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【愛知】「葵の紋」の金箔瓦みつかる 家康生まれた岡崎城
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0001プティフランスパン ★
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2018/09/25(火) 19:29:44.39ID:CAP_USER9
2018年9月25日11時31分 朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/sp/articles/ASL9N55HKL9NOBJB00M.html
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180920005444_comm.jpg
岡崎城本丸から出土した「葵の紋」の金箔瓦=2018年9月20日午後2時29分、愛知県岡崎市、大野晴香撮影

 徳川家康が生まれた岡崎城(愛知県岡崎市)で、徳川家の家紋「葵(あおい)の紋」の金箔(きんぱく)瓦が出土した。城郭では名古屋城で葵の紋の金箔瓦が見つかった例はあるが、全国的には珍しいという。

 岡崎市教育委員会が20日に発表した。市教委によると、飾りとして屋根に取り付けられる小菊瓦とみられ、8月下旬〜9月上旬の発掘の際、天守台北側の深さ約10センチの地中から見つかった。直径は約11センチ。技法から江戸時代初期に製造されたとみられる。当時の城主は徳川家ではなく、譜代大名の本多家だった。

 金箔瓦は、織田信長や豊臣秀吉が一門や重臣らに限る形で用いられたが、江戸時代になると徐々に使われなくなった。ただ、家康をまつった各地の東照宮で使用例があるという。

 岡崎城の本丸には寛永年間(1624〜44年)に東照宮が、二の丸には江戸時代初期に将軍の上洛(じょうらく)のために御殿が建てられたとされる。市教委は東照宮や御殿などにこの金箔瓦が使われた可能性があるとみている。

 調査をした山口遥介学芸員(35)は「東照宮の金箔瓦なら、本多家が徳川家を顕彰するために使ったとも考えられる」と話した。(大野晴香)

https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180920005437_comm.jpg
岡崎城本丸から出土した「葵の紋」の金箔瓦。拡大すると、かすかに金箔が残っている
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180920005439_comm.jpg
岡崎城本丸から出土した「葵の紋」の金箔瓦
0004名無しさん@1周年
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2018/09/25(火) 19:37:38.56ID:MRzumTkG0
>>3
うんこくせーんだよ
0005名無しさん@1周年
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2018/09/25(火) 19:38:18.70ID:Q7EWaCla0
金箔を食べるとこんな感じのうんこが出る
0008名無しさん@1周年
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2018/09/25(火) 19:48:02.92ID:9zKQz7R60
人は記憶型と思考型に大別できる

昨日書いたやつ

家康は松平の次郎三郎家
次郎家から分かれた三郎家という意味ね
てことは太郎家、二郎家がある
この二つの家が没落しないと三郎家が松平の当主になることはできない
とりあえず太郎家の没落をやる
没落の理由は複数あると思われるが、そのうちの1つ
0009名無しさん@1周年
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2018/09/25(火) 19:48:50.49ID:ge5JYHOF0
家康って愛知のイメージ全くないな
静岡か江戸のイメージ
0010名無しさん@1周年
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2018/09/25(火) 19:49:22.80ID:9zKQz7R60
>>8 の続き
岩津城 次郎太郎家
岡崎城 次郎二郎家(※異論は認める)
安祥城 次郎三郎家 ←ここが家康の家ね

1560年、桶狭間の戦い。織田と今川の戦い
てことは・・・・今川は尾張に攻め込む前に手前の三河に攻め込んでるはず
それが桶狭間の戦いの50年ぐらい前になる
0011名無しさん@1周年
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2018/09/25(火) 19:50:18.41ID:ziP/MUJd0
嘘臭いと思う、家康ケチだったし…
0012名無しさん@1周年
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2018/09/25(火) 19:50:22.97ID:9zKQz7R60
>>10 の続き
今川が1万の大軍で三河の松平に攻め込んできた
今川の大将は伊勢宗瑞

