多くの人が助かったなら、本当によかった」とも思う。

 真備町地区では7日、ゴムボートで救助にあたった住民らが、ほかにも複数いたという。(多鹿ちなみ)

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