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日本式朝鮮朱子学を導入した林羅山の林家は徳川幕府に長きにわたり仕え身分差別制度を促進した

https://ja.wikipedia.org/wiki/上下定分の理

その羅山が打ち出したのが「上下定分の理」である。羅山は寛永6年(1629年)に著し
た自著『春鑑抄』[注釈 4]において、「天は尊く地は卑し、天は高く地は低し。上下差別
あるごとく、人にも又君は尊く、臣は卑しきぞ」と記している。

羅山によれば、天が上にあり、地が下にあることは時代の転変いかんによらない絶対不変
の天理なのであり、それは君臣、父子、夫婦、兄弟などあらゆる人間社会の上下関係[注釈 5]
をも貫くものである。そして、士農工商の身分秩序もまた、天理によるものであるから不変不滅
なものである、と述べる[1]。朱子学の理気説にあっては、「理」とは本来万物のなかに存在し、
万物を存在たらしめる根源・原理である[4]。したがって、それは人間社会のなかにもあって、
人間関係を秩序づける原理・法則として機能する、と羅山はとらえたのである[4]。

そして羅山は、上述の『春鑑抄』において、国をよく治めるためには「序」(秩序・序列)を
保つため、「敬」(つつしみあざむかない心)と、その具体的な現れである「礼」(礼儀・法度)
が重要視されるべき、と説き、とくに身分に対して持敬(心のなかに「敬」を持ち続けること)
を強調した(存心持敬)。羅山は、宇宙の原理である理をきわめれば、内に敬、外には礼とし
て現れると説き、敬と礼が人倫の基本であり、理と心の一体化を説いたのである(居敬窮理)[2][注釈 6]。

林羅山は、江戸幕府の徳川家康・秀忠・家光・家綱の将軍4代に仕え、その侍講として儒書や
史書を講じて幕政にも深くかかわった。その活躍は、『寛永諸家系図伝』『本朝通鑑』など
の伝記・歴史の編纂、「武家諸法度」「諸士法度」などの撰定、外交文書の起草、朝鮮通信使の
応接など多岐にわたっている[5][注釈 7]。また、かれの努力によって朱子学は幕府の「正学」
[注釈 8]とされ、かれの子孫は林家として代々朱子学を講ずる家としてつづいた[3][注釈 9]。