   岩津城
          岡崎城        ←←←今川軍1万
安祥城


松平の総勢は掻き集めてもせいぜい5千
よって籠城することに決めたと思われる

順当に攻めれば岡崎城からだろう
守る方も岡崎城の守りを固めていたはず
だが岡崎城はスルーされた
狙われたのは岩津城
この戦いで岩津城の主だった者は討ち死にして落城
松平次郎太郎家は壊滅した
0014名無しさん@1周年
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2018/09/25(火) 19:50:31.28ID:5tKjzmPF0
京の公家社会からあぶれて、父の受領国である三河に土着し、領主化武士化した一族から鎌倉将軍家と足利将軍家が輩出され
同じく三河から、徳川将軍家とトヨグループを排出した
この三河系が日本の現代社会においても君臨しているのだが
センゴク(笑)だとか明治維新とか勉強してもみえてこない


三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)

系図
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→源頼朝(初代鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→足利義兼(初代源姓足利氏)

■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、三河県岡崎市)

・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(三河県豊田市)に土着する
・季兼は、三河国加茂郡(三河県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(三河県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(三河県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(三河県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪)          ←乗っ取られる(笑)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝(初代鎌倉将軍
鎌倉将軍)を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、足利義兼(初代源姓足利氏)を生む
0016名無しさん@1周年
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2018/09/25(火) 19:51:31.63ID:9zKQz7R60
>>12 の続き
次郎太郎家が消えたことで松平家ではやがて内紛を引き起こすことになる
これを狙ったな。今川の大将は策士だね〜

ところで今川軍を指揮した大将の伊勢宗瑞とは何者だ?
こいつこそが後北条家初代の北条早雲さ
0017名無しさん@1周年
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2018/09/25(火) 19:51:47.15ID:5tKjzmPF0
◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇

【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷

【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城

【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城

【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官

【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆

【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)

【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
0018名無しさん@1周年
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2018/09/25(火) 19:54:26.20ID:5tKjzmPF0
>>16
先祖は三河にいた藤原さんだ


後北条氏の先祖、伊勢俊継


伊勢氏(藤原俊経→伊勢俊継(初代伊勢氏)→伊勢盛継→伊勢貞継)

■藤原俊経(****〜1238):初代伊勢氏・伊勢俊継の父
・肥前前司
・法名願仏
・弟の相模法橋円辰と円辰の子大進法眼増恵は三河国滝山寺僧侶
・三河国滝山寺に持仏堂を造営する(後に持仏堂は、甥の大進法眼増恵に譲られる)
・三河国滝山寺に古市場御油畠を寄進する
・歴仁元年(1238)5月13日、京都東山一切経の谷で死去

■伊勢俊継(1217〜1274):初代伊勢氏
・藤原俊経の息
・伊勢前司
・建長7年(1255)、三河国滝山寺に、足利義氏追善の法華堂(宝幢寺)を造営、この堂に田畠3町8段を寄進、足利家氏に働きかけ、家氏の三河国碧海荘青野、宇祢部の料田畠を寄進させる
・天照大神のお告げで姓を伊勢に変える
・文永11年(1274)6月23日、鎌倉で死去

■円辰(****〜****):伊勢俊継の叔父
・藤原俊経の弟
・相模法橋

■増恵(1209〜1283):伊勢俊継の従兄弟
・円辰の息
・聖蓮坊大進法眼
・叔父藤原俊経の持仏堂を譲られ、自身の持仏堂とする
・吉良荘の奉行として、吉良氏の所領経営をする
・建長6年(1254)、本堂屋根瓦替工事の大勧進を勤め、同年、温室を改造する
・正嘉元年(1257)、一切経蔵を造営する
・文応2年(1261)、山王社の宝殿を改築する
・弘安6年(1283)2月13日、鎌倉滞在中に死去
0020名無しさん@1周年
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2018/09/25(火) 20:11:21.49ID:2lMadg/S0
名前に『貴』は漏れ無く陰湿な虐めをする
血も涙も無い反日在日朝鮮鬼畜の証

