※続きです

しかし、主知主義が理想とするような物事の是非を分別する賢者には、私たちは遠く及ばない。
それどころか、賢者に至らない私たちの「知」は、道徳的な共同生活のためにはならず、むしろ利己的な動機に力を与えるばかりだ。
人よりも多く、高く、良くありたいと願う向上心も、他者を顧みないなら一理もない。

共同生活においては、むしろ「知」を正しく導く友愛の心(情意)こそが道徳的な行為の梃子ではないか。
この知性と情意の相互作用を重視する立場は、主意主義と呼ばれてきた。

知恵と勇気と節制という三つの徳の調和を重視するプラトン(魂の三分説)も『プロタゴラス』で、「知(技術)」を補うものとして、「慎み(節制)」と「戒め(正義)」の二つの美徳を挙げ、それらを「友愛の心を結集するための絆」であると言っている。
これらの美徳を敷衍して現代風に言い換えるなら、他者を信頼し、思い遣り、助け合う道徳心ということになるだろう。

「スマート・ドラッグ」に対して「道徳ピル」が重視される理由も、ここにある。
Savulescuらは、実際、「スマート・ドラッグ」がいまよりも社会に浸透すれば、もっと利己的な人間が増えるかもしれないので、その時、そうした人びとを他者を思い遣る道徳的な成員に変えていくためにも、「道徳ピル」が必要だと言っている。

■私たちは道徳ピルを拒めない?

山積している数々の社会問題は、古くから大なり小なり存在してきたわけだが、いつの時代にも、どの場所でも、せめて次世代には解決するようにと「教育」には大きな期待が寄せられてきた。
子どもたちを理性的に対処できる人間に育てるために、問題の所在をしっかりと認識する知性を身に付けさせることや、他方では、計算ずくの利己的な考えを持った人間に育たないように、他者を信頼し、思い遣り、助け合う道徳感情を養うことを目的に、あの手この手と方法を変えながら教育は実践されてきたのである。

そうした教育の効果について、あれこれ言うのは簡単なことではない。
アームストロングのように「素晴らしい!」とは歌い上げられないこの世界でも、本当は教育のおかげで、ずっとマシな世界になったのかもしれないからだ。

とはいえ、多くの問題を解決するのに、教育の効果をもっと引き出す方法があるとしたら。そして、その方法が、いま生きている私たち自身が、もっと簡単に知性や道徳感情を身に付ける方法でもあるとしたら。
それを試さない手はない、と多くの人が思うのではないだろうか。

しかし他方で、これまで述べたような、科学技術の力を借りて私たち人間の本性を「改造」「改善」しようとする試みに対しては、人間の品種改良を目指したナチスドイツの「優生学」を連想したり、あるいは端的に嫌悪感を覚えたりする人もいるはずだ。
けれども、あなたは知らず知らずのうちに、あるいは、あまり意識したことがないだけで、すでにこのような方法を実践済みかもしれない。
実際、クスリには抵抗がある人でも、ここぞという時に、エナジードリンクを飲む人はいるだろう。

眠気覚ましや集中力UPのためにコーヒーやお茶を飲むとなれば、読者の大半は該当するはずだ。
そして、それらの中に、アルギニンやリバオール、タウリン、生薬、糖質、カフェインなどが多量に含まれていることを知らない人はいないだろう。

含まれている物質が異なるとはいえ、眠気を覚まし、集中力や注意力を高めることを目的に、エナジードリンクやコーヒー、お茶を飲むのは、リタリンなどの薬物を服用するのと原理的には変わらない。
さきほど、「あなたはすでに実践済みかもしれない」と述べたのはこれが理由だ。

※続きます