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数百年前の事柄であっても過去の道徳的な勝利にこだわるのは朝鮮朱子学にありがちなことだ

全てにおいて負けていても、道徳的勝利によって安いプライドをつかの間だけ充足できる
これが儒教倫理をもった国家が互いに道徳的中心であることを譲らず、相互に侮蔑しあうことが止まない構図だ

世界は自由と正義が律する秩序の下にあるが、その秩序において儒教は努力と向上心を拒否する現実逃避のための麻薬にすぎない

アングロサクソン諸国は13世紀以降に立憲君主制、体系的法制度(ローマ法、司法さえも民主化させる)、議会制度、農奴制廃止、商業活動の自由、市場の独立性といった
改革を矢継ぎ早に行ったが、人類史上類をみない強大な勢力になるまでに紆余曲折はあった
アングロサクソン諸国は決して最強ではなかったが、過去ではなく未来を見据え常に変化してきた

弱小勢力として何度負けても向上心が消えず、身分・学歴・年齢・性別に関係なく他人の向上心や努力、革新や伝統の破壊を邪魔
するのでなく、賞賛し激励するならば長い歴史において勝者となることも可能であることの生きた証明ともいえる

アングロサクソン諸国は昨日の道徳ではなく、人類の未来・正義(神の国の実現)という強い理想と感情によって惰性と暗愚な保身に
陥ることを防ぎ意図せずに強大な超国家群を形成した