怖っ
0021辻レス ◆NEW70RMEkM
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2018/09/25(火) 20:24:38.98ID:xtJ4vQIt0
>>1

×葵の紋
○葵の御紋
0024名無しさん@1周年
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2018/09/25(火) 20:29:55.87ID:ApB5vHpL0
>>9

徳川家康と聞けば、俺的には岡崎市だわ。つーか、岡崎市は徳川家康押しを浜松市みたいにしないよな。浜松市は「出世大名家康くん」で徳川家康を猛プッシュしているけど、岡崎市は「オカザえもん 」で売っているしさ。
岡崎市にやる気が感じられない
0026名無しさん@1周年
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2018/09/25(火) 20:47:51.63ID:5tKjzmPF0
>>9
静岡の田舎者に、この栄光の歴史が語れるのかい?
家康を語るには、八幡太郎まで遡らなければアカンのだが



この連続性が美しい
美しすぎる


三河最強伝説でつよね


■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)

■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士

■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士

■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
0027名無しさん@1周年
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2018/09/25(火) 20:49:21.62ID:5tKjzmPF0
家康を語るには源頼朝を語らなあかんし


三河政権たる鎌倉幕府の支配層一覧(三河つながり優遇)

【鎌倉将軍】源頼朝(母方:藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)

■将軍御一家(頼朝姻族、頼朝女系の一族)
・足利氏(下野国足利郡足利)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))の家系
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
・一条氏(藤原北家中御門流)←頼朝同母(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))姉もしくは妹(坊門姫)の嫁ぎ先の家系

■御由緒家
・安達(小野田)氏(三河国八名郡小野田、三河県豊橋市)←安達(小野田)盛長は頼朝幼なじみ
・足助(賀茂)氏(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)←源頼家に室を出し、生まれた息が源実朝を暗殺した公暁
・比企氏(武蔵国比企郡)←頼朝乳母(比企尼)の家系←源頼家に正室を出す
・八田氏(常陸国八田郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系←八田知家の猶子である中条家長は高橋荘(三河国賀茂郡、三河県豊田市)地頭
・結城氏(下総国結城郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系

■門葉(鎌倉将軍と血縁関係がある源氏)
・源範頼(三河守)←頼朝異母弟
・源広綱(駿河守)←古井城主(三河国碧海郡古井、三河県安城市) ←太田道灌の先祖
・平賀義信(武蔵守)
・山名義範(伊豆守)←実父は矢田城主(三河国幡豆郡矢田、三河県西尾市)の矢田義清
・大内惟義(相模守)
・足利義兼(上総介)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
・加賀美遠光(信濃守)
・安田義資(越後守)

■執権・連署
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)

■政所(一般政務・財政を司う機関)
・大江氏←初代別当の大江広元は牛田城主(三河国碧海郡牛田、三河県知立市)
・二階堂氏(相模国二階堂)←初代令の二階堂行政は、母親が頼朝祖父(初代藤姓熱田大宮司(三河国額田郡、三河県岡崎市))の妹

■侍所(軍事・警察を担った機関)
・和田氏(相模国三浦郡和田)
0028名無しさん@1周年
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2018/09/25(火) 20:50:35.83ID:5tKjzmPF0
家康を語るには、足利尊氏も語らなアカンわな


三河政権たる室町幕府の支配層一覧(三河繋がり優遇)

■将軍御一家
【三代将軍足利義満時代】(3家)
・西条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・今川氏(三河国幡豆郡今川、三河県西尾市)
・渋川氏(上野国群馬郡渋川)

【八代将軍足利義政時代】(4家)
・西条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・東条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・石橋氏(三河国設楽郡石橋、三河県新城市)
・渋川氏(上野国群馬郡渋川)

■三管領(将軍に次ぐ最高の役職、将軍を補佐して幕政を統括)
幕府執事(管領の前身)(3家)
・高氏(三河国額田郡菅生、三河県岡崎市)
・仁木氏(三河国額田郡仁木、三河県岡崎市)
・細川氏(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)

