亀山将さんが手がけた田んぼ。20センチほどに育った稲はすべて横倒しになっていた=2018年7月11日
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亀山将さんの農作業小屋内部。泥が流入して床部分を覆い、亀山さんが動かそうとしたトラクター(奥)にも泥が付着していた
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 「豊穣(ほうじょう)の秋」を見ることは、かなわなかった。西日本を襲った豪雨により亡くなった、岡山県総社市の農業、亀山将(たもつ)さん(81)。コメ作りは今年で最後と、決めたばかりだった。

 同県倉敷市に隣接し、田園が広がる総社市下倉に、亀山さんが手がけた田んぼがあった。親から引き継ぎ、少しずつ広げた。近所で管理する人がいなくなった田んぼも引き受け、多い時で6ヘクタールほどの田んぼを管理していたという。だが豪雨により、植えた稲はすべて横倒しになっていた。

 「仕事一筋の人でした」。妻の寿美子(すみこ)さん(75)は、こう言って亀山さんの死を悼んだ。

 6日午後8時ごろ。亀山さんの自宅に「あふれるかもしれない」と近所の人から電話がかかってきた。総社市中央部から、ほぼ南北に流れる1級河川の高梁(たかはし)川のことだ。下倉地区にある亀山さんの田んぼは川沿い。電話を切り、約500メートル先の農作業小屋のトラクターや田植え機を「高いところに移動させる」と言って家を出た。

 それが最後だった。

 2時間経っても戻らない。寿美子さんが外に出ると、道路には雨水がたまり始めていた。「水がひけば帰ってくるだろう」。そう考え、高台の神社に避難した。だが7日朝になっても帰ってこない。翌8日午前。警察官が自宅を訪れ、亀山さんの死を告げた。自宅近くの田んぼでうつぶせの状態で見つかった。

 「顔は泥だらけだったけど、すぐお父さんとわかった。いい顔しておった」。寿美子さんは、こう振り返った。

 「田んぼにいるのが一番や」。弟の寛さん(78)は、最後に会った2年前、こう語った亀山さんの姿を覚えている。昼食のときもコメ作りの話ばかりをして、すぐ仕事に戻って行った。

 だがそんな亀山さんも、今年5月の田植えの時期には寿美子さんに、「体力的にきつくなった。今年でコメ作りは最後にしようと思う」と伝えていた。

 それから間もなくの突然の悲報。「体が戻っただけでも。流されて見つからん人もおるから」。寿美子さんはそう言って、うつむいた。

     ◇

 総社市では高梁川の氾濫(はんらん)により、亀山さんを含め3人が死亡。1人が行方不明となっている。(榧場勇太)

2018年7月12日11時20分
朝日新聞デジタル
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