江戸時代は百姓の力が強く、武士よりも裕福でした

例えば百姓一揆は、江戸時代に日本全国で合計3000回以上も起きている。
凄まじい回数である。
たいていの場合「なあなあ」で丸く収めるように計らい、首謀者が処刑されるのは、
よほど過激な場合に限定された。

江戸時代は百姓の力が強く、相対的に武士よりも裕福だった。

だから百姓の生活は贅沢で、そのため奢侈禁止令は百姓に対して
厳しい条件を付けたわけだが、違反者を罰することができなかった。

ここで、ある程度の時代考証の知識を持っている人の中には、
疑問を持つ人がいるに違いない。江戸時代には何度か大飢饉が起きているが、
特に東北地方の農村に住む人々の餓死がかなり多かったことが、
書物や絵で残っているからである。

そこを考えると、「百姓は裕福であった」とまでは言い切れないのでは、
という疑問が出てくるはずだが、これに対する答えは、当時の物流の欠陥である。
現代のように高速道路もなければ、トラック輸送もない。
たとえ現金があっても、飢饉時には、食糧が買えない。だから餓死者が出る。
飢饉時に餓死しないためには、大規模備蓄がなければならない。

江戸四大飢饉の筆頭に挙げられる天明の大飢饉では、一説には100万人もの
死者が出たとされるが、この時に本間家(←百姓)は、手元にあった
備蓄米を2万4000俵も飢餓民救済のために放出して、
庄内地方ではただの1人の餓死者も出さなかった… 

いかがでしょうか?

戦後の【日本の特殊な左翼思想】に侵されたヒトの頭の中には、
「江戸時代は身分制度があって、差別が酷かった」という【階級闘争】的な、「大きな勘違い」が存在しています。

そして、貧しい百姓たちは、たびたび飢饉に見舞われて餓死したり、
また、過酷な取り立てに反旗を翻し一揆を起こしたという、まさに絵にかいたような
【階級闘争】が日本で頻発していたと「思い込んで」いるんです