管領(3家)
・細川氏(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
・斯波氏(三河国碧海郡矢作、三河県岡崎市)←初代足利家氏は、祖父より三河国碧海郡碧海荘を相伝し本拠とした
・畠山氏(武蔵国男衾郡畠山)←初代畠山義純は三河国生まれ

■七頭(管領家とともに幕政に参加できた七家)(7家)
・一色氏(三河国幡豆郡一色、三河県西尾市)(四職)
・山名氏(上野国多胡郡山名)(四職)←初代山名義範の実父は、矢田城主(三河国幡豆郡矢田、三河県西尾市)の矢田義清
・京極氏(山城国葛野郡京極)(四職)←京極高秀(佐々木道誉の嫡男)親子は三河国額田郡下和田郷(三河県岡崎市)の領主
・赤松氏(播磨国播磨郡赤松)(四職)←善住寺(三河県豊川市)に赤松円心親子の墓あり、赤松円心は一時、赤田和城(三河県岡崎市)に隠れ住む
・土岐氏(美濃国土岐郡)(五職)
・上杉氏(丹波郡何鹿郡上杉)(関東管領)←事実上の初代上杉頼重の屋敷あり(日名屋敷、三河県岡崎市)
・伊勢氏(出自不明)(政所執事)←活動を記録した最古の資料では、初代伊勢俊継は父、叔父、従兄弟と共に三河国額田郡賀茂郡(三河県岡崎市・豊田市)で活動
0032名無しさん@1周年
垢版 |
2018/09/25(火) 20:56:52.04ID:VcUHpWCV0
家康が生まれのは現在模擬天守がある岡崎城じゃないだろ
浜松駿府江戸駿府と居城を変えたのに、岡崎城で金箔瓦が不自然だ
0033名無しさん@1周年
垢版 |
2018/09/25(火) 21:01:38.02ID:yUnB80Av0
>>32
そりゃそうだろw
家康が生まれた時代に天守閣持ってる城とかほぼねーだろ
0034名無しさん@1周年
垢版 |
2018/09/25(火) 21:38:19.52ID:BrBwG9gR0
>>4
三方ヶ原の戦いで漏らした奴なw
0036名無しさん@1周年
垢版 |
2018/09/25(火) 21:45:58.02ID:ybT3lqW+0
>>22
Twitterみたら、あながち嘘でもないのか
0038名無しさん@1周年
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2018/09/25(火) 22:08:11.89ID:NNfpe5zB0
そうだよ
このスレこそ三河のコピペ百姓が輝ける場所なんだよ
あちこちフラフラ鬱陶しい連投せず
ここを巣にして存分に暴れなさい
0039名無しさん@1周年
垢版 |
2018/09/25(火) 22:10:07.55ID:NNfpe5zB0
>>30
それゆけ弾けるパワー
それゆけ閃くセンス
右へ左へ流して
ソレソレ岡崎
の岡崎はアウト
0040名無しさん@1周年
垢版 |
2018/09/25(火) 22:45:55.11ID:BrBwG9gR0
>>30
愛知と思ったら岐阜ってことはあるぞ?
アクセントはほぼ同じだ
0041名無しさん@1周年
垢版 |
2018/09/25(火) 23:14:44.84ID:JUqI3/L90
>>15
あ、それ博物館学でやるよ
まあ勿論資料にも依るんだけど基本的には素手でさわるのがデフォ。意外でしょ。

とはいえ一般のお客さんはそういうのを見て不愉快になることもあるし
特に一般の人から借用とかするときはね、素手で持つと軽んじられてるように思うし
へそまげて心証悪くするとよろしくないので、
そういうときは配慮として白手やることもあるっていうけどねwww
0042名無しさん@1周年
垢版 |
2018/09/26(水) 01:07:58.95ID:/96WDU160
思ったより金箔だった

