>>244>>245
デマカス死ね

>伊丹空港廃止を叫んでいた住民運動の連中は
×関空ができて→存続協定が結ばれたのは関空開港(1994年)の前(1990年)
×伊丹廃止が検討されだしたとたん→国は当初から騒音問題の解決による伊丹空港の存続を模索してる
×伊丹空港存続賛成派に手の平を返した→協議と要求受け入れにより合意が形成されてる
 まず、訴訟の調停が成立(1975年)して、
 発着時間制限(1975年)、離着陸回数制限(1977年)が行われてから
 存続調停(1980年)「伊丹空港の存続については関西空港開港までに国の責任で結論を出す」が締結されてる。
 そのあと訴訟の和解、関西空港会社の発足を受けて
 伊丹空港周辺自治体の運動方針から「撤去」が削除されてる。
 最終的に、関空の着工後、存続調停に基づいた国からの打診を受けて、存続協定が締結され
 伊丹空港の存続が決まってる。
 存続協定の締結前に、11市協の側から存続要求とか存続決議がでたというのは確認できない。

これぐらい丁寧に説明してやったらバカでもわかるか?

-----------------------------------------------------------------------------------
関空のホームページにあった年表(いまは消されてるので魚拓)
http://megalodon.jp/ref/2011-0221-1239-45/www.kar.or.jp/history/ayumi.pdf

以下概略
1964年 伊丹空港にジェット機就航、騒音対策協議会設立
1968年 新空港建設のための調査開始
1969年 伊丹空港の騒音訴訟の始まり
1970年 伊丹空港B滑走路供用開始
1970年 新空港建設に泉州地元自治体が反対決議
1972年 新空港建設に神戸地元自治体が反対決議
1973年 伊丹市、空港撤去都市宣言
1974年 航空審議会、新空港建設候補地として泉州沖が最適と答申
1975年 伊丹空港の環境対策(発着回数、発着時間、騒音量などの制限)の請求訴訟の調停が5次調停団以外で成立
1975年 伊丹空港、発着時間制限
1977年 伊丹空港、離着陸回数の制限
1980年 伊丹空港存続の調停成立「伊丹空港の存続については関西空港開港までに国の責任で結論を出す」
1980年 伊丹空港訴訟の環境対策の調停が全調停団で成立
1981年 塩川運輸大臣が新空港建設候補地は泉州沖、再検討なしと答弁
1982年 神戸の地元自治体が新空港建設要望決議
1982年 泉州の地元自治体が新空港建設要望決議
1984年 伊丹空港騒音訴訟の和解が成立
1984年 関西空港会社発足
1986年 泉州沖での漁業補償契約が成立
1986年 伊丹空港訴訟の損害賠償請求の調停が成立
1986年 伊丹空港周辺自治体の運動方針から「撤去」が削除される
1987年 関西空港着工
1990年 1980年の存続調停に元づいて、国と空港周辺自治体の間で存続協定が成立、伊丹空港の存続が決定
1994年 関西空港開港
1997年 神戸空港認可
1999年 神戸空港着工
2006年 神戸空港開港