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★☆★『LGBTであること自体が生産性がないとは断言してない杉田水脈』★☆★


杉田水脈氏の月刊誌への寄稿をめぐり、バッシングが続いているが、
「性的少数者の権利拡大」を“絶対善”とし、反対論を封殺する
『LGBT至上主義』の広がりと、その危険を感じる。


寄稿の中で、特に問題となっているのは次の部分だ。
「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです。
そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」

冷静に読めば分かるように「生産性がない」とは、
“同性カップル”からは「子供が生まれない」という意味だ。


LGBTであること自体に生産性がないという事を言っているのではない。


つまり、“有性生殖”という「生物学上の事実」を“指摘”し、
それを前提にした「夫婦の関係」と子供ができない「同性カップルの関係」を、
「行政」が“同等”に扱おうとする動きがある事に「疑問を提起」したのだ。


子供を生むことを「生産性」という“経済用語”で言い表すことが、
適切かどうかという点については議論があってもいい。

寄稿にはもう少し丁寧に説明すべきだったと思われる部分もある。

たとえそうであっても、家族法の専門家たちが子供を生み育てることを、
「再生産(リプロダクション)」という言葉を使って言い表し、
その機能については「再生産機能」と呼んでいることを考慮すれば、
杉田氏に対するバッシングは“異様”である。


多様性を認める社会とは、違った意見に耳を傾ける“寛容”な社会である。
LGBT支援運動も「多様性」を“尊重”する社会の実現を標榜している。
その大義名分と真逆の杉田氏に対する“排他的姿勢”は容認する事はできない。


LGBTに対する「支援派」と「反対派」の主張の“違い”を突き詰めれば、
子供が生まれる可能性のある男女の関係を、他の関係よりも特別な関係、
つまり「夫婦」として保護する現在の婚姻制度を続けるのか、
それとも、“性的多様性”を前提に、「同性婚」なども容認するのか、
というところに、最終的に行き着く。

そこには、「近親婚」の“是非”についても入ってくるであろう。
その“危険性”を指摘した杉田氏の方がむしろ「常識的」なのである。


これに対し、デヴィ夫人は「政治家としては言ってもいいと思いますよ」
「生産性ないわよ。だって子供産めないじゃないですか。
ほとんどのカップルは養子養女迎えてないから、生産性ないっていう、
これも正しいと思う」「子供作らないっていうのは生産性ないじゃないですか」
・・・などと、杉田議員を擁護していた。
(PW6804)