出土っつうから、金箔なんてほぼ分からんぐらいハゲまくってると想像してたのに
0043名無しさん@1周年
垢版 |
2018/09/26(水) 01:09:30.61ID:/96WDU160
と思ったらやっぱハゲまくりか

ウンコ色が金箔だと思ったが勘違いだったすまん
0044名無しさん@1周年
垢版 |
2018/09/26(水) 22:22:32.37ID:zYfoplmu0
きったねえ三河弁と一緒にされたくないからワザと岡崎の発音は三河弁と変えてる
0045名無しさん@1周年
垢版 |
2018/09/26(水) 22:39:42.87ID:OlD7TU400
静岡大教授の山口幸洋さん(68)の研究によると、東京語と三河県岡崎市 
の話し言葉のアクセントは90%が一致しているという。同県豊橋市では70%▽名古屋市 
と静岡県浜松市では60%▽関西は約30%。山口さんは「武士は、開幕以前からあった 
関東土着の庶民言葉を一段低く見ており、武家言葉に混じることはなかったと思う。 
つまり、標準語は400年前の純粋な三河弁の流れをくむ」と説明する。
0046名無しさん@1周年
垢版 |
2018/09/26(水) 22:41:21.24ID:OlD7TU400
純粋な三河弁とは?


日本の全てを決めてきた田舎者憧れ山手線内、江戸城中の人

■関が原の戦い以後に生まれた三河譜代藩主の老中

【三河県幸田町】三河深溝藩    
・板倉重矩(1665年 - 1668年、1670年 - 1673年)

【三河県田原市】三河田原藩     
・戸田忠昌(1681年 - 1699年)

【三河県豊橋市・豊川市】三河吉田藩     
・小笠原長重(1697年 - 1705年、1709年 - 1710年)
・久世重之(1713年 - 1720年)
・松平信祝(1730年 - 1744年)
・松平信明(1788年 - 1803年、1806年 - 1817年)
・松平信順(1837年)

【三河県岡崎市】岡崎藩     
・水野忠之(1717年 - 1730年)
・松平康福(1762年 - 1788年)
・本多忠民(1860年 - 1862年、1864年 - 1865年)

【三河県刈谷市】三河刈谷藩      
・本多忠良(1734年 - 1746年)

【三河県碧南市】三河大浜藩      
・水野忠友(1781年 - 1788年、1796年 - 1802年)

【三河県西尾市・豊田市】三河西尾藩      
・松平乗完(1789年 - 1793年)
・松平乗寛(1822年 - 1839年)
・松平乗全(1845年 - 1855年、1858年 - 1860年)
0047名無しさん@1周年
垢版 |
2018/09/26(水) 22:45:15.71ID:OlD7TU400
純粋な三河弁とは?


有史以来、武蔵国にあった御所号は全3ヶ所

■平安時代
・吉見御所(埼玉県吉見町)
源範頼(三河守)の息子、源範円(正法寺(三河国宝飯郡、三河県豊川市)僧侶)が移り住む
範円の息子(為頼)から吉見氏と名乗る
現在も、吉見姓は三河県蒲郡市(源範頼の本拠)が日本一多い

■室町時代
・世田谷御所(東京都世田谷区)
長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬、三河県岡崎市)を祖する奥州吉良氏、三河国生まれ吉良治家(初代奥州管領、吉良貞家の息)が移り住む

■戦国時代
・蒔田御所(横浜市南区)
長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬、三河県岡崎市)を祖とする奥州吉良氏、吉良頼康が移り住む


家康入城前の江戸城主は富永直勝

三河国設楽郡富永保を本貫とする三河富永氏
家紋は木瓜に足利二つ引両(太平記、多々良浜の戦いの功労により、家紋に足利二つ引両を与えられる)
先祖は源頼義の家来、鶴岡八幡宮社職家の三河伴氏の平松氏、源義家の郎党No.2 三河伴氏の伴助兼
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