南京戦が始まる前、日本軍司令官である松井石根は南京市民を殺さないように徹底していた。あの戦闘中、
全南京市民は避難区に集結し、日本軍はそこを攻撃しなかったので、間違って死傷者を出す以外の被害者は
いなかった。ジョンラーベは後に松井にこのような手紙を送っている。

December 14, 1937 Dear commander of the Japanese army in Nanking, We appreciate that the artillerymen
of your army did not attack the Safety Zone. We hope to contact you to make a plan to protect the general
 Chinese citizens who are staying in the Safety Zone….We will be pleased to cooperate
with you in any way to protect the general citizens in this city.
--Chairman of the Nanking International Committee, John H. D. Rabe--"
ジョン・H・D・ラーベ
(法廷証323号検察番号1744号抜粋、弁護人朗読、極東国際軍事(東京)裁判速記録210号))
 
1937年12月14日 親愛なる日本軍司令官へ 避難区を攻撃しないでくれたことを深く感謝する。
今後のこの避難区にいる中国人達をどのように守っていこうか、是非貴殿とお会いしお話をしたいと思っている。
私たちはこの人々を守るために、あなたと協力できる事を本当に嬉しく思う。南京安全避難区ジョンラーベ
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↑東京裁判で日本無罪の証拠として提出されたが、アメに都合が悪いから却下

もし日本軍が南京市民を大量虐殺したくてたまらないのなら、この南京避難区に爆撃をすればすむことであった。
しかし日本軍はそんなことはせず、市民を守ったのである。国際法学者まで帯同させていたんだよ
日本軍司令官松井はこう考えていた。
戦争の目的はその土地を占領することではなく、中国人兵士自らによる殺戮行為から、
中国人民達を守ることであったと。

日本は中国大陸にに西洋列強や共産勢力に、食い物にされ支配されない独自の強い中国政府を、
中国人民と共にこのアジアに作りたいと思っていたのである。